しゃんはいかのん・ストーリー
特別編:「戦場のクリスマスツリー」

 1st TRACK プロジェクト


 クリスマスイブ
 
 それは一人身の野郎にとってはとっても呪わしい一日
 愛を伝え合う恋人たちを尻目に、ひとり待つものがいない家に帰り
 帰り道のコンビニで買ったショートケーキを肴に一人空しく祝杯を上げる。
 
 ラストクリスマスを聞きつつ
 山下達郎のクリスマスイブをやけくそに絶唱して
 今年もまた一人でこの日を迎えてしまった運の悪さと己のふがいなさを呪いつつ夜は更けていく。

 来年こそ彼女を作ろう、二人で聖夜を迎えようと誓うものの
 結局は果たさないまてで
 誓いだけがエンドレスに繰り返されていく。
 
 今年もそういうものだろうと半ばやけくそ気味にそう思っていた。

 

 「ねえねえ。トシツグってば」
 恋の声によって思考は中断される。
 「なんだ?」
 「クリスマスっ、クリスマスっ♪」
 恋は不思議な踊りを踊っていた。
 朝っぱらからMPを吸い取っていくんじゃねえ。
 「そろそろ。クリスマスだよね」
 「ああ、クリスマスだな」
 「クリスマスといえばっっ!!」
 「アベックの大馬鹿野郎」
 「そーだっっ!! そこでいちゃいちゃする奴、通行の邪魔だっっ!!・・・・・・じゃなくて」
 「クリスマスといえばケーキだな」
 「トシツグ。今年はなんのケーキ?」
 「それをいったらつまんなくなるだろ」
 「それもそうか・・・・って、そうじゃなくて」
 「クリスマスといったらプレゼントですよね」
 久遠が詰まらなそうな顔で横槍を入れてきた。
 「そうそう。プレゼントだよ、プレゼントっ」
 「あっ・・・・」
 この時、オレは気がついた。
 クリスマスというのは大人にとっては憂鬱な行事であり、もらう側からあげる側に変わったことを悟った。
 期待に胸を膨らませている恋の笑顔がこの時ばかりはむかついた。

 ・・・・親父達もこういう気持ちを味わったんだろうか。

 「トシツグ、トシツグってば」
 ふと物思いにふけっていると恋が袖をくいっくいっと引っ張った。
 「えいえんの世界に行くなって。エロゲーや人形に使うお金を減らせばなんとかなるじゃん」
 ・・・こ、この野郎。
 殴りつけたい衝撃を抑えつけるのに苦労した。
 「で、なにくれるのっなにくれるのっ」
 「なにっておまえな・・・・・」
 ご主人様に飛びついてくる犬のような恋に辟易しながら答える。
 「恋は何が欲しいんだ?」
 「んとね、んとねー・・・・・・・サッカーチームっ♪」
 この期に及んで恋はロクでもないことのたまった。
 「河本さんとか北条さんとか、んとんと・・・・トルティとか退場犬とか集めに集めまくって、チャンピオンズリーグ優勝を目指すっ(⌒◇⌒)ノ」
 
 ごつん

 反射的に恋の頭をぶん殴っていた。

 「いっだーーーっ!! なにすんだよっっ!! トシツグ」
 「んな金があったら俺様が横○FCを買収しているわいっっっっっっっっっっ!!」
 
 おまえは、チェルシーを買収した某ロシアの大金持ちか。

 「ちぇっ」
 恋は悔しそうにした。
 「フォワード4人取って2−4−4やったり、選手が疲れて負けたとぬかす監督に向かって「だったらもう1チーム分買いましょうか?」って言ってやりたかったのにぃ」
 「嫌味だなーそれ」
 「あ、「スタジアム建ててあげるからおたくの選手くれ」っていうのも言ってみたかったなー」
 「妄想だけだったらなんともいえるよな」
 現実には恋は一介の中学生で、サッカーチームのオーナーでもなければ「まず金額を提示してください。私達はそれを上回る額を用意することができます」と言ってのけるほどの金持ちじゃない。
 「トシツグってばケチだなー」
 「んな金あるかっていうの。だいいち鳥栖を買収するのにさえいくらかかると思ってるんだ」
 ついでにいっとくとそこまで金持ちだったら、まず家を建てる。
 「トシツグにそんな金ないとはわかってだけどね」
 「て、てめぇ・・・・・」

 つまりオレは小娘に釣られてたというわけか。
 こんちくしょう。

 笑っている顔がとっても憎らしくてたまらない。
 
 「そんなわけだから久遠、ボクにサッカーチームちょうだい」
 「嫌です」
 恋のあつかましい要求を久遠はあっさりと断った。
 「オーナー気分を味わいたかったらサカつくでもやってください」
 そして、お茶を老人みたくすすりながらオチをつけた。
 「早くしないと遅刻です。わたし、恋に付き合って遅刻したくありませんから」
 「あ、そうだったそうだった」
 平日の朝だということを恋は思い出したらしい。
 「んじゃ、いってきまーすっ」
 恋は久遠を置き去りにして居間から走り去っていった。後にはオレと久遠が取り残される。
 「・・・しょうがないやつだな」
 久遠が待ってくれているというのに
 「いつものことですから」
 久遠はさほど気分を害してはいないようだ。
 もっとも、元から表情が読みにくいんだけど
 「いってきます」
 「いってらー」
 久遠は席を立つと居間から出て行こうとする。が、出口に差し掛かったところで立ち止まると振り返ってはにっこりと天使のような笑顔を浮かべた。
 「プレゼント。期待してますから」
 そういうと何事もなかったかのようにドアを締めて、外へ消えていく。
 2人がいなくなると途端に居間は静まり返る。
 数分のタイムラグをおいたあと、テーブルにへばってはため息を深くついた。

 さりげなく
 恋なんか比べものにならないぐらいのプレッシャーをかけてきやがった。

 プレゼント、か。

 もちろん恋と久遠にもプレゼントを上げるつもりである。
 ただ、なんにしようかおもいっきり迷う。
 恋にしても久遠にしても普通の女の子の趣味からはかなり外れている。だから、最大公約数に受けるものを買ってきても喜んでくれるかどうかは疑問だ。

 たかがプレゼント、されどプレゼント。

 プレゼント一つにしたところでセンスというものが試される。
 定石に従えばいいんだけれど、それでは納得できない。
 恋はおろか、久遠でさえも感心するようなものを送りたい。
 シンガポール土産のドリアン・パフのようにいかすものを送りたいところなんだけれど、何を送ったら受けるんだろうか
 ・・・・・って、なんか外れているような気がする。

 席から立ち上がると皿の厨房に持っていく。
 こうして今日が始まった。



 空はまっさらな蒼い空が広がっているというのに、気温のほうはそれほど上がらなかった。
 息を吐くとエクトプラズムのような白い塊が立ち昇る寒さの中で、いつものように列車砲の点検を始める。
 一時間かけて台車を点検して、異常がないことを確かめるとリフトに使ってプラットホームに上がる。
 「さむ〜〜」
 プラットホームの外には見ていて凍ってくるような世界が広がっていた。
 冬に入って、牧草地の牧草はみな枯れ果てて寒々とした荒野をさらしていた。このころになると人の三倍は多い牛達は牛舎で半ば冬眠状態に入っている。
 あまりの寒さに萎えそうになる気持ちにどうにか活を入れるとプラットホームから、砲にかけての点検に入ろうとした。
 その時、ズボンのポケットに入れていた携帯から「DADDY MULK」が鳴り響いた。
 「はい。もしもし、氷室ですが」
 「こんにちは、氷室さん」
 「ゲインさん。こんちわっす」
 
