2007.03.03 | ||
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「いろもの」の笑い
笑うと気分が変わる。笑いは魔を寄せつけない。危うさのないナチュラル・ハイだ。と、人に話していたら、じゃあ、どうすれば笑えるかのと尋ねられた。 それなら寄席に行ってみたら。餅は餅屋というか、落語家は人を笑わすプロだし。でも、ちょっと待って。落語は、古典芸能でもあるし、予備知識がないととっつきにくいという人もいるようで、いろものの方がいいかな。 いろものはシンプルで、見ているだけでも面白い。噺(はなし)の芸は、こっちが聞く努力を、大した努力ではないにしろ、とにかく聞こうとしないとはじまらないが、いろものの芸はただ見ているだけでいいと不精者にもついていける。 「いろもの」とは、寄席の演芸のうち落語以外の漫才、音曲、踊、ものまね、コント、曲芸、マジックなどの総称。 落語と「いろもの」 1月31日、浅草演芸ホールの新春爆笑演芸祭り。浅草演芸ホールは、浅草六区のちょうどまん中。「奥山おまいりまち」通りの入口に面している。ビル1階の入口辺りには呼び込みが声を上げ、玄関の前に角材のスタンドを立て興行の予定表を並べているので、「六区ブロードウェイ」を歩いていればすぐ分かる。この日は、いろものの芸づくしの一日。 出し物は、腹話術、漫談、ものまね、コント、タップ、奇術、法律漫談、沖縄漫談、江戸糸あやつり、殺陣(たて)、歌謡曲、三味線女幇間(たいこもち)、バイオリン大正演歌……と、盛りだくさん。 東京では、笑いの中心は落語で、いろものは、それに花を添える脇役的なものと見なされてきた。一方、大阪では、昔から「諸芸大会」と呼ばれ、いろものの方が世間で受けてきたらしい。とはいえ、もっと昔、江戸時代の寄席は講談が主流で、落語は色物(いろもの)に入っていたらしい。 いろものの笑いは、落語に比べて、くだらない、ばかばかしいものが多い。イカモノ、インチキというか、はちゃめちゃというか。 落語が江戸時代の文人の咄(はなし)の会からはじまったのに比べると、いろものは、ひとつにはお座敷芸、それにもうひとつ放浪芸、大道芸、見せ物の流れを引いている。そんな笑いは、大麻的という表現が似あう。チーチ&チョンの映画なんかは、いろものの芸に近い。結局、この類が好きなんだと納得している。 舞台に立つのは東京演芸協会に所属している芸人さんたち。普段は、毎月11日から20日まで同じビルの4階にある東洋館に出演している。東京にある寄席で、いろもの専門は東洋館だけ。説明によれば毎月10日ごとに漫才協団、東京演芸協会、ボーイズバラエティ協会の3団体が入れ替わって興行を行っている。 浅草演芸ホールは、落語定席の寄席だけど、この日は、東京演芸協会総出のいろものの催し。ウクレレ漫談の牧伸二さんは、協会の会長で、昼の部のとりに出演。漫談だけでなく自作の「浅草お祭り音頭」を歌っていた。 午前11時半にスタートして昼の部と夜の部、入れ替えなしで9時まで34組、9時間半。1組15分の持ち時間。途中、昼、夜の部それぞれ15分の仲入りの休憩が入る、と全て15分で区切られている。 途中、ふと、「間がもたない」という言葉はよくできていると思った。15分という時間は、どんな出演者でもお客が飽きる間もなく消化できる限界のようで、もしそれ以上、長くなると間がもたなくなることもある。34組の中には、そんなに面白くはない出演者もいたが、すぐ次の芸人さんに移っていくのであまり気にならない。 平日の水曜日、はじまって暫くした頃、席はかなり埋まっている。千葉の小学校が団体で後ろの席を占めていた。年輩の夫婦づれも多い。席3つ空けた隣の中年男は、コンビニの弁当らしきものをモソモソ食べている。一応、うつむきながら食べているのだが、舞台と客席が近いので、芸人さんからもよく見えているはず。夜の部になると人は減っていき、仲入りの後はガラガラになった。 芸人のみなさんの平均年齢はかなり高い。メジャー、マス相手でないこともあるのだろう、時流に合わせる、迎合するといったノリはない。反骨的でもあり、世間一般からは顰蹙をかうようなことも言ってのける。TVのお笑いの世界とはずいぶん違う。そんなノリを勝手に「浅草的」と呼んでいる。