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2001.12.01
[ひとりごと]

キノコ体験の一例――死者・生者の共生した世界

アグン山の朝
コペランディア・サイアネセンス。これが通常、1人分として1袋に入っている

 最近、バリでキノコを食べた。実を言うと、この旅は、自分から求めたものではなかった。キノコのリアリティと現実のリアリティが交差したお伽の国の館、Grea Jamure(キノコの館)をバリに建てたAさんからのお誘いに乗ったものだ。しかし出発日が近づくにつれ、日本の日常を離れて、久しぶりに熱帯の島といったセッティングでキノコをやってみてもいいかなと思うようになった。どうせなら大量にやってみようか。それは体験する者にとって、もう事件とでも形容するしかない、一期一会の出来事になるかもしれない……そんな予感がしていた。
 キノコ体験は日常意識の世界を超越しているが故に、キノコを口にするまでに関わる人や物、事、時、場所など諸々の縁の編み目の中にキノコ体験自体が織り込まれている。今回のいろいろな経緯を振り返ってみると、すべてキノコに導かれてバリに行くことになったようなので、キノコを食べて何が起きるか、何があっても起こるに任せようという気持ちになり、案外気軽でもあった。
 
 午後、クタから車で2時間半ばかり、田園風景の中を走っているうちにロッジに着いた。丘陵の高台に建てられた母屋の真正面には島の最高峰アグン山がそびえ、その山裾に広がる田圃や集落、ジャングル、大地を切り裂いている谷川が見渡せる。
 わたしも入れて日本から来た4人と、インドネシア人の案内係の2人は西日に照らされたアグン山の刻々と変わる情景に見とれていた。暗くなると蛍が舞い込んできた。夕食の後、クタで仕入れたキノコ4袋を入れたオムレツを作ってもらった(小さなビニールに入った生のキノコ1袋が地元の仲間同士では3〜400円だという。とはいっても田圃の畦道や空き地の芝生などを少し注意して探すと牛の糞からひょろっと生えているキノコを見つけることができる)。
 キノコはそれまでキノコの館で3日連続、食べてきた。日が西に傾くころから、夕陽が海に沈むのをゆっくり眺め、その後がキノコ・セッションの時間だった。最初の日が1袋の8分目、翌日1袋、そして1袋半と量をだんだん増やしていき、この日は4袋、何かが起こるに違いないという軽い胸騒ぎがしていた。
 夕食後もお喋りは続いている。ロッジで働くひとりが、すぐそこで暦上、月に一度の金曜日の深夜、青く光る剣のような形をした物体が地面から上がってきたのを見たという怪奇話しを披露すると一同、ゴクリと息を呑む。そういえばトランス状態でガラスの電球をバリバリ食べる男を見たよねとか、近くの山に住んでいるおばさんの家で、毎晩、空の壺からお米が湧き出してきて、いくら食べてもなくならないというので明日、見にいこうとか、みんな不思議な話が大好きで話題は尽きない。
 キノコ・オムレツを食べたのは夜の10時半頃。賑やかな席の横で、平べったい青緑色のオムレツをフォークでちぎり、お腹に詰め込んだ。そして長椅子に腰掛け効果が現れるのを待っことにした……夜が耽て、いつの間にか、みんな部屋に入り寝床についたようだ。
 12時過ぎ、まだはっきりした効果は現れないが、体が冷えてきて母屋に入った。ガランとした部屋の壁際にあるソファーに横になったが、タオルをかけていても肌寒い。目を瞑っていたら、最初にある人物というか人格・存在・霊(と言ったらいいのか、凝縮した想念というのか、名伏しがたい何か)に対面していた。それは比喩的に言うと、自分以外の意識を内側から覗き込んでいる意識状態とでも形容すればいいのだろうか。
 それは考えているうちにとか、思い出したといったのではなく、唐突に向こうから現れた。それは夢とは違い、はっきり覚醒したクリアーな意識状態で起きていた。だから目を開けると、薄暗い部屋のソファーも壁もごく普通に見えている。体も自由に動かせる。
 存在は今年の6月に亡くなった知人の文筆家Bさんだった。彼は亡くなる前夜、わたしのところに電話をかけてきていたが、わたしは外出していた。留守伝には、イタズラ電話をかけられて困っているといった被害妄想の言葉と、連絡をくださいという声が録音されていた。新しい電話番号が記されたファックスも入っていた。
 あの晩、わたしは「マリファナ・ナイト」という大麻自由化を訴えるイベントをやっていて深夜まで部屋を空けていた。帰ってから留守電を聞いたが、もう真夜中だし、明日(といっても日付が変わっていたから同日になるが)電話をすればいいかなとそのままにしていた。その日の朝、彼は亡くなった。追いつめられて助けを求めてきたとき、わたしはいなかった。
 Bさんとはこの世では、最後まですれ違いで終わってしまった……。わたしが対面していたのは、彼のこの世での最後の意識(だと思う)、言葉で形容するのは難しいが、ベッタリとした意識だった。わたしは、ひたすらBさんが苦しみから救われてほしいと祈った。
 次に、やはり6月に亡くなった知人の医師Cさんの存在が現れてきた。Cさんは3年ほど前から定期的にやってきたキノコ・ワークの発起人であり、世間的には仲がよかったが、心の深い部分では距離を保ったままで終わってしまった。そういえば、Bさんが亡くなった日は、Cさんを偲ぶ会があった日でもあった。
 あんなにユニークで、楽しいことや気持ちいいことが大好きで、純粋で心優しく個性豊かに生きていた人たち。彼らは、裏表のある濁世の中では生きられなかったのだろうか。彼らは、この世と折り合いがつかず、追いつめられ苦の想念だけになってしまったのだろうか。どうか彼らが救われてほしいとひたすら祈った。
 当たり前のことを言っているように聞こえるかもしれないが、このとき死者に対し、この世でできることは、祈ること、願うことだけだと本心から感じた(ただ祈るだけで、〜に祈るというような対象、特定の神仏に向けてではなかった)。と、祈りに没入しているうちに体がこそばゆく居たたまれなくなってきた。
 急ぎ足で開き戸を開けて外に出ると、すぐ右手に白い石造りの祠が建っているのが目に入った。そうなると祠に近づくしかなかった。そして、祠の前に立つと自然と手を合わすしかなかった。すると後は、彼らから苦しみがなくなるように、幸せでありますようにと、それだけをひたすら祈るだけだった(死者に対して幸せでありますようにというのは矛盾しているようだが、そのときのリアリティでは自然だった)。
 後から考えると、存在が現れたこと、母屋から外に出たこと、目の前に祠があること、そこで祈ること、といった一連の行動は手順よく段取りされていたとしか思えなかった。自分の意思で行動しているというより、何かは分からないが、そう仕向けられている通りに行動したという感じがした。
 しばらく経って、肩のあたりが冷えてきたので、祠から離れた。満天の星の下、あたりは全てが静止している。電球に照らされた祠の白い石、空気に純白な淡いヴェールがかかり、砂地の小径からは鉱物質の粉がキラキラ光っている。満ち溢れるいのちの力を放射している熱帯の樹木、滴るような緑の葉、うっとりすぐらいに清々しく美しい世界だ。
 
