7月14日(水)
 今日は真島氏とともに、かのマリー・アントワネットが栄華を極めたというベルサイユ宮殿を訪ねることにした。
 ベルサイユ宮殿はパリ市街から南西に電車で30分ほどの郊外にある。ベルサイユの町はかつてはフランスの首都だったこともあるのだが、現在はパリ市内の雑踏から逃れられてちょっと一息付ける静かな小さな町といった風情だ。奈良の平城京を現在のパリに例えると、ベルサイユは大和の藤原京といったところか。真島氏はベルサイユ宮殿を訪れるのは2回目で、今回はちょっと別のところを見たいということで、また時刻を待ち合わせて自由行動ということに。私はもちろん初めてなので、お定まりの一般見学コースを歩むことにした。入館は45フラン(約900円)
 宮殿内はそれは豪華な装飾を施した数々の部屋が回廊で結ばれているわけだが、じつは私はこういうものにほとんど関心がない。どうも私は人工的にこてこてと造られたものは好きになれないらしい。たとえば絢爛豪華な装飾を纏った日光東照宮の陽明門なども「へえすごいな」とは思うがそれ以上の感動は湧き上がらない。むしろ山奥のさびれた古寺の脇の苔むした岩の間から湧きいでる清水なんかに心を動かされるタイプなのだ。花壇の花には目もくれず、野草ばかりを追い続けているのも根元は同じなのかも知れない。
 というわけで、見学コースもそそくさと駆け抜け、早々に出口に向かった。ベルサイユ宮殿の詳細なレポートを期待していらっしゃった方には申し訳ない。そのかわりと言っては何だが、栄華の極みここにありと言わんばかりの「鏡の回廊」の写真でせめて館内の雰囲気を味わっていただきたい。
 ベルサイユ宮殿と一言で言っても、宮殿の建物そのものはその敷地の一角を占めているに過ぎず、残りの部分は広大な庭園となっている。ガイドブックには庭園には平日は無料で入れると書いてあるのだが、どこも柵で囲まれて入れそうにもなく、一ヶ所入り口とおぼしきところには警備員が立っている。皆なにやらチケットを提示して入っているようなので、もしかして宮殿への入場券でそのまま入れるのかと思って提示してみたが「ノンノン」と制止されてしまった。どうやらその横で売っている入場券を別途購入しなければならないようだ。目の前に広がる庭園を目の当たりにしながらおめおめと引き返すのもしゃくだから、ここは20フランを払うことにした。後で知ったのだが、今日7月14日はパリ祭(革命記念日)で休日だったのだ。
 庭園は最初花壇や彫刻で飾られているが、スロープを下ったその先は遥か向こうまで延びる運河とそれをとりまく芝生、そしてその両脇には森が続いている。これも人工物には違いないのだが、私にとってはキンキラキンに飾りたてられた宮殿よりはるかに居心地がいい。そして、やはりここでも始めてしまった雑草の写真撮影。なにもベルサイユくんだりまで来てそんなものを撮ることもないだろうにと思われるだろうが、魅力的な被写体がそこにあれば、カメラマンとしてはシャッターに手を伸ばさずにいれないものなのだ。「ベルサイユで一番印象に残ったものはなんですか?」と質問されたとすれば、「運河のほとりに仲良く咲いていた紅白のクローバーの花」という答えになってしまう。かつて、あのマリー・アントワネットもその場所に腰を下ろしてクローバー摘みに興じていたかも知れないと思えば、なんの変哲もない一枚の雑草の写真にもなんだかゆかしさを感じるではないか。

