ALTERED DIMENSIN
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2005.02.25
[ひとりごと]

椿大神社で感じたこと

 2月、三重県にある椿大神社(つばきおおかみやしろ)という神社に行ってきた。
 関西の知り合いAさんの家に泊まった晩、少し遅れて家を訪れたBさんと三人で蜜柑を食べながら雑談をしていた。Bさんは、鈴鹿の椿大神社でお祓いを受けたとき、目の前にいた神官の声が変わり、カミからの言葉らしきものを喋るのを見たという。
  「それってトランス現象じゃないですか」とわたし。もともとそういったことに関心の深いAさんが神道の祝詞と特殊な呼吸法の関係からはじめて、その神官の発声法はこんなじゃなかったかと演じてみせた。Bさんはかすれた声を絞りだして神官の真似をした。ふたりは意気投合して、翌日、椿大神社に行くことになった。その後も、椿大神社に祀られている神さまの系譜や神話上の関係についてあれこれ話し込んでいる。
  レゲエ好きのAさんは易に凝っている一方、般若心経の写経を続けている。行者のような、古武士の風格がある。インドでサドゥーの弟子になってきたというBさんは、潜在意識が顕在化していてそれに動かされているような印象を受けた。ふたりとも神社巡りには一家言あるようだ。わたしは、その場に居合わせたので、一緒に行くことになった。 
  昼に車で出発して、椿大神社に着くころ、日が傾いていた。道路の端には雪が残っていて寒い。神社は、高山入道嶽、短山椿ヶ嶽という1000メートル近い山の入り口に位置している。平地と山の境界に参道があり、鳥居をくぐると、森林の中に入ったような感じがした。
 
神社は変性意識を誘発するセッティング施設
  敷き詰められた玉砂利を踏んで歩く。大きな神社の割には、人影はまばらだ。山の奥から風が通り抜けた。2月という「気」の枯れた季節なのだが杉の幹や石垣に苔むした緑が目に栄える。拝殿のすぐ下に飛沫を上げて水流が落ちてくる。石の鳥居、注連縄、左右には柱のような太い杉が直立している。森の中に建っている拝殿。これらは参拝者の気持ちを整える一種の装置なのではないかという考えが浮かんだ。景観が意識変容を誘発させるセッティングになっている。
  昔の人々は、獣の仮面をかぶるだけで、その獣の「ちから」を発現させられたという。つまり憑霊が起きたのだが、こんなに簡単に変性意識になれるのだから神社でトランス状態になることもそんなに難しくなかったはずだ。
  日常性とは完全に切り離された、幽玄なたたずまい。こういう場所にいると静寂で凛とした気配、自然と畏敬の念が湧いてくるのは、多くの人たちの共通感覚ではないかと思う。DMTやケタミンの体験が終わった後に余韻として残る感じにも通じている。
  この空間は、ここを訪れる人の気分(意識)をある方向に持っていく仕組みになっているのではないか。お祓いをする神官は、深く頭を下げて恭(うやうや)しくに畏(かしこ)まる。これは、遠い昔、神懸かりをした人が日常世界を超えたリアリティに接したとき、ひたすら何ものかを拝んだ姿の名残だったのではないか。それが様式化され後世に引き継がれたのではないかという印象を受けた。
  暫くいると、思考が抜ける、心の中が空白になる。自分はどうも暗示にかかりやすいタイプのようで、それにすぐ眠れる、そんな面も影響しているのかもしれない。
  日本のカミは、多数いて、具体的な姿・形は持たない。物や場所に固着・定着することはない。招きに応じて、そこに来臨し、人間や樹木、岩石などに憑いた。人間に憑くのが神懸かりだ。
  江戸時代の国学者、本居宣長はカミについて、稀で、世の常ならず、とても徳(呪的な威力)があって、畏れ多いものという言い方をしている。実は、大麻やサイケデリックスの体験で、そんな心理状態になったことのある人もいるはずだ。超越性、聖性をありありと感じると言えばいいのか、論理で明かになったり、知識で分かったするようなことではない。それは、カミを認知したのとほとんど同じことなのではないかと思う。もし、そうであるならば、人間の魂には、カミと通じ(るルートが開け)ている、一種の同質性があるということになる。カミと変性意識は同義語になっている。
