シナリオの構造

この記事はかなり古い(1998年かその頃)に書いたもので現在の考えと異なる部分があります。特にシナリオ構造の重要性を起承転結に持って行っているのは考えが甘いと言わざるを得ません。しかし、シナリオの二重構造がポイントになるというのはその後に書いたシナリオ(背景)自動生成でも重要なポイントになっており、有用な部分もあります。

追記

はじめに

TRPGのシナリオを作るのは結構面倒くさい作業である(少なくとも私にとっては)。しかも、マスターをやる以上はそれなりの責任も感じるし、自分にもプライドがあるからよいシナリオ、おもしろいシナリオを書こうと思う。すると、更に面倒になる。しかし、おもしろいシナリオというものに何らかのパターンがあればシナリオの作成はかなり楽な作業になるのではないだろうか。

実際、私はおもしろい(ウケる)シナリオにはそれなりのパターンがあると思う。TRPGのシナリオづくりよりも遙かに労力を要し(すると思う)、その道のプロが書く(ような)小説であってもベストセラーには一定のパターンがあると言われたりするのである。それよりは明らかに素人が作り、小説ほど複雑ではないTRPGのシナリオには当然パターンがあるはずである。

なお、この文章は出来れば楽をしてシナリオを作りたいと思っている著者の考えを整理するための目的で書かれている部分が多いのでその旨をご了承いただきたい。

おもしろいシナリオ

一般的には

まず、一般的に言われるよいシナリオとはどういうものだろうか? いや、それよりもよいシナリオの最低限の条件とは何であろうか。それは、次のようなものであると思う。

一本道でないこと。つまり、分岐点の多いシナリオであること。すなわち、キャラクターにより多くの選択肢のあるシナリオであること。

言い換えるならキャラクターがより自由に動けるシナリオであろう。

しかし

これを満たしたシナリオが高い割合でおもしろいだろうか。私の経験では(自分がマスターであった場合、プレイヤーであった場合ともに)この条件を満たしただけではあまりおもしろいシナリオにはなり得ないことが多かったと思う。

何故だろうか。選択肢が多いシナリオというのは何をしてよいのかが分かりづらい場合が多い。そして、その選択肢の多さというのがシナリオの進行に必要な情報収集のためのものである場合が多い。場合によっては当面の目的を探すためにこのようなことをしていることすらある。確かに、自由に動けることは動けるのだが全体にメリハリが無くだれてくることが多い。そして、プレイヤー側からすると延々と作業を繰り返しただけという印象を持つことが多い。

つまり、選択肢の多い、自由度の高いシナリオというのはおもしろいシナリオの最も重要な条件ではないのではないのだろうか。

それでは

では、おもしろかったと思えるのはどの様なときであろうか?

私の場合は、自分で(自分のキャラクターが)シナリオにおいて重要な決断をした、というときの場合が多いと思う。そして、この決断によってシナリオの流れが大きく方向転換しているか、大きく方法転換する可能性があった場合が多い。

シナリオの構造を解析してみる

単純な解析

まず、これらのことについてシナリオの構造という面から解析してみようと思う。先に出てきた2つの例のシナリオの構造に当てはめてみよう。

まず、最初のあまりおもしろいとは思えないというものの場合シナリオの構造は次のようになる。

シナリオの導入 → 途中経過 → 結果

この構造は途中でどれだけ細かな設定があろうとも非常に単純な、依頼を受けてモンスターを退治しにゆくだけというシナリオと同じである。これに対して、おもしろかったと思えることが多いようなシナリオというのは次のような構造を取る。

シナリオの導入 → 序盤の経過 → シナリオの転換期 → 後半の経過 → 結果

もっと複雑な場合もあるだろうが、基本的にはこの構造を踏襲するはずである。そして、プレイヤー(キャラクター)がシナリオ上で重要な決断を行うのがシナリオの転換期である。これらの構造をもっと一般的な言い方にすると起承結であるか起承転結であるかと言うことになる。この2つのタイプの違いは転の部分があるか無いかという点である。この転に当たる部分がプレイヤー(キャラクター)にシナリオにおいての重大な決断を要求する部分である。そして、この部分が存在することによってシナリオはドラマ性と複雑さを非常に増す。

