空と風と大砲と
 〜しゃんはいかのん・ストーリー〜


第1話:しゃんはい・かのん

 ふと、立ち止まる瞬間というのがある。
 仕事している時、遊んでいる時、移動している時、その他色々な時
 忙しいのにも関わらず、エアポケットに落ち込んだかのように
 周囲から意識だけが切り離されることがある。

 大抵、その時は今まで過ごして時間を振り返える。
 そして、必ずといってもいいほど沈没する。

 いかなる成功者だとはいえ、後悔や良心の呵責を覚えずに生きられるはずがない。
 ましてや、今までの人生が失敗続きだと思っている人間なら尚更だ。
 ああすればよかった、こーすればよかったと後悔の雪崩にあっという間に押し潰されてしまう。
 その典型が俺だった。

 始まった時と同じように唐突に我に帰る。

 気がつくと目の前にあるノートパソコンの液晶のディスプレイの中で、ノートパッドのカーソルが点滅していた。
 ノートハッドの領域はまだ真っ白いまんま。
 つまり、何も書けていない。

 小説を書こうとはしたものの、のっけから躓いた。
 頭の中ではそのシーンを思い浮かんでいるのだけれど、それを表現する言葉が見つからない。これはありきたりの表現じゃないのか? もっと他にいい言葉があるんじゃないのか? 文章が足らないんじゃないのか? 同じ表現を使いすぎるんじゃないのかといった具合に様々な突っ込みが生まれては消えて、その結果、前に進めなくなる。
 言葉一つ言葉一つは単純で、それらを組み合わせることによって複雑な味わいを出すことはわかるんだけれど、どうやって組み合わせたらいいのかわからない。
 パズルの解き方と同じようなもので、俺の頭は相変わらず解けないでいる。

 ため息一つつくと、ノートパッドを終了させて席から立ち上がった。
 
 さっきからしきりに胃が空腹を訴え続けていた。
 起きてからしばらくたち意識も落ち着いてきたから、朝ご飯を求めるのも当然のことだった。お腹が空いていては浮かぶはずの文章も浮かびはしない。
 まずは飯だ。
 
 食堂車の食堂部分を改装した居間をまさぐって、買い置きしたカップラーメンの一つを取り上げるとすぐ側にある厨房に行った。
 ホットプレートにスイッチを入れると、その上に水をたっぷり入れた鉄瓶をかける。
 厨房の天井をただ茫然と見上げているうちに、鉄瓶から白い煙が立ち昇ってきたので火を止めると鉄瓶を居間に持っていった。
 用意してあったカップラーメンに並々とお湯を注ぐと蓋を締める。

 カウントをするために腕時計を見ると時刻は11時を回っていた。
 朝飯というよりは昼飯という領域になっている。
 せっかくの休日の大半がここで過ぎていた・・・・・って、まあ睡欲には勝てないから、しょうがないんだけど。
 
 大きい窓から眩しい光が差していた。
 空には澄み切った蒼が限界なく広がっていて雲がぽつりぽつりと浮かんでいる。
 見ているだけで悩み事が吹っ飛びそうなぐらいに爽快な今日の天気だった。
 こういう日こそ、サイクリングに行ったりピクニックするべきなんだろうな。

 耳の奥にくすぐるような甘い囁きが蘇る。
 ”いこうよっ トシツグトシツグ”

 あいつなら、絶対にそういってせがんだはずだった。

 余韻を振り払うかのように首を振るとカップラーメンの蓋を開けて、さっそく薄い麺をむさぼり始めた。
 あっという麺を平らげて、残ったスープをジュース代わりに飲みながら俺は想いにふけっていた。

 今頃、あいつらはどうしているのかな?

 テーブルの上に立てかけていた写真を手に取ると、久しぶりにそれを見つめた。
 
 
 写真の中では少年少女たちがVサインをしたり、恥ずかしそうにしたり、ガッツポーズを決めたりと思い思いのポーズで集まっていた。
 
 おもいっきり個性的な連中だよな・・・・・・

 艶やかな黒髪を膝まで伸ばした清楚な少女が苦笑を浮かべていた。
 下ろした両手は前に立つ白いウェーブのかかった髪に赤い瞳の女の子の両肩にかかっていて、女の子は顔を真っ赤にしている。白子だからちょっと程度でも大げさになってしまう。
 一番の長身で三白眼、学生というよりは歴戦の傭兵という雰囲気を漂わせた少年が状況を呆れた眼差しで見ていて、その脚をピンク色の髪をツインテールにした少女ががしっと嬉しそうに抱きしめている。
 中学生ぐらいの女顔の少年が腹を抱えながら大笑いしていて、その側にいるウェーブヘアの20代の女性が「笑うのはやめなよ」と言いたげな表情していて、黒髪のホブヘアにリボンをヘアバンドのように巻いた人のよさそうな少女が苦笑を浮かべていた。
 
 いたはずなのに俺の姿がない。

 こ、こいつら・・・・・・・・

 ショートカットの元気よさそうな女の子と、両目の色が違って見た目だけは端正に見える少年が互いの頬を引っ張り合っての喧嘩をよりによってフレームの真正面で繰り広げていた。 
 おそらくこの2人の影に隠れてしまったのだろう。
 俺らしい、と思えてしまうのが悲しかったが。

 その写真を見ているうちに懐かしさがこみ上げてきた。
 それは温かい記憶であり
 オルゴールの調べに涙ぐむような、切ない思い出だった。

 ここに来る前、延沢(のべざわ)という家に居候していた。
 あちらの家庭の都合で、その家の長男である和志と野郎2人のわびしい生活になると思いきや、アメリカに行ってしまった家族と入れ違いに和志の従妹3人が現れて生活は一気に華やか、そしてドタバタになった。
 振り回されっぱなしだったけれど、あの頃はとっても楽しかった。
 毎日が何時までも続いている夢のように楽しかった。

 だけど、今は彼らから遠く離れた場所にいる。 

 決して悪い場所ではなかった。
 みんなが悪いというわけでもなかった。

 でも、いつしか感じるようになっていた。
 居心地の悪さ

 ただ、最初はなんとなくだったのが
 その気持ちがだんだんと膨れ上がってきて
 気がついたら延沢の家を離れて、こんなところに来ていた。

 やっぱり、俺が悪いんだと思う。

 気がついたら取り残されている俺がいて
 みんなとの距離がだんだん広がっていくのを覚えていた。
 距離を詰めることができず
 際限なく広がっていくのに耐えられなくて家を出た。

 あれから、もう何年経ったんだろうか。
 全てが遠くにいってしまったお話。

 既に袂は別ったのだ。
 もう、あいつらとも二度と会う事はないだろう。
 俺は俺の人生を生き、あいつらはあいつらの人生を生き、地球は何物にも平等に回転を続けていく。時にはあいつらがどんな顔をして生きているのか思い浮かべてみることはあるけれど浮かんだしゃぼん玉はぱちりと割れてそこで終わる。

