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2000.11.13
[ひとりごと]

キノコ・ワークの話

 11月12日、いわゆるマジック・マッシュルーム(以下、キノコとする)を集団で体験するワークを行った。このワークは昨年のはじめから続けていて、いまは奇数月の第二日曜日がワークの日になっている。わたしは相棒の菜都とともにシッター(介護)役をしている。
 この日、正午に会場になっている都内のビル3階に集まったのは体験希望者12人にシッター役5人。はじめに全員がカーペットの敷いてある床に輪になって座り、簡単な自己紹介をした。それから菜都がキノコの効果や作用時間、それにワーク中のいろいろな注意事項の説明をした。もうこのワークを20回ぐらいやってきたので、シッター役の仲間は、大体、ワーク中にどんなことが問題になるかは分かっている。
 みんな少し緊張したような面持ちで説明を聞いている。参加者は男女6人ずつ、20代前半の女性から63歳の男性まで幅があった。キノコを初めて体験するという人が7人、2回目の人が3人、後の2人も10回未満だった。
 12時40分、部屋の所々に寝袋を敷いて自分のスペースを作ってから好みに応じて水か紅茶を飲みながらシロシベ・クベンシス(乾燥)3グラムを食べる。初めてキノコを口にした女性が、(乾燥しているので)ポリポリしていて思ったより美味しいと言っていた。照明を消して薄暗くなった会場に音楽が流れ出した。音楽の選曲などは6時間のワーク中、前半はクラッシックが大好きなKさん、後半は菜都が担当している。
 ところで、キノコ・ワークのことを紹介しようとしても、それは12人の人たちの意識の世界で起きていることなのでそれを描写するのは不可能だ。広い部屋で寝袋にくるまっている12人のちょっとした動作や声、その場の雰囲気、空気から感じ取ったものを書いてみる。
 40分ほどして、Mさんがキノコを1グラム追加した(キノコの効果は大体、30分ぐらいで現れるので、効果が十分でないと思った人は、追加を求めるように手を挙げてほしいと予め説明している)。
 1時40分、Iさんがキノコを追加、この30分後、更に追加してた。Iさんは、立ち上がり部屋の真ん中で太極拳をしているような動きで手をゆくり振っている。あとの人はみんな静かに横になっている。
 2時、Mさんと友人のKさんが隣の小部屋に移った。ワークの途中で大声を上げたくなったり、あるいは騒ぎだすような人が現れた場合には小部屋を準備してある。Mさんたちはお喋りをしたいということで移動したのだった。
 2時20分、みんな横になっているが、寒気を訴える人がふたりいて、直ぐに寝袋をもう一枚重ねた(キノコ体験中に寒気を訴える人は結構、多い)。Iさんは、部屋の中央に座り込みニコリと微笑んだり、あるいは急に涙を流したりしている。
 3時、部屋の隅で横になっていた女性が突然、泣き出した。キノコは初めて体験すると言っていた人だが、声がだんだん大きくなっていく。女性のシッターのYさんが、横に付き添った。その後、何度か彼女は泣いた。
 3時15分、Yさんの泣き声がやんで、静かになった部屋の中でTさんが起き上がり、壁に背もたれし俯きながら座った。Iさんがこの頃から「助けてほしい」「現実の戻りたい」「愛、感謝」といった言葉を繰り返すようになった。シッターのS、Kさんが寄り添い、その後、隣の別室に抱えていった。
 3時40分、キノコは初めてという中年の女性が、トイレに行く途中、控え室に寄って笑いだした。何か喋ろうとすると、その途端、もう堪えきれないように体を捩って大笑いしている。「こんなに笑ったのは初めて」と絶え絶えに言いながら笑い続けた。この頃、会場の雰囲気は先ほどまでと変わって、静寂が一段と深まってきたように思える。
 5時、Iさんが大分、戻ってきたと言って別室から一人で出てきた。ワーク終了後、感想を述べあったとき、Iさんが部屋で動き回るのが気になって体験が邪魔されたという人が何人かいた。
 僅か5時間ほどだが、会場はずいぶん長い旅をしてきたような気配に包まれている。外面的にはそれほど大きな事件もなくワークが進行してきたように見えるが、12人の中でいろいろな想念のドラマが展開された気配が感じとられる。
 6時15分、暗くなった部屋の所々に小さな蝋燭を灯し、ワークは終了した。寝袋から起きあがった人たちは、ただ静かに佇んでいる。
 その後、軽食をみんなで口にしながら簡単に体験談を話す宴が開かれた(こういうときに自分の体験を話したくないという人もいるので、あくまでも自発的に話したいという人だけが発言した)。
 一人一人の発言はテープに収録しているが、ここでは長くなるので省く。それぞれの人がキノコにより多様な心の旅をして帰ってきた。体験をよく覚えている人は、心の中で起きた出来事をひとつひとつ克明に語ってくれた。
 初めてキノコを体験した人は誰もが感動的に自分の体験を語った。唯一の例外として最年長の63歳の男性だけは、3グラムのクベンシスで何も起きなく退屈なだけだったと語った。この人は、寝袋に潜り込んだまま静かだったので、深い体験をしているものと思い、シッターは何も声をかけなかったのだった(これまでの経験で、年配者の場合、キノコが効果を現すためには、普通より量がたくさん必要だということが度々あった)。
 このキノコ・ワークはクベンシスの摂取量が3グラム(比較的少量から中程度の量)であり、キノコ体験入門のような性格のものだ。この間、ワークで事故やトラブルは一度も起きていない。大部分の体験者は、キノコの力を借りて、それぞれ自分の内側を見つめることができたと言ってくれた。
 これまでキノコ・ワークで神秘体験をした人もいる、いわゆる聖なる体験をした人もいる、トランスパーソナル的な体験をした人もいる、深い癒しを体験した人もいる。しかし、わたしがこの2年近くシッターをしてきて見聞きしてきた体験者たちの共通する、最も大きな出来事、一番感動的な体験は、生きる上での気づきを得たこと、家族や友人との関係や過去の自分の体験の意味が分かったといったことだ。
 キノコの効果を一言で語るとすれば、それは自分自身が明らかになることだ。自分の心が顕現すること。換言すれば、自分自身を知ることだ。音が変化して聴こえるとか、いろいろなヴィジョンが視えるといった類のことはそれに比べれば末梢的なことだと思う。
 人類の文明は自分の外側(の対象)を見ることに於いては発展してきたが、人間が自分自身を見ることに於いては殆ど何も分かっていないのではないか。キノコの不思議な効果は、現代という物質主義が全盛のカリヨガ(ヒンドゥ神話での世界周期によれば、徳が衰え悪がはびこる極の時代)に、人が自分自身を見る鏡として発見されたのではないか。いまキノコを規制しようという国の動きがあるといわれるが、キノコを取り締まるということは、人間が自分自身の心を見ることを禁止するのに等しい。
 人間が自分の心を探ること、自分を知ることが危険なことなのだろうか。

[ひとりごと]