TRPGの目的

初版

「TRPGの目標(目的)はGMとPLが楽しい時間を共有すること」、「TRPGの目標(目的)はGMとPLが協力して一つの物語を作ること」の様に言われたりルールブックに書かれていることは多いと思う。それから「TRPGには勝ち負けはない」と言うのもよくあって先ほどの文言の一緒に書かれていたりする。実際、Webで「TRPGの勝敗」とか検索するとこの3つの文言で説明しているサイトはいっぱいヒットする。

これは本当に正しいだろうか? 僕は正しくないと思うのでそれについて書いてみようと思う。

よくある文言

まずは「TRPGの目標(目的)はGMとPLが楽しい時間を共有すること」について考えてみる。この"TRPG"を何か別のゲーム、"GMとPL"を参加者に置き換えてみよう。

例えば、

「サッカーの目標(目的)は参加者が楽しい時間を共有すること」

「将棋の目標(目的)は参加者が楽しい時間を共有すること」

「麻雀の目標(目的)は参加者が楽しい時間を共有すること」

"TRPG"の部分をどんなゲームに置き換えても成立する。はっきり言って「参加者が楽しい時間を共有すること」は何らかのゲームの目標(目的)以前の大前提だ。

次、「TRPGの目標(目的)はGMとPLが協力して一つの物語を作ること」だが、こういう言葉を聞いたことがあると思う。

「野球は筋書きのないドラマだ」

これ、"野球"をサッカーに変えても囲碁に変えても他のどんなゲームに変えても成立する。言ってしまえば、どんなゲームでもドラマチックな、物語にできるような展開になり得る。だから野球もサッカーも囲碁も漫画の題材になっているのだ。しかし、野球もサッカーも囲碁もドラマを作るためにプレーしているわけではない。一生懸命プレーした結果がドラマになるのだ。因果関係が逆だ。ちょっと待てよ。囲碁や将棋に詳しい人なら棋士はタイトル戦とかのインタビューで「美しい棋譜を残すことが目的です」とか言うじゃないか、と思うかもしれない。これも因果関係は逆だ。精一杯やった結果が美しい棋譜になり得るのだ。

TRPGもこれと同じではないか? GMもPLも精一杯プレーした結果がシナリオで想定した以上の物語になり得るのであって、最初から物語を作ることを目的としていると言うのは因果関係が逆だと思う。

「TRPGの目標(目的)はGMとPLが楽しい時間を共有すること」や「TRPGの目標(目的)はGMとPLが協力して一つの物語を作ること」と言うのはゲーム一般で成立することに過ぎない。TRPG固有の目的ではない。

TRPGのシステムは目的を持たない

ちょっと凄いタイトルがついている。順番を追って説明して行こう。

まず、TRPG以外のゲームの目的を挙げてみよう。

サッカーの目的は前後半90分の間に相手チームより1点でも多く得点することだ。

野球の目的は各9回の攻撃の間に相手チームより1点でも多く得点することだ。

将棋の目的は相手の玉を先に詰ませることだ。

囲碁の目的は相手よりも1目でも多く地を確保することだ。

さて、TRPGにはこう言う感じの目的はあるだろうか。TRPGのセッションごとには目的がある。しかし、TRPGのルールブックにはどこにもこう言った目的は存在しない。この文章を読んでいる人にはこんなこと説明するまでも無いだろう。TRPGでセッションの目的を提供するのはシナリオだ。ルールブックじゃ無い。

TRPGと言うやつはゲームの目的やそれを達成するための障害をシナリオにオフロードしている。TRPGのルールブックは不完全なゲーム、といよりも、ゲームのために必要な道具類と共通の規則を集めた基盤、ライブラリ、フレームワーク、そう言った類のものだ。だからルールブックにはそのシステムの目的を明示できない。書くならこう書くべきだろう。

(システム名)のセッションの目的はシナリオごとに決められます。プレイヤーは自分のキャラクターを通してその目的を達成するために行動します。

念の為書いておくが「TRPGのシステムがゲームとして不完全」だからと言ってそれが他のゲーム(サッカーや野球、囲碁、将棋、麻雀、etc)に劣ると言っているわけでは無い。TRPGはセッションの目的をシナリオにオフロードすることでゲームとしての柔軟性を獲得したのだ。これは特徴であって良いか悪いか、優れているか劣っているか、と言うことではない。

TRPGにおける勝利

もう一つ「TRPGには勝ち負けはない」について考えてみる。

シナリオの目的達成=勝利?