  神社は、仏教寺院の影響を受けて造られるようになったそうだが、当初は、カミを呼ぶ装置だったのではないかと思う。人間の頭を空っぽにしないと神懸かりは起きないから、神社は、人をそんな意識状態に持っていく施設でもあった。
  こんなことを考えていると、大麻好きの人たちの中に、神道に惹かれる人たちが結構いるのも理解できる。それに比べると仏教やキリスト教に惹かれる人は少ないような気がする。大麻体験と神道の相性の良さということで、直裁に目につくのは、記紀神話の解釈を巡って謎解きゲームのように自分の出自やまわりの人原関係をあれこれ考える(思考にハマる)ことの面白さがあげられるかもしれない。
  しかし、それもよく考えていくと大麻体験に付随した、いわば余興の類で、核心には、思考や想念が抜けた意識状態、空っぽの意識状態という両者の親近感があるのではないか。底抜けとか間抜けといったら侮蔑になり、無心とか清明心いうと高尚な感じがするが、同じ意識のことを指していると言ってもいいのではないかと思う。
  さて、椿大神大社でBさんはある人の平安を祈願し、Aさんは、名物という椿草餅をお土産に買って、一同を帰路についた。
 
呪術的思考
  ところで、椿大神社に祀られている神というのは、特定の人格神だから、はじめのころは殻・空白になった意識にその人物の霊が降りたのかもしれない。社務所にあったパンフレットには、平安時代初頭、日本の国は68カ国からなり、それらの諸国を開いた祖先神(地域の有力部族長といったところだろうか)を祀った神社を一の宮というそうで、椿大神社は伊勢一の宮になっている。
  椿大神社に祀られている主神は、「通別の大神(ちわきのおおかみ)」といって天津神を導き入れた国津神の頭目だった。「通別く」とは、進路を開くという意味。天津神は、弥生時代の渡来部族(天皇家と藤原氏に連なる勢力)。国津神は、日本列島の先住部族の豪族のこと。結局のところ、薩長(官軍)に対し江戸城を無血開城させた幕府の重臣、勝海舟みたいな役所といったところだろうか。論功行賞により位を授けられた神なのかもしれない。
  その「通別」(ちわき)が「椿」(つばき)になったとパンフレットに名前の由来が書かれている。古代的思考の発想に類感呪術といわれるものがあって、同じような発音の言葉は、同じものと見なされた。
  類感呪術は「何かがある行動をすれば、似たものも同様のことをする」 「何かに起こることは似たものにも起こる」「似たもの同士は性質を共有する」といった思考法だ。現代のわれわれには迷信やジンクス、縁起かつぎに属するが、そんな考え方に影響されている面も残っている。
  少し調べてみると、こんなことがあげられる。正月の「鯛」は「めでたい」、鏡餅に飾る「橙」は「代々(だいだい繁栄する)」、おせち料理の昆布巻きは「養老昆布(よろこぶ)」、2色のたまごが錦たまご(ニシキは目出度い)、「かちぐり」は「勝つ」という由来があるという。過去に大当たりの出た宝くじ売場は人気があるとか、病院の病室で「4」は「死」に「9」は「苦」につながるといって忌避するとか、探せば日常の中に結構、類感呪術の考え方が見つかる。
  もうひとつ椿という植物のイメージが、そこに祀られている神性と重なっているのではないかもしれない。ネットでは「椿」の社名は、この地に椿が多いからだといわれているというような情報もあった。
  古代的思考の別のタイプに感染呪術があるといわれる。それは「以前は一つであったもの、ないし互いに接触していたものには、離れた後も目に見えない繋がりが存在する。よって、片方に起こったことは他方にも影響を与える」といった発想のことを指している。