 電話をかけてきたのは町役場の職員だった。
 彼は文化財保護担当の職員で、この町で文化財といったらこの列車砲ぐらいしかないから旧知の間柄だった。
 「どういう用件でしょうか」
 「クリスマスが近いですね」
 「そういえば、そういう季節になりましたね」
 「また今年も一人で過ごすのかと思うととってもわびしいです」
 その瞬間、周りの空気が音を伝達するのをやめた。
 沈黙が空しく続いた。
 「・・・・寂しいですよね。クリスマスをひとりぼっちで過ごすのって」
 「来年こそは彼女を作りたいとは思っているのですが」
 「それがエンドレスで繰り返されるんだよね」
 その後、2人してため息。
 「で、クリスマスがどうかしたんですか?」
 このままでは果てしなく脱線するばかりだったので軌道修正をする。
 「ドーラのライトアップなんですけれど、予算が少しばかりばかり降りたんですよ」
 
 へぇ〜

 冬場といえばライトアップの季節である。
 家や庭にデカトラのかくやというばかりの満艦飾を施して、隣家とライトアップのタイマン勝負を繰り広げたり、いつもの数倍に跳ね上がった電気代を見てため息をついたりと、毎日がエレクトリカルパレードなシーズンを迎える。
 でかいものを見ればライトアップしたくなるというのが人間の心情であり、それ故にかのんをを巨大なモミの木に見立ててライトアップするという企画がクリスマスが近づく度に立ち上がっていた。
 ライトアップに足るだけの素材が”かのん”以外ない田舎なだけ、ライトアップされるとしたら盛り上がることは間違いないだろう。

 しかし、これまで一度もライトアップされることもなかったのは町議会の一部から反対の声が上がっていたのと不景気でライトアップするだけの予算が下りなかったからである。
 これだけでかいとライト代だけでかなりの額がかかる。
 
 「今年は反対じゃなかったんですか?」
 「試しにやってみようということになりましたんで。やってみて盛り上がるようだったら続けるし、問題があるようだったらこれきりっていうことで話がまとまりました」
 「なるほど。それで予算はどうなるんですか?」
 間があった。
 「ライト代は出せます。ですが・・・・・」
 「ライト代だけじゃライトアップはできないですからね」
 なにせビル丸ごとライトアップしようとするようなものだから、そのライト代だけでかなりの金額がかかる上にかのん全体に電飾を張り巡らそうとなると・・・・・・出来ないことはないんだけれどでかいだけでなく高さが半端じゃないから、設置する費用もバカにならない。
 「つまり、材料費は出るが設置はオレたちだけでやれっていうことですね」
 「はい。そうです」
 思わずため息が出た。

 町からかのんの管理を請け負っている以上、ライトアップの作業には強制的に駆り立てられることになる。
 
 めんどくさいことになってきた。

 かのんの管理を請け負っていることで町から給料をもらっているのだからオレに拒否権はない。
 ライトアップといったって、かのんはちょっとしたビル並みの大きさがあるわけだから、自宅を飾り付けるように簡単にはいかない。どうやって飾り付ければいいのかと途方にくれる。
 なによりもライトアップするのにかなりの労力を使う。
 これだけは断言できる。

 でも、疲れることを畏れては何もできやしない。

 いや〜。
 素敵じゃないですか。
 
 日が暮れて丘を登ると、まばゆいばかりのイルミネーションが帰ってくる恋と久遠を出迎える。
 まばゆいばかりのイルミネーションを前に立ち尽くす二人の前に、オレがそっと声をかける。
 「メリークリスマス」
 声をかけられて振り返る2人
 「キミ達のために作ったんだ」
 「すごいよ、すごいよ、トシツグトシツグっ!!」
 キザな言葉をかけると恋が無邪気に飛びつき、久遠は目を潤ませながらただ光のクリスマスツリーを見上げている。
 そこにはいつもの冷酷さはない。
 歳相応の純粋な女の子だ。


 ・・・・・・・うぉぉぉぉぉっ。いいじゃないですかっ
 おもいっきり臭いけど、多用されるからこそ臭いといわれるのであって、女の子を迎撃するには最高のシチューエーションであるに違いない。

 キター━(゚∀゚)━!!
 キタキタキター━(゜∀゜)━!!

 「・・・・・・あのう、もしもし」
 「あ、はい」
 受話器の向こうのゲインさんの声によって、白昼夢は消える。
 「まあ、そんなわけでライトアップはよろしいでしょうか?」
 「わかりました」
 「では、これからそちらにお伺いしますのでよろしくお願いします。でわまたー」
 
 電話が切れると携帯を腰のポケットに入れて、振り返った。
 そこにはかのんの戦艦大和の46cm砲の倍はある巨大な砲身が、いつもと変わらないそぶりで空に向かって突き上げていた。

 こいつが光のクリスマスツリーに変わる。
 
 ビルに匹敵する、この巨大な物体が光のドレスで彩られるところを思い浮かべてみると震えがきた。

 どういう姿になるのかは、この段階ではわからない。
 だけど横浜や仙台、神戸でも見られない壮大な光の彫刻。さっぽろ雪祭りの雪像に電飾加工を施すような凄まじいものになることだけは想像ができた。

 空に届きそうな砲身の先端を見つめる。
 見ているだけで前途の多難さが伝わってくる。ライトを用意することも大変であれば、砲身にどうやって電飾を施せばいいのか考えるだけでも頭が痛くなってくる。
 登るだけでも大変を通り越して至難であり、その上で飾りつけまでしなくちゃならないんだから想像を絶するような作業になるだろう。

 でも、これがあいつらのプレゼントになるのだ。

 これほど最大、最高、そして最強のクリスマスプレゼントっていったらないだろう。

 定番を外しつつ、そのくせ受けること間違いなしのクリスマスプレゼントッ♪

 「くっくっくっくっ、くっくっくっくっ・・・・あっはっはっはっ」
 自然と口から笑い声がこぼれていた。
 それは世間の女性全てを幼女にしてしまうクスリを開発してしまったマッドサイエンティストのような笑いをいつまでもいつまでも洩らしていた。
 
 ある事に気付かなかったから、恋たちが帰ってくるまでずっと笑い転げていて、久遠の手によって精神病院送りにされていたかも知れない。
 
 問題はどうやってこれをクリスマスプレゼントにするかだ。

 2人に隠れてライトアップを施さなければクリスマスプレゼントにならないわけで、24日まではまだ間があるから、それまで2人を遠ざけておかなくてはならない。
 簡単にいってしまえば、どっかに泊まりに行くか遊びに行くかしていて24日に帰ってくるのが理想だ。
 それまで2人は何処に居ればいいのかという問題になる。
 この町に住んでいる知り合いの名前を2、3上げてみるけど、一週間ぐらい泊まらせるだけの理由が思いつけない。また、この町にいれば24日以前にバレてしまうのが明白なので、出切るだけ遠いところに行かせなければならない。
 そんなに遠いところにいる、恋と久遠を託すことができる知り合いは・・・・・・

