キャラクターの設定

はじめに

今回は何故キャラクターの設定を考えるのかということについて考えてみようとおもう。

ここで言う、キャラクター設定とは能力値とか技能の数値とかHP、MPといったルール的に決められる部分ではない部分、一般的にプロフィールとかその他の設定とか言う部分についてである。

なぜ、キャラクターの設定が必要か?

何故、TRPGのキャラクターに関してそのキャラクターの過去とか性格を考えておくことが推奨されることが多いのだろうか?

マスターがキャラクターを誘導するときに使えたり、シナリオに絡められるから。

キャラクターが人間らしくなるから。

考えた分だけキャラクターに愛着がわくから。

まぁ、そういう部分はもちろん考えられる。しかし、一番重要なのはキャラクターの行動を制限できるという点にあると思う。

何でも出来ることが売りのTRPGにおいてキャラクターの行動を制限できることがポイントとは「これは奇怪なことを」と思うかもしれない。しかし、本当に何の制限もなかったらどうだろう? これは何もできないのと同じことである。

実際の世界でもいくらでも金は自由になるし何をしてもいいという状況だったとしよう。しかし、何をしてもいいにも関わらず何の趣味も、何の目的も、何か守らなくてはいけないものも、しなくてはならないこともなかったとしたら何もできなくなってしまう。しかし、現実にはそんなことはない。われわれにはしなくてはいけないことはあるし、好きなことや嫌いなこともある。もちろん趣味だって持っているし、何かしら譲れないものだってる。だから、行動できるのである。

つまり、こういったものは自分たちの行動を制限してはいるが同時に自分にとっての判断基準であったり拠り所であったりする訳だ。そして、こういったものは今まで生きてきた中で培われてきたものだ。つまり、過去の資産である。

しかし、TRPGのキャラクターには過去がない。いきなり16才とか20才で生まれてくるのである。だから、普通の人間が持っている自分だけの判断基準というものがない

更に、TRPGのキャラクターは本質的にプレイヤーではない。だから、判断基準がないと普通はしないような無茶をすることもできる。無茶でなくてもお前は二重人格か三重人格か? と思えるような行動をとったりする。キャラクターを動かすのはプレイヤーでプレイヤーにはそれなりの過去があってその過去のある人がキャラクターを動かしているから大丈夫じゃない? と思うかもしれないがそんなことはない。プレイヤーはキャラクターをより有利に動かしたいし、キャラクターの知らないようなことももちろん知っているし、キャラクターがどのくらい強くて相手がどれだけ弱いか(強いか)という普通わからないようなことまでわかっている。それに、自分じゃないから自分ならイヤだなと思うようなこともキャラクターにやらせるなら結構平気だ。特に自分自身じゃないから別にいいやというのはかなり非道い話である。キャラクターはTRPGにおける自分の分身なのにねぇ。

しかし、キャラクターの設定を考えてやればそんなことはなくなってくるのではないだろうか。このキャラクターはこういうことが好きでああいうことは嫌い。昔これこれこういうことがあったからそれと似たようなことは見過ごせない(関わりたくない)という風にキャラクターの行動の指針が出来る。そうすれば、プレイヤーはキャラクターに場面場面で一貫しない行動はとらせられなくなる。そしてこのような行動における一貫性というものはキャラクターはより人間らしいものに出来るし、判断に迷うようなことがあるときにはキャラクターの設定に従えばいいと言うことになる。

最初に少し書いた「設定がしっかりしているとマスターがキャラクターを引きやすい」とか「シナリオソースに出来る」というのもプレイヤーがキャラクターの設定を尊重して行動するからそういうことが出来るのである。

キャラクターの設定は良い事ばかりには通じない

ここまでの話でキャラクターの設定というものはキャラクターの行動を制限するが同時に考え方や行動の方向性を提供する(正確には出来ないことや、やらないことを決めるのだが)ものであるということがわかると思う。そして、それはプレイヤーにとっては判断基準が少ないときなどの行動の指針になることからシナリオが停滞しそうなときにキャラクターを行動させる要素となり得るし、マスター側から見ればキャラクターを積極的にシナリオに参加させるための材料とすることが出来る。

