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2006.02.15
[ひとりごと]

鬼畜系とエログロナンセンスの時代

鬼畜系は20世紀の世紀末現象だったということ

  江戸菊
  「狂い菊」(江戸菊)
「江戸で発達し、江戸で盛んに栽培された江戸菊は、はじめ花芯を見せて平らに咲き、その後平弁やサジ弁がよじれながら立ち上がって花芯を包み込み、品種特有の花型になります。この特殊な花弁の動きから、狂い菊とか芸菊ともいわれました。」(会場の説明文より)/湯島天神菊祭り(2005年11月)
  その時代、当事者たちには日々の出来事にすぎなかったことが、後になってひとつの文化現象として括られることもある。ちょっと大げさかな、最近、そんなことを感じている。
 具体的には、マジック・マッシュルームと呼ばれたシロシン、シロシビンが含まれたキノコが2002年6月規制されるまでの数年間。いま振り返ると、その数年間はちょうど20世紀の最後の年月でそれは日本の世紀末現象だったのではないか。2001年6月に亡くなった文筆家、編集者のAさんのことを想い出す。

 晩年の本人には不本意だったようだが、Aさんは鬼畜系といわれるサブカルチャーの元祖的存在だ。鬼畜系って何かというと、曖昧だけどだいたい1990年代後半、醜悪で非人間的、妄想的なものばかりを集めた文化というのだろうか。Aさんは、学生時代からノーマルな世界とはかけ離れた、マイナーで、極端で、タブーを犯す、快楽的な世界を紹介する雑誌や書籍を作ってきた。エキセントリックな感性の編集者で、その分野ではカリスマ的な人気を集めていた反面、世間の多数派からは顰蹙をかっていたようだった。考えてみればAさんは早々とこの世を去ってしまったが、この人は気負いもなく明るいノリで禁断の扉を開け、その影響を受けた編集者やライター、コミック作家、イラストレータ、ビデオ制作者によって今も社会的な影響を与え続けているように見える。
 酒が体質にあわなかったこともあって、Aさんはドラッグの世界に没入していた。テクノ、レイヴに夢中になっていた。サイケデリックスとレイヴの組み合わせは強烈なインパクトを与えたと思う。その頃は、マジック・マッシュルーム、2CBをはじめとするフェニチルアミン系やAMTをはじめとするディメチルトリプタミン系のケミカルドラッグは規制されていなかった。Aさんは睡眠薬や規制薬物も含めて意識を変える薬には旺盛な好奇心を持っていた。

 1960年代末のアングラとかヒッピーという言葉で代表される時代、マリファナやLSDはサブカルチャーに少なからぬ影響を与えた。ちょうど団塊の世代が若い頃になるのだが、当時のサブカルチャーは、ビートルズやアメリカ西海岸の文化の影響が大きかったように思う。その本家がインドの精神文明に惹かれていたこともあって、サドゥーみたいな服を着たり、瞑想に凝ったりする人もけっこういた。
 20世紀末のキノコ・ブームのとき、60〜70年代のはじめにサイケデリックスの影響を受けた人たちが、中には学者・文化人になっていた人もいたが、ほとんど何も発言しなかった、できなかったというのは奇妙なことだと思う。その意味では、20世紀末のキノコ・ブームは、60〜70年代のカウンターカルチャーとは切れていた。

少し横道に逸れた私事だけどキノコのこと

 ちょっとつけ足すと、マジックマッシュルームが誰でも手に入るようになった頃、それがどういうものか、その服用の仕方などを人に、公の場で人に話すことは、ある種の決意を必要とした。少なくとも自分はそうだった。マジックマッシュルームについて、否定的に語る人とか、そんなによく知らないけど喋っている人はいたし、そういう人たちは全然視えないこと、考えもしなかったことかもしれない。
 そんな話しを人前ですることで後々、何かお咎めがあるんじゃないかとか、自分のプライバシーを気にしてとか、そんなことではない。そのころわたしたちは、すでにキノコの世界の探求者であり、供給者でもあった。そのあたりのスタンスは、薬好きであり、文筆家、編集者であったAさんとは違っていた。