 携帯を取り出すと長期間預けるだけの理由を作ることができて、安心して託せる相手に電話をかけた。
 「もしもし。延沢ですが」
 コール音が3回続いたところで、涼やかな声が流れた。
 「こんにちは。夕維ねえ」
 「お久しぶりです、俊継さん。俊継さんはお元気ですか?」
 相手がオレだと知れると途端に世間話になる。
 「ええ、元気です」
 「2人はどうですか? 恋はちゃんと勉強してますか? 久遠はしいたけ食べてます?」
 「ええ。恋はちゃんと勉強してますし、久遠も頑張ってます。ところで、そっちの様子はどうですか?」
 スピーカーからちょっとだけため息が漏れた。
 「けっこう忙しいです。今が稼ぎ時ですから」
 2人の姉、夕維は夫の延沢と一緒に玩具屋をやっている。年末といえば玩具屋にとっては稼ぎ時だ。お父さんお母さんのお小遣いや子供のお年玉を吸い上げて養分に変えるのにとっても忙しい。
 「マスターはどうしてます?」
 「マスターさんは相変わらずですね」
 「相変わらずですか」
 「んで、延沢はどうしてる?」
 「和志さんなら病院に行ってます」
 「病院!?」
 あの延沢かが? 象が踏んでも壊れない冒険小説マニアな特攻野郎Aチーム延沢が!?
 オレの動揺を感じ取ってか、スピーカーからクススと笑い声が響いた。
 「晶さん。臨月なんです」
 「臨月??」
 晶さんというのは延沢の友達の彼女のことで、あの延沢でさえも頭が上がらないみんなの姉さん的な存在だった。
 「・・・そっか。晶さん、妊娠してたのか」
 「はい。おなかがぷっくりとふくらんでました」
 高校に居た時からやりまくっていたんだから妊娠しないほうがおかしい。相手は浮気者で遊び人だっただけに身を固める決心をつけたのかと思うとなんだか背中がむずがゆくなってしまう。ただ、そうとしか言えなかった。
 「なるほど。延沢はお見舞いに行ってるわけね」
 地球は回っている、世界は動いている、時間は流れている。
 「あの日」から遠ざかっていることを改めて気付かされて、せつない気分になってしまう。
 まあ、それはそれでいい。
 ここで本題に入ることにした。
 「そういや夕維ねえ。忙しいって言ってたよね」
 「はい」
 「猫の手も借りたいぐらいに?」

 「わかりました。恋と久遠はうちに来るんですね」
 数分間に渡って事情を説明すると夕維は了解してくれた。
 「そういうことでお願いします」
 ハードルを一つクリアしてホッとする。
 「大丈夫なんですか?」
 安心しかけたところへ声が投げかけられた。
 「写真を見た限り、アレをライトアップするのは大変なことだと思うんですが」
 「なははは・・・・だいじょうぶですよ。だいじょうぶ、なんとかなりますって」
 こういう時、電話ってありがたいと思う。
 引きつった顔を見られずに済むのだから
 不安をごまかすために延々と笑っていると、ぽつりと夕維の声が漏れた。
 「俊継さんのお気持ちはわかりますけれど、のけ者にするのはよくないと思います」
 「えっ・・・・・」
 高揚していた心にいきなり冷や水が浴びせられた。
 「そういうのはみんなでやるのが楽しいと思うんですよ」
 書き綴っている小説に重大な矛盾を指摘されたかのようにうろたえだす。
 「でも、俊継さんが選んだことですから。がんばってくださいね。では、また」
 「またー」
 そうやって電話は切れた。
 スイッチはオフにしたけれど、携帯を握り締めたままプラットホームの上で立ち尽くしていた。

 なんか間違ってたのか・・・・オレ。
 だいたい失敗というものはやっている時ではなくて、やった後に気付くものなのだ。

 それでも自分のやろうとしている行動を確認してみる。
 オレとしてはクリスマスプレゼントの一環として、イルミネーションを施そうと思っている。
 悪い言い方をすれば恋と久遠が邪魔になる。
 24日以前に知られてしまえば元も子もなくなるし、2人の力を借りてしまえばプレゼントではなくなる。
 
 だから、これでいい。

 これでいいはずなのに罪悪感を覚えていた。
 世の中には良心が傷つくとわかっていても、やりたいと思うことがある。その過程で起きる痛みは相手を傷つける当然の代価としてどんなに苦しくても受け止めなくてはならない。
 そう思いつつも痛みがとまらない。

 そして、何故、痛いのかわからない。
  

 ・・・・・・・・・


 「たっだいまーっ!!」
 3時を過ぎたころ、丘から恋が勢い良く駆け上がってきた。
 今日が終業式であるにも関わらず(関東よりも冬休みが一週間早い)こんな時間になったのはどっかで遊ぶか何かして寄り道してきたのだろう。
 「おかえーー・・・・・・・うおっ」
 言葉をかけたようとしたその時、恋が離陸する戦闘機のようにオレめがけて跳躍した。
 「・・・・・あっぶねえ」
 間一髪のところで、槍の穂先のような恋の爪先をかわせた。
 「なにしやがる」
 恋はミスることなく地面に着地すると何事もなかったように振り返る。
 「エロマンガ島の挨拶」
 「んな挨拶あるかーいいいいっ!!!」
 「あれ? おっかしいなあ。民明書房刊・「エロマンガ島風俗研究」っていう本にちゃんと書いたあったんだよー」
 「んなわけねーだろっっ!!」
 「エロマンガの人は親しい人には飛び蹴りで、愛している人には四門・朱雀で挨拶するんだってさ♪」
 「著作権法違反だろ。それ」
 ・・・・・・・・というか、死ぬ。
 「疑ってるなあ、トシツグ」
 「当然だ」
 
 民明書房といっている時点でもう詐欺確定である。

 「ウチの学校にあったんだよ。それ」
 「マジっっっ!?」

 民明書房の実在を信じて神保町を歩き回った人。オレにメールください。

 「うん。分厚いやつがうちの図書館にあったんだ」
 「へぇ〜」
 どんな図書館なんだよ。それ
 「だったら見せてみろよ」
 「えっ?」
 恋の顔色がはっきりと変わった。
 「残念だったね。借りられちゃったんだ」
 顔がひとりでにやけてくるのを自覚する。
 恋を追いつめるのにまたとないチャンスだった。これは
 「返ってきたらまた借りてくれるかなー」
 「な、なんでトシツグのために借りなくちゃなんないんだよ」
 問い詰められて恋は開き直ったように逆ギレする。
 「だったら、久遠に聞こうかっな♪」
 「わっわっわっわっわっ、な、なんで久遠に聞くのさ」
 「なんでって、おまえ久遠と同じ学校に通ってるんだろ?」
 「久遠にわかるわけないよ」
 「なんで?」
 「実はね」恋はオレの耳元にそっと口を近づけた。
 聞かれたくないネタがあるらしい
 「ふうっ〜・・・・・・・あり?」
 「なんだ?」
 恋は耳に空気を吹きかけただけだった。
 「おっかしいなあ」恋はこんなはずじゃなかったと言いだけにのたまう。「トシツグがひとりよがるところ見たかったのに」
 「それだけかい!!」
 「わーわーわーわー」
 呆れて離れようとしたけど恋に腕をつかまれた。
 「さっきのは冗談でほんとにビッグで巨大でジャイアントなネタがあるんだってば!!!」
 「ほんとかよ・・・・・」
 さりげなくRRをかましてくれる恋に脱力しつつも、一寸の虫になんとやらということで聞いてやることにした。
 「じゃあ、言ってみそ」
 「んじゃ、言うよ」恋は居住まいを正すと、囁くような声で言った。
 「実は久遠。学校、サボってるんだ」
 「ほ、ほんとか? それ!?」
 それが事実だとしたら保護者としては由々しき事態なんだけれど、さして驚くようなことじゃなかった。
 学校のレベルがあんまりにも低すぎるからだ。
 飛び級がないから恋のレベルに合わせているだけで、飛び級があったら間違いなく大学院にいっちゃっている。久遠とはそういう女の子なのである。
 だから、学校さぼろうとしても別に不自然なことだとは思わなかった。むしろ、なぜしないの? というところだった。
 それが本当に事実であればだが

