- イスラエルのフォークダンスなんで簡単なのでは?
日本人のイメージは, おそらく戦後のアメリカ文化流入の影響下,小学校でオクラホマミキサーなどとともに無理矢理「マイム
マイム」踊らされた経験があって, 恥ずかしい思いとともに馴染めないイメージが強いかもしれません。
イスラエルでは幼児教育にも取り入れられて3歳児でも踊れるものがありますが、踊る年代層もレベルも様々。フォークロア性,芸術性に於いても世界的に最高水準のものもあります。 また世界中から来た移民者の踊りが取り入れられ,進化し続けています。 中には日本のフォークダンス関係者でお馴染みのロシアのホパックとポーランドのクラコビアクを合わせた位のハードな踊りもあります。踊った後は皆「ゼイゼイ」「ハアハア」と立っていられない程。でも止められない面白さがあったりします。
- マイムマイムは、イスラエルの小学校でも踊られている?
初期のイスラエルのフォークダンスは、建国当時、世界から集まって来た移民者の子供達が共有できる楽しみとしての重要な役を担いました。 現在のイスラエルの小学校の教師もフォークダンス指導の勉強をしますが、踊りの種類は、むしろマイムマイム以外の踊りが殆どです。最近は,かなりレクリエーション的なものが多く「カラオケ」に振りがついたようなものやラテン系やヒップホップ的なものもでてきました。
[子供や初心者に講習する時は、それなりの訓練と十分な経験, そして知識(ノウハウ)が必要だと思います。
ただ踊りの講習会に参加しただけで, もう指導者だという訳にはいかないのです。]
- 友好や親善,宗教集会でフォークダンスを行う所がありますが。
イスラエルのフォークダンスの中には「平和の望み」や「祈りの踊り」の要素も多くありますが, それらは一般に踊られるものの一部となっています。またハシディーやテイマン(イエメン)系等の伝統的な踊りがあります。
ところが欧米や日本でも, 最近は宗教集会の手段としてイスラエルダンスやダビディックダンスなどが踊られているようです。「イスラエル」と言っていますが何か変だ、というのが率直な感想です。自分の目的のためにダンスを利用しているようで センスや感性が感じられません。例えば「中とろの寿司にわさびの代わりにマヨネーズを塗って,生クリーム につけて, これこそが日本の寿司だ」と言っている気がしないでもありません。
私はこうしたものに係っておりませんので, 何とも言い様がありません。
只、一言だけ是非言わせていただくならば、既にある踊りの振りに関して「この動作は神への祈りに違いない」などと独自の解釈を施してして, 広めることは止めて欲しい。さもないと「全ての踊りの同じ動作」が同じ意味を持つことになってしまい, 踊りを著しく小さく限定したものにし, 踊りを殺してしまう可能性があります。踊りの持つ本当の素晴らしさに泥を塗って欲しくないことを願います。
- イスラエルのフォークダンスは、子供向け?
小学校やキブツでの休日や公園,他の教育機関でもよく踊られていますが、実は大人もよく踊ります。
世界のフォークダンスの多くが特別な儀式,例えば結婚式や祭事や集会,パーティー,舞台等,特別な時に限定して踊られるのが多いのに対し,イスラエルの場合は各町にサークルが沢山あって(当日の入場料を支払って踊りに行く訳ですが)都市部では毎晩どこかで踊ることが出来るので,好きな人は週に3回位踊ります。また兵役中の若者が集う場所もあって,そこで結婚相手を見つけることも少なくありません。
そういう意味では、イスラエルは世界でも「生きたフォークダンスが最も沢山踊られている所」といえるかもしれません。
フォークダンスのみならず, 様々な踊りに興味が持たれているようです。
- イスラエルのフォークダンスは、フォークロアではないのでは?
フォークロアの定義が難しいところですが、「フォークロアとはその踊りを見れば、どこの村の土地のものかわかる踊り」というのを聞いたことがあります。しかし世界中に散っていたユダヤの民が狭い土地に集まって来ているので、土地による定義では無理があります。
イスラエルに戻ってきた幾つかの民は独自の伝統を維持し保持してきましたが、今や彼等はイスラエルに散在しています。幾つかの村や地域にまとまっていることもありますが、その踊りは土地によらず、人々の集いの中に生きています。また土地の定義であれば踊りの多くは中世以降のものになってしまいますが、イスラエルの場合はもっと古いと思われるフォークロアが存在するとも言えると思います。そして、それらは生きて進化し続けています。
長い間、会堂でだけ読まれた聖書の言葉ヘブライ語が、現在イスラエルの国語として復活して話されているように、人によって伝えられた踊り方が復活して、さらに改良されています。
- どのような踊りの種類があるのでしょうか?