単純に考えてサッカーとか野球とか囲碁将棋の場合、目的達成=勝利で良いと思う。こういう古典的なゲーム以外はどうだろう。

MtGの場合勝利条件はいくつかある(相手のライフを0にする、ライブラリアウトにする。カードの効果で決められる場合もある)が、どれかの条件を満たせば勝利でそれが目的だ。

もう一つTRPGの直接の祖先とされているウォーゲームはどうだろう。これはやったことがないのでWikipediaを頼る。下に引用しておくが、MtGと同じくなんらかの勝利条件を満たせば勝利でそれが目的だ。

ゲームの終了と勝利条件

コンピューター・ウォー・シミュレーションゲームでは勝利条件を満たせばプレイ終了となることが多い。ボードゲームでは普通、規定のターン数プレイしたら、そこでプレイは終了となり、定められた勝利条件に従って勝敗を判定する。ある条件を満たしてしまったら規定のターン数に達していなくても終了となる(サドンデス方式)場合もあるし、コンピューターゲームのように勝利するまで続ける場合もある。

概要でも述べた通り、勝利条件はさまざまであり、かつ(特に歴史上の戦いを扱ったボードゲームの場合は)それぞれの陣営について別の条件が定められているのが普通である。これは、歴史上の戦いでは双方が互角の兵力を有することはほとんどなく、大抵は、防御している陣営に対し別の陣営が大軍で攻撃をかけるというシチュエーションになっているからである。そのため、守勢側の陣営はある拠点を守りきれば勝利、攻勢側の陣営はある拠点を占領すれば勝利、などとなっているものが多い。

これを書いて一つ気づいた。正確に書くと、「勝利条件達成 → 勝利 → 目的達成」だ。もう少し補足しながら文章で書くとこうだ。

ゲームの目的は勝利することである。

勝利は勝利条件の達成によって確定する。

ゲームのプレイヤーは勝利条件の達成を目指してプレイする。

TRPGの場合はどうだろう。大抵こんな感じの目的が設定される。

  • 悪役のNPCやモンスターを倒す、捕らえる
  • NPCを救出する
  • どこかに到達する
  • 何か物品を持って帰る

これらの目的を先の考えに従って厳密にいうなら、これらはシナリオの勝利条件だろう。とするとMtGやウォーゲームと同じく勝利条件は場合によって変わるが「勝利条件達成 → 勝利 → 目的達成」で問題ないと言える。

ということはTRPGには勝利がある。勝利があるなら敗北もあるので、勝敗もある、ということになる。が、ちょっと待てよ。TRPGではシナリオで設定された勝利条件を満たしてとして何に勝ったんだ? その上、TRPGのセッションでは勝利条件を達成できることが普通で失敗っていうのはほとんどない。これは勝敗と言って良いのか?

TRPGをやったことがあるなら誰もが知っている。TRPGではPL同士は競争相手では無い。GMとPLでも勝敗を競わない。再検証しないが、GMはセッションの審判でもあるという一事を取っても明らかだ。審判が敵では勝負が成立しない。つまり、誰に勝つことも負けることもない*

僕はシナリオがセッションの目的や障害を定めると書いた。プレイヤーの勝負の相手をセッション中の障害に求め、目的を達成できたら勝ち、できなかったら負けとするのはどうだろう。一見これは成立しそうだしそう考えても問題なさそうに感じるが、よくよく考えるとこれもおかしい。TRPGでは勝負に勝つ(=目的を達成できる)割合が高すぎる*。ほとんどの場合に勝てる勝負など勝負ではない。

適当な言葉が見つからないが「審査」とか「評価」あたりがこの感覚に近い。具体例を挙げるなら高校の進級がよく似ていると思う。一応、障害(定期試験)はあるが落第の基準はかなり低い位置に設定されている。この手の審査には司法試験とかとても難しいものもある。ボーダーラインは評価を行う側で任意に設定できる。この辺りもTRPGのシナリオ(と実際にセッション)に似ている。

つまり、TRPGの目的達成がこう言うものであればほとんどの場合に目的達成ということになってもおかしくない。TRPGではシナリオ中の障害(もちろんPLやGMも)と勝敗を競うのではなく、シナリオ中の障害をうまくクリアして目的を達成したかどうかを「審査」とか「評価」しているのだと考えた方が適当に思える。

