7月15日(木)
 真島氏はパリ在住の弟さんの家族に挨拶にいくということで、今日もまたまた一日自由行動ということに。私はエッフェル塔方面に出かけてみることにした。
 エッフェル塔は我々のアパートからもそう遠くないところにあるので、歩いて行く。夏の太陽に照らされて輝くアンヴァリッドの金色のドームを右手に見送り、陸軍士官学校の横を横切ると、そこはエッフェル塔に連なる広大なジャン・ド・マルス公園だ。延々と広がる芝生庭園には家族連れやカップル、いろいろな人が思い思いの姿でくつろいでいる。なかには、水着姿の若い女性の姿もあって目のやり場に困ってしまう……などと言いつつもしっかりとカメラのシャッターを押す私だった(クリックしても拡大しません)
 そうこうしているうちにエッフェル塔の真下まで来てしまった。パリ祭の翌日ということもあってか、エッフェル塔に登ろうとする観光客の列がそれぞれの入場口から延々と続いていて、まるで蛇があちこちでとぐろを巻いているようだ。塔の周りの駐車場は大型観光バスで埋め尽くされている。人混みの中にはアメリカからのツアー客風の一行や、中には日本人の姿も。面倒なことと渋滞がこの上なく嫌いな私は、もちろんエッフェル塔に登ろうなんて気は全く起こらない。夏の暑い日差しの中、汗を流しながらひたすら列を待ち続ける観光客を尻目に、早々にエッフェル塔を通り過ぎてセーヌ川に出た。
 対岸にはトロカデロ庭園を挟んで美しいシャイヨ宮が見えるはずなのだが、ご多分に漏れずここも2000年に向けての修復作業中のため工事用の塀で覆われていて興ざめ。しかし、振り返ってみるとトロカデロ庭園越しに見えるエッフェル塔の眺めはさすがに一級品である。


シャイヨ宮から望むエッフェル塔。電光掲示は2000年までの残りの日数を示している。
手前の池は冬季にはスケートリンクに変わるという。

 さて、シャイヨ宮からの眺めを十分に堪能した後、いったんセーヌ川に戻り、川沿いの遊歩道を下流に向かってぶらぶら歩いていると、若い観光客風のカップルに呼び止められた。私がカメラをぶら下げて歩いていたせいか、写真を写してくれという。パリでは、「写真を写してあげましょうか」と声をかけられてカメラを渡すやいなや、そのまま持って逃げてしまうという輩もいると聞いていたのでちょっと緊張したが、どうやらこの二人はそういう手合いではなさそうだ。しかも自分たちのカメラで撮ってくれと言うのだから、持ち逃げされる心配もないわけで、快く引き受けた。2枚ほど撮ってあげたが二人はとても嬉しそうに感謝してくれた。言葉は解らなくても、このくらいのことは人間万国共通で、ボディランゲージでも十分通じるというわけだ。しかし、女性の方は可愛かったなぁ。まあ、こちらで見かける女性はどれも美人に見えるわけだが……。
 次の橋からは、川の中央部に「白鳥の散歩道」と呼ばれる幅10メートルくらいの人工の細長い土手が続いている。並木が植えられところどころにベンチが備え付けられているその道は、両岸の喧噪から隔離された静かなプロムナードといったところだ。この「白鳥の散歩道」の南端には、ニューヨークの自由の女神像のモデルになったといわれる自由の女神像があるということで訪ねてみたが、そこには建設用の足場で囲われた青いビニールシートで覆われた土台があるだけで、自由の女神らしき像はどこにも見あたらない。なにやら看板が書かれているのだが、どうせフランス語で読めない。いや、読める文字がひとつだけあった。“JAPON”の文字だ。しかし、なぜ「日本」なのか?
 後で分かったことだが、じつはこの女神像、日本に貸し出されていて、私がパリを訪ねていた時には東京湾のお台場に建っていたのだ。もちろん、現在は元のこの場所に返されているのだが、お台場にはそのレプリカが現在建造中だとか。

 4時過ぎにアパートに帰ってみると、机の上には「ウルム通り47番地の飲み屋で待っている」と書かれたメモが。明日から始まるレコーディングのために今日現地入りしたクルー達からお誘いがあったらしく、真島氏は先にそこに行ったらしい。
 さて、そこに行くにはまずウルム通り47番地がどこなのか探さなければならない。彼らはパンテオンの近くのレコーディング会場からそう離れていないところに逗留するだろうと踏んで、そのあたりの地図を探してみるとウルム通りはすぐに見つかった。最寄りの地下鉄駅を探して経路を確認し、今から30分で到着できる距離と踏んだ。
 私はなるべく物を持ち歩かないタチである。地図すらも持ち歩きたくないので、そのメモにその場所までの概略地図をササッと転記して地下鉄の駅に急いだ。幸い最寄りの駅までは乗り換えなしで行ける。カルディナル・ルモワーヌ駅を降りてパンテオン方面になだらかな坂を上ってゆく。しばらくするとウルム通りが見えてきた。住所は47番地。パリの番地はセーヌ川に平行して走る通りなら上流から下流方向へ、セーヌ川に向かう通りならセーヌ川から遠ざかるに従って番地が上がっていくことは知っていた。47番地というとかなり端の方だ。ずっと住居表示を確認しながら辿ってゆくと、結局その番地はその通りの一番南端だった。そこには小さな居酒屋風の店があったが、中を覗いても日本人らしき人の姿はどこにも見あたらない。あたりをウロウロしていると、その店からマスターらしき人が出てきて、おもむろに私になにやら紙切れを差し出しながら話しかけてくる。その紙切れにはローマ字で書かれた私の名前と電話番号らしき数字が書かれている。言葉こそさっぱり分からなかったが、身ぶり手振りで「この名前はあなたか? この電話番号に電話しなさい」と言っていることは分かった。クルーの連中は確かにこの店で待っていたのだが、いつ来るやも分からない私に待ちきれずに移動をしてしまったらしい。私は「Merci」とマスターにお礼を言ってその紙切れを受け取った。
 さて、ここに電話でコンタクトを取ってくれと言われても困ってしまうのだ。以前にも書いたように、パリ市街の公衆電話はすべてカードしか使えない。そのカードは街角のキオスクなどで買うことができるのだが、そのただ一度の電話のために高いカードをわざわざ買うのは馬鹿らしい。また、電話をしたところで、地図を持っていないので場所を教えられてもそこに到達する術がない。よしんば到達できたとしても、彼らがそこにとどまっているという保証はどこにもない。どうせ明日会えるのだから、今日何が何でも会わなきゃならないという理由もないし、私が行かなきゃ始まらないという訳でもない。こんな屁理屈でむりやり自分を納得させ、あっさりとあきらめて帰宅することに決め込んだ。これが愛しい人とのパリでの数年ぶりの再会というロマンチックなシーンだったら、私も万策を尽くしたかも知れない。しかし、私はそういうシーンには縁がなさそうだ。


47番地
 じつは、47番地だったかどうかは定かではない。確か、かなり大きな数字だったことは覚えている。(戻る)
地図を持っていない
 私は地図を読むのは子供の時から得意で、場所さえ分かれば地図を頼りにどこへでも行ってしまうという特技がある。いわゆる土地勘というヤツだ。おかげで、子供の頃よくやったオリエンテーリングではたいてい1位か2位だった。しかも、地図から地形を判断するのが得意なので、よほど大草原の中というような目標となるものがない場所でなければ、コンパスもほとんど必要ないといった具合だ。
 そういう私だから、地図がないと羅針盤の壊れた船のごとく、とたんに路頭に迷ってしまうのである。(戻る)