 もう、終わった話なのだから
 終わった話だからこそ綺麗なのだ。
 もう、二度と手に入らないものなのだから

 それ故に思い出してしまうのだ。
 袋小路に追い詰められて
 自分が崩壊する音を聞きながら、ひとり孤独を噛み締めているその時に。

 今日は何をしようかと考えた。

 このまま原稿を書いていようかとは思ったけれど、カップラーメンを啜っても相変わらず脳味噌はウニのまま。いいアイデアなんて思いつきもしなかった。
 また、それ以前にやるべきことがあった。

 食堂車を改装した居間兼食堂兼厨房の居間部分は書斎と化し、更にグレゴール・ザムザのごとく物置き場へ変化しようとしていた。
 余分なテーブルを撤去して作ったスペースは買ってきた本やゲームソフト、その他の雑貨などで足の踏み場もないぐらいに埋め尽くされている。外に出るのに除雪作業をして道を作らなければならないほどだ。また、探し物があった場合なんかは周りに置かれていた物がかき乱されてエントロピーを増大させる羽目になる。
 面倒だけど、いい加減に掃除せねばなるまい。
 そして、洗濯物が溜まっていることを思い出す。
 着替えの底が尽きているのだから部屋の掃除以上にそちらの方が急務だった。
 おまけに今日は晴れていて絶好の洗濯日和である。

 やるか

 洗濯物を片付けることに決めると重い腰を上げた。


 ・・・・・・・・


 外に出ると爽やかな空気が頬を撫でた。
 
 まず目に映るのは客車たちの群れ。放置されているアイルランドのICやエリプソスといった客車たちが現在の主な住処で、それらを改造して適当に住んでいる。
 客車の間を抜けて浴場に改装している貨車の中に入ると、脱衣場にある洗濯機の周りに服が乱雑に散らばっていて我ながら呆れてしまう。
 その呆れた状態を解決するためにきたのだから、まずは洗濯槽に服や靴下をぶち込むと蛇口を開けて水を注ぎこみ、洗剤をぶち込むとスイッチを押した。
 十分ぐらいかけて洗濯を終えると、満杯になった洗濯籠二つを両手に持つと貨車から出た。

 白に蒼やオレンジ色といったカラフルな客車のすぐ近くにそれはある。

 80cmの口径もある巨大な砲が天に向かって反逆の拳を突き上げるように伸びていた。
 
 それは巨大な列車砲、台座の高さが5階建てのビルに相当するほど、幅は複線を丸ごと占拠して、長さは50mに達する物体が目の前にそびえたち、マッドサイエンティストの妄想を具現化したような威容を誇っていた。

 こいつの名前はドーラ
 ナチスドイツが実戦に投入した80cm列車砲である。

 これが何故、こんなところにあるのかこの地域に住んでいる人は誰も知らない。

 気がついたら、そこに存在していたという感じで
 ドーラは赤錆だらけの姿で、この小高い丘に鎮座しており、解体しようという話も特になく、ここに存在し続けている。

 俺がこの場所に住むことができたのも、この砲を管理するためという目的があるからだ。
 でっかいくせに余剰スペースがなくて、もはやモニュメント以外の何物でもない存在にも関わらず、この地域に住んでいる人はこの砲に愛着を感じているようだった。
 ときどき神社よろしく参拝に人に来たりするから笑ってしまう。
 神様が住んでいてもおかしくないような有無を言わせない説得力があるんだけれど、神社というのであれば巫女さんが欲しいところだ。
 まあ、それは冗談なんだけれど
 そして、その神聖な対象を物干し台に使おうとしている(笑)
 
 後ろにあるリフトで上下に往復して、洗濯物を砲の後ろにある砲弾装填のための長方形のプラットホームに上がると、設置してある物干し台にハンガーをかけてバランスよく洗ったばかりの衣服をつけていく。
 数十分の苦闘のすえにようやく洗濯物を干し終えて一息ついた。後にブツを回収するいう作業が残されているのだけれどそれは数時間後のことだった。
 洗濯物が強風に煽られながら、プラットホームいっぱいに広がるのは壮観だった。
 客車に戻ろうとしたけれど頬を撫でる風に思い直して、少しの間、ここにいることに決めた。

 砲弾を打つ相手もなく、モニュメント以外の価値もないドーラだけれど
 プラットホームから見る風景は格別だった。

 ドーラの外には草の海が広がっている。
 
 もともと小高い丘になっている上にドーラがおもいっきり高いのだから辺りの景色が一望できた。回りには牧草地や防風林が広がり、牧草を食んでいる牛が豆粒のように見えた。そして、遠くには山々と湖が見える。

 見上げれば、蒼い空が広がっている。
 最高だった。

 硬いプラットホームにごろりと横になる。
 寝心地は良くはないんだけれど、ただ漫然と空を眺めているうちに欠伸が出てきた。
 いつしか意識に眠りの霧がかかり始めている。
 それに抗うこともせず、瞼を閉じると意識はゆっくりと闇に包まれていった。

 夢を見た。

 意識が覚めると、スポットライトが薄く差すだけの暗い部屋にいた。
 起き上がろうとしても起き上がれない。
 どうやら手足を手錠か何かで拘束されているらしくて、ベッドの上で身体を振るわせることしかできなかった。
 とりあえず叫んでみた。

 「やめろ!! ジョッ○ー!!!」
 ・・・・・お約束(^_^;)

 なにやら妖しい手術が始まりそうな雰囲気が濃密に漂ってきていて、それから逃れようとするものの手足をつながれているのだからもがくことしかできなかった。
 まさにまな板の上のなんとやら(^_^;)
 それだからこそ仮○ラ×ダー改造手術、あるいは宇宙人の手による人体改造なんだと心の片隅で不思議と納得してしまっている一方で、恐怖している自分もまたそこにいる。
 しかも、手術の癖して回りに誰もいないというのが恐怖感を増していた。
 最初から怖いのはそれほど怖いものではない。
 怖い予感がして、助かったと思った直後にやってくるのが本当の恐怖だけれど
 死刑執行を延々と待ち続けるのも怖い。

 その時だった。

 上から何かが落ちてくる。

 な、なにぃっっ!? こういう展開かぁっ!!

