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2006.03.03
[ひとりごと]

縄文大麻の呪術性

  日本では、昔から大麻の繊維から糸や縄、衣服、漁網、馬具、蚊帳、敷物など多様な品々を作ってきた。神道では大麻(おおぬさ)と呼ばれ修祓の具であり、神札であった。大麻(おおぬさ)は、古くは大麻草を加工して作られた文物であったが、単に素材というだけでなく、宗教性と結びつくような何らかの属性が大麻にあったのではないかという疑問が出てくる。
  古代人も大麻に向精神作用があることは気づいていたはずだ。今ならば、大麻(マリファナ)といえば最初に意識を変えるドラッグが思い浮かぶだろうから、古代の人々も同じようなハイ体験をしたので大麻を特別な、神聖な存在と見なすようになったと考えるかもしれない。直裁的な説明でそれなりに納得できるが、一方、神道をはじめとして日本の伝統的な宗教の中で大麻をそのように使ったことを示す証拠や文献は見あたらない。縄文、弥生の遺跡から大麻を吸引していたことを示すものは未だ見つかっていない。どうも単純にハイ体験と結びつける発想は皮相的なのかもしれない。
  大麻と日本の宗教について自分なりに歴史を調べてきたが、まだ完全に結論を出すには至っていない。それでもおぼろげながら大体、こんなふうなことなんじゃないかという見当はついている。
  大麻と宗教、特にその歴史をさかのぼるとき、古代の人々はわれわれとは違った考え方、発想をしていたという面が見逃せない。大麻という植物そのものを特別な、神聖な存在だと見なすその起源は、宗教以前、呪術の時代にさかのぼる。それは縄文時代のことになる。
 
縄文時代の植物文化

  いまから約13000年前から3000年ぐらい前までの1万年あまりを縄文時代と呼んでいる。縄文時代の遺跡からは大麻の繊維片や種が出土している。「縄文」と命名されたのは土器の表面に縄をころがしたり、圧しあてて文様を付けたことに由来している。その縄は、大麻をはじめとする植物の茎の繊維から作られた。
  縄文時代の人々は、主に採取・漁労・狩猟といった農耕以前の生活をしていたといわれる。金属やコロ、車輪、それに牛や馬のような家畜がない生活だった。大きなもの、重いものは、人が集団で縄をひっぱったりして運んだ。狩猟採取時代、世界どこでも生活用具は、石、骨、植物から作ったが、特に縄文の場合、植物文化ともいうべき植物を多種多様に用いた生活だったのではないかと思う。
  人々の心の世界は、宗教意識が芽生える前段階、呪術的な世界に生きていた。呪術とは「超自然的存在や神秘的な力に働きかけて種々の目的を達成しようとする意図的な行為」(広辞苑)という。
  糸、紐、縄を作る繊維は大麻だけでなく赤麻(あかそ)、苧麻(ちょま、からむし)、赤麻(あかそ)、科(しな)、楮(こうぞ、紙麻)、楡(にれ)、藤(ふじ)、葛(くず)と樹皮から繊維が採れるという共通点を持った植物を、おそらくそのときどきで手に入るものならなんでも使ったのではないかと思う。
  日本の麻という言葉がヘンプ(hemp)と異なる点は、ヘンプが大麻(たいま)だけを指しているのに対し、麻は苧麻(ちょま)、黄麻(こうま)、亜麻(あま)洋麻(ようま/ケナフ)など靱皮(じんぴ)繊維の総称だという点にある。
  こういう区分の仕方は縄文時代までさかのぼれる植物文化だと思う。というのは、野山の植物の分類は植物の外見、形状により共通するものをグループ分けする。ところが縄文人は、植物を用途によって分類し、茎から繊維が採れる植物は、みな麻と一括りにしたのではないかと思う。とはいえ、それらのなかで最も強靱な繊維は大麻だった。一説には現代の家庭菜園のような形で大麻の栽培も行われていたかもしれないともいわれている。
 
栃木県鹿沼の民俗伝承

  ここで話しを現代に戻したい。今の日本でも、それも普通の生活の中で大麻に特別な力(呪力)があると信じられていることについてふれておきたい。
  大麻のどういう点(属性)が呪力と結びつくのか。都市生活の中でそんな痕跡を探すのは難しい。だいたいが地方、それも麻栽培を行っていた地域に麻にまつわる習俗として遺っている。古くから大麻の栽培地として有名な栃木県の魔沼にはそんな伝承がある。しかし麻栽培農家が減少している昨今、生活の中で生きた習俗としていつまで遺るのか気になるところだ。
  那須にある大麻博物館の館長さんであるTさんから『鹿沼史 民俗編』という本を借りているので、その中の一節を引用したい。
 
