『7年目のReplay』


Written  by  Evo-GODZILLA


 

4.Shepherd Moons  〜Enya〜

 

 高速道路を走っている間、先ほどのポルシェのことが気になって仕方がなかった。

 祐子とは、今でも年賀状のやりとりはあるが、それだけだ。7年前の渋谷の夜以来、一度も会っていない。その後まもなく結婚し、二人の女の子がいるという。今がどう変わっているか、見当すらつかなかった。

 走り出していくところを外から見ただけだから確信はないし、あのポルシェのドライバーが祐子だとするには、あまりに変わっていないようにも思える。見かけた時は追いかけてみようかとも思ったが、確信が持てないことで、今ひとつアクセルを踏み込む気にならないまま走っていた。

 おそらく、よく似た女性だったのだろう。そう思うことにした。

 高速道路を降りてから、しばらく山間の道を走り、1時間ほどで目的の宿に着いた。割と有名な和風の温泉旅館だが、行楽シーズンでもない平日なので、簡単に予約が取れたのだ。それでも駐車場には、半分くらいクルマが停められていた。

 各部屋が離れのようになっていて、食事も部屋でとることができる。通されたのは、窓の下に渓流が流れ、遠くの山並みが一望できる部屋だった。窓を開けると清流のせせらぎが聞こえ、澄んだ空気が流れ込んでくる。

 景色を眺めながら仲居さんが淹れてくれたお茶を飲み、さっそく温泉に入ることにした。

 広い露天風呂だった。熱い湯に浸かり、岩に寄りかかって空を見上げた。抜けるように青い空が広がっている。

 他に誰もいないこともあって、あまりの心地よさに、思わず「はあ〜・・・」と大きな声が出てしまう。

 静かだ。川の流れる音と、時折、周囲の山の中で囀る鳥の声が聞こえるだけだ。

 空気もうまい。いつもは、様々なモニター類の動作音やアラーム音の中で、薬品臭い空気を吸っているのだ。

 身も心も、芯から解きほぐれていくようだった。

 温まると岩の上に座って体を冷まし、冷めると湯に浸かることを繰り返しながら、1時間くらい過ごした。

 次のお楽しみは、部屋に戻っての冷えたビールだ。部屋の窓から見える景色を眺めながらの、風呂上がりのビールは格別だろう。

 風呂から上がり廊下に出ると、ちょうど向かいの女湯の扉を開けて出てきた浴衣姿の女性がいた。

 自然にその女性に視線が行き、向こうもこちらを見る。視線が合った瞬間、俺は動けなくなった。

 彼女も目を見開いたまま、立ち尽くしている。

 間違えようもなかった。他人の空似ではなかったのだ。まさか同じ所に向かっていたとは思いもしなかった。

「・・・祐子・・・」

「・・・本当、なの?・・・」

 俺も祐子も、しばらく見つめ合ったままだった。歩くことも、言葉を出すこともできず・・・。

「・・・ここで、こうしていても仕方がないから、とにかく・・・」

 数分も経ってから、ようやくそう言って促すと、祐子は俺と並んで歩き始めた。

「一人で来ているの?」

「ああ。珍しく休みがもらえたんだ。祐子は?」

「私も一人よ。年に2回ぐらい、家のことも子供も任せて、一人でリフレッシュさせてもらうことにしているの」

「理解があるんだね。クルマは、ポルシェ?」

「何でわかったの?」

「来る途中に、サービスエリアで見かけたんだ。まさかこんなことがあるとは思わないから、よく似た女性なんだろうと思っていたんだ。わかっていれば、ここに着いた時に、駐車場をよく見てみたんだろうけど」