 「学校行くフリして、色々と悪いことやってるんだ」
 「どんなこと?」
 「校舎の裏でガリガリくんかじってたりとか、グラウンドに落とし穴掘ってたか」
 その時点で話ががくんと嘘臭くなる。
 「あーっ 信じてなーいっっ」
 「信じられるかっていうの」
 義務教育に不満を持っているのは確かだけれど、そんなことをするキャラじゃない。
 「じゃあね、じゃあね。お昼休みに・・・・・・・・」
 
 その時、オレ達は感じた。
 絶対零度の域にまで冷え切った白いレーザー光線を
 身体が凍り付いていた。
 いや、身体のみならず周りの空気さえも凍っていた。
 「捏造はよくないですね。恋ちゃん♪」
 いつの間にかこの場に久遠がいた。
 口元はニコニコと笑っていて明るいようには見えたけれど目がぜんっぜんっ笑っていない。絶対零度の白い光線を処構わず発射しまくっている。そのアンバラスさがとっても怖い。恐ろしく怖い。
 「恋ちゃんがやっていること、ここで洗いざらいぶちまけてもいいですよね?」
 「いくない。絶対にいくない!!」
 そのレーザー光線の直撃を受けて、恋は13階段に連れていかれる死刑囚のように震えていた。涙さえ浮かべていた。
 「どうしましょうか?」
 久遠が軽く視線を投げかけてくる。
 「被保護者の行動や言動を知るのは保護者の義務かと思うのですが」
 「・・・あ、あああ」
 た、たのむから上目遣いで絶対零度の光線を投げかけてないでくれぇぇぇっ!!
 拒否したらとっばっりがオレに来る。久遠だったらやりかねない。オレの秘密を暴露したサイトを作り、そのハッキング技術を駆使してありとあらゆるメディアを乗っ取り全世界に公表しかねない。そうされたらオレの身の破滅だ。
 「トシツグのオ・・・・・」
 絶対零度の白い光線をなげつけられて恋はあえなく沈黙する。凍結したといったほうが正しい。
 そして、久遠の口が開かれようとしたその時。

 「らら、らんらんららららんらん。ららららんららんらららん♪ らららんらんららららららんらん、らららんらららんらららん♪」

 何処からともなく、ムクつけきマッチョたちのコーラスが鳴り響いた。
 「恋・・・・1FCケルンの応援歌を着メロに使うのはやめろよ」
 「・・う、うっさいなあ」
 恋は文句言いながらもポケットから携帯を取り出した。
 「もしもし、枚原ですが」スピーカーから漏れる声を聞いた瞬間、恋の態度が一変する。「ね、ねーさまっ!?」
 その叫びで、ようやく久遠は目から白いレーザー光線を乱射することをやめた。
 ・・・・た、たすかった。
 これ以上、続くと本当に凍り付けになるところだった。
 そうやって胸を撫で下ろしているところに、恋の大声が炸裂する。
 「えっっ 晶に子供ができたのーーーーーーっっ!!!!」
 「晶さん。子供が出来たんですか・・・」
 恋のみならず、久遠も茫然としてしまっている。
 「晶、おめでとーーーーっっ!!」
 おいおい。自分のねーさんに向かっておめでとうといってどうする。
 
 この時ばかりは祝賀ムード一色だった。
 恋はもちろんのこと、久遠も白眼視したことを忘れて笑みを浮かべている。
 この時ばかりは温かい日差しがさんさんと降り注いでいるようだった。

 「えっ?」
 祝賀ムードがいきなり断ち切られた。
 夕維ねえの言葉を聞いて、恋が唖然とした表情で立ち尽くしていた。
 
 なにがおきた?

 「いけないよ・・・・」
 なに?
 夕維ねえが電話をかけてきたのは実はオレと示し合わせての事で、恋と久遠を夕維ねえの元に行かせるための説得が目的だった。俺なら失敗して意図が読まれるのがオチなんだけれど、夕維ねえなら絶対に説得できる。しかも、晶さんに子供が生まれたのが追い風になる。失敗しないとそう思っていた。

 「ねえさまにも会いたいし、晶の赤ちゃんも見てみたい。でも、だめだよ。ボクたちは決めたんだから」

 いつもは元気な恋がこの時に限っては悲しみにくれていた。
 肩を落とす恋がとっても儚げに見える。

 何を決めたんだ? いったい。
 2人と夕維ねえの間に何かがあったようだけれど、この段階では見えない。

 それよりも驚いたのは夕維ねえのお願いをはねつけているということだった。
 
 一昔前から見れば信じられない出来事だった。
 
 夕維は2人の保護者として温かく優しく接していて、久遠も恋も注がれる愛情を素直に受け止めていた。神の命令を聞かなくても夕維の命令なら絶対に聞く。それが2人であったはずなのに。

 「ボクたちは当分の間、ねえさまとは会わないって決めたじゃないか」

 動揺が広がり始めた。
 どうやら恋と夕維との間に何らかの決意というか約束があったようで、知らなかったとはいえそれを踏みにじりかけていることに気付いて愕然とする。

 見るにみかねた久遠が恋から携帯をひったくって代わりに夕維と喋り始める。
 浮かない顔して突っ立っている恋に話し掛けた。

 「どうした、恋」
 「うーん」
 考えもなしに突っ走る恋が、この時ばかりは迷っている。
 「行きたいんじゃないのか?」
 「ち、ちがうよ」
 即答したけれど、嘘であるのがバレバレである。
 「何を決めたのか知らないけど、そう意固地になることもないんじゃないのかな? 恋だった夕維ねえには会いたいんだろ」
 「うーん・・・・・・」
 「赤ちゃんってさ、ほーんとかーいーんだよねー」
 「うーん・・・・・・・・・」
 会いたいと思っているのがありありだった。
 「行きたいんだったらいっちゃったほうがいいんじゃないのか?」
 どうやら恋の頭の中では結論が出ているようだった。
 ただ、何かが引っかかっていて素直に表に出すことができない。
 ほんの少し、後押しするだけでよかった。
 恋は首をかしげて考え込む。
 しばらくすると上目遣いで俺を見つめた。
 「トシツグはそれでいいの?」
 は?
 一瞬、何を言っているのかわからなかった。
 
 それでいいもなにもって、画策しているのはこのオレだ。

 「どういうこと?」
 恋が何を言っているのか、この時点になってもつかめなかった。
 「トシツグ残して、ねえさまのところに行っちゃってもいいのかっていうことだよ」

 オレを残して??
 その言葉が小石となって意識の海に投げ込まれる。

 考えたけれど、それでも恋が何を言っているのかわからなかった。
 オレを残してって恋たちが来る前までは一人だった。恋がいなくなってもひとりでやっていける。

 「やっぱり、恋たちは夕維ねえのところに行ったほうがいいんじゃないのかな」
 「夕維ねえだって恋に会いたがってるだろうし、恋もオレなんかよりも夕維ねえのほうが大事なんだろ?」
 
 恋と久遠にとってオレは同居人であり保護者みたいなものだけれど、ただそれだけだ。
 でも、夕維ねえは遠くに離れているとはいえ、かけがえないのない姉でその絆はオレなんか比べものにならない。
 どっちが大事なのかは言うまでもない、はずだった。