  「麻は昔から単なる植物・繊維としてだけでなく不思議な力を秘めたもの、呪術性を持ったもの、神聖なものとされてきた。その理由には麻の持つ特色があげられる。
  一つには、繊維が強靱であるということ。さらには種を播いて短時間のうちにまっすぐに成長するということである。また、覚醒作用があることもよく知られている。こうした他の植物にはない独特の性質から、麻には不思議な力が宿っていると思われるようになったのであろう。
  麻にまつわるさまざまな儀礼や俗信は、麻の呪術性、麻の持つ強さにあやかったものと思われる」
  「麻の呪力 麻は神聖な繊維とされ、魔を除ける呪力があるとしてさまざまな用途に使用されている。大相撲の横綱は野州麻を撚って作られており、単なる飾りではなく、注連縄としての意味があり、また強さの象徴でもある。このほか、神社で授与するお札や幣を「大麻」といい、お札にも「大麻」の文字が記されることがある、また、神社の大きな鈴縄や、巫女が髪を結ぶ際にも麻が使われるように神社では麻が重要な役割を果たしている。
  また、かつてはお産の際に、天上から吊した麻縄にすがって出産したり、生まれた赤子の臍の緒を縛るのにも麻糸が用いられた。」(『鹿沼史 民俗編』 鹿沼市編さん委員会、鹿沼市、2001年)
 
  こういう儀礼や俗信は、昔の人々の考え方が重層的に積み重なり融合して出来たものだ。なかには、縄文時代にまでさかのぼれる考え方が混じっているのではないかと思う。そうだとするならば、縄文時代の思考が21世紀の日常の中にローカルなレベルとはいえリアリティとして生きているという特筆すべきことではないか。
  整理すると、大麻に不思議な力、呪術性、神聖さがあると見なされてきた理由は三点あげられる。(1)繊維の強靱さ (2)短時間にまっすぐ成長するという成長力の強さ(大麻は4月に種を播いて8月には高さが2〜3メートルにもなる。茎(くき)はみごとに真っ直ぐに伸びる) (3)「覚醒作用」と言っているのは、狭い意味での覚醒(アンフェタミンなどのアッパー系)ということではなく、意識を変える作用、向精神作用があるといった程度の意味だと思われる。
 
植物繊維の強靱さ=呪力

  「たとえば、植物の繊維は一本だと弱いが、それを数本あわせて撚(よ)りをかけ縄にすると、巨大な石をもちあげる強力な力を発揮します。そこでその「超自然な力」にあやかろうと古代人は壊れやすい土器の表面に縄の模様を刻み込んだ、とわたしはかんがえています。それが縄文土器です。
  ……縄文時代の人々の精神活動を宗教ではなく呪力として見るとそういうことがいえます。また巨木や巨石、そのほか聖なる場所にその縄を張ってシメナワとし、カミサマの印としました。それはいまでも見られます。身近に見られる例でいうと横綱のシメナワです。」(上田篤『神なき国ニッポン』)
 