世界中から集まって来た人達は、それぞれの踊りを持ってきましたが、中には特別なものもありました。
- 「ハシディー」: 東欧ユダヤの宗教の1派ハシディズムに由来するで踊りで神への賛美を表すもの。屋根の上のバイオリン弾きや黒い背広と帽子の人達の結婚式などで見られる。女性に触れることすら避けるため,
女性と踊る時はチーフを持ち合ったり、あるいは広場の中央に仕切りを置いて男性側と女性側と分かれて踊ったり,
さらに究極のカップルダンスは男性が自分の上着を脱いで, 上着を自分に向けて両袖に手を入れて上着を女性の変わりに見立てて踊ったりします。ボトルを頭上に乗せて踊るボトルダンスも有名ですが、よくあるのは結婚式などで「クレイゼメル」という楽団の演奏で激しく踊るのが有名。
- 「リショニーム」:イスラエル建国時代によく踊られていた踊り。移民者の共通の喜びと高揚のために,各民族が持ち寄った様々な踊りを共有するための試みや,イスラエルのアイデンティティーを表そうとした様々な試みが為されました。ロシア風のものなどが有名。
- 「ホラ」: は,そのような中でルーマニアあたりのユダヤ人が持ってきた踊りで,サークル上をマイムのステップで移動していくことを呼んでいましたが,やがてヨナタン・カーモン氏がこれを芸術的領域に引き上げて,イスラエル特有の元気の良い、跳躍と高速回転を伴った超一流のダイナミックな踊りに仕上げて行きました。 現在では「嘆きの壁」の前などで伝統的な宗教家がサークルを作って「RLODへ右足から2本ランニング+ステップ+ホップ(逆足を前に上げたり)」を単純に繰り返して踊ったりしますが,これも「ホラ」と言っています。
- 「テイマニ」: イスラエル建国の知らせを聞いて突然民族大移動を始めたユダヤ人,それがイエメンに住んでいた「テイマン」の人達です。彼らはユダヤ民族がローマによって陥落されてから,アラビア半島南端の陸の孤島のような所にひっそりと生き,2000年近く前と同じ伝統を維持していた生きた化石のような民。彼らの歌の旋律の1部が、太古の昔と同じことも学術的に知られています。その彼等が聖書を勉強する寺子屋のような狭い所で踊られていた特徴ある踊り方。
周辺や支配者はアラブ人だったので,いつ「当時のユダヤ人には禁止されていた宗教集会がいつばれるかもしれない。
それで,もし調査監視官が検閲に来た時には,すぐにわざと滑稽な格好で踊って見せて,これは宗教集会ではないのですよというように見せかける必要がありました。また場所も室内で狭かったために,ステップも大きく広がるのではなく上下動を伴う動きとなりました。
「テイマニ」(日本ではイエメナイトと言われている)のステップは,その典型的な1つで頻繁に使用されます。その他の多くのステップや動きが,例えば,首の振り方,手の回し,肩落し,合体の祈り合い,胴体回し鉢回し,ヘナー踏み,花摘み,互いの掛け合い,花娘のステップ等々,面白い動きを伴っておりますが,実はその歌詞が非常に神聖なものが殆どです。
テイマニの踊りは非常に豊かで,まさしくフォークロアと言えると思いますが、日本で知られているものはテイマニの音楽や歌を用いて部分的な動作を取り入れたもの,全体的には振付者個人の個性が濃厚に出ているものが多いようです。そういう意味では本当のテイマニの踊りの踊りは、まだ日本に入っていないといってよいでしょう。
また、日本や欧米のダンサーの多くが,テイマニの踊りとアラブ諸国の踊りとの区別がつかないという,重大な過ちに陥っています。
外国人をターゲットにする講習では、欧米人の好みに合わせた振付やアラブ系の演奏,そのスタイルと踊りの凝り性と難しさから,現地イスラエルでは,それ程人気がありませんでした。
感覚的にも「アラブの踊りは粗暴で体が受けつけない」という者もいて,逆に欧米人に「イスラエルの国がこんなにも美しくて心地よい風」などと言っても感覚的にピンと来ないのです。
テイマニの踊りと周辺諸国のアラブの踊りは全然異なります。その踊りの背景もスタイルも違ったものということです。
その他の周辺の踊りの例としては,アラブ「アラビー」,トルコ「トゥルキー」,グルジア「グルジーニー」,イランの「パルシー」,ドルーズ族の「ドゥルジー」,アルメニア系の「アルメニー」,インド系の「ホーディ」,クルド族の「クルディー」ギリシャの踊り「ヤバニー」など。 このギリシャ的な踊りは,イスラエルに多く存在します。
- 「ミズラヒー」: この系統も沢山踊られています。曲が軽快でテンポが良いためでしょう。