 予想を打ち破る新たな展開に魂が裏返るぐらいってまた表になるぐらいに驚いた。
 慌てて逃れようとするが鎖ががちゃがちゃ鳴るばかりで動く事ができない。

 そいつはあっと言う間にでかくになる。
 隕石のようにとてつもなくおっきい存在。

 うめき声一つ立てることすら許されずにそれに押し潰される運命に耐えられなくて目を閉じた。
 その時だった。

 「おっきろーーっ!! トシツ・・・・・・・うわわわわわわぁっ!!」

 次の瞬間、それは地上に炸裂する。
 ダメージはなく、音とその余波だけが響いた。

 目が覚めた。

 「のわぁっ!!・・・・・・」

 俺が見たものは物の見事にへし折れた物干し竿と辺りに散らばる洗濯物だった。
 当然のことながら、散らばった洗濯物はドーラの外へ吹き流されていく。
 ぶっ壊された物干し竿と四方八方に散らばった洗濯物の回収の手間、洗濯の遣り直しなど様々なことを思うとひとりでにため息が出た。
 救いなのは、これが一部分だけの被害で済んだということだろうか。

 そして、折れた物干し竿の真ん中に一人の女の子が墜落していた。

 「おーい。だいじょうぶかー」

 女の子は目を回していた。

 その子は小学校高学年から中学生ぐらいの女の子で、ショートカットがとってもよく似合う元気のよさそうな女の子だった。ダブダブの白に胸のところにグリーンのラインが入った抜海高校サッカーチームのユニフォームにスパッツを着ている。

 目を回したまんまなので慌てかけた矢先、その女の子はむくりと起き上がった。

 「だいじょうぶじゃないっっっっっ!!」

 しっかり聞いてたじゃないか。

 あれだけ派手に激突をやらかしたくせに本人は大きなたんこぶをこさえている程度で、大したことがないように見えた。おもいっきり頭を打ったようだから見た目には大したことがなくても、見えないところでしっかり被害を受けていることも考えられるが、こいつに限ってはそんなことは無さそうだった。
 ギャグ漫画の登場人物並にタフなのはこの俺が一番良く知ってるから。

 「・・・・・・ううぅ。頭が痛いよぉ〜 バカになっちゃうよぉ〜」
 ”バカになるほどの脳味噌を持っているのか?”と反射的に突っ込みたくなったが辛うじて喉元で抑えると頭を撫でた。
 「よしよし〜♪ いたいのいたいの飛んでいけ〜♪」
 「バカにすんなーっっ!!」
 あ、吠えた。
 ・・・・まあ、当然か。半分からっているわけだから。
 「バカにするもなにもそれぐらいの事しかできないっつーの。本当に心配だったら医者に連れていくけど」
 「・・・・うぅぅーっ」
 
 俺はこの女の子がとてもじゃないがCTスキャンにかけられない存在であることを知っている。
 それだけに女の子は意気消沈して黙り込んでしまった。

 肩をすくめると、今度は愛情といたわりを篭めて女の子の頭を撫でた。
 女の子の頭は気持ち良く、サラサラな髪の感触がとっても気持ちよかった。
 姉や片割れと同じように綺麗な髪をしているんだからばっさりと刈り上げちゃっているのはもったいないような気がするけれど、しょうがないんだろう。

 「もうっ。子供扱いしないでよっ」
 さっきと言葉は同じけれど、トーンが違っていた。
 「ボクだって成長したんだから」
 「へぇ〜 どのあたりが?」
 わざと下卑た声を出してみる。
 「あ、トシツグってばセクハラ親父みたいだぞ」
 「ちっとも変わっているようには見えないんだけど」
 改めて、物干し台を見てみた。
 台と台の間にあるべきものがない不自然な姿をさらしている。こっちのほうがよっぽど可哀想だった。
 「ていうか、何をやろうとしてたんだ? 恋」

 恋は顔を縦方向に皺を寄せながらごまかし笑いを浮かべていた。
 どういうオチになのか読めてはいたけれど、さっきの夢のように予想を越えた答えがほしかった。
 
 「トシツグってばお昼寝してて、呼んでもなかなか起きないから」
 「起きないから?」
 恋は間近に聳え立つ銭湯の煙突のように巨大な砲身を見やると呟いた。
 「あそこからフライングボディプレスでトシツグをたたき起こそうと思ったんだ♪」
 「するなボケっっっっっっっ!!!」
 思わず大声で叫んでいた。

 ったく、こいつは・・・・・・
 普通の人間なら考えない、まずしようとはしないことを何のためらいもなしにやっちゃうのは今も昔も変わらない。言い換えれば成長してないということだ。こいつは

 「・・・・・なんで外れたんだろう」
 そしては恋は論点からズレたところで悩んでいた。
 「PKを使って外すとは、いつのまにそんな芸を覚えたんだーっっっっ」
 「覚えてねーよっっっ!!」

 真実は一つ。
 恐らくは風のせいだろうと思う。
 説明し忘れたが、プラットホームは地上からはかなり高くなっているのでそれだけ風も強い。風が強ければ流されて着弾ポイントもズレる。
 もし流されていなかったらと思うと頭が痛くなる。

 「やっぱり変わってないじゃないか」
 少しは背が伸びたような気がするけれど、頭の中身はちっとも変わっていない。
 「変わったよっっ!!」
 「何処が変わったんだ?」
 ニヤニヤしていると恋は顔を赤らめて口ごもる。
 「うーん・・・・・・」
 悩んだまんま数分が過ぎる。
 「何処が変わったんだ? 言ってみ」
 頭をグリグリする。
 何も言えない恋を見て笑いつつも、こんなことを思わずにはいられなかった。

 何年ぶりなんだろうか。
 延沢さん家で一緒に暮らしていた一人である恋(れん)と再会したのは。
 
 かなりの月日が経っているにも関わらず
 昨日、別れたばっかの友達のような気楽さで恋と話していた。
 
 距離と時間の壁なんてあっさりと飛び越えて
 日常ではなかったのに
 日常の続きのようにして俺と恋がここにいる。

 「胸が大きくなったんだぞっ」
 両手を手に当てて恋はえばってみせる。
 しかし、その肝心の胸はどう見ても洗濯板のように平らだった。
 「な、なんだよっっ」
 疑わしい眼差しに恋はうろたえる。
 「ほんとにほんとに大きくなったんだからなっっ」
 「ほぉ〜( ̄∀ ̄*)」
 「久遠よりも大きくなったんだぞっっっ」
 恋はそう拳を握り締めて力説した。
 刹那、何処からともなくレーザービームのような鋭い眼差しが突き刺さってきて、その眼差しが帯びる絶対零度の冷たさに身体が震えた。
 
