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2002.06.11
[ひとりごと]

バリのキノコ・ワーク

 5月下旬、バリに行った。今回、向こうでひとつのワークを考えていた。それは、知らない土地をひとりでただ歩き続けることだった。どこに泊まるか、何をするかといった目的を一切持たず、全てをその場、その場で起きるであろう「偶然」の成りゆきに任せるというワークだ。
 そのワークで何かが起きるかもしれないし、何も起きないかしれない。東西南北、遠近どこに行くか分からないが、事故でもない限り、どこかに行くであろうことは確かで、それだけで十分だった。仮に事故にあったとしても、それはそういうことが起きたということで十分納得できる。そんな気持ちでいた。地図や現金にはできるだけ頼らないでやりたい。
 なぜこんなワークを考えたかというと、キノコ体験を繰り返していくうち(現在、日本では規制されているので規制以前の過去のことだが)、キノコのサイケデリックス効果があるときに、どんな感覚だったとか、こんな啓示を受けた、あんなことを考えたといった記録を探求していくことだけでは壁があることに気づいてきたことがあげられる。人間の精神は、分割できないのだから、ある時間と空間の範囲内でキノコの体験を探求しているだけでは捉えきれないリアリティがあるのではないか。キノコは(サイケデリクス一般がと言ってもいいが)人間の魂の深部に影響を与えるのだから、その影響は薬理効果が現れている時間内にとどまらず、その人の日常的な心の世界、つまり現実に影響を与えないわけがない。ただ多くの場合、日常的な心の世界は自我の抑圧が強固なため、心の深層底流における潜在性としてそれは留まっている。
 このリアリティと人生の現実が統合されることが本当の意味での自己実現なのだと思う。このリアリティは心の迷妄、妄想ではない。その実証として、「現実」との具体的な接点を持った行動(ワーク)の中で確かめられるはずだ。今回はそんな実験をしてみたかった。いまこの文章を書いている時点では、一部始終が過去の話しなので、ワークの結果が念頭にあって、そこに至る過程として細々とした経緯を書くという形式になるが、そのときの「現実」では何も分からないまま出来事が起きていた。ワークで歩いている途中は、何も分からないままただひたすら前へ足を踏み出すだけだった。