 私と同行している真島氏は、パリの中でもことサンジェルマン・デ・プレ地区がお気に入りのようだ。氏に誘われてそのサンジェルマンに出かけてみることにした。氏はこれまでの何回かのパリ来訪の度にここを訪れていて、この通りの角には○○がある、○○に行くにはあの道を右に曲がればよい等々、この界隈のことについては非常に明るい。
 そうこうしているうちに、氏があるレストランの店の前でうろうろし始めた。そのレストランは我々が普段入るレストランのような舗道に張り出したテラスもなく、しっかりとした門構えになっている。そして入り口の上をよく見ると星がひとつ! 三ツ星レストランならずとも、かなり格上のレストランのようだ。フランス料理の高級レストランには、まず予約を入れないと入れない。また、フォーマルな服装でなければ入店を断られることもあるというのは常識だ。じつは、そういうこともあるかとフランスには一応ジャケットとネクタイも持参してはいたのだが、まさか今日がその日になるとは思わず、カジュアルな服装で来てしまった。
 店内を窓越しにのぞき込んでいた真島氏が「大丈夫そうだよ」という。理由を訊ねると「中を見てごらん」というので覗いてみると、ポロシャツにジーンズ姿の中年オヤジも食べている。まずひとつ目の関門はクリアだ。そこで、真島氏が店内に入って英語で「予約なしで入れるか?」と訊くとOKの返事が返ってきた。ラッキー!!
 さて、テーブルに付くと早速ワインは何にするかときた。しかし、さすがはワイン通の真島氏、ボルドーの赤だのブルゴーニュなにがしだのぽんぽんと注文している。私もワインは好きだが、いつも愛飲しているのは安物のドイツワインの白である。あの赤ワインの皮の渋みこそがワインの真髄なのだと言われるが、じつは私はあの渋みが苦手なのだ。だから、赤ワインに関してはからっきし分からない(では白ワインなら分かるのかと突っ込まれても困惑してしまうのだが^^)。氏の薦めで軽くフルーティーなボルドーの赤を頂くことにした。
 オードブルとメインディッシュは何にしようかとメニューをしげしげとのぞき込んではみたものの、全てフランス語で書かれているので途方に暮れてしまう。そんな中でも何とか解読(!!)できる単語がある。訳の分からないものを注文してとんでもないものが来ても困るので、そうなると選択肢は何とか読める料理に絞られることになる。なんだか情けないぞ。そんな中で真島氏はEscargots(エスカルゴ)の文字を発見し、前菜にはとにかく野菜が食べたかった私は、Salade(サラダ)という文字が読める料理に決めた。そしてメインディッシュ。真島氏は**** de Veauという料理を見つけ「ヴォーは仔牛だから仔牛の何かだろう、これにしよう」ということになり、私はたまたま知っていたCanard(カナール=鴨)の文字が目に留まったのでその「鴨のなんとか料理」を注文することとあいなった。ああ、なんとも頼りない。
 さて、料理が運ばれてきた。エスカルゴ料理といえば、ガーリックバターと香草のみじん切りをたっぷり詰めて焼いたいわゆる「ブルゴーニュ風」が定番だ。ひとつ私も相伴させていただいたが、う〜ん、これが美味というものなのだろうか? エスカルゴ料理の経験の豊富な真島氏もちょっと首をひねっている。そして、私のメインディッシュ「鴨のなんとか料理(結局何だったのかはいまだに不明^^)」だが、とびきり美味しいというわけでもなく、こんなものなのかという印象。そして来たのが「仔牛の??料理」。こちらも相伴させてもらったが、どう見ても味わってもこのこってりした感じは内蔵だ。色からするとレバーのようだが、私の浅はかな知識を総動員した結果、親指くらいの大きさの球状に連なっている形状から腎臓だという結論に達した。濃厚なソースで煮てあるこの料理は、私は決して嫌いではなかったが、皿一杯が全部腎臓だけというのはさすがに閉口するだろうなぁ。結局、私もかなりの部分を頂戴することになってしまった。
 貧乏作曲家の私には、最高級の三ツ星レストランの料理がどんなものなのかは知る由もないが、星ひとつのレストランはこのくらいのものなのだろうか? もちろん、このレストランの数あるメニューの中のごく一部だけを食べてどうこう言うのは早計に過ぎるかも知れないが、庶民派の私にとっては、先日のシャンゼリゼ大通りや、今日の昼にベルサイユの運河のほとりにあるレストランのテラスで食べた料理の方がずっと美味しく、心を弾ませるものだった。私は最高級の料亭で出される懐石料理よりも(まだ食べたことはないが^^)、ファミリーレストランで食べる料理の方がよっぽどくつろいで食べられるという、根っからの安上がり人間なのかも知れない。


本日のメインディッシュ。中央奥の大皿は仔牛の腎臓料理らしい。
「鴨のなんとか料理」には親の仇のようにフライドポテトが添えられている。

 食後のデザートに私が食べたのはラズベリーのシャーベット。舌の上にさらりと崩れるルビー色の砂粒は、こってりとした料理で食傷気味の味蕾に新鮮な快感を呼び起こす。本日の締めくくりとしてふさわしい至福のひとときである。しかし、ここでさらに濃厚なチーズをつまむ人もいると言うから、フランス人の食の感覚は我々の想像を超えている。

 レストランを出ると、外はもうすっかり夜。パリ祭まっただ中の人混みの中、コンコルド広場の方から鳴り響く花火の音を聞きながら家路の途についた。


サンジェルマン・デ・プレ地区がお気に入り
 真島氏の作品のタイトル、サックス4重奏『カフェ・サンジェルマン』『巴里の幻影〜1. サンジェルマン』などからも氏のこの場所への執着が窺えよう。
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