 「く、くおん??」
 悪事が母親にバレた子供のように恋はうろたえていた。

 そりゃ、いるだろうな・・・・・

 外見も性格も違う2人だけど
 動くときはいつも一緒だから。

 ドーラのプラットホームから見下ろすと一人の女の子が俺達を見上げていた。
 おもいっきり白い眼差しで

 その子は恋と同年代ぐらいの女の子で、ウェーブのかかったロングヘアはミルクのように白く、瞳はウサギのように赤かった。
 サイドにかかる髪を後頭部で赤いリボンで束ねていて、白と黒のゴスロリ風のドレスを着ているのでフランス人形のような可愛らしさを持った女の子ではあったが表情はなく、ただ目線だけが凍てついていた。
 その女の子は、俺と恋に対する興味をなくしたように見上げるのをやめると散らばった洗濯物を拾い集め始めた。
 相変わらずだな。久遠は
 そんな女の子の姿を見て、俺は懐かしさを覚えていた。
 らしいといえば恋もらしさは変わっていないんだけれど、こちらは懐かしさなんて覚えるわけがない。
 「あはははは・・・・・・」
 物干し竿をぶっ壊したこと、洗濯物を四散させたことを目線で責めると恋はごまかし笑いを浮かべた。言いたいことは山ほどあるんだけれど久遠が洗濯物を拾い集めてくれているんだから責めてなんていられない。
 「いくぞ」
 「どこに?」
 あまりのナイスボケに一呼吸を置いてから、ツッコミを入れていた。
 
 「おっす。久遠」
 リフトを使ってプラットホームから地上に降りると、洗濯物を拾い集めていた女の子に話し掛けた。女の子は拾う手を止めると小脇に抱えていた洗濯物を、俺が手にぶらさげているバスケットの中に入れた。
 「お久しぶりです。俊継さん」
 そして、丁寧にお辞儀をする。
 「お変わりないようで何よりです」
 「ま、まあね」
 その女の子、久遠をリボンの先からブーツの爪先まで軽くサーチした。
 昔に比べてだいぶ成熟しているように見えた。
 幼女の愛らしさはそのままなんだけれど、淑女としての気品と落ち着きがだいぶ増しているように見えた。
 あと、他人にはどうでも良くて俺的には気になるところといえばウェーブのかかった乳白色の髪が以前は腰までしかなかったものが、今は上半身を完全に覆って太腿まで達している。
 「夕維ねえに似てきたね」
 黒髪とアルピノの違いがあるとはいえ久遠は、彼女のお姉さんの路線を辿っているように見える。
 その事をいうと久遠は恥ずかしそうに顔を俯かせた。
 そんなところは昔と変わってない。
 「ねえねえ。ボクはボクはっ!?」
 そこへ恋が絡んできた。
 「ぜんぜん似てない」
 「えーーーっ!!」
 あっさり否定してやると恋はむくれた。
 「今はボクのほうが姉さまに似てるよっ」
 そんなことで張り合うこともないのに。
 らしいといえばらしいんだけど
 「だって、髪をばっさり切っちゃったんだもん♪」

 な、な、ぬわぁにぃ〜Σ( ̄□ ̄;)
 あの膝まである綺麗な黒髪をだとぉ〜

 恋が顎の辺りに手の先を突きつけている。つまり襟足までのボブにすっぱりと切り落としてしまったということだ。
 他人の事とはいえ、あまりの豪快っぷりというか勿体なさすぎに嘆息をつく俺だった。

 いったい何が起きたんだろうか。

 夕維ねえ自分の髪をとっても大事にしていて、飽きたからという理由で切ることはないはずだった。
 心境が変える何かがあったのだろうか?
 考えていると久遠が目配せをしてきて、知らず知らずのうちに久遠を見ていたことに気付く。
 久遠は姉に追随して髪を伸ばしていたから、姉が切ったというのであれば久遠も切りそうなんだけれど久遠の方は相変わらず髪を伸ばし続けている。

 時間は俺にも久遠たちにも平等に流れている。
 俺のいない間に、何か決定的な何かが起きたようだった。
 まあ、それは話してくれるだろう。話す時間はいくらでもあるのだから。

 「でも、中身がぜんぜん違うんだけど」
 だからといって、いきなり旧知の人間にフライングボディプレスをかます人間と夕維ねえが同じはずがない。
 「むきーーーーっ」
 久遠が冷ややかな眼差しで同意したことによって、恋は某英会話学校のウサギ型UMAのように怒り出す。
 そんな恋を見やって苦笑を浮かべると久遠との話を続けた。

 「よく、俺の居場所がわかったね」
 別れる時に居場所は告げてはいなかったものの、久遠だったらわかられても当然という気がした。久遠の情報収集能力は凄まじいもので、警察の鑑識のようにほんのちょっとした痕跡から簡単に居場所を割り出してしまう。
 「駅からはっきりと見えましたから」
 「なるほど
 これといってめぼしい建物もない田舎だけに、ドーラは遠くからでもよく目立つ。
 「電話掛ければよかったのに」
 そしたら、迎えにきたのに
 駅からは徒歩で30分の距離がある。久遠のことだから携帯の電話番号も探り当てているはずだ。
 「どうせ俊継さんのことだから、車の免許を持っていませんよね」
 「どうせってあのな・・・・・・」
 原付は持っているけれど車の免許は持っていない。だから、俺が迎えに来たところで歩くことには変わりない。ドーラを目指して歩いていけばいいわけだから道案内はいらない。
 「でも、それは理由の一つでしかありません」
 「じゃあ別に理由があるっていうのか?」
 「はい」
 久遠はうなずいた。
 「俊継さんを驚かそうと思ったからです」
 そういって久遠は微笑んだ。

 くおん??

 少女らしい可愛い笑みに思わず見とれてしまう。

 「どうしました?」
 「いや」
 笑顔を見せていたのも一瞬で、すぐにいつもの無表情に戻っていた。
 だけど、笑っていたのも事実でその残像は網膜に焼き付いていた。

 「それよりー」
 恋が声を張り上げる。
 「ごはんにしようよー ごーはーんーっ!!」
 「オーケーオーケー。飯にしよう」
 「やったーっ!!」
 俺がそういうと恋は無邪気に喜んだ。
 そんな程度で宝くじが当たったように喜んでいる恋を見ているとこちらまで心が温かくなるのを感じていた。

 ただ、釘を差しておくのは忘れなかったが
 「その前に洗濯物をかたそうな」
 「あうっ」

 
 ・・・・・・・・・
 
  
 鉄瓶のお湯が沸くのを確認すると、ホテル・ザッハー謹製の細かく砕いたコーヒー豆にお湯を軽く入れた。
 コーヒーを炒れる時のポイントは始めは一滴入れて、コーヒー豆を蒸らすこと。
 そうやってサーバーの中に出たカスを流しに捨てると、次からは本格的に淹れ始める。ゆっくりと注がれたお湯はコーヒー豆と濾紙を透過して、濃い茶色の液体となってサーバーの中に注がれ厨房にコーヒーのかぐわしい香りが漂いだした。
 サーバーの中にちょうどいい量のコーヒーが溜まったのを確認すると、お湯を注ぐのを切り上げてお盆に載せた。
 人数分のカップとスティックタイプの砂糖も乗せる。
 コーヒーにクリームを入れないので、クリームはない。
 お茶請けの菓子としてザッハトルテを用意したいところなんだけれど、あいにくとないから棚を開けてシンガポールで買ってきたドリアンパフのパッケージを開けて、コーラ色の塊をいくつか皿に載せると、それもお盆に入れると厨房から居間へと進んだ。
 
