ALTERED DIMENSIN
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2001.11.04
[ひとりごと]

ケタミンの世界(1)

ケタミンとは

 ケタミンは全身麻酔剤(フェンサイクリジン(PCP)系)として医療現場でよく使われている。1962年にアメリカの製薬者カルビン・スティーブンスによりCI588という名称で合成され、大手製薬会社のパーク・デイビス社が製品化して世に送り出した。薬品としての薬効・薬理と特徴についての概要は以下のようなものだ。
 「体性痛に対して鎮痛作用を示し、手術に必要な無痛状態が得られる。動物実験(ウサギ、ネコ)において、新皮質、視床などには抑制的に作用する一方、海馬など大脳辺縁系を賦活活性化する脳波的所見があり、新皮質ー視床系と大脳辺縁系に対し解離的に作用する。 常用量を投与した場合、3〜4分(筋注)、30〜1分(静注)で速やかに手術可能な麻酔状態が得られ、作用持続時間は12〜25分(筋中)で、麻酔からの覚醒も速やかである。 咽喉頭反射は維持されているので、咽頭、喉頭、気管支の手術時は注意を要する。一過性の呼吸抑制、心拍数の増加、一過性の血圧上昇作用、抗不整脈作用があるとされているが、筋弛緩作用は殆どない」(『医薬品要覧』業薬時報社)
 ケタミンは麻酔薬であるとともに非常に強力なサイケデリックスとしても知られる。その特徴として、体外離脱や臨死体験と似た体験をもたらすことがあげられている。世界的に医療以外のトリップ目的での使用について書かれた最初の詳しい記事は1965年、エドワード・ドミノによるもので、ケタミンの効果を「ディソシエーティ(解離的な)麻酔剤」だと紹介した。この「解離的」というのがケタミンの最も注目される効果であろう。
 ベトナム戦争中は野戦病院で使われたが、手術中に並外れたサイケデリクス体験をしたという話が広まったという。ケタミンが意識の世界を探求するための薬として有名になったのは、イルカの研究やアイソレーション・タンクの実験で知られるジョン・C・リリーが用いたことからだろう(詳しくは『オルタード・ディメンション』4号参照)。またアメリカでは、有名な女性占星術師マーシャ・ムーアが行方不明になり、数年後、森の中で白骨で見つかったというショッキングな事件に関して、それがケタミン体験が引き起こした不慮の死(自殺、事故の両方が語られている)であったことが語り継がれている。
 サイケデリックス世界の探求家ターナー(ケタミン体験中の事故で1997年死去している)は、自らの体験に基づいて10段階の強さの比較ランキングを作っているが、それによればケタミンは「10〜無限大」となっている。
 わたしの印象でもケタミンは、日常意識から最もかけ離れた世界へと至る最強のサイケデリックスだと思う。それに匹敵するのは5MEO-DMTぐらいのものだろう(DMTはターナのランキングでは「9〜10」だが、2つのタイプのDMTのうち、5MEO-DMTはN.N.DMTの4倍以上強力だと見積もられている。ついでに補足すると、ターナーがランキングしたときよりも後に一般化したサルヴィアディヴィノルムの有効成分サルビノリンも同レベルだと思う)。
 身体意識をなくさせながら精神がそれを自覚する体験をもたらすということが「解離的」なトリップであり、ブィティ教の儀式で用いられるイボガ、あるいは黒魔術との関連で語られることの多いダツラなどもその中に含めることができるだろう。それらは強さではケタミンや5MEO-DMTに続く2番手群に位置しているように思われる。「解離的」なサイケデリックスを多量に摂取することは、この世の究極的な地点で精神のパンドラの箱を開けることであい、大麻のようにレクリエーショナル・ユースには用いることはできない。そういう訳で法的な規制問題とは全然別に、ケタミンは人に勧めるようなものではないということを明言しておきたい。
 物質的な化学構造が全く異なっている5MEO-DMTとケタミンが似た世界を体験させてくれるということは、意識の世界が階層的な深度としてあることを示しているように思える。前書きはさておき、今回は体験レポートとして、次回以降、考察を進めていきたい。

