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2005.06.17
[ひとりごと]

バクティ・ヨガと霊動法

15世紀、インドのベンガル地方でバクティ運動を復興させたバウル派の開祖、チヤイタンニャ。マントラを唱え踊る陶酔的信仰の雰囲気が伝わってくる。両手が真上に浮上するような様子に注目。
クリシュナ意識
 「(クリシュナ意識になると精神的次元から伝わってくる超越的な法悦を体験できる。その)八種類の法悦とは、(1)失語、(2)発汗、(3)体毛の逆立ち、(4)ことばがうわずる、(5)体の震え、(6)脱力、(7)法悦につつまれて泣く、(8)失神、です。しかししばらく唱えていれば、すぐに超越的段階に達することに疑いの余地はありません。超越的段階に達した第一の兆候は、マントラを唱えながら踊りたくなる衝動として現れます。」(『自己の探求』A.C.バクティヴェーダンタ・スワミ・プラバータ)
  これはクリシュナ意識国際協会(通称、ハーレクリシュナ)というインドで生まれた宗教的団体の本からの引用。かなり前になるが、繁華街でサフラン色の僧衣を着た剃髪の外人が太鼓をたたいてハーレクリシュナと歌っていたのをよく見かけた。1960年代後半に欧米先進国の間で、ヒッピーやインドの精神文化の流行があったが、当時、そういう若者の中にハーレクリシュナに惹かれた人たちがいた。日本ではそれほど信奉者は多くなかったのではないかと思う。もともとはインドのバクティ・ヨガの系譜を引いている。
  バクティとは尊敬を込めた献身といった意味だそうで、5世紀から15世紀まで、実に1000年間、南インドのタミル人の地から北インドに広まり興隆をきわめた。バクティ・ヨガは、人格神の信仰といわれている。帰依する人格神を一心に、熱烈に敬愛せよという教えだという。
  ハーレクリシュナは15世紀のヴィシュヌ信仰のひとつバウル派に由来しているといわれるが、創設されたのは1969年と新しい。至聖至高者といわれる「クリシュナ」(ヒンズー教のヴィシュヌ神の化身で、スワミ・プラバータによれば「すべてを魅了するお方」という意味だという)の名前を唱えることで、その人に直接、超越的意識を蘇らせるのだという。

「ハーレクリシュナ・マントラの唱名は精神的段階で行われているものなので、その音は低い意識状態、すなわち感覚、思索、知性の状態を越えています。したがってマントラの意味を理解する必要はなく、このマハー・マントラを唱えるために頭でいろいろ考えをめぐらしたり、知的作業を行う必要もありません。唱えさえすればよいのです。」(前掲書)

  ヨガといっても体を曲げたり、曲芸のようなポーズをするあのヨガではない。日本ではヨガというと身体の生理的操作のハタ・ヨガのことを思い浮かべる人が多いと思う。本家のインドでは、カルマ・ヨガ(無私の行為を行うことにより解脱する)やジュニャーナ・ヨガ(知識、識別により解脱する)、バクティ・ヨガと、ヨガは最終目的の解脱に至るための手段なのでいろいろなやり方があるとされている。
  伝統的なヴェーダーンタ哲学とヨガを切り離して純粋にノウハウとして見たとき(本来、両者は一体のもので荒唐無稽な発想だが)、ジュニャーナ・ヨガは、インドのラマナ・マハリシのようなグルの他にもクリシュナムルティやラジニーシといった人たちまで含めてもいいのではないかと思う。いろんな国の文学者や思想家、読書家、教師、科学者の中にそういう人はいるのではないかと思う。
  ガンジーやキング牧師、マザーテレサといった人たちは、本人たちはそんなふうな自覚はなかっただろうけど、カルマ・ヨガといえるかもしれない。こんな有名人ではなくても、郷土の篤志家や昔の義民、現代の社会運動の活動家の中にもこういう人はいると思う。こうなってくるとヨガ=健康法とか瞑想法といった枠組みは消えてしまう。
  バクティ信仰は、神を敬愛する讃歌をうたいインド各地を巡礼したという。カーストや男女の枠を越え、広く民衆を巻き込んで発展し熱狂的な支持を得たという。太鼓を手にして踊りながらたくさんの人々が町や村を行進する様子は、すごくショッキングで、お祭り騒ぎのような雰囲気だったのではないかと想像する。タミルの地から発祥したというのは、なんとなくインド映画「踊るマハラジャ」の雰囲気を彷彿とさせる。
  日本の幕末の「ええじゃないか」の騒動と似てなくもないが、「ええじゃないか」が社会不安を背景にして、何だかやけっぱちのような印象(切ないというか、いかにも日本的だなーと思う)を受けるのだけど、バクティの方は愛や憧れ、恍惚といった言葉で評されるようで同一視はできないのかもしれない。
  ところで、仏教発祥の地、インドでは当時、仏教は難解な教学を研鑽する方向に進んでいて、寺院は象牙の塔になり、民衆から浮いた存在になっていたという。そこにバクティ信仰が沸き起こり、民衆はこぞってバクティの支持者になってしまい仏教の教勢は衰え、そこにイスラム教が入ってきて一気に壊滅してしまったようだ。
  バクティは、イスラム教神秘主義のスーフィズムとも共通する精神性があるといわれる。そう言われてみれば、スーフィーには神との合一体験とか、神の愛を説くという正統なイスラムからすれば異端的な教えなのだが、それはバクティと相通じるものがある。その共通性が外来のイスラム教が入ってきたとき、インドの人たちに親近感を懐かせるように作用したという。