 「おまたせー・・・・・・って、あれ?」

 居間に戻ると、久遠と恋が居間を片付けていた。
 お客さんに部屋を片付けさせているわけで、おもいっきり肩身が狭い。

 「相変わらずだね、俊継は」
 俺がやってきたことに気付くと恋は呆れ、久遠は凍えるほどに冷たい眼差しを送っていた。
 「・・・・・・お茶にしないか?」
 「お菓子!?」
 コーヒーとお菓子を載せた盆を見るやいなや、恋は目を輝かせた。
 「お茶にしようよっっ!! 久遠」
 「・・・・・そうですね」
 居間はまだ雑然としているけれど、三人が座れるスペースが出来ていた。
 久遠も同意して、お茶になる。
 
 まず、用意したコーヒーカップにサーバーからコーヒーを注いだ。注ぎ口から軽い湯気と一緒に芳香が立ち昇り、カップはコーヒーで満たされる。
 「・・・・・・・お前なあ」
 コーヒーに5本も砂糖を開けている恋に苦笑を浮かべていた。
 「糖尿病になるぞ」
 「いいもんっ」
 恋はそっぽを向きながらスプーンで砂糖をかき混ぜていた。
 「トシツグこそ、砂糖入れないの?」
 「入れないよ。大人だもん」
 「ふんっ」
 その一方で久遠はコーヒーに口をつけていた。
 その様子はまるで本物のお嬢様のように見える。
 「美味しいです・・・・何処の豆なんですか?」
 「ザッハー謹製なんだけどね」
 ザッハトルテ本家の観光客向けのお土産だとたかをくくっていたんだけれど、一口飲んだらその印象は一変した。
 インスタントはおろか、普通に市販されているコーヒー豆に比較として、それらよりも繊細な味がして日本で加工した豆ではとてもじゃないけど出せない味を作っていた。
 何処の銘柄なのかはわからないけれど、どうやらホテル独特のレシピで調合したブレンドコーヒーらしい。
 「ところでみんなはどうしてる?」
 やっぱり気になるのは延沢や夕維ねえといった、みんなの動向だ。
 すると恋は待ってましたとばかりに口を開いた。
 「姉さまってば、お兄ちゃんと結婚しちゃったんだよ」
 その言葉を聞いた瞬間、カップを危うく取り落としかけた。
 「おい、冗談だろ?」
 「本当のことです」
 これが恋だったら疑うことが出来たんだけど、久遠も断言しているのだから信じるしかなかった。
 おまけに意地の悪い笑みを浮かべているし。

 そっか。あの2人ってば結婚したのか・・・・・・

 いずれはそうなるとは思っていたけれど、こんなに早く一緒になるんて想像もできなかった。
 っていうか早すぎだろ、おまえら。

 「写真あるよ。ほら」
 そういって恋が何処からともなく写真を取り出した。
 それは玩具屋の店先で、タキシードを着た長身で目つきの悪い新郎がウェデングドレスを着た新婦をお姫様抱っこしてる写真だった。
 恋が言っていた通りに新婦は膝まであった黒髪を顎先までのオカッパに切り落としていた。その結果、実際の年齢よりも幼くなってしまっていた。
 すっかり愛らしくなってしまった夕維ねえはとっても幸せそうに微笑んでいた。
 
 満ちたりた笑顔を見ていると純粋な気持ちで祝福したくなる。

 ロリータを嫁さんにした延沢も柄になく照れていた。
 周りにいる参列者は久遠と恋、延沢の両親とその弟の和也、バイト先の店長であるマスターに、その友人である降夜と晶さん、佐々木、そしてピンク色の髪をツインテールにしたちっちゃい女の子だった。
 
 どうやら、こいつらはつつがなくやっているようで安心する。
 ただ、この写真には写っていないメンツも存在する。
 「智香は?」
 「智香はプロレスラーになるって言ってた。メイドレスラーになるんだって」
 なんだよ。そのメイドレスラーっていうのは
 何か、おもいっきり勘違いしているような気がする。
 「あゆみちゃんと雪詩は・・・・・やっぱり、どっかにいっちゃたんだろうな」
 「うん。あゆみは遠いところの大学にいっちゃって、雪詩もついていっちゃった」
 そりゃしょうがないだろう。
 あゆみちゃんは延沢のことが大好きだったんし、雪詩は雪詩で熱烈な姉コンだから。
 「遼と真衣は?」
 史上最狂のシスコン野郎とその妹の名前を出すと、たちどころに2人の顔が曇った。
 曇ったどころの話じゃない。
 すっかり悲しみに包まれている。恋はおろか久遠も表情を変えているのだから深刻な事態が起こったらしい。
 「んーとね。まず・・・・・真衣は病気にかかっちゃったんだ。無茶苦茶、重い病気で遼がかわいそうだった。見てらんなかった」
 恋と遼は顔を合わせれば高い確率でガキの喧嘩を繰り広げていただけに、恋がその事を思い出しては泣きそうになっているのを見ているとかなりひどい病気だったんだろう。
 真衣は運動能力はその兄に匹敵するものを持ち合わせていたけれど反面、病気がちでしょっちゅう寝込んでいた。
 多分、死病にかかったんじゃないかと思う。
 しかし、恋は結果を言わなかった。
 思ったことをストレートに出す奴だから、おそらくは一口では説明できない事態が起きたんだろう。
 「真衣さんが襲われたんです」
 「襲われた!?」
 話が血まなぐさくなってきた。
 真衣は性格がよくて周りから慕われているから恨みによる犯行は考えられない。
 ただ、ストーカーというのは考えられるんだけれど、遼のことを知っている奴が襲撃することは考えられない。真衣を襲おうものなら地獄を見る事は誰もが知っているからだ。
 「最初は遼さんが撃退したんですけれど、その次の襲撃で2人とも行方不明になっちゃったんです」
 「行方不明?」
 「文字通りの行方不明です。消えちゃったんです」
 言っていることがぜんぜんわからない。
 ただ、久遠を持ってしても説明が難しいこと、何らかの理由、恐らくは信じられないことが起きて2人が失踪してしまったことだけは理解できた。
 
 ・・・・・ひとりでに重たいため息がもれた。
 どうやら大変なことが2人の身に起きたんだけど、今更どうすることもできなかった。
 ただ、2人が無事でいることを祈ることしかできなかった。