 突然、恋の拳が鳩尾に炸裂した。

 チビッコな外見からは信じれないのほどのダメージがお腹の中で炸裂して、痛さのあまりに悶絶する。
 「な、なにしやがる。れん」
 「トシツグのバカっっっっ!! バカバカバカバカバカ!!!」
 文句を言うと恋の叫びが冬空にこだまする。
 「久遠。こんな奴なんてホッといてねえさまのところに帰ろっ!!」
 恋は憤然と客車の中に入っていき、その後を久遠が続く。
 去り際に久遠が振り返ったけれど、その眼差しは果てしなく凍てついていた。

 だけど、今はその冷たさも気にならなかった。
 恋に殴られたダメージの余韻が心の中でいつまでも響いていた。

 何故、恋が怒ったのかわからない。

 間違ったことを言った覚えはない。二人にとってオレよりも夕維のほうが遥かに大切な人のはずだ。それを指摘したところで怒るようなことでもないのに、現実にオレは恋の強烈な一発をもらっている。
 恋と久遠が夕維を嫌うことなんて、まずありえない。
 それだけに訳のわからなさが脳の中で無限に拡大していく。

 ただ、殴られたとき
 恋が悲しい目でオレを見つめていたのがとっても印象に残っていた。

 こうして、2人はあっさりと出て行った。
 昔のようにオレはまた一人ぼっちになってしまった。

 

 
 2nd TRACK 前途多難
 
 腕時計のアラームが鳴って目が覚める。
 しかし、布団の中がとっても気持ちよいのと外の気温が寒いのとあいまって、なかなか起きる気になれず数分間の葛藤の後にどうにか起き上がると、部屋の中に満ちている寒さに震えながら部屋を出た。
 
 恋の部屋をノックする。
 「恋、朝だぞー」
 そうやって何度もノックしても返事がない。おかしいなと思っているとある事に気付いて自嘲してしまう。

 恋と久遠が行ってしまってから、既に3日が経っていた。

 そのことに気付くと食堂車に行って、朝食の準備を始める。
 
 ホットプレートで鍋のお湯を沸かすと、レトルトのカレーをぶちこんで朝食にする。

 辛さの足りないカレーをスプーンですくって咀嚼しながら周りを振り返る。
 静かな朝だった。
 いつもだったら恋が冗談を飛ばして、オレがそれに応戦。それを余所に久遠が黙々とご飯を食べるというのがいつものスタイルだった。
 その2人がいないから、居間はいつになく静まり返っている。
 いつもよりも部屋が感じられる。
 そして、何処から外の空気が流れ込んでいるかのように冷え切っている。

 あいつらは帰ってくるんだろうか?

 ため息が漏れる。
 あの剣幕からするととてもじゃにいけど帰ってくるようには見えなかった。

 また一人ぼっちになるのか。
 一人になるのは慣れているから怖くはない。

 ただ、疑問だけがずっと残っている。

 何故、恋はあの時、怒ったのか?

 その疑問が未だに頭の中でぐるぐると巡っている。
 恋と久遠にとって姉さんである夕維が一番大切じゃなかったのか? 
 それだけに不思議さがいつまでも付きまとっていた。

 この時でさえ、未だにわからないでいる。

 不意に車の音が響いていて、一時思考を中断する。
 食べ終わったカレーを流しに置くと外に出た。

 今日は日曜日。
 いよいよ、かのんにライトアップを施す日である。

 「うわ〜」
 やってきたのは一台の大型クレーン車だった。
 クレーン車はかのんに横付けすると、クレーンのコンロール室からゲインが現れた。
 「こんにちは〜 氷室さん」
 「こんちわっす。んじゃ、さっさと取り掛かりましょうか?」
 恋たちに対する感情は一時放っておいて、イルミネーションを施すための作業を開始した。

 いったん居間に戻ると設置してあるタンスからリモコンを取り出し、再び外に出るとリフトを使ってプラットホームに上がる。そして、砲身の根元辺りまでいくとリモコンを砲身に向けてスイッチを押した。
 
 今まで天高く伸びていたかのんの砲身がゆっくりと倒れていく。
 普段はアンテナのように仰角をつけているかのんであるが、簡単に倒せるようにちょっと改装している。
 「うーん」
 5分ほどかけてかのんの砲身が倒れて水平になる。今までの状態で施すことに比べば遥かに楽になったとはいえ、それでも地上から砲身までビル数階分の高さがある。物干し台に電飾を施すようにはいかない。
 「そのためにクレーンをもってきたんですよ」
 「なるほど」
 クレーンがあれば台座代わりになる。
 しかし、久遠がいればクレーンの先端に精巧なマニュピレーターをつけて遠隔操作で電飾をつけていくことも可能なんだけれど・・・・・・
 さっきとは違った意味で空気が凍りだした。
 「あの〜 ゲインさん?」
 「なんですか?」
 「ゲインさんって重機、操作することができますよね」
 「はい。できますよ」
 「で、オレは何をやればいいんでしょうか?」
 「決まってるじゃないですか」ゲインは爽やかな笑みを浮かべた。「ボクがクレーンで氷室さんを持ち上げますから、氷室さんが取り付け作業をしてください」
 やっ、やっぱり。
 マニュピレーターがなければ人がそのマニュピレーターの代わりをするのが道理であり、またゲインには重機の操作ができてオレには出来ないから、オレが取り付け作業にあたるのもこれまた自明だった。
 
 しかし・・・・・
 砲身を渡って取り付け場所まで行く事よりは安全だとはいえ、あんまりにも無茶なやり口に頭が痛い。あんまりにもいたい。でも、オレに拒否権はなかった。
 「あの・・・・・安全にはちゃんと気を配ってくれますよね」
 「もちろんです。もし、氷室さんが逝ったら久遠ちゃんと恋ちゃんはボクが責任をもって面倒を見てあげますから」
 「嬉しそうにいわんでください」

 ・・・・・・・始まる前から頭が痛い。

 ゲインがもってきたベストに袖を通すとクレーンの前まで来た。
 ゲインはベストの背中にある、穴の開いた袋みたいになっている部分にクレーンの先端を通すとロープでぐるぐる巻きにしてオレの身体を固定する。固定されないことに比べれば遥かにマシなんだけれど、生きながら簀巻きにされているような気がして、とっても複雑だった。
 「それじゃいきますよ〜」
 「ちゃっちゃっとやっちゃってください」
 ゲインが持ってきた針金の束に腕を通してから、しばらくすると重機のエンジン音が響いて、俺の身体は持ち上げられた。
 落ちる心配がないとはいえ、足場がないのはやっぱり不安だ。
 クレーンはゆっくりと持ち上がっていき、やがて砲身に到達する。
 底なし沼の真上にいるように、足に触れるものが何もないというのはやっぱり怖い。
 砲身と台座だけに電飾を施すのも味気ないから人工の枝をくっつけようというアイデアもあったけれど強度的な問題からそれは却下されて、砲身と台座に灯りをまきつけるシンプルな形になった。
 それにしたところで砲身に電飾を施すのは難事業である。
 電飾をネジや釘などで固定するのがいちばんいいんだろうけれど、それでは砲身を傷つつけるので、砲身の各所に針金を巻いて土台を作り、そこにライトを絡ませていくという手法をとることにした。
 「あと少し、右。・・・・よし、ストップ」
 ヘッドレスト越しに重機をコントロールしているゲインに指示して、予定したポイントでクレーンを停止させると右肩に回していた針金の束を砲身に巻きつけていく。
 ある程度の太さまで巻いたらペンチで束から分離。しっかりと結んで固定するとゲインに指示を出してクレーンを移動させる。そして、これが延々と繰り返される。
 下を見れば全身が震えてくるのだけれど、それさえ無視すれば仕事は順調に進んでいるといってもよかった。
 「あ〜あ。なんで、恋ちゃんと久遠ちゃんがいないんだろうな」
 仕事しながら雑談できる余裕が出来ていた。
 「まあ、実家のほうで呼ばれちゃって。しょうがないっすよ」
 思わず苦笑いが浮かんでしまう。
 「そんなこといっちゃって。本当は2人にいいところを見せたくて行かせたんじゃないんですか?」