  このタイプでは、守り札、護符がそうだし、大麻札(伊勢神宮のお札)はその代表だ。お札には神社から分けられた神霊の力が付着しているから霊験があるわけだ。つい最近、エルビス・プレスリーが1977年のコンサートの際、飲み残した大さじ2〜3杯の水がネットオークションで455ドルで落札されたというニュースを耳にしたが、感染呪術の思考の典型のように思える。
  椿大神社は、椿という樹木が聖性、霊力の強い植物だったことにより付けられた名称だったのではないだろうか。当時、椿という植物は、葉広(木全体に葉が広がり茂っている)で、その花が真紅なことから生命力が強いと見なされていた。その頃の人々は、樹や草を見たり、飾ったりすることで、生命力、霊力が人に感染し、気が枯れた(それが穢れた状態だったといわれる)状態を回復させたという。植物のエーテル体が人の体に感染し、人のエーテル体を活性化させた。春の花見も、もともとは山の花を見ることで生命力を活性化させる行事だったという(『日本語に探る古代信仰』土橋寛)。
  お正月に飾る門松や神棚のサカキは、青々とした緑であることから生命力が強い、つまり呪力が強いと見なされていた。「神聖」という観念は、生命力=呪力が強いことであり、清浄のことを指すようになったのは、後のことだという。その他、欅(けやき)、橿(かし)、楓(かえで)などの樹木、笹、柴、藻などをが生命力の強い、神聖な植物だと見なされた。
 
原初神道の精神性
  神道の教義は、近世になって整理されたもので、さらに遡ると道教や仏教の影響を受けて成立したといわれている。神道には教義といえるようなものがなかったのは、元来、憑霊・トランスすることが核心にあること、直接体験そのものが中心に据えられていたからではないか。奈良時代以降、神仏習合といって日本固有の神の信仰と仏教信仰は折衷して融和、調和したが、それ以前の神道は空っぽになった入れ物、容器(肉体)に神が入る憑霊型シャーマニズムだった。それが原初の神道だったはずだ。
  神仏習合が明治の廃仏毀釈により否定されたことが、日本人の伝統的な宗教性を自壊させたという説がある。椿神社に置いてあったパンフレットにもそんな説明がされていた。しかし、神仏習合によって、神道も仏教も精神性に於いては、念(想念)を強める方向に集約されたことは、原初神道にとっては自己否定としてあったのではないだろうか。祈願すること、祈祷すること、ご利益や願望成就を願うことは想念を強めても、本来、カミの依り代となるために自己を空っぽにした原初の神道とは異なる精神性だったと思える。
  とはいえ、原初の形だからそれが秀でている、そこに復古すべきだと言い切ることもできない。先ほど「一の宮」の由来といわれている話しから想像すると、多くの祖先神(古墳時代の豪族)が、それぞれが別々の巫女に神懸かりしたとしたら、そのメッセージによって政(まつりごと)が左右されるのだから、常に豪族同士で争いごとや不和が絶えなかったのではないかと思われる。
  ついでに、こんなことも言えるのではないかと思う。和辻哲郎の『鎖国』という本がある。この本は、今から半世紀ほど前、太平洋戦争の敗北という事態に向き合って、どこに根因があったのかを明らかにするため執筆されたという背景があった。序説にはこんな一節がある。
  「合理的な思索を軽蔑して偏狭な狂信に動いた人々が、日本民族を現在の非境に導き入れた。がそういうことの起こり得た背後には、直観的な事実のみに信頼を置き、推理力による把握を重んじないという民族の性向が控えている」
  この「直観的な事実」という「民族の性向」がどこから由来しているか精神の根源を探っていくと、行き着くのは、空っぽになった容器(肉体)にカミが乗り移る、そういうタイプの精神性に行き着くように思える。これは、実は、根深い問題なのではないかと感じている。先ほど、大麻体験と神道の親和性についてふれたが、現代の日本人が変性意識体験をしたとき、古代的・呪術的思考に先祖帰りする人たちがいるということを示しているのかもしれない。21世紀の世界で、もし日本がこういう精神性に席巻されとしたら不幸なことだと思う。
 