本当は「TRPGには勝ち負けはない」を否定しようと思ったのに肯定することになってしまった。

*誰に勝つことも負けることもない

『トーキョ NOVA THE AXLERATION』(もっと古い版からかも)には「あえてこのRPGの勝敗を求めるとしたら、勝者は、より経験値を多く稼いだ者である」と書いてある。しかし、『トーキョ NOVA』の経験値獲得ルールでは僕がここまでで書いてきたような"勝敗"をつける意味では十分に機能しない。シナリオの目的を達したのは基本プレイヤー全員に与えられるので差がつかない。神業を有効に使用した、シーンに登場したは差をつけるかもしれないが機会平等であればおそらく差がつかない。それ以外の項目は「TRPGにおけるゲームの目的はシナリオが定義し、勝利することによってそれを達成できる」に寄与しない。例えば、他のゲーム(サッカーとか囲碁とか)で試合の外でやったこと(例えばイラストやリプレイを書いた)は勝敗の要素としてなんら評価されない。それで勝ち負けを決したとしてもそれはいわゆるゲームの勝敗ではないと思う。そもそも『トーキョー NOVA』をはじめとするこの手の経験値システムはプレイ環境をよくする(マナー違反や天邪鬼なプレイを抑制する)という目的のためでそれを勝敗に結びつけるのは違うと思う。

しかし、「より経験値を稼いだものが勝ち」のような考え方には可能性がある。もしかしたらTRPGに明確な勝利条件を導入できるかもしれない。その結果、「TRPGのゲームとしての目的はシナリオが定義する」が違うということになるかもしれないが、それはそれで良い。その時は僕が考え方を変える。

*TRPGではほとんどのシナリオで目的を達成できる

TRPGではほとんどの場合、1つのシナリオを同じメンバーでやり直さない。やり直してはいけない理由はないが、シナリオで起ることの一部を知った状態では面白さが失われるため、失敗に終わった(目的を達成できなかった)シナリオはやり直さない(ことが多い)。もう一つの理由としてキャラクターの継続性がある。キャラクターが死んでいないなら時間を巻き戻すことはできないから同じシナリオはやり直せない(ダンジョンハックのようなシナリオは別)。

冒険の失敗(目的を達成できなかった)場合、その多くはシナリオの途中で終わることになる。これはシナリオを考えた(購入した)GMにとっては困る。使っていない部分が無駄になるからだ。自作なら再利用できるがそのためには別のシナリオに組み込まなければならない。トラップなどであれば再利用は容易だがNPCに関わるイベントなどは全くの無駄になる可能性が高い。つまり、冒険の失敗率を高くするとGMの作業に大量の無駄が出ることになる。ただでさえGMは負担が大きいのだからこれを避けたくなるのは当然で、そうするとセッション運営としてもよほどのことがない限り冒険成功へと導きたくなる。

GMにとっての勝敗

先ほどの話はPLについての話に終始した。なのでGMについても考えてみる(書く前から結論は出ている様なものだが)。GMと一言で言うもののGMの役割はPLよりずっと多い。なのでGMの役割を細分化し、それごとに勝敗の有無、あるならばどう言う時に勝利(敗北)と言えるのかを考えてみる。

シナリオ作成者

シナリオはGM自身が作成しないこともあるが、GMが作成することも多い。先ほど書いた通りシナリオが定義する障害や達成目標は勝負のためのものではない。シナリオ作成者(と言うよりシナリオ)に求められるのは想定するプレイヤー(キャラクター)に与えるべき目的の設定とその目的達成の適切な障害の提供、目標の達成度合いの評価基準の設定だ。よってシナリオ作成者には勝敗はない。

審判

セッション中のGMの重要な役割は審判だ。当然審判は自分の勝敗を求めてはいけない。審判に求められるのは中立性と公正性だ。

語り部

ちょっと格好の良い言葉を使ってみた。シナリオ作成者と語り部の違いはシナリオの設計者と運用者の違いだ。また、語り部はセッションのマネージャだ。なのでセッションを適切にマネージメント*する必要があるし、その権限を持つ。マネージャがそのマネージメント対象(PL)と勝負したらダメだ。

仮想プレイヤー

GMはNPCやモンスターをプレイする必要もある。語り部の役割の一部とも考えられるがサブマスターに役割をオフロードすることもできるので分けた。これはPLと勝敗を競える役割にも見えるが現実には違うだろう。味方や中立のNPCはPL(PC)と勝敗を競わないので敵だけを考えるが、敵はシナリオにおける障害だ。PCを打ち倒すのではなく、PCを適当に困らせるのが目的だ。なので勝敗を競う様なフリをするが実際はそうではないと言うのが本当のところだろう。

色々書いたが、GMには勝敗はない。そもそも、GMはセッションにおいて絶大な権限を持っているから何があっても自分の勝ちにできてしまう。そんな役割を持つものが勝敗を求めてはいけない。

*マネージメント

セッションの運営、管理の意味で「マネージメント」と言う言葉を使った。これは「運営、管理」がどちらかと言うと、失敗しないようにすること、のニュアンスが強いように感じたからである。ここで言うマネージメントは「プロジェクトのマネージメント」と同じような意味でのマネージメントだ。失敗しないように努力するのはもちろんだがより良い方向に向かうように努力すること、反対にもはや回復できないような状態に陥ったなら打ち切りの決断をする、と言うようなことも含んでいる。

TRPGはゲームなのか?