 そう深刻になっているところに恋の声が響き渡った。

 「まずいよぉ〜 これ」

 恋がお菓子として用意したコーラ色の羊羹のような固形物を口にしては泣いていた。
 「そっか?」
 それを口につまんでみる。
 ・・・・・・確かに癖は強いことは強いけれど食えないことはなかった。
 しかし、周りはそうは思わなかったらしい。
 「絶対変っっ!! トシツグの味覚ってば狂ってるよっっ!!」
 恋には涙混じりの声で俺を非難して
 「・・・・・・・・・」
 久遠は白いレーザー光線を俺に照射している。

 居たたまれない気分になって、塊を載せた皿を持って厨房へと下がった。

 ・・・・まあ、しょうがないか。
 なんたって、あのドリアンを一口サイズのケーキに加工したものなんだから
 
 それをお土産用として伊○丹とか×島屋で堂々と売っているんだから、シンガポールというところは油断ができない。
 
 冷蔵庫を開けると食べ尽くしたと思っていたはずのマンゴー・プティングが残っていたので、それを3人分持って居間に戻っていった。
 「おおーっ!!」
 受け取って、恋がビニールの蓋を開けるとマンゴーの鮮やかな黄色に歓声を上げる。
 「うまー━(゜∀゜)━!!」
 一口つけると、顔いっぱいに満面の笑みが広がった。
 生意気というか無茶苦茶な奴なんだけれど、笑顔だけは天使のように無邪気なんだから、見ているこちらも満ち足りた気分になるんだけど
 「・・・・・・・・・」
 何故、こちらを用意しなかったんだといいたげな久遠の白い眼差しに、顔にはちび○こちゃんよろしく縦皺が浮かんでしまう。
 「それよりも」
 恋と久遠には言っておきたいことがあった。
 「なに? トシツグ」
 マンゴー・プティングを一気に食べ終えると恋は俺を見上げる。
 久遠は相変わらず、顔になんの表情も浮かべていない。

 俺は言った。
 「来てくれてありがとう」

 別れはあんまりいいものじゃなかったけれど
 こうやって会いに来てくれたことがとっても嬉しかった。

 俺と彼女たちの間に距離はあったけれど
 それを縮めることができた。
 たとえ、一瞬であったとしても

 「・・・・なにがおかしい」
 人が真面目に言っているのに恋は露骨に笑い転げ、久遠も猫のように口元をゆがめていた。
 おもいっきりバカにされているような気がした。
 「そんな、礼に思わなくてもいいですよ」
 久遠が言ったあとに、恋が続けた。
 「だって、ボクたちはトシツグのところに居候しに来たんだもん」
 
 なに???

 「これから迷惑かけることになるだろうと思いますから、礼なんて言わなくてもいいですよ」

 ・・・・・・ちょっと待て!!

 完全にここに住む気でいる。
 2人が今頃になって俺のところにやってきたわけを知って、愕然となった。

 「家出じゃないよな・・・・・・・」
 言ってから愚問だということに気付いた。二人が夕維ねえを嫌うわけがないからだ。
 「ちゃんと許可はもらってますから心配しないでください。手続きもちゃんと済ませてますから」

 何の手続きだよ。おい

 久遠のことだからその辺りは用意周到に仕組んでいるんだろう。
 俺の意思なんかまるっきり無視して。

 「いや〜」
 恋が笑い声を上げた。
 「姉さまとお兄ちゃんってすっかりラブラブだから邪魔しちゃ悪いかなーって」
 「恋路を邪魔するものは馬に蹴られて死ねといいますから」
 外見も性格も正反対な2人だけれど、やっぱり双子だからこういったところは非常に息が合っている。
 「見てて妬けちゃうよね。ほんと」
 「すっかり見せつけてますから。姉さまと和志さんは」
 「そうだよねー」
 「ですね」

 2人は明るかった。
 でも、その明るさに違和感を覚えた。

 「ねえ。いいでしょいいでしょっ」
 恋が身を乗り出してきて思考は断ち切られる。
 「トシツグだって悪い話じゃないと思うよ。こんなにかーいー女の子と一緒に暮らせるんだから」
 「女の子?」
 マジマジと恋と久遠を見つめた。
 確かに久遠は可愛い。
 「両手に花だぞっっ もてもてだねっ、お・にーさん」
 「片手に花だと思ったんだけど。男の子と女の子じゃ両手に花じゃないって」
 「へっ?」
 
 恋はマジマジと俺を見つめる。
 
 きっかり三秒後、両足ドロップキックが俺の顔面目掛けて飛び込んできた。
 
 辛うじてガードが間に合ったんだけれど、ガードした前腕がひりひりと痛かった。以前に比べてパワーが上がっている。
 「トシツグのバカァッ!!」
 いきなりドロップキックをかましてくるんだから男の子と言われてもしかたがないような気がするのは俺だけだろうか。
 「悔しかったら、久遠の服を着てみろって」
 「うーーーーっ」
 「良かったら私の服を貸してあげましょうか?」
 久遠が恋に助け舟を出しているのか、追い詰めているのかわからないようなことを言った。
 「うーーーーん。だって、久遠の服ってなんだかすーすーするんだもん」
 「何処がすーすーするのかな? 恋」
 ・・・・・セリフがスケベオヤジになっている。
 「トシツグのバカっっ!!」
 恋が顔を真っ赤にして吠えるのを見て笑ってしまうが、その笑いも久遠の白い眼差しを浴びて凍り付いてしまう。
 久遠はクスリと微笑んだ。

 「私達は俊継さんを頼ってきたんです」

 それは天使の微笑だった。

 「まさか、俊継さんは窮鳥を追い出すような真似はしないですよね」(にっこり)

 その天使の微笑で久遠はプレッシャーをかけてきた。
 万里の長城が俺に向かって雪崩れてくるようなプレッシャー

 読まれている。
 すっかり、俺の行動パターンを読まれている。

 こうやって俺のところにやってきた女の子たちを追い出せるほど俺は強くない。
 また、追い出す理由もなかった。
 
 スペースにはまだまだ余裕があり、生活費も・・・・小遣いの額を減らせばなんとかやっていけるだろう(涙)

 覚悟はあっさりと決まった。

 「・・・・・了解。今後ともよろしく」

 恋と久遠の存在を受け入れると恋の表情がぱーっと明るくなった。

 「あんがとーっっっ!! トシツグっっ」
 恋が飛びついてきて嬉しさを全身で表現する。
 「おいおい。そんなに嬉しがることじゃないだろ」
 「そんなことないもん。うれしいものはうれしいんだもん♪」
 そうやって恋は無邪気に笑っていた。
 そんな恋を見ているとこちらも嬉しくなってくる。

