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2001.04.09
[ひとりごと]

大麻の変性意識(5)

天命を知る

 今年の1月13日、山崎一夫さん(47)という人がタイから帰国する際、成田空港で乾燥大麻7グラムを持っていて逮捕された。1月30日に起訴され4月1日現在、拘置所に勾留され裁判を待っている。比較的少ない量だったこともありマスコミで報じられてはいない。
 2月11日(日)、山崎さんの旅の仲間であるKさんが「事件」を起こす前に託されたという山崎さんの手記を持ってきた。数十ページの手書きノートをコピーしたものだった。Kさんの話によれば、山崎さんは、大麻がどうして悪いものなのか裁判官に問いただすためにわざと逮捕されたのだという。捕まるために大麻を持ってきたのだ。
 最初にKさんの話を聞いたときは、なんとも無意味な行動のように思えた。裁判は、法律に違反したかどうかが裁かれる場であり、裁かれる側の山崎さんが法律自体がおかしいと異議を唱えても相手にもされないだろう。あまりに独り合点な行動に思えた。
 それでも山崎さんが、大麻と出会ったことで人生が救われ、その体験から大麻を大切なものだとノートに書いている言葉には真実味があった。その一途な思いにはやはり共感する。

何が彼をそうさせた?

 約2年半前の1998年7月に山崎さんは、大麻取締法違反でやはり成田空港で逮捕されている。その時は、ハッシシ(大麻樹脂)39.07グラムを靴に隠していたということであった。このときの裁判に納得できなかったことが、今回の「事件」を起こす契機になっていたようだ。
 和歌山県の高校を出てからいろいろな仕事に従事してきた山崎さんは、人生に不全感を懐いて生きてきた。30代になってからインドを旅し、そこで初めて大麻に出会った。彼は98年の千葉地裁の法廷で、大麻を吸うことにより自分に素直になれ、それまでとらわれていたコンプレックスから抜け出せ、肯定的に生きれるようになったと語っている。以来、10年あまり日本で仕事をしてお金を貯めてはインドを旅するという生活を続けてきた。
 彼は法廷で、大麻樹脂約40グラムを所持していた事実は認めたが、「その事を持って自分が悪いと認めることはできません。私を裁き、罰するなら何が悪いのか明らかにし、そして、どうぞ、私にその罪を認めさせて下さい」(ノート)と述べたという。
 彼は当時、接見に訪れた国選弁護士の「裁判は良心と法律のふたつでやることになっている」という言葉を信じて、法廷では良心に基づき何故、大麻が悪いものなのか検察官や裁判官から聞けるものと期待して裁判に臨んだ。ところが現実の公判は1回目に検察側からの求刑があり、3回目で判決というスピード裁判だった。彼の疑問は全く無視された。判決は、懲役2年6カ月、執行猶予4年だった。
 山崎さんは98年の第2回公判の自己弁護のために準備した書面で次のように述べている。
 「私はこの裁判の始まりに表明したことがございました。自分が大麻を吸う事を悪いとは思ってないこと。その私を罰するなら何が悪いのかを明らかにしてほしいということです。しかしながら審理を思い返すと、私は追及された覚えがありません。
 大麻を吸うことは私の精神に悪い影響を与えると、あるいは大麻を吸う私の存在は社会に悪い影響を与えるとも追及された覚えはなく、何も明らかにされておりません」
 彼はその判決には良心がないと思ったという。もう一度、法廷で、裁く側に同じ問いかけをするために今回の「事件」を起こしたのだという。 
 逮捕当日、空港のターミナルビルの旅具検査場で荷物検査を受ける際、素通りしそうになったので、税関職員に自分から「荷物を調べなくていいんですか」と声を掛けたという。大麻を入れた袋はリックの一番上に直ぐ分かるように置いていた。

この事件を「大麻の変性意識」という視点から見ると

 この事件を起こすのに大麻が影響を与えただろうか。例えば、世間の常識からすれば突飛ともいえる行動を起こした山崎さんは、大麻を摂取し我を忘れて、こんなことをしてしまったという(偏見に満ちたマスコミがすぐに思いつきそうな)解釈は成り立つだろうか。
 わたしの理解では、大麻の即効的・直接的な効果はこの「事件」と無関係だが、中・長期的に大麻を摂取してきたことが彼の人生観・世界観に影響を与え、それが「事件」を起こす契機になったという意味では関係があったと思っている。そのことを検証する材料として、山崎さんが大麻の効果についてノートの中で書いている箇所がある(その文章を当ホームページの「マリファナ」の項に「大麻について」というタイトルで転載した)。
 
 「大麻を使うと瞬間に感性が変わります。そこには激しい落差があります。当の使用者の知らなかったものです。はじめは外部の刺激を楽しむことに夢中になれても、いずれ落ち着くと感性は内部へ、使用者の意識にも向かいます」
 