ダルブッカという脇に抱えられる程度の太鼓や,小気味よいエレクトリック・ギター,電子的合いの手などがよく使われます。上記と重なる部分もありますが,エジプトやヨルダン,トルコ等周辺の中東諸国の曲や流行歌にヘブライ語の歌詞をつけたりしたオリエンタルテイストな踊り。でも歌詞は,結構宗教的だったりします。
- 「スファラディー」: スペイン系ユダヤ人の踊り。フラメンコとは異なり,ヨーロッパ的。
- 「マロカイ」: モロッコ系ユダヤ人の踊り。ミズラヒーと近いものがありますが,独特な動作もあります。
- 「イスラエリー」: ホラを含めることもありますが,イスラエルのフォークソングなどイスラエルで生まれた歌や踊り。
- 「モデルニ」: 特にこの20年位のイスラエル国内外でのヒット曲などに新しく振付をしたもの。この中には中南米の「サルサ」「ボサノバ」「サンバ」「タンゴ」などをソースとする「ドゥローム・アメリカイ」「アメリカン・カントリー」もありますし,ーシャルダンスである「サロニーム」や60年代「シュノット・シシーム」など,ここまで来ると何でもありとなってしまいます。それこそヒップ・ホップなども出てきました。
- 「ノスタルギア」の流れ: 踊りが世界に売れる商売になるという認識を持ったた「にわか振付者」の増大に伴い, この数年, 急速に踊りが発表され続けました。 この結果, サークルでかける踊りが増大して, 沢山の「使い捨ての踊り」が出てきました。 この反動として「やはり皆が踊れる踊りをかけて欲しい」という要望が強まり, 「昔懐かしき良い踊り」を中心にかけるサークルが多数出現してきました。これらのサークルが「ノスタルギア(ノスタルジー)」を標語に掲げて, 参加者を増やしております。
- 商業主義となった踊りの問題
最近のフォークダンスではあまりにも踊りが多すぎて,特にこの10年位は新作が次々発表されるものの,3週間もするとすぐに廃れていく消費・消耗品的傾向が出てきています。一度新しい踊りが発表されると,すぐにそれを外国に持っていって講習したがる者が沢山出てきました。
そしてどんどんキャンプに参加して講習費用をかせいで儲けようと試みます。踊りの過飽和の中で次々と踊りが誤った形で伝えられてしまいます。
(振付者も音楽家に対して著作権すら支払わず,新しい歌が出現すると取り合いとなります。1つの曲で複数の踊りが出現して,それぞれ別の所で発表されました。)
イスラエル国内では,こうした混乱を避けるためにシュロモ・ママンさんが曲の登録制を開始します。これでイスラエル国内は一段落,と思っていたら外国では登録などを無視してどんどん外国人がイスラエルの踊りを作って,教えて,金儲け。また,イスラエルで新曲が発表されるとすぐにそれを国外に持って行って,講習会を行おうとします。本来のの振付者達は,このようなことから自らの踊りを守る対抗策として,踊りが出来てもすぐには発表しないで自分で保持しておいて,まず外国の講習会で,真っ先にその踊りを披露します。そして世界各地で講習をし尽くしてから,最後にイスラエルに戻ってきてその踊りを発表することになります。
ところが、その時にイスラエル人の好みに合うように踊りを変えてしまったり、また折角発表されてもイスラエル人には全く不評だということがよくあります。こうして,ますます欧米や日本だけで踊られて,イスラエルでは存在すら知られていない輸出専用の(ビジネス)フォークダンスが氾濫することになりました。 この流れはイスラエルのFDの世界で容易に知ることが出来ますが, 世界のフォークダンサーに聞くと, 実はイスラエルFDに限ったことではないことが最近わかってきました。 おそらくショックを受ける方もおられると思いますのでこのへんで。
このような過程を経て,踊りが切磋琢磨されていき,良い踊りだけが残っていくということもあるのですが,あまりに沢山ありすぎて,ついていくのが大変で踊りきれない。それでせっかちなサークル運営者はもう曲を終わりまでかけないで,2回繰り返した所で曲を止めてすぐ次へなどという所もあります。それで「新規参加者にとっては,慣れるまで大変」「暫くサークルに参加したかった人は復帰に大変」ということが出てきました。
- ごく最近の傾向
イスラエルでは,こうした踊り過多に歯止めをかけるべく,多少昔の踊りであっても誰でもが知っていて踊れる踊りを踊ろうという「ノスタルジア」と呼ばれるものが出てきています。これによって、最近また非常にフォークダンスの人気熱が出てきております。
ユダ・イマヌエルさんは,こうした以前の誰でも踊れる踊りを,新しい踊りであれば継続して踊れる良い踊りのみをとりあげて組み立て直そうとしておられます。 ヤンカレ(ヤコブ)・レビさんの踊りからは,沢山取り上げられるでしょう。
- 踊りは講習者によって踊り方が異なっているのでは?