無目的にひたすら歩く

 三夜続けてキノコを食べた後、クタの家を出た。海岸に出て浜辺を西に歩きはじめたが、太陽の日差しを真っ向に受けるうえ砂に足を取られて歩きづらい。暫くして、方向を内陸の北に変え田舎町を抜ける道を歩いた。鶏の鳴き声が聞こえる。家々で飼っている犬が何匹も道にたむろしていて、牙をむき出し吠えたて、後をついてくるのには戸惑った。どの犬も痩せていて、口から涎を垂らしている。
 車で走る通りに出たとき、ちょうど目の前にベモタクシー(軽トラックを改造した乗合いタクシー)が止まった。タイミングのよさという理由で、その車に乗った。しかし目的地がないのだから、どこに行ったらいいのか分からない。タクシーの運ちゃんに、行き先を聞かれるが答えに困る。日本から持ってきた地図を取り出し、開いたとき「カバカバ」という面白い地名が目に入ったので、そこに行くことにした(地図は観光用のもので縮小率が大きくて、使ったのはこのときだけだった)。起伏のあるヤシの林、田圃の風景を走り、殺風景な町についた。そこがカバカバだという。
 もともと目的地がないのだから、車から降りたら、一本道を前に向かって歩くだけ。道の両側は住宅で、ときどき小さな雑貨屋がある。たまに手押し車の屋台のソバ屋と行き違う。そのうち田圃の広がる風景になっていった。
 ひたすら歩くのだが、すでに(自分にとっては)予想外のことが起きてきた。というのは、左足のサンダルの底が抜けてしまった。丈夫な造りだと思っていたが、底の部分の接着が剥がれてしまったのだ。それと靴擦れで右足の皮が大きく剥け痛くてしょうがない。そういえば出発前に、なぜか自分のサンダルを誰かが間違えて履いてしまって、目の前にあるサンダルは自分のものではないと「錯覚」してひとしきりサンダルを探した一件を思い出した。見た目は似ているのだがいつも見慣れた自分のサンダルとはどこか違うように感じられたのだ。結局、それは自分の勘違いだったのだが、それでもなんだか腑に落ちなかった。出発前に念のため靴をリックに入れておこうかとも思ったが、かさばるので止めたことが悔やまれた。しかし、今さら戻る気にはなれない。
 時計もなかったから大まかに言って小1時間ほど歩いただろうか、通行量の多い幹線道路に出た。州都デンバサールから続いている商店街のようだ。歩道があるにはあるがコンクリートの盛り土のような起伏があって歩きづらい。車の通行量の多い道路はどこの国も同じようなもので月並みな印象だが、横道の路地にはバリの人々の生活空間が広がっている。途中、ある路地でびっくりするものを見た。庶民の住まいを結ぶ路地の真ん中に、人の背丈を遥かに超える巨大な黒い楕円の凧が着地していた。まるでUFOみたいだ。凧に道が塞がれ車や人の通行ができないなんてことがあるとは。
 そういえばバリでは毎日、空高くたくさんの凧が揚がっていた。凧上げは、糸を通じて空中の凧と自分(自己意識)がつながる、さらに熱中していくと遂には自分が凧になる(空を浮遊する)ところまで行き着くのではないかなどと想像した。そう考えるとバリの人々が凧上げに夢中になっている理由が分かるような気がする。
 ひたすら歩いていると田圃に囲まれた風景になっていく。地平線にはヤシの林が見える。何キロかごとに小さな雑貨屋や立派な寺院のある村があった。村の出入り口にはレンガ造りのバリヒンズーの門がある。
 すでに足の皮が剥がれて歩く度にひりひりする。平地から山に入る地域らしく、だんだん坂道を登るようになっていったが、その頃、日が西に傾いてきた。追いかけられるように必死に歩いているのだが、逃げているわけでも、あるいは目的地に向かって急いでいるわけでもないので、自分でも妙な感じがしていた。どこまで無意味なことに賭けられるか試されているようにも思えた。
 できるだけ前に進むというだけで来たのだが、今晩、泊まる場所を見つけなければならない。巨大なガジュマルの木が道路脇に立っている。幹のまわりに祠があった。次の村で泊まる場所を見つけないと夜になるだろう。
 家族揃って長椅子にくつろいでいる雑貨屋に泊めてもらえないか頼んだが、相手にされない。次に洗剤や薬を売っていた店で頼んでみたが、赤ん坊を抱いた主婦が出てきて、やはりだめ。三軒目にジュースやパンを売っている雑貨屋に頼んでみた。店先に縁台があり、若い男たちが何か集まっている。店の左半分が玉突屋になっていて、どうやらこの村の若い奴等のたまり場になっているようだ。入れ替わりバイクで村の住まいからやってくる。
 店を取り仕切っているのは、太ったおばさんで、店の裏にオヤジがいるのだが影が薄い。おばさんと交渉の末、一晩、この家の息子の部屋に泊めてもらうことになった。21歳の息子は観光の専門学校に行っていて、卒業したらホテルで働きたいという。息子は近所の親戚の家で寝ることになった。一泊のお礼に5万ルピー、約350円を渡すと喜んでくれた。
 翌朝、6時には店を出た。雲が垂れ込めて、今にも雨が降りそうな朝だった。早く出発したのは、一晩、休んで足の状態がよくなっているかすぐに確かめたかったこともある。しかし、一歩、踏み出す度に痛みが増すようだ。どれぐらい歩けるか自信がない。
 緩やかな登りの道を10分ほど歩くと、村の中心部のようで朝市が開かれていた。路地に一角にたくさんの鶏とアヒルが囲われていて、おばさんたちが品定めしている。買われた鶏やアヒルは足をゴム紐で括られて持ち帰られる。塩漬けや干物の魚、果物、野菜、漬け物、服、貴金属といろいろな店が開いていて、村の主婦たちで賑わっている。朝食にバナナの葉に湯気のたっているお粥を盛り、その上に芳ばしい具をふりかけた料理を選んだ。小雨が降ってきたので軒先の地面に座って食べるが、1皿1000ルピー(14〜5円)の値段からは信じられないぐらい、お粥は薄味で美味。まわりは高い熱帯樹に囲まれた朝靄のかかった山の市場、優雅な民族衣装をまとった女の人が頭の上に盛りだくさんの果物を乗せて歩いている。ここに佇んでいるとなんだか別世界にいるような気分になる。
 水を買いに近くの雑貨屋に行ったが、そこにいたタクシー運転手のおじさんの畑を見にいくことになった。別に用事もないし、行くところがあるわけでもない。まだ朝で何かをするという時間でもないので、全くの気まぐれだった。のんびりした風景で一休みした後、運転をしていた若者の家に寄ることになった。というのは、彼の妹がクタのホテルに務めていて、勤務表を書き込むのを手伝う用事があるという。彼は最近まで都会で仕事をしていたが、クタのテロ事件以後、不景気になり故郷に戻ったのだという。妹は今日、休暇が終わり出勤するので持参する勤務表に目を通す約束をしていたのだという。
 そんな事情で畑の近くの運転手の家に行くことになったのだが、敷地が広く、親族の世帯ごとに家が何軒も建っている。赤ん坊を抱いて現れた彼のお姉さんに挨拶をする。熱帯林に囲まれた敷地のあちこちには花を盛った魔除けが置かれている。庭には放し飼いの鶏が走り回って賑やかだ。