南インド・インドネシア・日本
  「超越的段階に達した第一の兆候は、マントラを唱えながら踊りたくなる衝動として現れます」という一節は興味深い。それはクリシュナ意識といわれる意識状態のことを指しているのだが、それについてスワミ・プラバータの本を読むと、ヴェーダ教典に則った教学から説明されている。繰り返し、自分たちは伝統的な権威に支えられているから正しいのだというくだりが出てくる。ここでは、そういう教学について言葉を挟むことは差し控えたいと思う。上記の引用は、この本の中では、例外的に生身に起きる体験をとりあげていて、そこの部分だけに焦点を当ててみたい。
  そのままにしていると自然に体が動き出すというのは、日本の古神道の流れにある霊動法と同じではないか。片やインドのヒンズー教の流れを汲むバクティ信仰、片や日本の古神道と異なった文化的・宗教的背景から生まれている「行」で、ある変性意識状態になったとき似たようなことが起きる。これはどういうことなのだろうか? 
  自分の体験では、南の島でのはじめてのキノコ体験のとき、ピークを越えた後、自然に体が舞うようにゆっくりと動き出すということがあった。あのときは、なんで?と驚いたが、とても心地よく至福感に包まれていて、体が操り人形になっているのをそのまま観ていた。
  人類がユーラシア大陸を移動したルートを追うと、シベリアを横断した人々の一部は、4万年ぐらい前にはアジアを南下してスンダ大陸(今のインドネシアあたりにあった亜大陸)に移っていたといわれている。この南方モンゴロイドの精神性から憑霊が起きたのではないかという話しは以前ふれた。体に神霊が憑くというタイプの憑依型のシャーマニズムは、脱魂型シャーマニズムと異なり体が動く。
  バクティが南インドを発祥の地としていることと関連して、日本の神々は、南インド・ドラヴィータ系・タミルの人々と同じ起源にあるという国語学者の大野晋の説が思い起こされる。『日本語の起源』では、カミ(神)やアメ(天)、マツル(祭る)などといった宗教用語が実はタミル語起源なのだという。
  目には見えない精神性の流れにこだわってみたい。それはバリのケチャを見て、これは以前、奥多摩の滝行に行ったとき、神道の行者さんが教えてくれた準備運動みたいな動き──それは漁師が網を曳くような仕草を繰り返して、変わったかけ声をあげる天の鳥舟(あまのとりふね)と呼ばれる行だったのだが──と同じだなと感じる感覚。遙かに遠い昔、同じ起源がら発している精神性と感じるかだ。インドネシアで生まれたスブドと日本の霊動法は、基本的なところで共通する身体技法のように思える。
  一方では、そういう精神の流れを遡っていくことで共通性を見出そうとするのとは無関係に、人間には普遍的にある意識状態に対応する体の動きや知覚・リアリティがあるのではないかとも考えられる。サイケデリックスでいえばlLSDやキノコからそれよりも深い・遠い・強い効果のサイケデリックの世界、例えばDMTやケタミンはそうなのかもしれない。しかし、その世界よりは手前の、日常に近づいた意識の世界では、とはいえ日常意識からすれば一生を通じてごく短い時間に垣間見るか、大麻や多量ではない範囲のキノコで体験する意識。それはスブドや霊動法やバクティの意識でもあると思うのだが、4万年ぐらい前のことだろうか南アジアのどこかで生まれた共通の精神性を継承しているように感じている。
  それを現代人の意識に対応させると、大まかに言って日常意識→無心→心身一如→集中・ストーン(三昧)→観照(無我)というような深まり、と書いていて深度と表現すると垂直軸のイメージがつきまとうのでどうもしっくりいかない。覚醒度や集中度ではないし、意識の広がりと言えなくもないが、それは方便のような表現だと思う。どうも比喩や方便のような言い方でしか掴めないのかもしれない。
  そうそう、霊動法、スブド、バクティという意識は、心身一如から集中・ストーン(三昧)あたりに該当するのではないかと思う。最近になって、太古の南方モンゴロイドの人たちは、常時、こういう意識状態にいたのかもしれないと思うようになってきた。
  南インドから日本列島に神道がもたらされたかどうかは分からないが、南インドのタミル人と神道、そしてバリのケチャを演じる人々は、同じ精神性が枝分かれしたものかもしれない。この場合、ケチャが20世紀になってからドイツ人が芸能としてまとめ上げたものであるとか、神道といっても神社本庁の束ねる神道とここで語っている霊動法の神道ではまるで別物なのだが、そういう外形的な、歴史的事実に基づいた目とは違う、いわば精神性の継承がそこに感じられるかという目から見えてくるリアリティもあるのではないかと思う。