イスラエルの場合は,基本的な踊り方は大半がはっきりと決まっています。
日本に於いては,上に書いたように、安易なフォークダンス講師による踊りの変形が行われると,その変形した踊り方が先に定着してしまい後からの修正が難しくなります。迷惑な話ではあります。
こうしてサークル間での踊り方の違いが出てしまい,ある所ではサークルを閉鎖的にして「他のサークルに行ってはだめ」と言っている所すら,日本ではあると聞きました。
このような指導方法は問題があると思います。 指導者は出来るだけ正しい踊り方を指導するように勤め、もし間違っていたら素直に訂正すべきでしょう。それでこそ,本当に楽しく踊りが出来ますから。
また、仮にもし異なった踊り方をする方々と出会っても、相手に合わせて踊ってあげることが出来る位の余裕が持てる位に、踊り手を養成するべきでしょう。
- 良い講習を受けて,「講習者の踊り方」と「スタイル」を継承するのが最善なのでは?
良い講習者とは,どのような者を想定しているのでしょうか? 難しいステップと独自のスタイルを持っていて沢山教えてくれる方?
講習側にとってみれば,いろいろな細かい動きを加えて,あること無いことを沢山説明して,良い人格者となり,トリッキーな動きで受講者を納得・関心させてしまえば,もうしめたものです。しかし受講者が講習者のバーチャルな世界に入りこんで,懸命に追っていったところで講習者以上のものは出すことが出来ません。
講習者の踊り方が最終目標になると,踊りに限界を与えてしまいます。
確かに「模倣」は踊りの重要な要素の1つではあります。トゥビア・ティシュレルさんは,10分位歌舞伎を見ただけで見事に女形の真似を行い,相撲を見ては行司の口上を上手に真似しました。それは1つの優れた才能だと思います。しかし彼は,講習時には細かいことを言わずにさらっと要点だけを講習しました。そして踊りを楽しんでおられました。
ただ講習者のまねだけでは,何の面白みもありません。無表情に次のステップと動きを思い出すのが踊りではありません。
貴方の講習者は踊りを楽しんでおられましたでしょうか?
怖い顔をして「自分のスタイル」を前面に押し出して,他の人の踊りまでも自分風にして,貴方にもそう踊るように強制しませんでしたでしょうか。
皆が同じ踊りをする必要もありません。なぜなら全員がステージで踊るわけでは、ないのですから。
(ステージで踊るには,それなりの訓練が必要ですが,それはまた別個のものです。)
多くの場合、正しい踊り方があります。 講習者は,それをまず教えるべきです。
それからバリエーションとして自由に踊り、自分のバリエーション(もち味)を紹介する。
各人の踊りは自由です。 この自由なところが,イスラエルのフォークダンスの最大の良さの1つです。
- 連手をしないことがあるようですが。
イスラエルの場合、正しい踊り方が原則としてありますが、バリエーションは、かなり自由です。
踊りには正しい踊り方を実行しなければならない個所と、バリエーションが許される個所があります。
人々は自分が楽しみ,そして人も楽しませ,ある時はアホ丸出しで,またある時は祈るような時もあります。
連手は、初期の頃の踊りは行っていました。世界から集まった同胞が結束を確かめる意味があったようです。
しかし、現在イスラエルのサークルに行くと連手は、しないのがほとんどです。昔の同胞という概念から,現在はレクリエーションの感覚になってきて,ずっと手をつなぐと疲れるし,汗ばむし,うっとおしい,ということのようです。そして、踊りにターンが増えてきたことも原因の1つです。
資料にも一応は、連手と書いてあっても皆連手しません。これは、もう慣例となっているようです。
しかし講習者は,建前上,講習時は連手。また講師の中にも連手が好きな者がいて,その場合は連手します。
その他、アラブ系やトルコ系の踊り、ハシディーの踊りなどホールドが決まっているものは、実際に連手やそれなりのホールドをすることが多いです。 その他はフリーです。 私も現地スタイルですので,興が載ってくる時以外は大抵,手はフリーにしています。
同様に裸足で踊ることも自由です。多くの者はジョギング・シューズやダンス・シューズ,時には軍隊の長靴で踊っている者もいます。
ステージでは,ハシディーの踊り以外は裸足が多く踊られています。ヨナタン・カーモンさんの所では練習時も必ず裸足でした。踊っていて見栄えがし,足が美しく見える,また足が軽く飛ぶように動くということで,それが他の舞踊グループの手本となって一つの典型となりました。
聖地イスラエルなので移民者が裸足になる,当時は靴を買うお金も無かった,など他の理由も考えられますが,やはり美しくて軽やかということが多いと思います。
私の場合は,ステージ舞踊者でもあるというステータスもあって,普通のサークルでも裸足で踊っておりました。
前述のとおり各人自由ですが,日本の床は冬が冷たくて足がつりますので,その場に応じて対応しております。
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