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2004.01.28
[ひとりごと]

霊的覚醒について(1)

キノコ体験と霊的覚醒
 
 キノコ(シロシン、シロシビンを含有した、いわゆる「マジック・マッシュルーム」)が誰でも自由に体験できたときのことから話しをはじめる。法律(麻薬及び向精神薬取締法)でキノコが規制されてから3年になろうとしている。20世紀の世紀末の数年間、おそらく数十万人の日本人がキノコを体験したのではないだろうか。体験者の数に比較して、幸いにも人命に関わるような事故は殆どなかったと記憶している。正直に言えば、営利だけしか頭にない業者が跋扈し、またキノコに関して良質の情報が少なかったという状況下で、大きな事故が起きなかったのは奇遇だったと思っている。
  物質としてのキノコは法律で規制されたが、その体験は本人がどのように自覚しているかを問わず、心の深部に大きな影響を与えたはずだし、この影響は生涯を通して熟していくに違いないと思っている。それは若い世代を中心にした体験者がいつか親になる流れを経て、次世代にも影響を与えていくのではないか。
  キノコが自由だった数年にいろいろな体験を見聞きした。これは、ぼやきになるが、その頃から、この国ではキノコ体験について正面から自分の言葉で語ろうとする人が出てこないことに不甲斐なさを感じていた。それは突き詰めていくと、結局、日本の閉塞的な精神文化や風土性、宗教性の呪縛を突破しえない非力さなのだが……。
  本題に戻って、幾つかのキノコ体験を素材にして、霊的覚醒との関わりについて考えてみる。霊的覚醒という文字面を書いてみて、あまりに決まりすぎ、その分、いかがわしさが付きまとうのを感じている。とは言え、世間でどう見られるかを詮索してもしょうがない。わたしは自らの探求を進めていくだけだ。わたしの実感では、霊的覚醒とは、人間の生の深部、生と死を貫くリアリティを直覚すること、といったことを意味している。
 
(1)
  キノコを欲しいとスーツ姿で30代ぐらいの男が尋ねてきたことがあった(仮にAさんとしておこう)。物腰や雰囲気からは、どうもキノコを自分で体験しようとしているタイプには見えない。話しを聞いてみると同棲している彼女がロシア人で、慣れない日本の生活を続けていくうちにイリーガルなドラッグに依存するようになったという。すでに出合ったときにはそんな状態だったらしい。彼女と一緒にいたいため、あちこちでドラッグを調達しているのだという。キノコについてはLSDと同じようなものらしいという話しをどこかの雑誌で目にしたとか。
  コヒーを飲みながら、Aさんの話しを聞いていると、なんだか人生相談を受けているような気持ちになっていたのを想い出す。彼女に振り回されて無理をしている様子がよく分かる。キノコの効果や変性意識についての話しをして、これはあなたが探しているようなものではないと説明したが、とにかく持って帰るというのが目的だからと言って、確かシロシベクベンシスを5gぐらいだったか鞄に入れていった。
  それから1週間ほどたって、Aさんから電話があった。何かすごく大きなことがあって、その話しをしに訪れたいという。夜、現れた彼は、憔悴しきったような、緊張した面もちで現れた。真剣な目をしていたのが記憶に残っている。
  普通の日常生活の感覚ではありえないのは、そもそも、わたしは、Aさんについて、どこで生まれ、何をしている人なのか何も知らないということだ。彼にしても一度、コヒーを飲みながら雑談したぐらいの人間に、自己の人生の重大事を聞いてもらいたいというのは、ほとんどありえない話しではないかと思う。
  Aさんの話しを要約すると(この話しの一部始終は録音してある)、戯れに彼女と一緒にキノコを食べたのだという。よく巷で流布されているようなLSDのファンタジックなトリップ体験を期待して食べた。何か楽しいことが起きたらいいなという気持ちだった。ところが、初めてのキノコの体験は予想外のものだった。
  彼らは、思ってもみなかった厳粛さで、自分たちの行く末を直視させられてしまった。壁に背をもたれかけて二人で向き合っていると、彼女と結婚して10年、20年経った後の姿がはっきりと視えてきた。結局、一緒になっても、何十年か後に絶対分かれることになることが明らかになり、涙を流して泣いたという。それは(後に聞いたところ)彼女の方でも同時に同じ姿を見ていて、やはり泣いていた。
  キノコ体験中、二人とも何も言葉を交わさなかったのに、同じことを知り、その晩、分かれることになったのだという。キノコ体験で知った未来の姿は、完璧に疑いようのない事実として伝えられたから、分かれたことに後悔や疑問はないけども、どうしてそんなことが起きたのかが不思議でしょうがないと真顔で話してくれた。こんなものが本当にあるのか信じられない。でも、全て事実なのです。信じられないけれども事実だという戸惑い、不可解さが態度にも現れていた。
 