「いつまで?」

「今日と明日の二泊だよ」

「じゃあ、同じなのね」

 話しながら廊下を歩き、俺は自分の部屋に向かっていたのだが、祐子はそのまま自然についてきていた。

 部屋に入ると、祐子はまっすぐ窓際まで歩き、外を眺めている。

「何はともあれ、風呂上がりの一杯だな。祐子も飲むだろ?」

「いただくわ・・・あら、私、何も考えないでお部屋までついて来ちゃった」

 そう言って祐子は振り向き、初めて恥ずかしそうに笑った。

 冷蔵庫からよく冷えたビールを出した。さすが名旅館、ラベルはエビスだった。俺の一番好きなビールだ。

 グラスを二つ手にして戻り、大きな座卓を挟んで向かい合った。

 ビールを注ぎ、軽くグラスを合わせ、俺は一杯を一気に飲み干した。

「ふう、うまい!」

 見ると、祐子も一気にグラスを空けていく。

「ああ・・・おいしい! ゆっくり温泉に浸かった後のビールは最高ね」

 空になった二つのグラスを再び満たす。祐子はビールを注ぐ俺を見つめていた。

「お久しぶりね」

 俺がビールを注ぎ終わるのを待っていたかのように、祐子が言った。

「7年ぶりだよ。元気そうだね」

「あなたも。今は何科にいるの?」

「相変わらず、センターだよ。なかなか離してくれそうもない」

「いいじゃない。必要とされているからでしょう。最前線みたいなところなんだから、使い物にならなければ、すぐに配転でしょ」

「最前線、か。人によっては、24時間営業の、何でもありのコンビニって言うヤツもいるけどね」

「フフッ、でもあなただって、そういう所が性に合っているんじゃない?」

「まあね。緊張感の中に身を置いているのは嫌いじゃないからな」

 改めて祐子を見つめた。湯上がりで、化粧も最低限度で洗い髪のままだが、相変わらず美しかった。

 とても二人の子供がいるようには見えない。

「変わってないね。相変わらず、きれいだ」

「ありがとう。7年も経って、すっかり子持ちのオバサンになったと思われたら、どうしようと思っていたの」

 そう言って、祐子は笑った。

「でも、本当に驚いたわ。まさか、こんな所であなたに会うなんて・・・」

「神様のお導きってやつかな」

「フフッ、神も仏も信じないんじゃなかったの?」

「そんな話をしたこともあったかな。でも俺は、頼らないとは言ったけど、信じないとは言っていない。神仏を尊び神仏を恃まず、ってやつだ」

 救命救急の現場にいれば、色々なことがある。神も仏もいないのかと思うような悲惨な状況に遭遇することもあれば、何か人智を越えた力が働いているとしか思えないような不思議な体験をすることもある。

 いつの間にか陽も傾き、窓の外に見える遠くの山並みは、オレンジ色に染まった空の下でシルエットになりつつあった。

「・・・ねえ、ここって、食事はお部屋でとるのよね」

 祐子はそう言い、視線を外して外を見つめる。俺は祐子が言いたいことを理解した。

「祐子の分も、ここに運んでもらおうか?」

 俺が言うと、夕陽でオレンジ色に染まった祐子の顔が、さらに赤くなったようだった。外を見つめたまま、祐子が頷く。

「変に思われないかしら・・・」

「偶然、知り合いに会ったって言えばいいさ。まあ、そんなことを言わなくたって、宿の人も客商売のプロだから、余計な詮索はしないだろうけどね」



5.北天の星 〜姫神〜



 祐子と二人でゆっくりと夕食をとった。夕食を運んできた仲居さんは、明るい人だった。

「世の中って、意外と狭いもんですからねえ。せっかくお知り合いに会えたんなら、お食事も一人より二人の方がおいしいですものね」などと笑いながら夕食の膳をセットし、部屋を出る時には悪戯っぽく笑いながら、

「ごゆっくりどうぞ。あ、そうそう、ここは貸切に出来る露天風呂もありますから。今日はお客様も少ないですから、空いていればご自由にお使いになられてかまいませんよ」と言って出ていった。