 彼の言う「感性」とは、「意識」と読み変えてもいいだろう。大麻体験のビギナーの場合、外部からの刺激、つまり五感の変化に関心が向かうことが多い。音楽はそれまでと全然、違って聴こえてくるのでハマる人は多いようだ。ビートルズもジャズもレゲーもヒップホップもラップもヒーリングミュージックも、それまで分からなかった幅、深まり、奥行き、繊細さ、メッセージ性が溢れだし、こんな世界をアーティストは表現していたのかと感動する。仲間どうしのお喋りにハマる人も、美食にハマる(何でも美味に感じられるようになる)人も、リラックスして静かに体を休める人もいる。
 大麻の変性意識を話題にするときには、大体このような即効的効果について語ることが多い。「大麻の変性意識について」の{1)〜(3)もそうだ。しかし、長く大麻とつきあっていると、だんだん別の側面が現出してくる。
 普通、数カ月から何年かは、こういった五感に関わる遊びを楽しむ時期が続くのではないか。大麻には依存性がないから――肉体的依存性はもちろん、精神的依存性もコーヒー以下だから――ひとしきり楽しんでそのうち大麻から離れていく人もいる。それは、手に入らなくなったとか、法律が気になるとか、飽きてきて魅力が感じられなくなったとか、理由はさまざまだが自然に離れていく人も結構いる。
 一方、なかには大麻が気にいって、つき合い続ける人もいる。ところが長くつき合っていると、誰もが、意識が自分の内に向かっていくのを自覚するようになる。山崎さんはそれを「いずれ落ち着くと感性は内部へ、使用者の意識にも向かいます」と書いている。
 最初は心の奥、普段の生活では忘れていた自分の生き方や過去の想い出などが強い自覚として浮上してくる。心の中で思い出すのを避けていた出来事の記憶を否応なく直視させられるなんてこともある。それは換言すれば自分に素直になるといってもいい。
 曇りのない、素直な目で(無心の目と言ってもいい)、家族関係や仕事場の人間関係、社会の仕組みを見直していくと、いろいろなことに気づくはずだ。
 山崎さんのノートを読むと、大麻と出合って半年ぐらいから意識が外から内に向かうようになったと記されている。彼はインドではじめて大麻を経験してから、ずっとインドの地で旅をしながら吸い続けた。最初は大麻により心の中が何が何だか分からない状態になり混乱したが、とにかくヒマラヤの村にいきついた。
 
 「その場所に魅せられ、そこに居つくことになりました。そして自分を振り返りはじめました。自分の歩いてきた道を思い出し、心に残っていることを全て洗い直し出しました。そして得た結論。だから私はここに在る。私は私になるんだ。私は私で在るためのことをしていこう」

 この一節には、人が生まれ変わって最初に目覚めた朝のような清々しさがある。孔子が論語で「五十にして天命を知る」(為政第二)と語ったのと同じ域に達したことが窺われる。論語の文意は、天分を持った孔子のような人が絶えず修養を積むことで「五十の年には天が万物に与えた最善の原理を知るようになった」(『論語新釈』宇野哲人)というものだが、それとほぼ同じ地点にいる(補足すると、これは「境地」についての比較であり、知識量や一般教養といった面は考慮に入れていない)。
 山崎さんの記述とは異なるが、思弁的というか、存在や自己意識といったテーマに向かうタイプの人なら大麻体験を積んでいく中で「観察者は観察されるものである」(クリシュナムルティ)といった「無我」に気づく場合もある。いや、「天命を知る」と「無我」は表裏一体のものかもしれない。
 ここで、わたしにとって興味深いのは、孔子が「三十にして立つ」(「三十の年には、内は私慾に揺かされず、外は誘惑に侵されず、固く自ら守って動かないようになった」前掲署)と語っている文意が、「無心」(「大麻の変性意識について」(2)を参照)に相当していることだ。晩年の孔子が自分の「学問」(人格完成の学といった意味らしい)が人生のどの時期で、どれぐらいの域にあったか振り返って語っている記述からの引用だが、「三十にして立つ」から「五十にして天命を知る」に至ったということは、「無心」をさらに深めていくと「無我」に至るという私見を裏付けているように思える。

 最後に、山崎さんが98年の裁判で「大麻を吸うことを経験する前と後で、どのように変化したのですか」という弁護側の質問に対して答えた発言を引用しておこう。

 「インドに行く前は大麻を吸っていませんでした。インドというところを知らずにインドに行きました。今までの私は、劣等感があり、学歴がなく、有名企業にも勤務していませんでした。私はそれまでの人生に疲れ、インドに行きました。そこに行き、大麻と出会いました。今までの自分の劣等感が解消されました。大麻を吸いますと、自分に素直になりました。改めて自分を振り返りますと、学歴が欲しいのではなく、自分はそのままでいいと思うようになりました。大麻を吸っているとき、表現しにくいのですが……あまり人に関わり合わなくなりました。自分が正しく行けるような道を探していくようになりました。私がセールスマンをしているときは、土方の仕事に抵抗がありましたが、今では、土方の仕事が平気になりました。自分が納得して仕事ができればいいと考えるようになったのです」(被告人供述調書より)

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