北方型の脱魂と南方型の憑霊
  人類の歴史では、新人(ホモ・サピエンス)が10万年ほど前にアフリカから移動をはじめた。ひとつの波は北上してヨーロッパに進出したが、それとは別の波として、中央アジアからシベリアを進んだ人たちがいたという(こういう話しは、現在、主流になっている学説を引き写しているだけなので、将来、別の説に取って代わられることもあるかもしれない)。
  シベリアに定住した人々の中から後にウラルアルタイ民族と呼ばれる(シャーマニズムの語源も彼らのツングース語に由来しているという)人々が生まれる。その人々の間では脱魂が容易に起きていたのではないかと思う。
  脱魂について考えるとき、古代人の自我(自分という自覚)とアストラル体(想念・霊的世界)は、現代の人間よりも簡単に肉体から離れることができたということを押さえておきたい(これはシュタイナーの受け売りです)。キリスト教の洗礼は、川の中で水に体を沈めるのが古式だそうで、神道の禊ぎも同様に体から自我とアストラル体を離れさす行に由来しているのではないだろうか。
  その後、一部の人々はシベリアからアジアを南下してスンダ大陸(今のインドネシアあたりにあった亜大陸)に移ったといわれるが、そこで憑霊が起きたのではないかと思われる。脱魂の方が意識の深層・古層に接していて、それが何らかの事情で新たに憑霊に移行していった。それは、人間の自我とアストラル体が肉体とエーテル体(いのちの力・気。先ほどの生命力=呪力のこと)との結びつきを強め、離れられなくなってきたことに対応しているのかもしれない。その結果、肉体とエーテル体に自我とアストラル体は従属するようになった。
  もともとこのような考え方はシュタイナーから学んだものだが、出口王仁三郎の説く「霊主体従」の考え方と似通っているのは興味深い。その説を簡単に説明すると、宇宙は、非物質的・不可視的世界である<霊界(心霊界・幽界)>と、物質的・可視的世界である<現界(形態界・顕界)>の2つから成立しているという。現界は本質的に霊界の移写(いしゃ)であり、縮図という関係にある(「霊主体従」)のだが、それが人間の世界では逆転していて「体主霊従」になってしまっていると捉えている。人智学と大本教では、全く異質のように見えながらもコアな部分では案外、親しいものがあるのかもしれないという気がしないでもない。
  脱魂から憑霊への移行は数万年の時間を経て進行していった過程だし、個人差も大きかったはずだから、はっきりといつからというように区分けできないにしても、そのような緩やかな傾向があったのではないかと思う。おそらく脱魂にしろ、憑霊にしろ、はじめのころは部族全体で集団的に発現していたのが、時代が進むにつれてだんだん衰えていき専門化した、適性のある個人(シャーマン)にだけ起きる脱魂型シャーマニズムや憑霊型シャーマニズムになっていったのではないか。
  脱魂型のシャーマン(魂が体を抜け出して神霊界を訪れる)は体が不動の姿勢のままであり、憑依型のシャーマン(体に神霊が憑く)は体に動きがある。それは身体意識の有無の違いなのだが、サイケデリックス体験でも明らかなようにより深い意識になるにつれ身体意識はなくなっていく。
  さらに後、今から2万年ほど前になると地球の温暖化がはじまり、スンダランドはしだいに水没していき、住んでいた人々の一部は太平洋の島伝いに北上して13000年ほど前に南九州に辿り着いた。それが縄文人ではないかといわれている。
  一方、シベリアにいた人たちは、5000年ほど前に北東アジアに移動をはじめ、中国南部の農耕文化を吸収した後、2300年ほど前に日本列島に渡来し弥生人になる。縄文人も弥生人も元々は数万年前、シベリアで枝分かれした人々で、それが2300年ほど前に日本列島で再会する。その間に、両者は体格や顔つきといった外見から文化まで違いが進んでいた。
