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2000.12.14
[ひとりごと]

大麻の変性意識について(3)

ソーシャル・ドラッグとしてのマリファナ

 何人かが椅子に座り、くつろいだ様子で雑談をしている。部屋には音楽がかかていて、テーブルの上にはコーヒーとケーキがある。素面ならなんでもない会話が、とてつもなくおかしな笑い話に聞こえる。ひとりのくすくす笑いが周りの人に感染して、笑いの渦に包まれる。箸が転んでもおかしくて、遂には〈おかしいこと〉自体が〈おかしくなる〉。こうなると、もうただただ〈おかしいだけ〉のループにはまりこみ、お腹が捩れるような大笑いが止まらない。
 ビデオでこの光景を撮影していたとしても、ただ何人かが笑いこけている姿が映っているだけで、他にはなにも普段と変わらない……これがマスコミで報じられると「大麻パーティ」のという犯罪事件(大麻取締法違反)になってしまう。大笑いすることが罪になる、なんとも奇妙な世の中にわれわれは生きている。
 マリファナはソーシャル・ドラッグだといわれる。親しい友人や仲間で一緒に楽しむという使い方ができるドラッグとしてはマリファナが一番適しているだろう。みんな打ち解けて仲良くなれるし、平和的に穏やかになる。音楽が立体的に聴こえるようになり、食欲が増しなにを食べてもこんなに旨いものがあったのかと驚くほど美味に感じれる。その上、会話がなんでも面白くなる。良いことずくめなのに、どうして法的に禁止されているのだろうか。同じソーシャル・ドラッグでもアルコールは喧嘩になったり、攻撃的・暴力的になったりすることがあるのに対しマリファナではそんなことが皆無だ。
 少し横道に逸れるが、世界的にマリファナが禁止されるようになったのは、20世紀の30年代にアメリカで規制がはじまったことが大本の起源になっている。その理由については諸説あるが、禁酒法をごり押したのと同じ禁欲主義的なピューリタニズムが推進力になっていたのは間違いないだろう。それは酔ったり、笑ったり、遊んだりするのを退廃とみなす社会心理でもある。
 全ての向精神薬は化学的に「自己」(この場合は中枢神経系・脳)を変える。通常、われわれは自己内部が変わったことをあたかも外界が変わったように認識する。サイケデリックスでリアリティが変わると言うが、それには時空の認識機能の変容という要素が基底にある。マリファナもキノコもLSDもリアリティが変わるところは共通している。
 キノコやLSDは、量が多いときは対外的な人との交流は難しくなる。人から話しかけられても言葉の「音」と「意味」がバラバラになり、なにがなんだか分からない。体を動かすのが面倒になって横になっていたりする。そんなときは自己の内から沸き起こっている無意識やファンタジーと対面して、心の世界をトリップしているのだから一人でいる方がいい。
 キノコでは、現実とトリップしている世界が入れ替わってしまうことがある。トリップの方が本当の世界で現実は虚構だったと確信してしまう。だからごく稀にだが普通では絶対しないような行為をしてしまうこともある(ごく稀というのは、わたしが見聞してきたところでは、キノコ体験者、数百〜千人の中で1人ぐらいの比率だから0.数%ぐらいか)。キノコに秘められた強い力には、軽々しくは扱えないという怖ささえ感じる。
 一方、マリファナはどんなに多量に摂取しても自己コントロールができる。THC含有率が高いといわれるハイブリッドのシンセミアでもそれは同じだ。現実とトリップの世界が逆転することはない。そしてマリファナは、体を動かすのも人と喋るのも比較的楽にできる(マリファナでもストーンすると〔マリファナの効きとしては最強レベルに達すると〕石のように動けなくなることもあるが)。
 何人かでマリファナをしながら音楽を聴いたり、お喋りしていると、その場の「共同の意識空間」がマリファナ・レベルに変貌する。マリファナが効いている者同士が心を通わせ、言葉を交わしていくなかで不思議な意識の空間が現出する。
 例えばマリファナでハイになった4人がいたとする。最初にAが何か言葉を発すると、BやCやDはマリファナの変性意識下でそれを聞く。BのAに対する返答は既に日常意識とは異なったレベルから発せられる。さらにそれに対してCが口を挟んで、Dは黙って聞いている。そしてAがBに応えたとき、DはAに話しかけた……このように4人の心が錯綜しながら共振して「共同の意識空間」が成立する。その場の雰囲気、間、気配などといった言葉で表現するしかないが、さつきまでと同じ部屋で、同じ場所に座っていながら、何かが違うリアリティの場にいることに気づく。
 それはキノコやLSDよりも意識レベルとして深くはないが、マリファナというソーシャル・ドラッグならではの世界だ。
 ここでマリファナがもたらす意識について、ひとつの視点を紹介してみたい。
 かつて大麻事件裁判を受けたある被告は、最終意見陳述で「一言で言えば、大麻はわれわれの意識――感覚、思考、意欲、感受性といったすべてを、まるで生まれたばかりの赤ん坊のそれのように、やわらかく解きほぐし、濁りなく、生きいきとさせてくれる」(日吉真夫)と述べた。この最終意見陳述は、既に4半世紀も前のものだが、自らの思索に基づいてマリファナの解禁を訴えた爽やかな文章だ。
 そして詩人、アレン・ギンズバーグの言葉を参照しながら、日常意識では気がつかず使われている「声の調子、声の大きさ、視線、表情、しぐさ、姿勢、体の向きなどのすべてによっておこなわれる……非言語的言語を、ふつうの状態におけるよりもはるかに生きいきと、鮮明に、みずみずしく、豊かに理解することこそ……マリファナによる意識の拡大の内容なのである」と書いている(また横道に逸れてしまうが、これは、最近、神経言語プログラミングで無意識の観察として語られる内容とほぼ同じ意識レベルのことだというのが分かる)。
 直観とか感性といった世界が日常意識よりもずっと深く、繊細に、拡大した仲間同士が集い「共同の精神空間」が現出する。そこは以心伝心のテレパシー空間、正直さや本音が素直に語られる類稀な場でもある。セットとセッティングの条件がよければ、それはたとえようもなくファンタスティックで、心地よく、穏やかで、エキサイティングで、楽しいパーティになる。

[ひとりごと]