しかし、キャラクターの設定というものはそういいことばかりを提供するものでもないのは実際のセッションをやってみれば簡単に判明する。その、いいことばかりでないことの最も代表的なものは「このキャラクターはこういう設定だからそういう行動はとらない」といって決して譲ることのないプレイヤーの態度である。今まで述べてきたように設定というものはキャラクターの行動を制限する要素であるのだからそういう面を持つのは確かではあるのだが・・・。

少し代表的な例について考えてみよう。例えば、孤独を好むという設定のキャラクターがいたとしよう。そして、このキャラクターのプレイヤーがその孤独を好むという設定を主張しすぎたために他のキャラクターと知り合うことなくセッションを終えた、というのは十分考えられることである。

こらは誰に責任があると考えられるだろうか。キャラクター同士を引き合わせるために十分な努力をしなかったマスターだろうか。それとも、そのキャラクターを仲間にしようとしなかった他のプレイヤーだろうか。もちろんそれらにも責任がある可能性はある。しかしほとんどの場合一番何もしなかったのは孤独を好むという設定を持ったキャラクターのプレイヤーであろう。

おそらく、マスターにしてみれば孤独を好むという設定のキャラクターと他のキャラクターを同じ場面に登場させると言うことは2、3回はやっているだろうし、そういう場面では他のキャラクターはその孤独を好むという設定のキャラクターに声をかけるなどの何らかのアクションはしていると思う。つまり、孤独を好むというキャラクターが他のキャラクターと絡めなかった理由の大半は自分でそれを拒否し続けたからと言う可能性が最も高いのである。

このような行動というものは適切な行動なのだろうか? 当然適切ではないことは明白である。では、何が適切ではないのだろうか。TRPGにはキャラクターの設定以前に重視すべきことがあるはずである。そのうちの一つが仲間同士協力すると言うことであろう。べつに、四六時中一緒にいたりしろと言うことではない。しかし、なれ合うのがイヤだと言っても最低限やっておかなくてはいけないことがあるはずだ。一つは他のプレイヤーのキャラクターと知り合っておくこと。もう一つは協力しなくてはいけないときには協力することである。協力しなくてはいけないと言うのはプレイヤーレベルの話に思えるかもしれない。しかし、これはキャラクターレベルの話でもある。

上の例ではこの理由に完全に反しているが、そのほかの「キャラクターの設定が〜だから…出来ない」というのもほとんど上記の2つの大前提のいずれか(二つ目の場合が多いかな?)に反しているはずである。

では、なぜ上記のような前提が成り立つのであろうか?まず、キャラクターは一人で冒険にでるには力不足である(ゲームやシナリオによっては作戦の遂行、なども同様)。そして、その仲間になり得るような人間は滅多に存在しない、つまり選り好みできない。

一つ目の理由は世界設定によるだろうが“冒険”というものが成り立つ世界なら大抵成立するはずである。2つ目は少し考えれば判明する。冒険者のような人間が人口の0.1%もいるような世界はかなりおかしいのだから。要するに危険な世界で生きてゆきたければ仲間と知り合って協力せざる得ないと言うことである。同様に仲間を裏切ったりするようなことは基本的にあり得ない(命を懸けなければならないような状況で一度でも仲間を裏切ったことのあるような人間は二度と信用されないだろう)と言うことになる。

要するに、「キャラクターの設定が〜だから…できない」というのはたいていの場合、特にそれが状況的に切迫していたり、シナリオの展開で何とかしなくてはならないような場合はプレイヤーの考えが足らないか、我が儘であるということである。

現実の生活を考えてみれば簡単な話である。

結論

それで、結論としてはこういうことになる。

『The Lunatic』