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2006.05.16
[ひとりごと]

得意だったこと ── 壁渡り

  子供の頃、得意だったことが三つあった。それは、壁渡り、ブランコからのジャンプ、そして蜂の手づかみ。壁渡りは、綱渡りみたいに壁や塀の上をバランスをとって歩くこと。ブランコのジャンプは、思い切り高く振れて加速をつけ飛び出しどこまで遠くまでいけるかを競うこと。競うといっても自分ひとりでやっているので、自己記録の更新を目指すということなのだけど。蜂の手づかみは、蜂に刺されずに指で捕まえること。
 
  大人たちは知らないことだったし、別に人に自慢するような類のことではなかったので自分しか知らない。でも自分にしかできない特技に密かな誇りを持っていた。この誇りは、勉強もできない、とりたてて何も目立つところのなかった子供であっても、自分が特別な存在だという自信を持たせてくれた。
  今の子供たちはどうなのだろうか。自分は世界にひとりしかいない存在だという矜持、晴れやかな気分を感じるときがあるのだろうか。そういう内的な体験があってこそ、他のどの子もこの世に生を受けた人間はそれぞれひとりだけなんだという気持ちが育つのではないか。
  人と比較されるのはまっぴらだと思った。そんな比較の土俵に乗ってしまったら、あの人は凄い、自分はこれぐらいだと、でも自分よりも下もいると、そんな目でしか世の中が見れない人間になってしまう。本当は、誰もが凄いのではないか。ひとりひとりが至高の存在なのではないか。
 
  一番ポピュラーなのがブロック塀、その他にも石塀、板塀、鉄柵、角材とトタンの塀、突起物のある塀、古いコンクリートの塀、レンガの壁、コンクリートの壁、金網の柵、金属パイプの柵といんなものを渡った。大人も身長ぐらいの高さから3メートルぐらいまで様々。どんな塀や壁でも歩けたし、一度も落ちたことがないのが自慢だった。
  住宅街なら道を歩かずに家々の塀や壁を伝わって目的地まで行くことができた。
  板壁の場合、左右にぐらぐら揺れたりしたが、足先を軽く乗せてバランスの取れる位置が掴める。足先の感触で体重が支えられるか、どんなふうに揺れるかの予想がつく。
  いま振り返ると、一か八かみたいな行動ではなかった。ほとんど事前に100%確実に渡れるという読みができていて、それを行動に移していた。自分の中では不確定要素はゼロになっていた。だから一見、危険そうに見えても、自分には何も不安はなかった。たまに壁を渡っているとき、大人が危ないと声をかけることがあったが、こっちは、100%安全なことをしてるだけなので、危ないわけがない。
 
  また壁から壁に飛び移ることもできるようになった。距離と高さの目安をつけて、フッと体を移すように飛ぶと、1センチの誤差もなくそこに飛び移れる。頭の中では、すでに飛び移って着地しているイメージができていて、そのための動作、力の入れ方も分かっている。分かっているというよりは、体で覚えていることを繰り返すだけといった感じだ。同時に、向こうの壁までの距離、位置関係を目で測っている。
  そうなると後はイメージを現実化するだけで、すでに飛ぶ前に成功が決まっている。最後に、それを行うだけ。主観的は、すでに出来ることが確実なことを繰り返しているといったところだろうか。
 
  壁渡りに体力はあまり関係ない。ポイントは身体のバランスをとることにある。地球の重力と神経伝達のスピードがちょうど釣り合いがとれるぐらいのルールを設定してゲームしているといったところか。それは考えて行動するのとは違う。バランス感覚と体の動きがほとんど同時に起きているような感じ。心身一如といってもいいのではないかと思う。
  最初は緊張して、頭の中は塀の上を歩くことだけに集中する。普段の雑念も消えて、意識は壁の上に続いている細い一本の「道」だけになる。まわりの光景も視野から消えている。
  今にして思うに意識の集中のトレーニングをしていたようなものだ。それはサマタ瞑想の三昧、禅定に親しいのではないかと思っている。
  そして塀の上に立ち上がり、スッと片足を少し上げて前に出す。体の左右のバランスが崩れそうになる前に足を着地させる。途中、両手は自然に開き気味になり、バランスの調整をしている。
 
  壁に上ったまま左右に移動してボールをキャッチするとか、得意なことなのでどんどん上達していった。そのうち絶対落ちないという自信がついた。そうなると本当に落ちることは全くなくなった。
  ビルにせり出した高い壁もあったが、絶対大丈夫という自信がつくと、どんな高さでもそれほど気にならない。考えてみれば塀の幅が同じならば、高さ30センチであろうと、3階ぐらいの高さであろうと同じなのだ。高さが心理的に恐怖心を起こしているだけで、絶対落ちないという自信がついてくると、高さも気にならなくった。
 
  実は一度だけ壁から落ちたことがある。そのときのことはよく憶えている。
  家の近くにある松陰神社の境内には吉田松陰の墓がある。ここは林や赤土の崖があり、幼い頃からの遊び場だった。松陰という人は幕末の思想家で若くして安政の大獄といわれる幕府の弾圧により処刑されている。司馬遼太郎の小説では、弟子であった高杉晋作や伊藤博文らが骨が原の刑場から松蔭の遺骸を運んできて、この地に葬ったと描かれている。
  明治維新後、松蔭を祀った神社が建てられた。松蔭の墓のまわりには門下生であった長州藩の志士たちの墓が並んでいる。この一角は、それほど高くない壁に囲われている。その壁から落ちたのだ。
 
  そのとき、自分は小学生だったが、親の知りあいの娘さんが訪れたので、近所を案内していた途中のことだった。この娘さんはその頃、10代後半だっただろうか。こちらは、自分の特技を披露しようとその壁に上ったわけだ。
  この壁は戦前に作られた古いもので、幅は十分あるのだが、上に屋根のような傾斜がある上、木立に囲まれ日影になっているためびっしり苔が生えていた。
  普段ならこの壁には上らなかった。というのは、壁としてはそんなに高くないので面白みに欠けること、長州藩ゆかりの人物の名前がたくさん彫られている立派な石壁なのでちょっと遠慮していたということがある。壁に手をかけて上ったとき、苔に湿り気があるのが気になった。しかし、その日は、いいところを見せたいという気持ちが勝って判断を誤らせた。
  壁の上に立って何歩か歩いたとき、瞬間、視界が変わった。何か起きたのか分からない。気づいたときには地面に仰向きに落ちていた。湿った苔がヌルヌルしていて滑ってしまったのだ。怪我はなかったが、自分が壁から落ちるなんてはじめてで、それがショックだった。
 
  なんだか雲から落ちた久留米の仙人みたいな話しで、どうも自分の人生は、このパターンで失敗しがちという原体験だったような気がしないでもない。
  そこは松蔭の墓から4〜5メートルのところで、やはり松蔭の前では不埒な行動ができない、格が違うということを身を以て知らされた。