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2002.06.24
[ひとりごと]

大麻の変性意識(10)

街角の大麻草

 最近、東京の住宅街の真ん中で、大麻が育っているのを偶然、見つけた。それも別々の場所に2カ所あった。最初にお断りしておくが、この話は、正真正銘、嘘偽りなく、偶然に発見したもので、自分で種を蒔いたりなど法律にふれるようなことはしていない。見つけた大麻には触ってもいない。
 実は、わたしは以前にも2度、都内で大麻が生えているのを見つけたことがある。最初は、ずいぶん昔のことだが、本郷三丁目の壱岐坂上交差点の近くだった。9月の下旬だったろうか、その頃、近くの出版社で仕事をしていて、昼食の帰りのことだった。歩道の脇にある植え込みのスペースに人の背丈ぐらいの大麻草が植わっているのを見つけた。別に探していたわけではないので、偶然、出逢ってしまったというべきだろう。
 そこはペットショップの目の前で、おそらく餌の種が落ちて、そのまますくすく育ったのだと思う。秋晴れの午後、繊細な細いグリーンの葉が風に揺れるのがとても美しかった。やわらかな陽の光りと、乾いた空気の爽やかを今もよく憶えている。
 そのときは、どうしたものか考えた末、当時、何かの取材のとき知り合った週刊プレイボーイの記者に電話して、記事にしてもらった。確か都会の真ん中で大麻が育ってしまって、といった珍談奇談として写真付きのコラムで紹介された。いまも大宅文庫で調べればその記事が見つかると思う。その後、大麻草はプレイボーイが発売されてすぐに刈り取られたようで、なくなっていた。

 二度目は山手線の田町駅の近く、第一京浜の横断歩道を渡ったところにある花壇に何十本もの大麻が生えていた。まだ小さくて5センチぐらいの高さだったが、特徴ある葉はすぐに分かった。この時は、霊感のようなものが働いていた。今もその瞬間をよく憶えている。目的地の建物に行くため、赤になりそうな横断歩道を足早に渡りきって、歩道を右に曲がるとした刹那、偶然、そのとき下を向いていた視界の中に大麻草が飛び込んできた。まだ小さな草だったから、もし普通に前を見ていたら気づかなかったかもしれない。
 花壇は10メートル四方ぐらいのスペースで、多分、これから何か植える計画でもあったのだろう、整地され均された地面から、一見、どこにでも生えている雑草のように大麻が顔を出している。誰かが計画的に種を蒔いたようには思えない。何故ならいつ、整地されてもおかしくない場所だったし、あまりに大勢の人目に触れる場所だったから。大麻はそこら一面、何十本も芽を出していた。すぐ目の前を車が行き交っているし、あたりはビジネス街で毎日、通勤している人もたくさんいる。
 そこは、その後、どうなったか知らない。普段、歩く場所でもないし、多分、ごく普通の雑草として誰にも気づかれないまま始末されたのではないかと思う。

 三度目は、今年の5月はじめ。たしかどんより曇っていた昼下がり。疲れはてて、整体に行こうとしたときのことだった。いつも行く道を一本ずれて歩いていた。別に何か理由があったわけではなく、ほんの気まぐれで、その先でいつもの道に合流するはずだった。ところが、疲れていたせいか、土地勘を誤り、間違った方向に進んでしまい、車のよく通る通りを越えてしまった。そのときも道を渡りきってすぐのところに空き地があり、そこで経ち構えていたような大麻と出会った。車道を横断したので、歩道との段差に注意するためふと下を向くと同時に数センチの大麻草が目に入ってきた。
 そこは昨年まで大きな住宅が建っていた場所で、ブルトーザーが壁を壊した後のコンクリート片などがちらばっている。敷地のまわりにはロープが張られ、大麻の他にもいろいろな雑草が芽を出している。よく観察してみたが、大麻は2本だけだった。空き地に1メートルぐらい入ったところの1本、最初に見つけた舗装された歩道との分かれ目のところの1本だ。その後、毎週一度はどうなっているか見に行った。
 5月の中頃、歩道脇の1本がなくなっていた。すぐ近くのもう1本はそのままだったので、誰か大麻に気づいた人に採られたというよりは、自転車に踏み潰されたか、子供にでも引き抜かれたのではないかと思う。
 もう1本は、6月下旬の今も健在だ。露の晴れ間、見に行くとまだ小ぶりながら枝がに細い葉がつき広がっている。高さは50センチぐらいになっていた。毎日、大勢の人がその脇を通り、車が通っていく。しばらく見ているだけでも、重そうな鞄を持ったスーツ・ネクタイ姿の男、バイクを停めて歩いてきた郵便配達員、携帯を手にして喋りながら通りすぎる若い女性、自転車に乗って買い物に行く途中の主婦、並んで歩く若いカップル、たくさんの人が、大麻草の1メートルほど横を通っている。彼らの目には、この草はありふれた雑草としてしか映っていないはずだから当たり前のことだが。
 この草がもし誰かの手で植えられていたのだとしたら、その本人は最高7年の懲役刑になってしまう。目の前で風に揺れている若葉を手にするだけで最高5年の懲役刑だという。なんということもない、ただの草でしかないものをどうしてそんなに厳しく取り締まらねばならないのだろうか。

