マスターはしんどい

はじめに

 今回の題は何か愚痴っぽい。しかし内容はマスターをするのはしんどいからどうにかしようという話である。

マスターが面倒に思えて来た

 これは私自身の話だが最近はTRPGのマスターをやるのは結構めんどくさいと思っている。最近といってもここ1〜2週間とかいう話ではなく1〜2年くらいの話だ。特に、自分のルール"The Lunatic"のマスターをあまり自分でやらなくなってからはそう思うことが多くなった。
 なぜだろう?

 まぁ、一番の問題は自分がマスターよりもプレイヤーをやりたいからなんだろうけど、それは今も昔も変わっていないはずである。でも、昔はそれほど面倒くさいとも思わなかったし結構楽しんでマスターをやっていた。それどころか、プレイヤーをやっていたときよりもマスターをやっていたときの方が多かったくらいである。
 いや、今でも、マスターをやっているときはいやで仕方ないと言うことはなく、それはそれでおもしろい。特に、シナリオがアクティブに動いているときなどはプレイヤーをやっているときよりもおもしろい
 では、何故今はマスターをやるのに気が乗らなくなったのだろうか?

かつてといま

昔は

 昔はシナリオの中にでてくる仕掛けを考えるのが楽しかった。一番単純にはダンジョンのトラップであるし、大きくなればシナリオ自体が全て仕掛けである。この手のシナリオはプレイヤーを選ばない。誰でも同じように遊べるし、シナリオはプレイヤーのことを想定になくてもいい。どちらかというと考えることは少ないし、プレイヤーのことは考えなくてもいい
 しかし、この手にシナリオではキャラクターは自由に、自分の意志で動けるわけではない(これはマスターがシナリオを語って聞かせるという話ではなくキャラクターはマスターの提示した導入には基本的に従わなくてはならなくて、シナリオの導入に従った後はシナリオで提示されているミッションを達成するために動くと言うことである)。言い換えるならキャラクターはシナリオの中のミッションという檻の中でのみ自由だといってもいい。

いま

 しかし、ダンジョン歩きはもう飽きられた。少なくとも私はダンジョンものをあまりやりたいとは思わない。自分がプレイヤーの時はキャラクターをもっと自由に動かしたいし、マスターをやるときはプレイヤーの操るキャラクターには自分の意志で自由に、人間らしく動いてもらいたい。ダンジョンやそれに類するシナリオではやれることなどたかがしれているし、ほぼパターン化してしまっている。わざわざTRPGでやらなくてもいい。
 それで、なるべく自由に動けるシナリオを構築しようとするようになって、よくやるようになったのが一般的にシティーアドベンチャーと呼ばれるたぐいのものである。このようなシナリオをよくやっていた頃は主にホラーもののTRPGをやっていた。その最初の頃に用いていた手法はダンジョンものをよるときと同じようにシナリオを作るのだがそれをもっと緻密にやるというものだった。つまり、シナリオの道筋を細かくいろいろ想定し、使われるか使われないかわからないがパターンを山のように用意しておくというものである。
 しかし、このような手法ではシナリオを考えるのに時間がかかって仕方ないし無駄が多い。それで、すぐに次のような手法を使うようになった。それは、プレイヤーの性格、行動パターンなどを予測し、それに応じたシナリオの展開というものを用意しておくのである。これは、結構楽にシナリオを作れる。最初の方法に比べて手間は全然かからない。そして、マスターがプレイヤーのことをよく考えているためシナリオの自由度もかなり高い。しかし、この手法はプレイヤーがいつも同じ人間に固定していたから出来たのである。大学に入ってプレイヤーがいつも同じでなく、キャラクターを作ってすぐにプレイを始めるようになるとこのような手段でシナリオを作るのは難しくなった。プレイヤーが予測できないため行動のパターンが予測できないのである。
 そして、次に使うようになったのが導入だけはしっかり考えて、その後はポイントになる出来事だけを決めておき後はセッションの流れ次第、という方法である。この方法でやればプレイヤーがどんな風に変わろうと対応しやすい。登場人物などはだいたい決められているとはいえほとんどがマスターとプレイヤーのアドリブで構築されるため非常にキャラクターの行動の自由度が高い。そして、シナリオを考える時間も少なくてすむ。

現状の問題

 このようにしたらシナリオの自由度を上げつつ、シナリオを考える時間、手間は少なくなってきた。しかし、今度は違う問題がでてくる。それはキャラクターがアクティブに動かないとシナリオが進行しないと言うことである。つまり、プレイヤーは自由に動けるようになった代わりに今まで通用したはずのパターン、シークェンスが通用しなくなってきているのである。
 例えばダンジョンものであればダンジョンに潜ってトラップを探し、扉を開け、敵を倒し、宝箱を手に入れるという作業をしていればシナリオは一応進行できるが、最後のパターンのようになればプレイヤー側に適当なアドリブ、会話が行えないとシナリオは進行しないのである。
 言い換えると、キャラクターが自由に動け、マスターがシナリオを柔軟にそしてシナリオ作成時の手間を省けるようなシナリオになればなるほどシナリオの展開のおもしろさというものはキャラクターの活動度に依存するのである。つまり、今度はマスターはいかにしてキャラクターの行動を引き出すかと言うことに心を砕かなくてはならなくなったと言うことである。