意地っぱりの江戸っ子かたぎを見せてもらっているような感じというか。 一方、舞台の上で、生活苦をぼやいていたりもする。客が数人とか、一人といった舞台もあるようで、そんな話しも笑いのネタになっている。 解放感と一体感 猥談や差別に関わるネタ、公序良俗に反したネタ、社会風刺、反体制的なネタも出てくる。本来、笑いの中にはこんな要素も混じっていて当然というか、それが自然だったはずだ。TVは、どんなに型破りに見えても、自主規制があって、それを視聴者に感じさせないように巧に作られている世界だ。 このことはちょっとした発見だった。当たり前のことだけど、何が放送できないネタかTVの中の世界では分からないようになっている。TV以外の世界を見て、はじめていかに枠にはめられていたかが見えてくる。 舞台で、スーパーの万引きが見つかったオヤジが、その店の店長をしていた息子に「父さんの仕事はスリなんだ、アルバイトで万引きをしてるんだ」と居直っていたり、別の漫談では、手にしている折りたたみステッキをこれは昨日、イトーヨーカドーで2500円の値札が付いていたんだけど、800円の値札と取り替えてうまく通っちゃったなんて説明している。……これらは、いささか逸脱気味の一節で、別に犯罪の教唆をしているわけではないし、観客もお笑いの席のセリフを真に受けたりはしない。 逆に、そんなシーンには天が抜けたような一種の解放感があって、それに癒される人もいるのではないか。 優しい言葉、美しい言葉は、商品の広告コピーからネット、TVドラマ、雑誌に溢れている。とはいえ複製された言葉が溢れていても癒しの力は微弱だ。いま求められているのは、世の中の桎梏、閉塞感、しがらみ、緊張、惰性を解く力、たぶんそれが可能なのは笑いの力ではないかと思う。解放感のある笑いは、癒しの力になるのではないか。 もうひとつTVの笑いと違うのは、会場にいるお客さんを巻き込んでいく芸のパターンがあること。芸人と客が直接つながって渾然一体の場になる。見ているはずの自分が、見ている状況の一部に巻き込まれて、いつの間にかそのなかに入っている。そんなときの「あれ? 変な感じ」は、ちょっとした非日常的体験。 また客のヤジも芸を構成する一部になっている。漫談の途中、客席から両手をマイクのようにして、先に落ちを言っちゃう。これもひとつのパターンのようで、そこから舞台と客席の即興のやりとりがはじまったりする。こんなことも新発見かな。 江戸時代の大道芸やテキ屋のノリもきっと同じような雰囲気だったのではないか。昭和のはじめの文筆家、添田唖然坊(そえだあぜんぼう)という人は、それを「浅草独特の空気」と評している。 江戸から戦前のタイムカプセル 思いつくままに、見どころ(自分なりの発見)をあと一つあげると、江戸から昭和の高度成長頃までの時代の雰囲気・空気を垣間見られる、感じられることだろうか。舞台で演じられる芸は、タイムカプセルを開けたような感じだ。 「洒落男」と紹介されている人がいた。「洒落男?」これは肩書きで、「いのち」という芸名の人。なかなかの存在感だった。緑色のシャツに赤のネクタイ、手袋。昔の流行歌「私の青空」にあわせてポーズをとる。体を傾けたり、片手を斜めに上げたり、その度に暫く静止する。見得を切るような感じというのだろうか。会場からは大きな拍手。 年輩で動きはゆっくりしていたし、どこといって特別な動きをしているわけではない。でも全体的に何か違う雰囲気を生みだしている。軽妙で、明るく大らか、時間がゆっくり流れている世界がある。 パントマイムに似てなくもないが、この人の芸は、HPではマイムマジックダンスと紹介されていた。「私の青空」が流行ったのは昭和3年頃。エノケンやロッパの喜劇の時代、乱歩やエログロナンセンスの時代でもある。生まれる遙か前の時代の感覚、「モガモボ」、「モダン」の雰囲気をかいま見た、タイムマシンで過去を見てきたような気分。 福岡詩二さんは、現役のバイオリン演歌師。世相風俗の歴史を調べると、明治の終わりから大正時代にバイオリン演歌師が流行していたらしい。そのまねをしているのではない。演じているのではなくて、現役なのだ。巷の演歌師はラジオ放送がはじまってから廃れていった。ということは、今も大正時代が浅草の一角に遺っているということではないか。 