 さて、母屋に戻ってソファーに横になった。連日、キノコを食べてきたので耐性がついていたのだろうか、目を瞑っても引き込まれるようなビジョンの乱舞、あるいは神話的想像力の世界――それはアストラル的とか、言い方次第では妄想的な想念の世界とも重なっているのだが――に入っていくことはなかった。
 ふと、気づくと、今度は自分のまわりの生きている人たち、その親や子、親類縁者と具体的な人物を中心にしていろいろな人が現れてくる。これは先ほどの霊的存在との遭遇というよりは、自動的な連想といったものだった。そうこうしているうちに、この人たちが幸せであるように祈らねばという思いが強くなってきて、寝ていられなくなる。一通り人物が出尽くすと外に出て、祠に手を合わせた。真夜中だったが、そのころ遠くで一番鶏が啼くのが聞こえた。

アグン山の朝
アグン山の朝

 また母屋に戻って、ソファーに寝ころぶと、今度は昔、自分の人生に関わりのあったいろいろな人たちが現れてきた。今度も彼らが幸せであるようにと外に出て祠に祈った。また次には、会ったことはなかったが、同時代に争いや事故で不本意に亡くなった人たちの最後の意識に対面し、やはり外に出て祠に祈った。と、こんなことを繰り返しているうちに東の空が白みはじめた。6時過ぎ、アグン山の頂きに茜色の朝日が当たるのを見ながら、ずいぶん昔に夭逝した2人の人物に祈って、やっと終わった思った。
 こうして一晩中、死者、生者、この世で出合ったいろいろな「魂」(人格というか)たちと再会していた(後から考えてみると、縁のある全ての人というわけではなかった)。一生を俯瞰するような体験を何度も何度も繰り返し、ずいぶん長い一夜だったが、夜が明けるとすっきりした壮快感があった。
 長い一夜、非常に冷静で、クリアーな意識のまま死者や生者たちの「魂」と交わっていた。わたしは、死者・生者が共に生きている(目に見えない)空間とは、アストラル世界でのことではないかと思うようになった。地上の、この世の生活は、ただ生きている人間たちだけで成り立っているのではなく、死者との共生によって成り立っているのではないか。人は、アストラル的な意識にあるとき、それに気づくのではないか。わたしはキノコにそれを教えてもらった。
 何百、何千冊の本を読んでも、そこにあるのは知識や情報であり、結局、何も本当は分からない。キノコは生と死について、もっと本質的なことを教えてくれた(最初にふれたようにこのような体験をもたらしてくれたキノコ、そしてAさんに感謝したい)。
 わたしにとっての問題は、この世で、わたしがBさんやCさんをはじめとする死者たちとどういう関係を築いていくかということにある。この世は儚いが、人の一生が儚いというのは、富や肉体といった目に見える物質的な世界しか見えないリアリティであり、生者と死者が共生したリアリティに生きるとき、この世はもっと深みを帯びてくるのではないだろうか。

[ひとりごと]