3回目に遭遇した大麻草

 そして、6月22日、四度目の遭遇だ。日曜日の夕暮れ、住宅街を歩いていた。夏至も近いのでまだ明るいが、ちょうど昼と夜の境目という時間帯だった。前日、あまり寝ていなくて疲れ気味のせいもあり、意識の覚醒度は落ちていたのではないかと思う。目的地に向かい次の路地を曲がる手前で、何気なしに一本手前の路地を曲がってみた。ごく平凡な、何の特徴もない住宅街といえばいいのだろうか。路地を曲がったのは、ちょっとした変化があるかもしれないという気まぐれだった。
 両側が一戸建ての狭い路地を歩いていくと、左手にアパートが建っていた。その横を通るとき、大麻が1本植わっている。突然、対面したのだが、5月に別の場所で出逢っているので、それほどの驚きはない。気持ちとしては、当然のことぐらいの納得があった。
 アパートの壁ぎわに、僅か数十センチの細い庭が作られていて、そこに大麻がぽつんと伸びている。高さは1メートルぐらいで、雄花のようで、花穂の小さな房が割れている。よく見ると10センチほど離れて、小ぶりで葉の大きな別の株も植わっている。すぐ脇はゴミの集積場になっていた。ここも誰かが隠れて育てているようには思えない。壁も遮蔽物も何もないところに、これ以上、目立ちようもないぐらいに生えているのだから。

4回目に遭遇した大麻草

 それにしても大麻は美しい植物だと思う。しばらく立ち止まって眺めていたが、すっと伸びた茎は緩やかにカーブしている曲線美、繊細な薄さで、目に滲みるような鮮やかなグリーン色の若葉。体の疲れが癒されるような初々しさに見とれてしまった。
 さて、この間の二回の遭遇は運、あるいは縁というのだろうか。自分から探したのではないが、向こうから飛び込んでくる。と言っても大麻は植物で自分からは動けないから、こちらが何かに引き寄せられるようにして、偶然、遭遇してしまう。誰も東京都内で大麻を探そうなどとは思ってもいないはずだ。いくら探しても普通は見つかるようなものでもないだろう。それでも、探していないとき見つかってしまうというのは、不思議と言えなくもない。
 二回とも共通しているのは、目的地があってそこに行くために歩いていたのだが、ふと何の気なしに予定していたコースがずれたとき大麻との遭遇が起きていること。それと、自分が疲労や睡眠不足で疲れているときに起きていることだろうか。こういうことが度重なると、これからもっと遭遇するのではないかと妙な確信というか、自信が生まれている。
 そういえばヨーロッパの古い言い伝えでは、大麻は「運命」を象徴しているという。ギリシア人は人間の誕生から死に至るまでの運命は、運命の三女神(モイラたち)が糸を紡ぎはじめ、適当な長さになればそれを断ち切るといった形で決まると考えたからだ。また大麻の花は「確信」を意味しているという。それは庭師が大麻の花が咲いているのを見つけると、その土地にはどんなものでも生えるので確信を持って種を蒔くことができたからだという。

[ひとりごと]