ケタミン100mg体験レポート 

 体験中、録音テープを取っていたが、後から聞いてみると、唸り声だったり、「そうだったのか」といった呟きや感嘆ばかりであまり意味をなさない。下記の「 」はテープ起こしからの言葉だが、いざ文字に書きだしてみるとかなり陳腐なのには我ながら閉口した(実際はもう少し喋っているのだが、文字にすると白けるので一部だけを使った)。
 ケタミンを体験することは、本人にとっては生涯忘れられない真に驚愕すべき事件といっても過言ではない。しかし、ケタミン体験を仔細に書こうとしても、あまりにこの世とかけ離れているので表現するすべがない。またキノコやLSDのように「アストラル界」を舞台にした世界ではないから、物語性もあまりない。第一、核心部ははっきり覚えていないのだから書きようがない。この世の人生で体験した出来事と全く異なる体験というしかないが、それでは何も言ってないのと同じだ。
 体験を外面から描写すると、結局、鼻から白い粉を吸い込んで、1時間半ぐらい静かに寝ていたというだけのあっけないものだ。ケタミン体験を語るということは、結局、その世界の解釈ということになる。それは次回以降のテーマとする。
 最初は50mgのスナッフィング、以後、100mgに量を増やした。50mgと100mgでは体験の方向性は同じだが、その圧倒的な深淵性に於いては決定的に異なっていた。ケタミン体験は先にふれたようにどうにも言葉にしずらい世界であり、それを繰り返し書いていくのも冗長で、ここでは100mgの体験の一例を書いてみる。
 スナッフィングすると、だいたい約5分後ぐらいから効果が現れだし、約15分後にはピークに至る。それから20分ぐらいピーク状態が続き、最初から40分後ぐらいでピークから下降してくるといった経過をたどる。1時間後でも身体的には麻酔効果が続いていて字を書いたり、立ち上がって歩くのは困難だ。
 
0分、100mg吸引、結構な量なうえ鼻が凄く痛い。最初から床に寝た姿勢で効果が現れるのを待つ。その後、キーンという耳鳴りの音が強くなっている。
5分、「ウワーァ」(ろれつが回らない)、「同じところ(前回のケタミン体験)に行っている」
10分、体の意識がなくなっていく。「そういうことだったか」「全てが分かった」「精神の存在が分かるということ」「精神だけの世界」といったようなことを口にしていた。
12分、驚異の感情、圧倒される荘厳さ、畏怖すべきこと、深淵なリアリティ。自分はもう「この世」(その時点では、「かっていた世界」という感じなのだが)とは違うとんでもない世界にいることを自覚する。 日常世界で感じてきた喜怒哀楽の諸々の感情とは異質の、それらの相反する感情全てが超高圧に濃縮されひとつになったような未知の感情。このあたりまでは尋常ではない世界で、実は何を見たかはっきりとは覚えていない。
 それでもうろ覚に記憶しているシーンは、硬貨ぐらいの大きさのイコンで、金属が溶解していくような、その中に燦然と輝く黄金色の獅子か、スフィンクスを見たこと。それらは神の世界というのだろうか。それはこの世を超絶した何かであること、生まれた・できたものではなく向こうにずっと在るもの、超越的・絶対的なリアリティであることなどを直観的に完璧に確信した。次に、水平線から100個の太陽が昇るような、目が眩むようなまばゆい白い光りが注がれるのを見た。その純粋な白光は遮られず、万物を照らし尽くすほどの光りを放つた。
17分、(先ほどまでとは展開が切り替わり)宇宙のどこかにいる自覚。四方に小さな星の塊がたくさん続いている虚空空間を姿のない意識だけが見ている。きれいな星々が淡く輝いている。穏やか、静か、満たされた世界。人間の意識は星々の広がる空間を故郷としている、意識はそこで生まれたという実感を持った。思考や想念ではない映像的世界。
20分、ちょっと戻ってきた。これは筆舌に尽くせない精神の際深部、どのサイケデリックスより強い世界にいたという印象があった。とても美しくもあった。現実の世界のことを思いだそうとすると、記憶はあるのだが、思い出した自分の名前も仕事も家も、すべてがあやふやな作り話しのように思える。自分の名前は、単なる仮の符号のようなもので、本当は誰なのだろうかあやふやになっている。
22分、まだ余韻が残っているが、あの世界がだんだん遠ざかっていくのは悲しいことでもある。人間の世界、だんだん現実に戻っていく。
23分、さらに1段階現実に戻ってきた。あんな世界もあったんだということに圧倒されている。
25分、また次の1段階現実に戻ってきた。気の遠くなるような遠い世界から帰ってくる途上、何段階もの階梯があるというのが分かる。あのとき人間の意識は星の中で生まれたということを知った。何回も何回も現実に戻るまでにはいくつものセクションがある。こういうことを人間は知らないままに生きてきたのではないか。
30分、目を開けると普通にものが見える。それまで天井を見ることもあったが、それが上だか下だかはっきりしなかったし、霧がかかっているようにかすんでいた。
33分、最初からずっと、とてつもなく畏れ多いことが起きていると感じていた。50mg摂取とは質的に違う体験だと思う。
55分、最初のころは訳がわからない。神に通じているというのか。もうすでに覚えていない。何かがあった。人間がこういうことをしちゃっていいんだろうか、あの世界にアクセスしてしまっていいのだろうかという畏れを感じている。
60分、歩くことも這うこともできないが、指は動く。しかし字を書こうとすると、とても形にならない。

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