 ぎくっっっ

 一瞬、全身の関節が外れたような気がした。
 
 「あはははは。そんなことないっすよ、そんなこと」
 「動きとまってましたよ」
 「あ、それは背中がかゆくなって止まっていたわけであって、決して図星を突かれたわけではないですって」
 かえって墓穴を掘ってしまったような気がする。
 重機のコントロールボックスから白けたというか呆れたような空気が漂っていた。
 「はぁ〜」
 ヘッドレストからため息がこぼれた。
 「一人の男のつまらない陰謀のために、久遠ちゃんや恋ちゃんと一緒にできないなんてボクはとっても切ないですよ。切なさ炸裂ですよ」
 「そんなーーっ!! ゲインさんだってオレと同じ立場だったら同じことを考えるでしょうが!!」
 なんだか仕事から外れてきた。
 「ボクには恋ちゃんも久遠もいない。ボクは2人と一緒にやりたいんだー。呼び戻せー、うごーーーっ!!」
 「いないんだからしょうがないでしょうが」
 ひょっとして2人と一緒にやりたいがためにライトアップを企画したのか?
 その可能性に思い当たると冷や汗が背筋を伝う。

 不吉な予感をヘッドレストから流れる苦痛の叫びがぶっ飛ばした。
 「あぐ、あぐ、あぐ、あぐーぅぅぅぅ」
 「何が起きたんですか? ゲインさん」
 突発的な何かが起きたらしい。
 重機の操縦席を見たけれどここからでは何もわからない。
 ただ、大変な苦痛を要する何が発生したことだけがわかるのみだ。
 「ぐぐぐぐぐぐぐぐく、ぐるしい、ぐるしい・・・・あうっ」
 「ゲインさん下ろしてください。下ろしてくださいっっっ!!」
 クレーンに宙吊りなっている状態では何もできない。
 つまり、ゲインが正気に戻らないかぎり宙吊りになりっぱなしだということだ。
 誰も手を下さない限り宙吊りのまんま
 小便はここから垂れ流し、飯を食うこともできなければ何処にもいくこともできない。
 「下ろしてください下ろしてください。助けてあげますから助けてくださいっっっ!!!」
 クレーンのアームがぶるっと震えた。
 「のわわぁぁぁぁぁぁぁぁっ やりすぎやりす・・・・・・・・・」
 身体がジェットコースターのように落下する。
 下ろしてくれたはいったけれど、ゲインは事もあろうか、先端に人間がくくりつけられることお構い無しにアームを別れた恋人に怨念をぶつけるかのように物凄い勢いで振り下ろしたのだ。
 逃げることもできずに、地面に叩きつけられる。
 潰れそうな衝撃が身体全体に襲い掛かって意識があっちの世界に飛びかけた。
 でも運が悪いのかいいのか三途の川に行くまでにはいかなかったようで、しばらくしてから視界が正常に回復してくると、のそりとナイフを抜き、アームにくくりついてたロープを切り剥がすとようやくクレーンから自由になれた。
 助かった、と思って安心したら全身に激痛が走ってうめいた。
 それでもかまわず重機の操縦席に向かう。ハシゴを登り、ドアを荒々しく開けた。
 「ゲインさんっっっ!!」
 操縦席の中で、ゲインは片方の窓に寄りかかったまま苦しそうにうめいていた。
 その顔は激痛に染まり、下痢に必死になって耐えているかのように脂汗が浮かんでいた。
 どうやら突然、病気かなんか発症したらしい。
 「・・た、たすけて・・・・・」
 「わ、わかったから」
 首を激しく振ってうなずくとポケットから携帯を取り出して110番通報した。


 数時間後、オレとゲインは病院にいた。

 「はぁ〜」
 病院のベットに力なく寝ているゲインを見て、思わずため息を洩らした。
 「盲腸ですか」
 「・・・・すいません、氷室さん。お手数をおかけまして」
 「いや、それはいいんですけど」
 巻き添え食らって死にかけたわけなんだけれど、それはいい。
 しぶくとも元気に生き残っているわけだから
 問題はこれからだった。
 「本当にすいません」
 「・・・・・・・・・」
 なんていったらいいのか迷った。
  
 突然の盲腸によって戦友は離脱してしまい
 戦場に立つのは俺一人だけになってしまった。
 電気工事のゴンドラではなくクレーン、というところを除けばそれなりに有効だったわけだけれどゲインの離脱によって重機が使えなくなってしまった。
 それは砲身にライトを施せないことを意味していた。
 考えれば安全に設置する方法が見つかるのかも知れないけど、今は見つからない。
 いずれにせよ、土台を半分も作っていない状態でいきなりつまずいしまった。
 24日までに設置せねばならないわけで、早くもかなりの時間をロスをしてしまった。
 おもいっきり辛い。
 「ライトアップはどうしますか?」
 「どうしますって、やりますよ」
 言い出しっぺが思いがけない形で離脱したけれど、プロジェクトはオレを巻き込んで動いている。今ならまだ間に合うのかも知れないけど、やめるのはこれが納得しない。
 イルミネーションを2人へのクリスマスプレゼントにしようって決めたんだから

 「氷室さん?」
 「・・・・いや、なんでも」

 その2人がここにいないんだから笑うしかない。
 しょうがないといえばしょうがないんだけれど、あの時の恋の怒りっぷりから24日まで帰ってくるかどうかわからなかった。電話もなくて、むしろ絶望的にさえ思えてくる。

 「とにかくライトアップは俺が完成させます」
 それだからこそ中断なんてできなかった。
 たとえそれが非常に困難なものであったとしても。

  
 とはいうものの前途は果てしなく厳しいわけで

 入院するゲインと別れて、家に戻った時
 丘の向こうに太陽が沈みかけていた。

 茜色の空とピンク色の雲を背景に、かのんが水平発射の態勢で聳え立っている。
 本当のところは今日中に土台を作りたかったのだけれど、ゲインの急な発病によって中断に追い込まれていた。真面目な話、砲身に安全に装飾できる方法を考え出さなければライトアップするのは砲座だけという間抜けなことになってしまう。

 とほほほほ。
 安全にやれる方法を編み出すか、新たにボランティアを募るか。
 後者は厳しいような気がした。
 
 恋や久遠と喧嘩するぐらいだからなぁ〜
 人を集められる自信なんてない。
 と、したら自分一人でやるしかないのだけど

 こうやってオレは日が暮れるまで悩み続けていた。

 


 3rd TRACK 鈍感


 次の日、自転車を駆って家から出た。
 
 フェンスにきっちり施錠をすると坂道をMTBで駆け下りる。
 原付に勝るとも劣らない速度が出て、行くのは気持ちいいんだけど帰りが地獄だったりする。
 
 丘を登ったり下ったりすること25km走ると、ようやく目指していたショッピングセンターにたどり着いた。
 
 ここは広い敷地の中にホームセンターとかドラッグストア、アウトレットとか集まっている場所で大抵のものはここで買い足せる。そのため客がこっちに流れていってしまい、駅前の商店街に閑古鳥の鳴き声が響き渡る始末になっている。。
 