両手が垂直に高く上がる
  霊動法というのは、何も考えないリラックスした状態でいると体が自然に動いてくるというもの。工夫とか作為をなくさなければ、霊動の意識状態に入れない。簡単というか単純な行なのだが、勝手が分からない人にはなんとも茫洋としたものに思えるかもしれない。
  霊動法について書かれている本を参照しながら話しを進める。参考にしたのは、霊動法の実践家である中野裕道という人の『驚異の霊動法入門』と『古神道の霊動法』という二冊。著者は、ライフワークとして霊動法に関わってきて、半世紀以上の経験があるという。独自の解釈に基づいた神道から霊動法の精神性について説明している。
  霊動法は神道の鎮魂法に由来するもので、幽冥主宰大神(かくりよのおおかみ)という出雲大社の主祭神(=大国主神)に導かれているのだという。つまり地神、土着の部族の精神性を継承しているというふうに捉えているわけで、それはそれでいろいろ符合するところがあるように感じる。
  「何者か他者に動かされているような状態」(前書)というのは、キノコ体験で体が舞うように動きだしたときと同じだなと思う。意識はあるが、思考、想念がなくなった状態で霊動は起きるというのもやはり同じ。
  ところで霊動法には決まった形はないといわれるが、経験的に外見の形から分かることが幾つかあるという。霊動法の修業を指導してみて、こんなことが分かってきたという。

  「早い話が、実力の100%を出して最高の意識レベルにあるとき、80%ぐらいの力しか出していないときか、それとなくわかってしまうことがあるわけだ。
  例えば、両手を垂直に高く挙げているときは100%だが、角度が浅く斜めに突きだしている場合は、約80%だという具合に……。
  ……さらに注意していると、やがて正座の姿勢から自然に立ちあがるのを常とする。しかも私がそうさせようと誘導したのでもないのに、自然にそうなってゆくのである。」(同・前書)

  この自然に動いていく手の挙げ方で、そのときの意識の「深さ」を判定する目安にするというのは、それなりに的を得ていると感じた。というのは、やはりキノコ体験のときのことを振り返ると、符合すると思われるからだ。実践家の本を読んでいると、こういう直接体験から語られる知と出会えるところがスリリングだ。ここでは、まだ十分に書けないので割愛するが、印契に関する経験談も興味深かった(とはいえ世間でこんなことに関心を持ち、こだわっている人間なんていないだろう)。
  バクティの代表的なグルでバウル派の開祖、チヤイタンニャという人物を描いた絵を見ると、真っ直ぐに立ち、見事に両手が浮上するように上がっている(図版参照)。腕首にも肩にもほとんど力が入っていない様子からは自然に手が動いてこういう形になったのではないか。
  これは上に引用した霊動法の指導体験から語られた話にあったように最高の意識レベルであることを示しているのではないかと思える。