 まだまだ人に必要とされている。
 それを肌身で実感することができて、胸が熱くなっている。

 「これからよろしくお願いしますね」
 
 久遠がふかぶかと三つ指ついてお辞儀をする。
 「いえいえ。こちらこそ、よろしくお願いします」
 相手が礼を尽くしているのなら、こちらも真面目に礼を尽くさなくてはならないということで恋に抱きつかれながらもお辞儀をする。

 また、こいつらと一緒に暮らすことができるんだ。

 色々な苦労はあるのかも知れないけれど
 不安よりも喜びのほうが遅れて胸の奥からこみ上げた。

 「あ、トシツグってばドキドキしてる」
 「う、うっるさいなー」
 「なんだかんだといって、ボクにトキメいてるじゃん」
 「誰がときめくか。この貧乳っっ!!」

 抱きつかれても恋が貧乳であることは変わりなかった。

 「トシツグのバカバカバカバカぁっ!!」
 抱きつかれていることをすっかり忘れていた。
 「痛っっっ。こらっ、叩くな引っ張るなっっ!!」

 
 ・・・・・・・


 それから数時間が立った。

 お茶を飲んだ後はみんなして客車の掃除を行って、それが一段落つくとエリプソス(スペインの国際寝台列車)のプレファレンタクラス(洗面台付きシングル)の車両で寝ていると、枕元で鳴る携帯の音に起こされる。
 「もしもし。氷室ですが」
 枕元にあるスイッチを押して灯りをつけながら、携帯に出る。
 「夕維です。俊継さん、お久しぶりです」
 それはとっても綺麗で懐かしい声だった。
 「お久しぶり、夕維ねえ」
 俺より年下なのに「ねえ」をつけて呼ぶのは、俺なんかよりもずっとしっかりしているからだ。
 「・・・・・・結婚したんだって? おめでとう」
 言うのに少し抵抗があった。
 でも、夕維ねえは動揺に気付いていないようで、携帯の向こうから照れている様子が伝わってきた。
 「ありがとうございます」
 「まさか、夕維ねえと延沢が結婚するなんて思っても見なかったよ」
 「ええ。私もこんなに早く結婚しちゃうなんて驚いてます」
 「あいつ、降夜みたいに手が早かったんだな」
 ただの軍人野郎だと思っていたのに
 受話器の向こうから苦笑する気配が伝わってきたが突然、真面目な雰囲気に変わった。
 「恋と久遠はもう、俊継さんのところに来ているんですね」
 「ええ。今日は驚きの連続でしたよ」
 まさか、こういう展開になるとは思ってもみなかった。
 「家出・・・・・じゃないですよね」
 「ええ」夕維ねえは認めた。「本当はこちらから連絡を入れるべきだったんですが忙しくて。突然ですみませんが、あの子たちを受け入れてもらえませんでしょうか?」
 「もちろん」
 即答で返した。
 「夕維ねえの願いとあらば」
 「ありがとうございます」
 正確にいえば既に尻に敷かれているような気がしないでもなかったけど、それはそれでうれしそうな夕維ねえの声を聞くと改めていいことをしたという気分になる。
 「・・・・・・あの子達は私達のことを気遣ってくれているんですよ」
 
 そんなことだろうとは思った。
 
 傷を負っているような夕維ねえの口調にこちらも悲しくなってくる。

 「私達は家族なんだから気遣う必要なんて何もないのに」
 どう答えたらいいのかわからなくて沈黙を続けていると、夕維ねえは涙を振り払うかのような明るくて綺麗な声で言ってきた。
 「私の分まで2人のこと、よろしくお願いしますね」
 「わかりました」
 夕維ねえの”想い”が責任の重さとして圧し掛かってくるけれど、それを負担には思わなかった。
 「恋は「夕維ねえに言うよ」で言うこと聞きますから」
 「はい」
 それには苦笑してしまう。やっぱりというか恋の扱いが難しいからだ。逆に久遠にはしっかりしているから問題はない。要は延沢の家にいる時と同じで接すればいいということだろう。
 「延沢とアイちゃんはどうしてる?」
 「和志ならお仕事に出てますよ、アイちゃんは手伝ってます。マスターさんにお仕事を任されて、和志ったらすっかり乗り気になってるんですよ」
 「体よくコキ使われているという気がするんだけど」
 高校を卒業しているんだからマスターも安心してお店を延沢を任せることができるんだろう。
 「そんなことをいってはいけません」
 笑いながらたしなめられた。
 「良かったらお店のほうに電話を回しますが」
 「いや、それはいいや。忙しそうだし」
 「・・・・そうですね」
 夕維ねえは残念そうだった。
 「それでは失礼ます。俊継さん、ありがとうございました」
 「いえいえ。こちらこそ夕維ねえと話せてとってもうれしいです」
 「2人のこと、よろしくお願いしますね」
 そういって電話は切れた。

 通話が切れた携帯をしばらくの間、手に持っていたがそれをベット脇の棚に置いて、人一人が寝るのがやっとなプルマンベットに寝転がると天井を見つめた。

 ”「姉さまとお兄ちゃんってすっかりラブラブだから邪魔しちゃ悪いかなーって”

 脳裏に2人の女の子の言葉が蘇ってくる。

 ”恋路を邪魔するものは馬に蹴られて死ねといいますから”

 2人とも表情は明るかったけれど、翳っていたことに気づいていた。

 ”私達は家族なんだから気遣う必要なんて何もないのに”
 
 寂しそうだった夕維ねえの声が耳の奥でリフレインしている。

 本当のところ、恋も久遠も夕維から離れたくはなかっただろう。
 
 あれほど仲のいい姉妹を他に知らない。
 夕維は2人の妹に愛情を持って接していたし、久遠も恋もその愛情を受け止めて甘え、慕っていた。
 いつまでもこの関係が続くように見えたんだけれど、そうじゃなかった。
 何故なら夕維が結婚してその関係に延沢が割り込んできたからだ。

 そうなると優先順位も2人の妹よりも延沢が上に来る。
 夫婦なんだからそうならなくなちゃいけない。

 夕維は2人のことを大切に想っていたんだけれど
 自分の幸せを犠牲にしてまで2人を大切にする傾向にあった。
 夕維は延沢の家に来る前にかなりの苦労をしてきたから、幸せになっていてほしかった。

 その幸せを夕維は感じているんだろう。
 ほんの僅かだけど延沢のことが話題に出ると、夕維ねえってば本当に嬉しそうだったから
 電話を通じていても感じることができるんだから、二人が感じないはずがない。