悠玄亭玉(ゆうげんていたま)さんは、日本で唯一の女幇間(たいこもち)。かなり高齢。玉さんと悠玄亭玉八さんのふたりがお座敷芸、酒席芸を披露していた。昭和初期、大正からさらにさかのぼった江戸時代を現役でやっているのだからすごい。 幇間は現在4人だけだという。腹話術のプロは東京で3人と、野生生物の絶滅危惧種を目にしているような感じになる。今日日、入場料2500円〜3000円で、そんな芸を目にできるなんて、すごくエキサイティングだと思う。 芸人さんたち 34組の芸人さんたち、全部を伝えきれないので、何組かのコメントで、だいたいこんな感じかなと伝わればと思う。 しろたにまもるさん(腹話術)。昔は東京に腹話術のプロが50〜60人いたが、いまは3人だけだと言っていた。相棒は人形のゴローちゃん。ゴローちゃんに目隠しをして、お客が何を持っているのか当てる芸や、客席にいたお母さんが、あの人形の背中には機械が仕組まれているのよと子供に説明していたといったエピソード(?)にみんな笑っていた。 ブラック福田さん(タップ&ハーモニカ)。2月19日に入院するそうで、今日が見納めと声を出すのも苦しそう。途中、マイクが入っていないんじゃないのと楽屋に向かって何度も声をかけていた。痛風も患っているとか。タップと痛風では、考えられる限り最悪の組み合わせではないか。D-51が動き出すときの音をタップでやっていた。 名和美代児さん(ものまね漫談)。この人の芸は、擬音・効果音のものまね。台風の風の音、それも風速30メートル、次に35メートルと違いを表現している。さらに青森県津軽地方の風の音。上野駅を発車するD-51の音という芸も定番のようだ。タップにもあったけど、蒸気機関車のマネを今も続けている感覚はさすがだと思う。 源氏太郎さん(笑いの音楽)。この人の芸は、ハーモニカとギター、パーカッション、それに両足にカスタネットを付けて、演奏しながら同時に皿回しもするというもの。皿回しの棒は、ギターにはめ込まれている。何か一芸に秀でなければ、自分だけの芸をと40年前に考えて、このスタイルを考えましたと説明していた。この芸は、明治のはじめごろ「紅勘」(べにかん)といって何種類かの楽器をひとりで演奏した大道芸の流れを引いているのではないか。 この人の芸もそうだけど、浅草の曲芸は、最近よくやっているミュージカルやサーカスのように身体能力の極限を追求していく技とは違って、手先の器用さとか巧みさの技だ。このあたり職人的というか日本的な芸なんだと思う。 スージーきくちさん(形態模写)。この人の芸は人ではなく、物の形をまねるもの。コピーポット、かき氷、アジの開き、風鈴、扇風機の形や動きをまねるもの。 パーラー吉松さん(見る漫談)。この人の芸は、実にくだらない。あまりにばかばかしいので忘れられなくなってしまう。後日、のぞいて見たHPの紹介には、警察官を転職して芸人になったとある。定番は、プロレスのブッチャー、相撲の隆三郷(たかみさと)、北の湖、水戸泉、朝青龍のものまね。 最もくだらない芸は、昨年度、フランスの民族舞踊賞のグランプリを受賞したという「男の人生」。「誕生、成人、結婚、旅立ち」という4部構成。ぜひ多くの人に見てもらいたい。 白山雅一さん(流行歌手模写)。出演者の中で最高齢の83歳。昭和17年にデビューして、今年で63年目とのこと。「歌謡声帯模写」が正式名称らしいが、字の並びが昭和の戦前といった感じ。灰田勝彦、霧島昇、ばたやん(田端義夫)、藤山一郎といった歌手のものまね。だいたい戦前から昭和20年代に活躍していた世代。 原一平さん(寅さん模写)。この人の芸は、「男はつらいよ」の寅さんのものまね。寅さんシリーズは28年続いたが、この人の寅さん模写は34年目だと自慢していた。 ■いろものの寄席は、東京では浅草の東洋館で平日、休日を問わず毎日、昼12時から午後4時すぎまでやってます。だいたい10日ごとに出演者が入れ替わる。入場料は大人2500円、学生・シニア2000円。 東洋館 http://www.asakusaengei.com/toyo/guid_inx.html 東京演芸協会 http://www16.ocn.ne.jp/~tek/ 浅草演芸ホール http://www.asakusaengei.com/hall/guid_inx.html |