  これはなにげなく手にした本の一節。自分が常々、考えていたことと同じことを指摘している人がいるんだなーといったところ。先ほどの鹿沼の民俗の本で、麻に不思議な力があると見なされている理由に繊維の強靱さをあげていたが、特に大麻の特性として繊維が強く、耐水性があることは知られている。
  そして繊維を撚(よ)ること、そして編むこと、結ぶことといった技術は、現代人からすれば当たり前すぎて、何ということもないことだが、古代の人々にとっては画期的なことだったはずだ。当然ながら、それらは同時に出来たわけでなく長い時間をかけ、細長く柔らかい素材を撚り、編み、結ぶといった工程を試行錯誤して生み出された。
  何か重い物を運ぼうとするとき、最初は一本の蔦(つた)を結んで引っぱっただろうが、細い蔦を撚り合わせた方が丈夫でより重い物を運べ、その上、柔らかいので縛りやすくいろいろな形のものも運べるようになる。麻の糸を撚ったものは縄、つまりロープで、今日まで漁船から大型客船や軍艦まで船を係留するのに麻縄が使われてきたから、とんでもなく長い間、実用品だった。
文様が編み込まれた編み物 アカソ、アサ、ヒノキの細割などが使われた。
アサを撚った糸
※写真出典 『鳥浜遺跡』(森川昌和著、未来社、2002)
   福井県の鳥浜遺跡からは約5500年前の赤麻の編み物の切れ端が出土している。また麻、赤麻、タヌキランを素材にした縄も出土している。縄の撚り方として、二本撚り、三本撚り、三つ編といった区分けがあり、右撚り、左撚りもあった。『鳥浜遺跡』(森川昌和著、未来社、2002)に掲載されている写真を見ると編み物は原始的というイメージからはかけ離れたけっこう精緻なものだ(この本も大麻博物館のTさんにお借りした本です)。
  日本のカミの属性として、超人的な威力を持つ恐ろしい存在という面があげられているが、そこにある強さへの畏敬は、麻の繊維の強靱さに対する驚きであり、それが今日も破魔力として生きているのではないか。魔を除ける呪力とは、魔の力よりも強い力を持っているものを身に付けることで、魔を除けるということである。
  縄文時代は1万年も続き、今は縄文が終わってから3000年たったぐらいの時点でしかない。いま世間では迷信とか俗信と貶められているもののなかには縄文の思考や精神性が混じっているのではないか。大麻の(繊維の)強さにあやかる心持ちは、いまもなくなっていない。多分、このあたりが大麻(たいま)と大麻(おおぬさ)がひとつだった最古の記憶ではないかと思う。
 
大麻の呪力が土器に乗り移る

  縄文土器は最古のものになると約16000年前の土器片も出土している。いまのところ人類最古の人工容器である。粘土を形にして火で加熱することで土器になる。土器の制作は、人類が化学変化を生活に応用した最初の出来事ともいわれる。
  縄文の人々にとって、大きさや形状を変えられ、好みの模様を施せる土器、そして巻いたり、結んだり使い方を工夫することで次々と新しい有用性が生まれる縄は、内的な思考やイメージを物として表現できるなんとも不思議なものだったのではないか。骨、石、木といったすでに存在しているものに合わせて、用途を考える、それを一歩進めると用途をイメージして加工するようになり、遂には何も存在しないゼロ(土くれ=粘土、植物の茎)から思考に合わせて現物を作るというのはすごいことだったのではないかと思う。
  また、縄を土器の粘土に押しつけることでハンコのように現物のコピーが付けられるというのはなんとも奇妙な印象をもたらしたはずだ。シュールレアリズムの技法に表面がでこぼこした木片や石の上に紙を置き、鉛筆でなぞるとその模様が紙に映し取られるフロッタージュという技法があるが、現物の何かがそこに移されるという感覚。それは縄の持つ超自然な力、つまり強さが土器に転移する、感染する、憑くというふうに考えられた。
  こういう思考の痕跡は、例えば神札に生きている。神社のお守りは、カミの霊威を付着させた札を配布したものだ。何百、何千というお札にも等しく霊威が付着していると見なされている。お札を持っている人は、その霊威によって災いを免れられる。
  それについては以前、感染呪術として述べている。「古代的思考の別のタイプに感染呪術があるといわれる。それは「以前は一つであったもの、ないし互いに接触していたものには、離れた後も目に見えない繋がりが存在する。よって、片方に起こったことは他方にも影響を与える」といった発想のことを指している。」(「椿大神社で感じたこと」)
  縄の文様は、装飾的なもの、あるいは機能的なものという面が幾分かはあったかもしれないが、縄文人の世界、彼らの思考を今のわれわれの思考で解釈しても的外れになる。縄文土器の文様は、縄の持つ強靱さという「呪力」を土器に移すことにあったはずだ。
  縄文土器は厚手で、多くは煮炊き用だったといわれる。毎日使っていれば、よく壊れて困ったと思われる。土器に縄文を付着させたのは、土器に強さを付着させ、壊れないようにするための呪術だった。
 
  このように見てくると、現代でも大麻に特別な呪力があるという観念は消えていない。その起源は、大麻繊維の強靱さ、特に繊維を撚ること、編むことの発明に由来していること。それは古代人にとっては、驚異的な、超自然的な力と見なされた。それが呪力であった証として土器に縄を刻印することで呪力が移ると信じられていた、といったふうに理解することができるのではないかと思う。
 
  最後に那須の大麻博物館の館長さんであるTさんにお借りした資料は本稿を書く上で大変参考になりました。感謝の言葉をお伝えしたいと思います。
▲那須高原大麻博物館 http://www.nasu-net.or.jp/~taimahak/