シナリオの転換期

まず、シナリオの転換期を構成する要素について考えてみる。

これは、基本的にシナリオの2重(もしくはそれ以上の)構造によって成り立つ。普通、シナリオではキャラクター達をとりあえず動かすためにシナリオの導入部分で何らかの目的を与える。最初の目的とはシナリオでは一番最初に持ち込まれた依頼、押しつけられた仕事、巻き込まれた事件などである。これがシナリオの2重構造のうちの一つである。

それに対して、シナリオの転換期ではシナリオの本当の目的が明らかになる。この本当の目的というのは最初に与えられた目的を達成するために行動、調査するに従って明らかになってくる最初の目的に隠された真実、キャラクター達に対する嘘、見捨てられない人物、等、これらを明らかにしたり解決したり、助けたりしようとすることである。これがもう一つである。

では、この2つの要素によって何故シナリオの複雑さが増すのであろうか?

最大の理由は、キャラクターの最初の目的に対する最初から持っている情報とゲーム中に集めてきた情報がきちんと一致しないからである。そのため、情報集めの中盤に至るまで謎がどんどん増え続ける。これによって、実際は方向の違う2つの要素だけからなるシナリオであってもその全てを知らないプレイヤーにとっては非常に複雑なシナリオとしてとらえられるのである。

また、目的を達成するために集めてきた情報が予想と異なるためキャラクター達は更に情報を集めようと行動する。この行動は誰から強制されるわけでもなくキャラクターが求め、プレイヤーが自発的、積極的に求めて行われるものであるためプレイヤーには自分で問題を発見し、それを解決するために努力したという満足感を与える要素になる。

しかし、自分で見つけだした新たな目的を選択することによって以前に勝るリスクを背負い込むことにもなるはずである。例えば、依頼主を裏切ったり、もらえるはずの報酬がもらえなくなったりというように。しかし、たいていの場合プレイヤーはその新しい目的を選択することになる。なぜならば、自分たちで見つけだした目的にはその時点で自分たちを納得させる十分な理由があるからである。いや、正確には最初の目的と比較して自分たちで見つけだした新たな目的の方がより満足できるものであるからである。

このリスクを背負いながらも新たな目的に身を投じるという点にキャラクターとしての(同時にプレイヤーとしての)葛藤があり、そこに決断とドラマ性が生まれるのである。

そして、結果的にプレイヤーが満足できるような成果が得られた場合にセッションに満足するのではないだろうか。今まででてこなかったが、この満足できる結果が得られると言うのは重要な点であると思う。ひたすら損を出し続けた、というような結果に終わってしまったときにはプレイヤーには不満が残ってしまうはずである。それでは、マスターから見てシナリオが美しく終わったとしてもセッションとしては画竜点睛を欠くということになる。キャラクターが使ったもの(一番は金銭であろうが)はある程度補填してやる必要がある。金銭であれば使った額がよほど大きくない限り少し利益がでる程度に何らかの理由を付けて与えてやれば(別にシナリオの最後に誰かから与えなくても良い、どこかで見つけた一寸した美術品などを売りさばいたらそれなりの金になったとかでも良いだろう)裏切ってしまった最初の依頼などで得られたはずの利益に及ばなくてもプレイヤーはそれなりに満足する。金銭で利益を出してやれない場合はそれに変わるものを用意してやる必要がある。例えば、助けた相手が貧乏人で満足な報酬を出せないというのであれば少しばかりの金(なけなしの金をかき集めてきたとか言って)と少しばかりの食料、感謝の言葉と言った具合にである。

それと、経験値というものがあるのならば少し多めに出してやるなどした方がよいだろう。TORGや私の"The Lunatic"の様に経験値をゲーム中に消費するようなルールの場合はゲーム中に消費した分は補填したうえで少し利益があるような与え方をするようにした方がよい。

これらの報酬によってプレイヤーは自分たちの選択は間違っていなかったという確信とその努力が報われたという満足感を得ることが出来るのである。

まとめ

整理すると、プレイヤーがセッション中自分の考えで行動し続け、本当の、そして自分で満足できる目的を発見し、多少の(プレイヤーから見ればかなりの)リスクを背負う選択をしてその目的を達成するためにかなりの努力をした結果それなりに満足のいく見返りをマスターが出してくれたと言うときにプレイヤーはそのシナリオがおもしろかったといえるということである。

追伸

今回はおもしろいと思えるシナリオの構造についてシナリオの全体的な構造まで考察しようと思ってましたが中心的な内容だけでかなりの長さになってしまったのでシナリオ全体の構造についての考察は次の機会にします。

『The Lunatic』