 キノコについて語るということは、具体的には、乾燥したクベンシスの2gを服用すると、効果が現れはじめるのは30分ぐらいからで……とマニュアルみたいな話しでしかないが、そのとき胸の内は、底なしの空洞の淵に立つているような戦慄があった。自分たちは地獄の蓋を開けようとしているか、天使の役を果たしているのか、両極端のどちらかに違いないが、どちらか見極めがつかない。尋常ではないリアリティであることは確かだった。
 これは人間の精神を直接、開くもので、果たして自分たちがこれをコントロールして使えるのだろうかという危惧は常につきまとっていた。結局、自分たちが人間の精神に信頼が持てるのかということだと思う。膝ががくがくするような深淵の恐怖に耐えて、なんとかそれを超えてきた。自分たちは、今生では人間と未来に対する楽観主義、一種の性善説の方に賭けた。結果的に、自分と何らかの縁のあった数千人に人たちの中から事故や悲劇的な事態に至った人はいなかったと思う。

 考えてみれば、キノコについて前の世代の、60〜70年代にサイケデリックス体験をしてきた人たちが何も語れなかったというのはよかったことだと思っている。人間は人には嘘はつけても自分には嘘はつけないから、ちょっと辛口に評すると彼らが何も語らなかったのは、彼らなりの誠実さの証だったのかもしれない。
 キノコに関する知識や情報は、翻訳でも入手できる。でもそれは副次的な問題で、意思としてそれを開くのかどうかということは、結局のところ、人間と未来に対して希望を持っているか否かということにあるのではないかと思う。キノコのことだけでなく、歴史上、過去にもそういう想いで、ある一線を超えた人たちがいたと思う。いつか恒星間を移動中の宇宙船の中で、同じような決断を迫られる乗員がいるはずだ。

再び本題に戻って鬼畜系が日本の伝統文化の嫡子であること

 20世紀末のキノコ・ブームはサイケデリック体験の一般化、日本でも数十万人という規模の体験者がいたと思うのだが、それは60〜70年代にマリファナやLSDを体験した人の10倍以上に達していたと思う。Aさんに代表される鬼畜系、快楽主義のカルチャーはそれに少なからぬ影響を与えていた。先ほど書いたような自分たちの姿勢とは、かなり隔たりがあったが、Aさんは晩年になってわたしたちと親しくなってつきあうようになっていた。
 今にして思うのだが、60〜70年代のカウンターカルチャーはとってつけたみたいと言うか、欧米のモノマネみたいなところがあった。Aさんたちからすればそういうのは上品ぶっていて、もっと本音で、下品な方がぴったりしているという気持ちだったのではないか。「文化」を語る新聞、雑誌、マスメディアでは、それが文化とは見なされなかったが、Aさんらの鬼畜系=快楽主義は日本のサブカルチャーの伝統を継いでいたのではないか。

 たぶん本人たちはそれほど気づいていなかったのではないかと思うのだが、Aさんたちは大正末期から昭和のはじめに流行ったエログロナンセンスと呼ばれる文化・風俗現象を継承している。それは猟奇ブームといわれたりもしているが、江戸川乱歩の浅草趣味や永井荷風の江戸趣味に連なっていてそれなりに奥行きがある。
 過去の出来事は常にそれを見る後世の価値観のフィルターがかかっている。日本の伝統文化といわれているものも現代の世間の常識、社会秩序から見て許容できるようなものであったというように修正が加えられている。そんな視線からするとエログロナンセンスのような現象は、日本の文化の中では異端的、例外的なものであるかのように見られがちだが、実は日本の個性ともいうべきかなり本質に近いところに源を発しているのではないかと思える。
 先ほど、日本のサブカルチャーという言い方をしたが、それは正当的・支配的な文化と価値基準を異にする少数派の文化というよりは、正当的・支配的な文化の最先端、極みとしてあったのではないかと思う。
 エログロナンセンスの精神的な流れは、幕末期の歌舞伎の世話物、紅皿缺皿(べにざらかけざら)や芳年の浮世絵のような江戸文化の一翼にさかのぼれるように思える。蛇足ながら幕末から明治のはじめの短期間活躍した三代目沢村田之助が紅皿缺皿を得意としたというのはつくづく凄いと思う。今に至るもこのレベルは超えられない。
 そういう作者たちは明治・大正を経て人脈的にもつながっているが、それを詮索しても末梢的なことで、閉塞的な社会の中でフリークス的に爛熟、洗練されていくのが日本の文化のひとつのパターンだということの方に関心がある。島国的鎖国文化と言うのだろうか、精神が内側に向かうからM的で自閉的な傾向になっていく。
 そこまで言ったからには、ついでにどこにその精神性の起源があるのかまで言ってしまうと、古代中国の南方系(長江)文明の担い手で戦乱や迫害を逃れて、弥生時代に日本列島にやって来た人々、倭族といわれる人々に由来しているのではないかと思っている。2000年にわたる「もの言わぬ民」の原型はこのあたりにあるのではないか。
 倭族は争いを好まない従順な性格の人々だったといわれるが、この人々が日本人のベースになっているという。その前から日本列島にいた縄文人たちは人口規模もそれほど大きくなく倭族と融合していった。自分の拙い知識では、古墳時代になって日本列島にやってきたモンゴル、高句麗に連なる北方系の騎馬民族(天皇家の始祖といわれている)により倭族の系統は支配されることになる。あまり話しを広げたくはないが、倭族はエーテル体の優位な精神性というところに特徴がある。