マスターの負荷だけが増えた

 ここまできてマスターをやるのが何故昔より大変だと感じるようになったかがはっきりする。つまり、昔のダンジョン歩きなどでは考える必要のなかったキャラクターをシナリオの中でアクティブに動かすための努力をしなければならなくなったこと、そしてプレイヤーが自分でキャラクターを十分に動かせないときのためにある程度決まったパターンで動けばシナリオが進行するようなシナリオを組まなくてはならないということである。要するにおもしろかったといわれるようなシナリオを外れなしにやるためには昔から必要だったシナリオをタイトに考えてくるという作業の他にキャラクターの(プレイヤーの)興味を引くような話題、情報をシナリオ中に結構な量でかつ不自然でなく配置し、プレイヤーの様子に応じてアドリブでキャラクターを動かせるように引かなくてはならないという準備、セッション中ともにかなりの努力を要するのである。

 それに比べるとプレイヤーは昔とやることは大して変わらない。マスターが提示してきたシナリオにのって話を進めるだけでプレイヤー側からはゲームは成り立つ。また、シナリオで提示されたミッションのみを達成すればよいと思っているプレイヤーも多いはずである。
 つまり、マスターの負担はどんどん重くなっているのにも関わらずプレイヤー側はのほほんとしているのである。TRPGがゲームである以上これは不公平である。マスターもプレイヤーと同等に楽しめなくてはならないし一方的に負担を背負ってはいけないのである。ではどうすればこの不平等を解消できるのであろうか。

なら、どうしたらいいのか

 これは、私の考え方なのだが、プレイヤーがマスターよりな考え方を持つ必要があると思う。これはプレイヤーがマスターの考えてきたシナリオを深読みしてその考え通りに事を運ぶとか、パターンに沿ったいかにもな行動を取るべきだと言うことではない。セッションが始まってからはシナリオを作るのはプレイヤーが動かしているキャラクターであると考えるべきだと言うことである。このように考えるとプレイヤー側でやるべきことがいくつか見えてくる。
 まずは、マスターがシナリオを進行させやすくなるようなキャラクター側の情報の提示である。その一番重要なものはPC-PC間、PC-NPC間の関係の提示であろう。これがはっきりするとマスターとしてはキャラクターが行動を起こすための引きを作りやすい。つまり、シナリオを進行させやすくなるのである。これだけは最低限やっておく必要がある。
 次にはキャラクターとして一貫した考え方と行動を示すことであろうか。なぜならばマスターはキャラクターの行動をある程度予測してキャラクターに情報を与えたり、キャラクターの行動を引く要素を提示したりするのであるからキャラクターが状況ごとに一貫性のない行動をとっていたのではシナリオを進行させにくいのである。
 そして、これが一番重要であると思うのだがキャラクター側からマスターにシナリオの展開を振ってやることである。マスターとしても全てのキャラクターを引きつけるような状況を提示するのは難しい。逆に、キャラクターとしての行動を提示してもらえればそれに対してリアクションすればいいだけなのでシナリオの進行が楽になる。マスター側はシナリオの内容を知っているのだからプレイヤーが提示してきた展開に対して適当なリアクションを返せるはずである。
 要するにプレイヤー側が受け身ではなくポジティブにシナリオに参加するということである。
 プレイヤーがこのような態度でシナリオに参加してくれればマスターとしてはシナリオのだいたいの流れと重要なポイントを決めておくだけでシナリオを展開させられる。非常にやりやすいはずだ。

 これでも、今までよりもマスターをするのは楽になるはずであるが更にマスターとしての負担を減らすためにはどうすればよいだろうか?
 これは私の最近の目標でもあるのだが、シナリオそのものの大半、実際にプレイによって成り立つ部分をプレイヤー側にゆだねてしまうというものである。つまり、マスターはシナリオの導入部分と重要なポイントだけを決めておき(それも大体でよい)あとはプレイヤーの行動に対するリアクションと必要とされる(それがなければ動きようがないと言った)情報の提供だけでセッションを行うのである。極端に言えばプレイヤーに出す情報(謎)には答えを用意してなくてもかまわない。それはプレイヤーの導き出した考え、答えからアレンジして返してやればよいのである。このような方法ではマスターはシナリオにプレイヤーをいかに引き込むかというようなことよりもNPCをプレイすることやプレイヤーの話を聞くことに重点が置かれる。
 これは、今まで普通にやってきた方法がマスター主導のシナリオ展開だとすればキャラクター主導のシナリオ展開だといえる
 ただ、これを行うためにはプレイヤー、マスターともに今までの考え方を少し変える必要がある。つまり、ミッションの達成はシナリオの成功にならず、ミッションの達成は重要な問題ではないということである。理由は、キャラクター側の行動によってシナリオが決定されてゆくためマスターの思惑とは展開が異なることが非常に多くなるはずであるからである。そして、マスターもシナリオの構築をキャラクターにゆだねた以上その結果を受け入れなくてはならない(シナリオの失敗だとはいえない)のである。おそらく、セッションの成功失敗を判断する唯一の基準はそのセッションがおもしろかったか否かだけによるようになるのではないだろうか?しかし、それはTRPGが参加したものみんなで楽しむものである以上最も重要かつ根元的な目標であると思う。

追伸

 この文章は前回の「パーティーを捨てよう」と対になっている。「パーティーを捨てよう」はプレイヤー側からの視点であったが今回の「マスターはしんどい」はマスター側からの視点で書き出したものである。


『The Lunatic』