  大雑把な言い方になるが、西日本は弥生系の系統の濃度が強く、東日本は縄文系の系統の濃度が濃いといった比較を耳にする。戦前までの日本人の血縁関係は、狭い近隣地域に限られていたと思われるから、そういうことも言えるかもしれない。確かに食べ物の嗜好やファッション、習俗、情感、気質、人間関係のあり方など違いがあるように感じる。とはいえ、それが何か決定的な違いのようには思えない。
  かなり飛躍した言い方かもしれないが、「通別の大神」の生きていた頃には、それは決定的な違いだったはずだ。現代は、かって分岐した人たちが何万年かの時間を経て違いが広がった後、二千数百年かけて再統合しつつある過程なのかもしれない。
 
『幼年期の終わり』
  これまで、原初神道について、空っぽになった頭にカミが入ってくる(憑く)という構図を述べてきたが、日本人が外来の文化(文字。仏教、儒教、西欧文明)を吸収してきた歴史を振り返ると、希釈化されたレベルでそれ(憑くということ)が起きているというふうに言えなくもない。それは特定の一個人(巫女、シャーマン)に憑くという形ではなく、それぞれの時代で社会の成員のほとんどに受容されるという形をとってはいる。
  実は同じようなことを言っている著名な学者がいた。この人を何と評したらいいのか、思想家のような歴史家のような碩学っていうのはこういう人のことなのではないかと思う。
  「人類文化におけるオリエント、ギリシア、インド、シナ、西欧、といった文化創造の主役たちのポジ(正)の役割にたいして、これらの主役たちによって生み出された文化を、つぎつぎと貧欲に吸収してあくことのないこの列島のネガ(負)の役割こそが、縄文の昔から今日に至るまで、日本の文化を一貫している基本的な性質であり、これこそは、本居のいう「大御国の古意」にほかならぬのではないか、と考えるに至っている。」(『神々の体系』上山春平)
  学識では問題にならないから、そういう方面のことはさておき、変性意識体験からの視点から述べるとすると、「ネガ(負)の役割」の核には、太古の南方モンゴロイドを起源とする精神性が絶えることなく息づいている。諦観と卑下と居直りが微妙に入り混じった上山春平の思索はとてもよく分かるが、その精神性は、シーラカンスが貴重なのと同じように評価してもいいのではないかと思う。
  それは気休めではない。この領域の問題に対し、せいぜい2500年ほどの歴史しかない人間の理知から推し量り、結論を出すのは早計ではないかとも思われる。例えば、それは野球の試合を1回で、サッカーの試合を前半の10分で判断するのと同じようなものではないか。
  アーサー・C・クラークのSF『幼年期の終わり』では、人類の文明よりも数千年は進んだ知能と技術を持った〈オーバー・ロード〉と呼ばれる宇宙人の乗ったUFOが地球に現れる。〈オーバー・ロード〉は最初、姿を見せないが、人類と同じような自意識・自我や感情を持っていて、知力は100倍にも匹敵する生命体のようだ。ここまでは、割と月並みな展開かもしれない。
  クラークの思想の輝きは、そのスケールの大きさにある。話しが進むに連れて、〈オーバー・ロード〉の能力は発達の極限に達しているが、人類には彼らに理解できない別種の能力があるらしいことが明らかになってくる。それは霊魂とかテレパシー、予知と呼ばれているようなものに関わる能力らしいが、実は、それがどういうものか人類にも自覚できていない。〈オーバー・ロード〉は人類の持っているそうした潜在能力、目に見えない力について、感じることも理解することもできない。だから彼らにとっては存在しないも同然のものだ。
  彼らの潜在能力はすでに枯渇しているが、人類のそれは十分に開発されていない。そして、そうした能力こそが、〈オーバー・ロード〉にも人類にも未だ分からない存在の次の段階に飛躍するめに必須の力だということが明らかになる。