 昭和のはじめに「グロテスク」という雑誌を刊行した梅原北明という人物がいたそうで、編集方針としていまでいうポルノ(当時のエロ)路線からグロを前面に押し出すようになったことで知られている。梅原という人の手がけた出版物や雑誌のタイトルを見るとAさんの企画とよく似ている。こちらの方が古いわけだからAさんの方が似ているというのだろうか。
 梅原という人には左翼的な反体制と好色の嗜好があるが、Aさんはロリコン、スカトロ、フリークスとドラッグ・マニュアルの方に向かっている。そこにはドラッグが介在していたと思われるが、より実践的、快楽主義的になっているのがAさんらしい。読者へのサービス精神が旺盛で、極端な話しに惹かれるところは両者とも共通している。
 昭和のはじめのイメージというと、昭和2年は1927年だから約80年前、その年の末、浅草〜上野間に地下鉄が開通。同年、円タクといって東京市内1円均一のタクシーが一般化する。ラジオ放送も公衆電話もあって、都市ではサラリーマンが洋服を着て通勤するようになるといった生活全般の洋風化がこのころ確立した。昭和7年には、ロサンゼルス・オリンピックの国際中継放送があり、2年後にはベーブ・ルースらアメリカの野球チームが来日と、その時代は現代のはじまりというか、テレビやPC、エアコンはなかったが都市生活の日常のリアリティはそんなにかけ離れてはいない。エログロナンセンスと鬼畜系はけっこう近い感じがする。

 江戸の日本的倒錯美の世界と昭和初期の猟奇の世界はつながっている。この数年、浅草から向島、入谷、三ノ輪にかけてよく歩き回っているが、その接点は浅草を歩いていると見えてくる。(あまり関係ないが乱歩の「鏡地獄」という小説は、内面を鏡張りにした球体の乗り物(動かないのだけど)を作って、その中に入った男の物語だけど、Aさんなら嬉々として入ってたんじゃないか)。
 昭和の初め、それは関東大震災の後でもあるのだが、東京の繁華街の中心は銀座に移り、また新興の新宿や池袋、渋谷の賑わいが日に日に盛んになるとともに浅草は斜陽化しはじめる。大正から昭和にかけての浅草には僅かに江戸の匂いが残っていたが、それが朧気ながらも未だに消えていないのは、発展から取り残された恩恵でもある。
 少し知恵を働かせれば過去の時代にタイムスリップすることは可能だ。遠い過去であるだけに、震災と戦災を経ている土地なので、現物として残っているのは、建物の一部だったり、人伝の想い出話だったり、古書の一節なのだが、そこに過去の余韻を、そのリアリティを見いだせるかにかかっている。
 どうも浅草の話になってしまった。Aさんにこの街のことを話したらきっとのめり込むに違いなかったのだが。Aさんと永井荷風のメンタリティはよく似ている。晩年、浅草の踊り子のもとにかよった荷風みたいになっていたんじゃないだろうか。