 脇にある自転車置き場に駐車して、チェーンロックをかけるとホームセンターの中に入った。
 学校の体育館の数倍もの広さと高さがある空間に、秩序だって商品が配置されている。そこはまるで森だった。商品と棚で構成されたジャングルだった。
 恋だったら遭難するだろうな。間違いなく
 そんなことを思いながら彷徨うこと徨うこと5分。ようやく目的の物を発見することができた。

 それは磁石だった。

 磁石を適当に見繕ってカートに放り込み、レジで清算を済ませると目的は達成される。本当のところはここで帰るべきなんだろうけど、来る機会があんまりないからもうちょっと見て回りたかった。
 だいたいここから家まで25kmあるのだから、帰ったところでやれることは限られている。
 ・・・・・・ここは自転車で来るようなところじゃない。
 それ以前に自転車で回るにはこのエリアが広すぎる。
 せめてバイクと免許は得たいところなんだけれど、資金に余裕がない。
 やっぱりこれからも自転車なんだろうな、と暗澹たる気持ちで思いつつショッピングセンターの中を散策し始めた。

 それから数分後。
 
 「あれ?」
 気がつくと玩具売り場にいた。
 赤やピンクのカラーリングが施された一角で、何処となく華やいだ雰囲気が漂っていた。親子連れの姿もそこそこ目立つ。

 ついつい人形売り場に目が向いてしまうのは人形物の習性だろうか。
 ラインナップはまあ普通といったところで恥ずかしさを黙殺してまで買いたくなるようなものはない。
 普段だったらそれだけで通り過ぎっていっただろう。
 ショッピングセンターの玩具屋がコアであるはずがなく、また当然の事ながら玩具屋のターゲットとオレの嗜好は一致しない。ボー○スのショールームがやってくればいいと思うのだけどこんな辺鄙なところに来るわけがない。

 あいつらが喜びそうなものを探していた。

 恋はなんといってもゲームソフトだろう。
 あいつの嗜好は男の子寄りであり、遊べるものだったらなんだってオッケーだろう。
 久遠は子供っぽいものよりもメモリとかのパソコン部品を喜ぶように見える。
 実際にメモリを送れば喜んでもらえるんだろうとは思うんだけど、本当はけっこう可愛いものが好きだ。
 ただし、これは古い情報なので今はどうなのかわからない。
 
 しかし、見栄よりも実用性重視の嗜好が急にブランド好きになるとも思えないし、恋がグッチのハンドバックやブルガリの時計を見せびらかしている姿なんて想像できない。

 やっぱり思うところに走ったほうがいいのだろう。

 でも、帰ってきてくれるのだろうのか。
 
 喧嘩別れ同然にあいつらは去っていった。
 恋は激怒して、久遠は冷たい光を投げかけて
 それだけに不安になる。

 ・・・・・・もしも、帰ってこなかったとしたら
 こうやってプレゼントを買うことも無意味になるのだろう。

 「おーーいっっ!!! 元気ないぞーっ」
 いきなり横方向からラリアットを喰らって、脳が激しく揺さぶられた。
 「いってぇぇぇ・・・・なにしやがるって? メイさん??」
 「やっほー」
 そうやってニコやかに笑ったのは白と黒のゴスロリ調のドレスを着た17歳ぐらいの美少女だった。大きさと形のバランスが取れたバストとモデルのようなスタイルを持っている。ツインテールの長さがもうちっと長ければオレのストライクゾーンど真ん中に入ってくるんだけれど、それはオレが変なだけで誰もが彼女にしたがるようなとっても可愛い少女だった。
 「・・・なんでラリアットしてくるかな」
 刈られた首をさすっているとその少女、メイは悪びれもせずに答えた。
 「闘魂注入♪」
 貴方は猪木ですか。メイさん。
 「だって管理人さんってば元気なさそうなんだもん」
 町の住民からは管理人さんって呼ばれている。
 「オレってそんなに元気がないように見えますか?」
 「見える見える」メイは言った。「恋と久遠がいっちゃったから無理もないとは思うんだけど」

 反射的に首を吊るのに最適な梁を探していた。
 そんなのはなかったけど

 「わーーわーわー 落ち込むなーーっっ」
 「いや、落ち込んでない落ち込んでない」
 「絶対に落ち込んでいる」
 ごまかし笑いを浮かべたものの、あっさりと看破されている。
 オレって嘘がつけない人間なのかと違う意味で落ち込んでいた。

 「ねえ。あたしが相談に乗ってあげよっか♪」
 心持か下がる肩をメイがぽんぽんと叩いた。
 「もちろん相談料はしっかり頂くけど」


 メイというのは、かのんの麓にある街に住んでいる少女である。
 苗字は伊集院じゃないことだけは確かだ。
 ひょんなことで顔見知りになり以来、知り合い以上友達未満という関係が続いている。

 「うわーーーっ 管理人ちゃんったらすごーい。ごーせーっっ!!」
 「なはははは・・・・・・」
 あんたが頼んだんでしょうが、とはいえなかった。
 
 隣のレストランに行くなり、メイはオレのおごりである事をいいことにパフェやらフロートやらあんみつやらといった具合に片っ端から甘いものを注文しまくっていた。その結果、テーブルのほとんどがオセロのようにメイの頼んだデザート類で埋め尽くされていた。
 勘定の事はまず考えないことにする。
 
 ただ、長いスプーンを使ってパフェのアイスクリームを掬い取る姿は可愛いと思った。
 「ライトアップ大作戦はどう?」
 「あんまり進んでない。言い出しっぺが急病で倒れちゃったから。再開できるめどはたったけどね」
 「24日までには間に合う?」
 かのんのライトアップ大作戦は街中でだいぶ噂になっているようだった。
 「・・・・間に合わせてみせる」
 間に合うじゃない。間に合わせるだ。
 尻に火がついていたけれど。
 「間に合わせるか・・・・やる気になっているのは結構だけど、おもいっきりヤバそうだね」
 「ヤバそうじゃなくて、本当にやばいんだけどさ」
 「こらこら責任者がそんなこといってどうする」
 メイはデザートをちょこちょこっと食べながら、にっこりと笑みを浮かべた。
 「あれだけの大きさがあるんだから一人でやるのって大変だよね」
 「まあ、ね」
 2人でやるのも大変だけれど、重機を操作するゲインが抜けたというのがおもいっきり痛い。
 「3人だったら・・・楽とはいわないまでも、そんなに苦労しなくて済むんだけどな」
 「何が言いたいんですか」
 残りの2人が恋と久遠だということは流石に気付く。
 その時、メイは手を止めた。
 「かっこつけようとしたんでしょ♪」

 図星だった。
 正解という針の穴を20mm弾が貫通していた。

 なまじ天使のように微笑んでいるだけに
 ぐさぐさと後ろめたさの刃が突き刺さりまくる。

 「管理人さんって面白いねー。ここまで見え見えだと他人事ながら心配になっちゃうよ」
 そんなことを笑いながら言わんように・・・・・

 「「この灯りがキミたちへの贈り物だよ」って言ってみたい気持ちもわかるんだけど、管理人さんにそんなの似合わないって」
 「くぅぅぅぅぅぅぅ〜」
 「くうちゃん?」
 「違うって」
 確かに・・・・・そういうセリフが似合う奴だったら、こんなところで列車砲の管理人なんてやっていないし、恋と久遠も義理の妹になっているはずである。
 ほんと殴られっぱなし。