「知り合いって言っても、見抜かれているのかしら。わざわざ貸切の露天風呂のことなんか言わないわよね」と、食事をしながら飲んだ地酒に頬を染めた祐子が笑う。

「バレバレだな。でもせっかくの好意だから、行ってみるか?」

「お酒も持っていきましょうよ。お盆の上に乗せて浮かべるの」

 その貸切露天風呂に行ってみると、空いていた。

 ドアに入浴中の札をかけ、内鍵をかける。男女別の大きな露天風呂は岩風呂だったが、この貸切の方は檜の浴槽だった。大人が4人ほど入れる大きさだ。

「恥ずかしいから、先に入っていて・・・」と、祐子は頬を染めて外を見に行き、その間に俺は浴衣を脱いで、酒を乗せたお盆を持って浴槽に入った。

 檜のいい香りがし、熱めの湯も気持ちいい。見上げると、夜空にはシュガーポットをひっくり返したような星空が広がっている。

「いい湯だよ」と祐子に声をかける。脱衣場で祐子は背中を向けて浴衣の帯を解き、肩から浴衣を滑り落とすようにして脱いだ。その仕草だけでもたまらなく色っぽいが、浴衣を脱いだ祐子の裸身はそれ以上にセクシーで魅力的なものだった。きれいに背筋の窪んだ滑らかな白い背中、見事な腰のくびれから張りのあるヒップ、スラリと伸びた脚へと続くラインは変わっていなかった。

 タオルを体の前に当てて振り向き、こちらに歩いてくる。薄暗い露天風呂の灯りの中で、祐子の白い肌は光るようだった。

「変わらないね。見事なプロポーションだ」

「あんまり見ないで・・・恥ずかしいわ」

 そう言いながら、祐子は湯船に入ってきた。熱い湯の中で手足を伸ばし、空を見上げる。

「うーん・・・気持ちいいわ・・・すごい星空ね。きれい・・・」

「東京じゃ見られないからな、こんなのは」

 しばらく星空を見上げたあと、祐子は俺に視線を戻した。

「あなたも変わらず、ステキな体ね。空手もまだ続けているんでしょ?」

「体と精神は鍛えておかないとね。どっちも油断すると、あっと言う間に弛んでしまうからな」

「フフッ、言うことも相変わらずね」

 俺は地酒を入れた冷酒器と猪口を乗せたお盆を浮かべ、二人の間に漂わせた。祐子が楽しそうに笑う。

「これってよく見るんだけど、実際にやる機会って、なかなかないのよね」

 二つの猪口に酒を注ぎ、乾杯した。星空を眺めながら積もる話などをし、杯を重ねる。

 熱い湯の中で、ちょうどいいほろ酔い気分だった。

「フフッ、何だか不思議。7年ぶりに会ったのに、当たり前みたいに一緒にお風呂に入っているなんて」

「お互い、とても帰ってから話せることじゃないな」

「こういうのを、ダブル不倫って言うのかしら・・・あなたとは、最初から不倫みたいなものだったけど」

「不倫ってことは、お風呂だけでは済まないってことかな」

「どうかしら。あなたはお風呂だけで済ませられる?」

「子供じゃあるまいし、いい大人同士なんだ。山の中の温泉に来て、こんないい女と二人きりで酒を飲みながら露天風呂に入って、それでおしまいにできるなら、俺は帰ってから診てもらうよ。おいしいごちそうを目の前にして、手が出ないんです。病気でしょうかってね」

「フフッ、まだおいしいごちそうかしら。とっくに賞味期限が過ぎていたりして」

「いや、果物に例えれば、完全に熟して甘い蜜がたっぷり、ってところかな。ステーキの肉なら、ほどよくエイジングして、まさに焼き頃食べ頃ってやつだ」

「ウフフフ、変な例え」

「大丈夫。俺は目の前のごちそうがどれほどおいしいか、よく知っているんだ・・・祐子なら・・・ステーキにするより・・・そうだな、踊り食いが一番かな・・・」

「・・・もう・・・バカね・・・酔ったんじゃないの?・・・」と、祐子が笑う。

「アペリティフで酔うほど、弱くないさ・・・最高のメインディッシュが目の前にあるんだ」

 湯の中を、祐子の隣に移動した。肩に手を回すと、祐子は俺にもたれかかるようにしてきた。

 そのまま祐子を抱き寄せ、唇を重ねた。祐子は俺の首に両腕を回し、唇を割って舌を絡めてくる。祐子が体の前に当てていたタオルが湯の中に流れていく。俺も祐子の裸身を抱き締め、さらに濃厚に舌を絡ませ合う。

「ああ・・・もう・・・ねえ、お部屋に戻りましょう・・・」

 祐子が上気した顔で、低く囁く。上気しているのは、温泉や酒のせいだけではないようだ。

 部屋に戻る間、俺も祐子も無言だった。俺は片手で祐子の肩を抱き、祐子はぴったりと寄り添っていた。

 7年前の、あの渋谷の夜と同じだった。

 

To be continue




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