GMにもPLにも勝敗はないので、TRPGに勝敗はないということになった。そうすると別の疑問が出てくる。勝敗を競わないTRPGと言うものはそもそもゲームなのか? もしゲームでないと言うことになったら最初の方で否定した「TRPGの目標(目的)はGMとPLが協力して一つの物語を作ること」は再検討する必要がある。例えば、TRPGがゲームではなく創作ツールなら「TRPGの目標(目的)はGMとPLが協力して一つの物語を作ること」は十分に意味がある。

ゲームかどうかを議論するならゲームの定義が欲しい。自分では定義できないのでWikipediaを頼った。「ゲームの定義」をみると唯一の定義はないので、挙げられているものからそれぞれの結論だけを引用する。ウィトゲンシュタインは定義を示していないので省く。

カイヨワ

楽しみのために行なわれること、時間と場所が区切られていること、勝敗が不確定であること、何かを生産するものではないこと、ルールに支配されること、現実の活動から意識的に切り離されていることをゲームの参加者が知っていること

コスティキャン

充分な情報の下に行われた意思決定 (decision making)をもって、プレイヤーが与えられた資源を管理 (managing resources)しつつ自ら参加し、立ちはだかる障害物を乗り越えて目標 (goals)達成を目指す

クロフォード

遊ぶアクティブなエージェントとの、互いに干渉できるインタラクティブでゴール指向の活動

JUNZO

ゲームとは目的を達成する為のルールに基づいた敵との楽しい闘い

「目的」「ルール」「敵」がゲームの三大要素

勝敗について言及しているのはカイヨワだけだ。多数決で決めるとか言うのは如何かと思うが3:1で勝敗はゲームの必須条件ではない。そしてカイヨワ以外は目的(goal)の達成を目指すことを要件に挙げている。と言うことは私の考察ではTRPGはゲームだと言うことになる。

正直、TRPGはゲームではないと言う結論にならなくてよかったと思う。

まとめ

最初に書いたことに対して結論をまとめる。

TRPGの説明で「TRPGの目標(目的)はGMとPLが楽しい時間を共有すること」とか「TRPGの目標(目的)はGMとPLが協力して一つの物語を作ること」とか書かれていることは多い。が。それは違う。「楽しい時間を共有すること」と言うのはTRPGに限らずゲーム一般の大前提だ。どんなゲームでもその過程がドラマになることはある。TRPGでもそれは同じで「プレイ結果が物語になる」のであって「物語を作るためにプレイする」のではない。

「TRPGに勝敗は無い」と言うのは僕の予想に反して多分正しい。そしてゲームに必要なのは目的(goal)であって勝敗では無い。TRPGの目的(goal)は勝敗では無い。TRPGはシステム(ルールブック)+シナリオで初めてゲームとして成立する。そしてTRPGの目的(goal)を示すのはシナリオだ。

本書の結論として私の考えるTRPGとは次のようになる。

TRPGとは
  1. プレイヤー(達)が自分のキャラクターを通してシナリオが定義した目的の達成を目指すゲームである。
  2. マスターはシステム(ルールブック)とシナリオに基づいてゲームプレイをマネージメントする。
  3. マスターは必要な情報をプレイヤーに伝え、それに応じてプレイヤーがキャラクターの行動を決定することの繰り返しでゲームプレイは進行する。
  4. シナリオはゲームプレイの目的(goal)とそれに至るために必要な資源や情報とその取得方法、障害とその解決方法、背景となる物語を定義する。
  5. システム(ルールブック)はゲーム運営の基準(成否の判断やパラメータの増減、キャラクターの状態の判断)とゲームで使用する各種データを提供する。

「4. シナリオ」と「5. システム(ルールブック)」には足りない部分があるかもしれないが、うまくいっているのではないか? 僕が所有しているTRPGのシステムでこれに当てはまらないものはちょっと思いつかない。もしかすると、これはTRPGの定義として成立しているんじゃ無いか? 何か当初考えていたことよりもすごいことを成し遂げた気がする。

『The Lunatic』