(2)
  この話しの主人公である人物(Bさんとする)はキノコを体験した後、亡くなっている。わたしは、彼とは何度か交差し(出会い)ながらも距離のある関係のまま、彼は後から来て、先に逝ってしまった。
  そう言えば、わたしは、これまでにサイケデリックスにのめり込み、この世のサイコロゲームから早々と上がっていった人物に何人か出会っている。彼らの生は、流星のように一直線に激しい光芒を放ち天空を横切り、あっという間に消えていった。わたしは、この話しをどのようなスタンスで書くべきか少し躊躇している。ここでは、ある種のモザイクをちりばめてBさんのことを書きたいと思う。
  その日、Bさんはキノコを体験し、その効果が切れた後、素面に戻ってから今生に別れを告げて亡くなっていったということを聞いた。シロシベクベンシスよりも有効成分の含有率の高いコペランディア・サイアネンシスが出回りはじめる直前、初めてこのキノコを試した直後だったという。
  キノコにより日常的な自我の世界では考えられないような思考に陥ったわけでも、「妄想」に捕らわれたわけでもない。キノコで前後不覚になって錯乱状態になってしまったのでもない。キノコ体験の後、Bさんなりに自分の人生の全てを理解しきって、今生での意味を了解し終えたので旅立っていったのだという。彼が到達した境地は、文字通り生も死も超えていた。
  この話しも日常のリアリティからはとても信じられないことだと思う。この日、キノコを口にする前までは、考えもしなかったであろうことを、それも人間にとって最も不条理な重大事を、軽々と整然と行為することができてしまうというのは、どうにも理解し難いことではないか。
  そのリアリティには限りなく純粋で、完全な真実性があることは確かだと思う。こういうリアリティを生涯に一度でも直覚できる人は稀なのではないかと思う。というよりも、通常は、人間が接しられない境地なのかもしれない。
  Bさんは最初は一攫千金を狙ってキノコに近づいたのだが、自らが体験した後、全くそれまでの価値観が変わってしまったという。Bさんがキノコに出会ってからこの世を去るまで、せいぜい3年ぐらいだったはずだ。
  空海は『秘密曼陀羅十住心論』では、人間の心の世界(境地)を10に区分けしている。詳しい説明は省くが、最初の3つが世間の普通に生きている人間の心の世界(6〜10は大乗仏教の各宗に対応するのだが、それは空海の生きていた時代の仏教界の状況に対応した区分けでもあるので、そこまで細分化するのが妥当なのかどうかはよく分からない)。
  『秘密曼陀羅十住心論』の区分けに従えば、Bさんのリアリティは5つめの「抜業因種住心」に該当するように思える。それは、この世の因果、事物の生起・関連が明らかになって業因の種を抜く境地(住心)で、縁覚仏、あるいは独覚仏とも言われる。
  宗教的な修行者とは、無縁の世界に生きてきた人間が3年ほどで、そこまで変わるということは普通では考えられないことだと思う。今にして思うのだが、キノコを含めてサイケデリックスは、通常ではありえない早さで人を導くけれども、それが本物であったとしても、そこに至る過程の早さには危うさがつきまとっていることに気づくべきであった。
  Bさんは若くて健康だったから、生きていればそれなりに歩むはずの人生の喜怒哀楽、数十年の生の積み重ねを、1回のキノコ体験(この世の時間で数時間)で味わい尽くしたのだから、その凝縮度・密度の濃さは驚くべきものだ。
 
(3)
 晩年の数年間にキノコ体験を180回近く繰り返し、亡くなっていった人がいた(Cさんとする)。Cさんは、責任ある仕事をしていて、酒も大好きで友人とのつき合いも多忙でありながら、1週間に2〜3度はキノコを摂取していたのではないかと思う。その回数は尋常なものではない。体験者なら分かるはずだが、普通なら心身の疲労もあって、その頻度にはとてもついていけない。でも亡くなったとき(あるいは、その前)にキノコをしていたということはなかったと聞いている。
  Cさんは、キノコ体験を毎回、几帳面にレポートして残している。毎回、第何回目と180回近く記録していたマニアックさは並大抵のものではない。でも、なにより目を見張るのは、彼のキノコ体験の内容より、あたかも人生の締めに合わせるようにキノコを体験し、個人誌を刊行した、その取り組みぶり、仕事ぶりだ。
  いま振り返ってみると、正味2年半ぐらいに、よくあれだけ集中して、キノコを体験しながら、個人誌を刊行し続けられたと思う。自分の原稿の執筆(毎回、キノコ体験を掲載していた)、他の人への原稿の依頼、表紙のレイアウトを身近な知人に依頼と、編集には全くの素人が、よくやったと思う。個人誌を10数号発行したのと、180回近くのキノコ体験は、時期的に重なっている。
  その個人誌が扱っていた分野は、癒しや精神世界といった範疇に入る。内容を検討したり整理するという面では、かなり荒いという印象を受けたが、勢いというか形にする意思、止むに止まれぬ衝動に突き動かされていたようだ。それはCさんにとって自己実現、あるいは務めとでも言うようなものだったのではないか。
  後になって、Cさんが亡くなってから振り返ると、キノコ体験と個人誌発刊に傾注した尋常ではない活力・精力に驚く。この力は何なのだろう、どこから生まれてきたのだろうか。
  Cさんが亡くなったことにキノコが影響を与えたとは、それほど思えない。それよりもCさんが亡くなる前に、キノコが間に合って現れたというのは彼にとって救いだったのではないかと思う。そう言えば、この人が最初にキノコを体験したのはBさんが育てたシロシベクベンシスだったということを想い出した。

以下、続く。