 「・・・まあ、それはともかくとして自分の力で出来るものなのかやる前に判断するのも必要だよね」
 それはその通りだと思う。
 かのんの全体にライトアップとなるとライト代もかかるがそれ以上に労力を使うものだ。一人でやるにはかのんはあまりにも巨大すぎる。
 巨大なことはわかっていたんだけれど、実際にやってみたら思っていた以上に大きかった。
 というわけでゲームの制作のように半ば投げかかっている心理状態にあるといってもいい。
 「それで、かっこつけるために追い出しちゃったっていうわけね」
 「・・・まあね」
 出て行ったのか追い出したのか、竹島の所有権問題のように微妙だったがいない事には代わりないでうなずいた。
 「しかも、2人とも怒ってでていっちゃったと」
 「あのさ・・・・・」
 「なに?」
 「見てた?」
 ここまで図星突きまくられていると、ひょっとして監視カメラかなんかで現場を見られていたと勘ぐりたくもなく。
 「なんで? なんであたしが管理人さんのとこをわざわざ覗きにいかなくちゃなんないわけ?」
 「まあ、それはそうだよな」
 「久遠がちょっとじゅるりなんだけど」
 「なんすか? じゅるりって」
 「気にしない気にしない」
 ・・・・・気にするって。
 「問題は何が2人を怒らせたか、っていうことだね」
 じゅるりが気になるところだけれど、ようやく本題に入ってきたところだけに忘れるしかなかった。
 そう、問題は何故、円満に解決することができなかったということだ。
 「どんな会話したの?」
 「まず、2人のお姉さんから電話をかけてもらったんだ。「忙しいから来てくれ」って2人とも姉さんのことが大好きだからすんなりと行くと思ったんだ」
 「ところがそうはいかなかった、と」
 「うん。なんか知らないけど戸惑っちゃって」
 「なにを戸惑ってたのカナ?」
 「オレが聞きたい」
 それがわからないから困ってるんだ。
 「ただ、恋かこんな事を聞いてたんだ。「オレを残していいのか」って?」
 「それでなんて答えたの?」
 目つきが探偵のように鋭くなっていた。何かを掴んだらしい。
 「オレよりも姉さんのほうが大事じゃないのか? とその時は答えたんだ」

 その判断は間違ってないはずだ。
 恋と久遠にとって夕維ねえは誰よりも大事な存在であるはずだ。

 なのに・・・・
 そう言った瞬間、メイのオレを見る目が果てしなく冷たくなった。
 久遠のように絶対零度の冷たさはないけれど、その代わりに軽蔑が交じっていた。
 「恋たちが怒るのも当然だよ」
 「何故? 恋たちは姉さんのほうが大切じゃないのか?」
 すると侮蔑の度合いが増した。
 「あんたバカ?」
 「・・・・・・」
 「本当にわからないの?あの子たちはあんたが大事なんだよ」

 信じられなかった。
 恋や久遠が、オレのことを大事に想っていてくれているなんて信じられなかった。
 
 こんなオレを?
 ダメ人間なオレを?
 立派で綺麗で優しい夕維よりもオレを?

 基本概念をメイの一言で叩き潰されて困惑の中に叩き落されている。

 「なんでこんな人を想うなんて、あの2人も奇特だよね」
 ため息交じりにメイが呟いた。
 「あの2人の可愛さだったら、管理人さんよりも素敵な人を見つけることも容易いのに。もったいない」
 「・・・・オレもほんとそう思・・いでっ」
 でこぴんを喰らった。
 「当人がそんなことを言わない。あんたのことを想っていてくれているあの子たちが可哀想じゃないの」
 確かにオレはダメ人間で誉められるような者じゃないけれど、そんな人間を想っていてくれる人がいるんだから、その人たちの気持ちを裏切ってはいけない。

 でも、この期に及んで信じられないでいる。
 だって、第三者から見れば俺よりも姉のほうが大事に想うのが当然だからだ。
 肉親である以上に人としての出来が違う。

 そのオレの疑念を読んだかのようにメイは言った。
 
 「だったら、なんで恋と久遠は管理人さんの元に来たの?」

 その一言は困惑さえも粉砕して、オレを深淵に叩き落した。
 その深淵が何の深淵なのかわからない。
 ただ、頭の中で星が爆発したような衝撃を感じていた。

 夕維が大切であれば、そもそもオレの元に来たりはしない。

 その事をまず最初に思い当たるべきだった。
 相当な覚悟を決めて、俺の元にやってきたことを気がつくべきだったんだ。

 それなのにオレは深く考えようともせず
 怒らせてしまった。

 ・・・・最低だ。
 ほんと最低だ。

 「・・・・まあまあ。そんなに落ち込まないで」
 落ち込み時空が空間を浸食するのに耐え切れなかったのか、メイはフォローするような苦笑いを浮かべた。
 「最低だ・・・・オレは最低だ。最低だ」
 「ウザいっっっ!!」
 足を象のような力で踏みにじられて、ようやく我に帰った。
 「自虐に走るな。このっっ!!」
 「・・・・・・・それはわかるんだけど、オレにセールスポイントなんてな・・・・」
 「ふざけるなっっ!!」
 あぐっ
 足が踏み潰されそうな激痛にのたうちまわった。
 「正直言って、管理人さんは男としてはかっこ悪いとあたしは思う。そんな管理人さんを想ってくれるあの二人は変人だと思う。でも、想っていてくれているんだから、あんたも2人が大事だと思うのならしゃんとしろっ」
 「でも、今回のことで見限ら・・・・・・・あぐあぐあぐっっ!!」
 「へらず口叩くなっ!!!」
 とどめとばかりに強烈に踏むと、ようやくメイは足をどけてくれた。
 見なくても踏まれた足がパンパンに腫れているのがわかる。
 ちゃんと自転車漕いで帰れるんだろうか、と不安に思ったその時、メイは立ち上がった。
 「ごちそさまでした♪ では」
 気がつくとテーブルを埋め尽くしていたデサートの数々があらかた食べ尽くされていた。それなのにメイのスタイルに微塵の変化も及ぼさない。胃袋が四次元ポケットのなかと思いつつも、それとは別なことを言った。
 「じゃあ、また。相談乗ってくれてありがとう」
 踏まれまくった足がズキズキ痛むのはおいといて。
 メイはオレを残して去ろうとしたが、立ち止まると軽く振り返った。
 「ライトアップ。がんばってね♪」
 
 それは温かみのある優しい笑顔だった。
 足を踏まれたにも関わらず、痛みをその時だけ忘れていた。

 レストランの座席にひとり取り残される。
 メイも去り、食べるものないのに関わらず、ずっとそこに立ち止まっていた。
 
 メイに教えられたことに圧倒されてしまい、まともな思考ができずにいる。
 
 恋と久遠はオレよりも夕維のほうが大切だと思っていた。
 だけど、それは誤解だったらしい。

 でもな・・・・

 色々と証拠があるにも関わらず、二人の気持ちを実感できずにいる。
 立体映像と同じで目の前には存在するけど、掴もうとすると指先からすり抜けるように感じることができない。

 じゃあ、どうすればいい。とはいっても結論は出ず
 ただ天井を見上げるしかなかった。

 胸に走る痛みが
 踏まれた足からの痛みなのか、予想外の出費に強いられた財布の痛みなのかはわからなかった。