 姉が遠ざかってしまうこと
 姉に、姉自身の幸せを追求してほしいということ
 
 いいかげんに姉から離れなくちゃいけないということ。

 あいつらも俺も同じなんだ。

 シチュエーションの違いこそあれ、一言で言ってしまえば”いたたまれなくなって”久遠と恋は延沢の家から旅立った。そして、俺のところにやってきた。
 姉からの自立を願って旅立ったのに俺を頼ってきたのはあれだけれど、そう強いことを言うのはちょっと可哀想だった。だいいち頼られるというのは責任がかかるけれど、そう悪いこともでもなかった。

 ただ、変わってきていることを感じていた
 俺にも、久遠にも恋にも。

 見た目にはそう変化はなかったけれど、その内面では大きな変化が起きているようだった。
 いつまでも昔のままの恋や久遠ではいられないというだろうか。
 それがいいことなのか悪いことなのか、今はまだわからない。
 どのように流れていくのかそれも知らない。

 ただ、寂しいと思った。

 ただ流れ去るのみで
 二度と帰ることができないというのが。

 
 外に出るといつの間にか空は鮮やかな茜色に染まっていた。
 背筋をおもいっきり伸ばすと突き上げた両腕の間を冷たい風が流れていって、夜の匂いを落としていった。
 
 一日が終わろうとしている。
 明日から仕事が始まると思うととっても憂鬱になるが、まあ、それは納得できることだ。

 ふと、ドーラに行きたくなった。

 ドーラの足元までやってくるとリフトに乗って、プラットホームに上がった。
 こんなところに来るのは俺一人だと思ったんだけど先客がいた。
 「なにやってんだ? 恋」
 恋が巨大な80cm砲の根元で、砲と向き合っていた。
 何かをやっているように見える。
 「な、なんでもないよ」
 
 正直な奴だった。
 
 「なんでもないったらなんでもないって・・・・・・ただ、ぼーっとしてただけだよっ」
 必死になってごまかそうとするが、それが墓穴を掘りまくっていることに気付いてない。
 「あっ・・・・・」
 さりげなく恋をどけて、向き合っていた土台を見てみた。
 「・・・・・恋、何やろうとしてたんだ?」
 「あはははは・・・・・」
 土台部分に点程度の傷がついていた。明らかにナイフでつけたような傷で、恋の手にナイフが握られていることに気付いた。
 恋はごまかし笑いを浮かべるが俺に睨まれてトーンが小さくなっていく。
 「えっと・・・・名前を彫ろうとしてたんだ」
 おまえ、ヤンキーか?
 ・・・・・モアイを傷つけた観光客の真似するな。
 「あわわわわ。ボクの名前じゃないよぉ」
 俺が久遠ばりに白眼視するので、恋はかわいそうなぐらいに慌てた。
 「この子の名前だよぉ」
 「この子?」
 思わず砲身を見上げる。
 天に突き上げたまま固定されている砲身は、首を縦方向に必死に反らせてもその先端を見ることができなかった。
 「漫画であったように、この子の名前を刻みつけるんだっ♪」
 沈黙の艦隊のあれだろう。
 思わずため息をついてしまう。
 「・・・・・・だめ?」
 無言でいると恋が上目遣いで聞いてきた。
 「だめ」
 「えーーっ なんでだよーーっっ!!」
 即答すると、途端に大声を上げて非難してくる。
 ほんと表情がコロコロと上下左右するのは変わらない。
 
 息を大きく吸うとおもいっきり大声で怒鳴りつけた。

 「管理人として許せるかっつーのっっ!!」
 「・・・あうーっ」

 いちおう俺は町からこのドーラの管理を委託されている。
 ドーラはこの町の宝物だから心無い観光客やヤンキー達から守り、綺麗に整備する責任があるわけで身内だからといって許せるわけがない。一度許してしまったら際限がなくなる。
 とはいうものの
 「目立たないように書けよ」
 「・・・・・ええーっ」
 譲歩してやったというのに、恋は文句を言ってきた。
 「濡れたら落ちちゃうよぉ〜」
 「夕維ねえに言うよ」
 効果覿面、一発で凍りついた。
 「あはははは」
 「こっちだって妥協してるんだ。納得しろっつーの」
 「は〜い」

 妥協が成立したようで、恋はポケットからサインペンを取り出すと早速、場所を物色し始めた。そんな恋に苦笑を浮かべると視線を周囲に向ける。
 
 野原には雲が立ち込め、その間にオレンジ色に輝く太陽が見えていた。
 刻一刻と世界は闇に包まれていく。
 ドーラとその周りに散らばる客車以外には何もなくて、日が落ちれば辺りは原始のままの闇に包まれる。
 
 だけど、食堂車には灯りが灯り
 換気扇からは胃袋を刺激する匂いがほのかに漂っていた。
 カレーだろうか。いや、ビーフシチューかも知れない。

 俺がこうやってプラットホームでのんびりしていても、ご飯を作っていてくれる人がいる。
 それはとっても素敵なことだった。

 「完成っと♪」

 明るい声が暗くなりかけた空に響く。
 「どれどれ」
 恋の元に駆け寄ると、指差したところを見た。

 ”しゃんはい・かのん”

 「なんだよ。これは」
 「この子の名前だよっ」
 恋は無邪気な笑みを見せている。
 「この子って・・・・・ドーラじゃないのかよ」
 「そんなの関係ないよ」
 俺が文句を言うと恋はわかってないなあといいだけに口をとんがらせた。
 「この子はかのんちゃん。性はしゃんはいで、名はかのんなんだぞっ」
 「変な名前・・・・・・・」
 「うーっ。 うっさいなー」
 本人も変な名前だ自覚しているのだろう。不機嫌さでそれをごまかす。
 変な名前どころか、大砲のことを普通は「かのん」というからある意味では名前すらなってないのかも知れない。

 でも、それでいいんだと思う。
 ドーラっていうのは商品名でしかないんだから
 自分達の名前をつけたっていい。

 「今日からボク達の明日が始まるんだ」

 久遠のように感情味が感じられない、真面目な声だった。
 
 それを笑おうとは思わなかった。
 恋は恋だけれど、恋なりに考えること思うところがあるのだろう。
 夕維ねえと離れることは恋にとって大変なことなんだから、変化が起きないはずがない。

 いつまでも能天気ではいられないっていうことか。

 それでもらしさを失ってほしくなかった。
 なんに対しても畏れや迷いも抱かずに突っ込んでいくのが恋という奴なんだから

 「トシツグーーーっ!! 早くしないとご飯食べちゃうぞー!!」

 い、いつのまに
 物思いにふけっているうちに恋がプラットホームから消えていた。

 やられた。
 油断した。
 
 おそらくはリフトを降りて真っ先に食堂車に向かうのだろう。
 出遅れを自覚しつつも、それでも恋に飯を全部食われないために俺は走り出した。



 こうして昨日とは違う日常が始まった。
 

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