ALTERED DIMENSIN
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2001.01.27
[ひとりごと]

スーパー・ノーマルなサイケデリックス
――AMT体験レポート

  夜、9時35分。AMT(aipha-Methyltryptamine)30ミリグラムをカプセルに入れ水で飲む。耳かきですくうほどの僅かな量なのでカプセルに詰めて計量するに苦労する。
 最初にどのぐらいの量が適量なのか調べたが、アレキサンダー・シュルギンのTIHKALではAMTの一回分の服用量について経口で16〜30mg、喫煙で5〜20mg、そして持続時間12〜16時間と書かれている。Tryptamine FAQでは用量は15〜30mg(経口摂取)、持続時間12〜16時間となっている。
 10時35分。頭が少しクラクラしてきたが、リアリティはノーマル。これが効果の最初の自覚だった。友人が体験したときも大体1時間で効いてきたといっている。見るものが全て鮮やかにくっきりしている。色感は変化していて、冷蔵庫やテーブルのオフホワイトや象牙色がヌルリと目に飛び込んでくる。
 このリアリティを何と表現したらいいのだろうか、ノーマルだがいつもとは違う。思考や感情に全くといってよいほど変化を与えないのが変なところだ。
 リアリティだけが変わっているのは、慣れていないと気づかないかもしれない。後に何度かAMT体験を通して、そのとき効いているのか否かを自己チェックする方法を発見した。それは、なるべく暗い場所で目を瞑ってみることだ。そのとき弧を描くようなヴィジョン、同心円状のヴィジョンが確認できたら効いているということが分かる。
 10時45分。AMT体験はどう表現したらいいのか、言葉にしずらい。効果を説明するのが難しいと言っていた人がいたが、その意味がよく分かる。サイケデリックスの特徴である思考や感情、意識の変化といった面では、それほど日常と変わっていない。しかし感覚のセンサーが微細になっているのは確かだ。
 別の機会のとき(AMT30mg)、体にじんわり来て、皮膚と空気の層が共振しているような、体が淡い光りに包まれているような感覚に包まれたことを思い出す。
 外を少し歩いてみたが、身体感覚が希薄で、僅かに足先と膝あたりに感触があるが、背や腰など体がまるでなくなったみたいだ。歩いていてもフワフワしている。これと対比すると、普段、歩いているときは、体に力が入っているんだなというのが分かる。この時点で、TMA-2(20mg)との違いは、情動を揺さぶるような作用がないということだと思った。
 その後、深夜1時頃まで友人とファミリーレストランで雑談。食欲は皆無なのでオレンジ・ジュースを注文する。疲れも感じないし、目は冴えている。呼吸数が間延びし、ゆっくりしていることに気づく。話しをしていて相手の話に対する理解力も、こちらから話す内容も全く普通というか、むしろいつもよりすっきりしているように感じる。ノーマルを超えたスパー・ノーマルな世界だ。
 1時10分。店から歩いて帰る途中、自動販売機や遠くの信号の光りがモワーッと煙り、淡く輝いているのを発見する。目を瞑ってみるとアヤワスカに似たヴィジョンが浮かんでくることもある。先ほどのレストランで雑談していたときの思考の滑らかなスムーズさは、一見、スピード系のドラッグを彷彿させるものがあったが、この視覚的変化はDMTと同類であることが分かる。
 3時35分。効果はずっと続いている。効きにピークがあるというのではなく、延々と同じレベルの効きが続いている。このころAMTの効きが大体分かってきた。100%純粋水の世界、透明人間の世界とでもいうのだろうか。空気に替わって透明な水がまわりの空間を占めている世界。視界は水中メガネで覗いているように思える。あういは完璧に研かれた鏡に映る現実世界。人の姿も服も壁もドアも全て鏡面にちゃんと映っていながら、どこかシャープすぎる世界だ。
 ある占い師(好きでやっているのだろうけど、業の深い仕事だと思う)の友人はAMT体験を評して「SFのミスター・スポックみたいになる薬だ。ロジカルな世界、正確でテキパキした世界だと思う。別な面では三昧の境地。つまり、ただ在るという静かな境地になれる。肯定的であり、ハイな禅的境地」と語っていた。これはなかなか的をついている言葉だと思う。
 少し、横道に逸れるが、この友人は昔、ラジニーシの瞑想をしていたのだが、一般的に瞑想や気功をしていた人は、心身の微妙な変化を自覚する練習をしてたわけで、サイケデリック体験を表現する術に長けているようだ(それとは全く逆に精神世界関係の知識が思い込み(プラシーボ)になってしまい紋切り型のことしか言えなくなっている人もかなりいる)。
 4時頃眠る。昼前に起きると眠る前よりは効きが覚めてきているが、やはり効果は続いている。それでも普通の仕事はできるような状態だ。
 7時。昨晩から丸一日近く経っているが、未だ身体感覚に残っている。効果が延々と終わらないのには閉口した。効果が長すぎるとは体験者のほとんどの人が語る感想だ。
 先ほど少しふれた別の機会のときは、深夜12時に服用し、その日の夕方まで部屋の中で延々と音に浸り続けた。ずっと起きているのだが、横になって音楽に包まれていると、あっという間に時間が過ぎていく。1〜2時間に1回、ふと隣の友人と二言、三言話すのだが、会話はごくノーマル。受け答えも素面のときと大して変わらない。しかしまた音にハマって、気がつくと17、8時間経っていた。
 日を改めてAMTをガラスパイプで気化させて吸ってみた。最初に25mg、2時間後に5mgを2回(計10mg)。経口摂取より体への負担が少ない。空間の濃度、密度が増しているというのが第一印象だった(これは経口摂取でも感じていた)。
 セッティングにもよると思うが、そのときは全能感・万能感に満ちた快活で元気な世界だった。日常的現実に近い領域で仕事の企画など、ポジティブなアイデアが浮かんでくる。60年代に当時のソ連で、少量のAMTが抗うつ薬として使われたことがあるというのも納得できる。自覚する効果はプロザックを服用したときに似ているが、即効性であるところが違いだ。
 AMTの特徴は「ノーマルを超えたスパー・ノーマル」「日常と何も変わらないサイケデリックス」、あるいは「リアリティだけが変わるサイケデリックス」とでも評すべきか、奇妙なドラッグだ。

サイの角のようにただ一人歩め

 八王子のYさんから前回の5MEO−DMTの文章について「凄く良かったです」「いろいろ分かってきました」という嬉しい便りをいただきました。
 Yさんの「……時間というものがもっと多次元的で自由であったなら……始まりもなければ終わりもないし、宇宙の果ても僕が存在しているここも、一緒で、全てが無い「無」も、全てがある「有」も結局は同じことですね。そう想像すると、DMTをやった時のイメージに近いのです」という感想はまさに唯識のリアリティですね。
 その人、その人のこれまでの(今生での)知識や経験により、語る際の表現は異なってくると思いますが、つかんだリアリティは共通しているのだと思います。(1月27日)

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