起きたこと

 敷地の一角に運転手のおばあさんがいた。数メートル先に立っている小柄なおばあさんの姿が目に入ったとき、何かが起きた。バリの女性がよく身にまとっている長い腰巻きに白っぽいブラウスのような上着。バリの田舎ならどこにでもいそうな人なのに、なんだかはじめて会った人ではないような懐かしい感じ。そこで出会うのを予め待っていたかのような親密なもの、やわらかな淡い光りのようなものに包まれているのを確かに感じる。そのとき一種のエクスタシー感覚になっていたのを憶えている。
 握手をしようと近づいたとき、その感覚はさらにはっきりした。若い女性ならまだしも、浅黒く深いシワが刻まれている年老いたおばあさんなのにはっきりと感じられる。身長差があるので上からのぞくような形で顔を見ると。右目は悪いのか精気がない。しかし澄んだ左目の瞳から数秒間、おばあさんの人生を凝縮した情報のようなものが一気に伝わってきた。うまく言葉で表現できないが、星の瞬きが何十光年を経て直接、伝わってきたような瞬間が数秒間続いた。これは宿命通とでも言うのだろうか。その中には、おばあさんの娘時代、インドネシアに駐留していた日本兵を見た情景も含まれていた。
 おばあさんも何かを感じているはずだ。それは目線が合ったまま数秒止まったときに、おばあさんの表情が穏やかに変わったことで確信した。こちらを向いているおばあさんは、唐突に外国人と握手した出来事に戸惑っているとかいうのではなく、よく分からない不思議な感じ、肯定的な何かを感じていたように見えた。おばあさんとは、ほとんど言葉を交わしていないが、両者の魂が通じたという確信があった。
 そうか、この人に会うため昨日からずっと歩いてきたのか。このとき解けた。歩きはじめてすぐにサンダルが壊れ、足の皮が剥けたことも、村の下の玉突屋に泊めてもらったことも、今朝、雑貨屋の店先でタクシーの運転手にであったことも、みんなこの人に会うという一点に集約された過程だった。そして、これはまさにキノコ体験なのだ。そのときキノコが効いていたかどうかは本質的な問題ではない。キノコのリアリティに促された行動が、現実に作用して起きた「事実」だったのだから。
 後日、友人を連れておばあさんに会うためプレゼントのケーキを持って、この村をもう一度訪れた。そのとき聞いた話では、おばあさんは85歳ぐらい、昔は生年月日などの記録がなかったので正確な年齢は不明。昔、日本兵を見たという。彼女の人生の出来事を聞こうとしたが、最初の幾つかの問いに、難しくて分からないという返答があって、それ以上、詮索するのも意味がないように思えて打ち切りにした。言葉がなくても、わたしもおばあさんも魂の何かがふれあったことを共感している。それだけで十分ではないかと思った。