第3話:シアワセノカタチ


 瑠柁は頭に無数に生えている糸状の物体が大嫌いだった。
 自分の許可なく生えていることに腹が立ち、時には無くそうと思ったことがあった。
 でも、ちょっとしたきっかけで瑠柁はそれが大好きなった。
 すっごく好きになった。




 姿見には瑠柁の全身が映っている。
 姿見の瑠柁はVDMのブルーのウェイトレスの制服に身を包んでいて、とっても機嫌が良さそうだった。
「なんかあったのか?」
 あまりの上機嫌ぶりに瑠柁の背後にいる真義が聞いてきた。
「なんで?」
「なんか嬉しそうだからさ」
 本気で分からない従兄に瑠柁はにぱっと微笑んだ。
「お兄ちゃんに編んでもらってるからだよっ」
 瑠柁は今、真義に髪を編んでもらっていた。
 全身を覆うぐらいに伸びた栗色の髪は梳き終えて、編む段階に入っている。ベールのように瑠柁を包み込む髪は背中で纏められてはせわしなく動く真義の手によって三つ編みにされていた。
「そんなことで喜べるなんて瑠柁って、安上がりだよな」
「そんなことって、瑠柁にとってはおもいっきり大切なことなんだもんっっ」
 髪を編んでもらうと、その人と想いとか愛情とかが伝わってくるような気がしてそのたびにハッピーな気分になれる場でもあり、編んでくれている人と絆を感じることができる大切な儀式でもあった。
 しかし、唐突に表情が曇る。
「迷惑……かな?」
 傍若無人に真義を振り回しているだけに、気を使って沈みこむのは奇異に映らないでもない。
「なんで?」
「瑠柁の髪、長すぎるから……」
 瑠柁の髪は足首まで達している。だからこそ、仕事に出るにあたって

髪を編んでもらっているわけであって、髪自体の重さへ日々のヘアケアなど普通の人間に比べたら苦労は多い。
 問題なのは髪を真義に編んでもらっているということである。
「おにいちゃんがショートヘアの女の子が大好きっていうなら、瑠柁切ってもいいよ」
 お兄ちゃん命の瑠柁だから、真義に丸坊主にしろと言われたら丸坊主に出来る。ただ、嫌いなものをしぶしぶ食べるように行動と感情は別だから髪を切らなければならないと思うと瑠柁は深く沈んだ。
「大丈夫」
 真義は瑠柁の頭を撫でた。
「オレは長い髪の女の子が大好きだから」
「ほんとっ!?」
「瑠柁はオレの好み直球ストライクだから心配しなくていい」
 お世辞でもなんでもなく、足首まで包み込むウェーブのかかった栗色の髪がとってもよく似合っていて、まるでロングヘアになるために生まれてきたようだった。
 瑠柁の表情が輝いた。
「そっか。瑠柁はお兄ちゃんの好みなんだぁ……」
 自分一人で照れまくる瑠柁に真義に微笑ましいを浮かべた。
 くすぐられているようにこそばゆいけれど、こんなに幸せそうな従妹を見ていると暖かい気分になれた。
 編む手を止めると、中途まで編みあがった三つ編みを摘み上げる。
 量がたっぷりあるそれは手にずしりときた。
「でも、よくここまで伸ばしたもんだよな……」
 普通の人間なら足首まで伸ばそうとは思わない。
「……やっぱり、迷惑」
「いや、そういうつもりじゃないんだけど」
 泣きそうな目をされたので真義は慌ててフォローを入れる。
「色々と大変じゃないかと思って」
「大変じゃないよ。慣れてるから♪」
 瑠柁はそんなこと気にしていないようだった。
 ……確かに瑠柁は見た目は華奢な12歳なのだけど、その見た目とは裏腹に羆でさえも圧殺することのできるパワーがあるからこれぐらいのウェイトは屁でもないのだろう。
「あのね、おにいちゃん。この髪は瑠柁のじゃなくて、おにいちゃんのなんだよ、だから、お兄ちゃんが長い髪の瑠柁が好きだったらいつまでもそうしているし、お兄ちゃんが短い髪の子のほうが好きになったら、いつでも切ることができるんだよ」
 瑠柁は澄み切った瞳で、鏡に映る真義をずっと見つめていた。
 本気だった。
 その瞳の奥に想いの熱がこもっていた。
 
 そこまで想われていることに真義は圧倒される
 ……けれど、最近ではその事に恐れを感じていた。

 自分のことを愛している人の所有物であるということを公言するということを裏返せば、その想いに応えないと承知しないぞと言っていることでもある。過度の愛情というものはふとした弾みで過度の憎悪に変わるものであり、ことに真義の場合はその事を骨身で思い知らされているのだから尚更だった。
 ふとした弾みで、いつまで生きていられるのだろうかと嘆息することもあるのだけど、今はそのことを忘れて再び作業を没頭した。

「……なんかさ、ここまで伸びるなんて想像も付かなかったよな。昔はあれだけ嫌いだって言ってたのに」
「それはおにいちゃんが瑠柁の髪をキレイだねって、褒めてくれたからだよ」
 その一言があったからこそ、瑠柁は元気でいることができた。
 冷たい現実とも戦えた。
 こんな自分を大好きだと言ってくれた人がいたから。
「そういや、ここに来てあの髪を見てないな」
「……そういえば、そだね」
「やっぱり、引っかかってるのか?」
「ううん」瑠柁は首を横に振った。「あれを見せるのはお兄ちゃんとママだけ。他人なんかには見せたくない。だからじゃないのかな」
 VDMはたくさん人が住んでいるから二人きりになるチャンスというのがなかなかない。
 真義は遠くを見つめるような目をして言った。
「昔はあんなに嫌いだったのにね」
「ばかぁっ!!」
 微笑浮かべる真義に瑠柁は顔を真っ赤にして抗議する。
「お兄ちゃんが好きだっていってくれたから好きになれたの。だから、あの姿は瑠柁のとっときなんだから瑠柁が一番大好きな人にしか見せないのっ」
「はいはい」
 瑠柁の抗議を真義は大人っぽくスルーすると、ようやく三つ編みを編み上げた。
 髪ゴムで止めると、くるくると巻いて首の後ろ辺りでお団子にして、ピンとスプレーで固定するとその上からリボン付きのネットを被せて仕上げとする。
「はい。おしまい」
「えーっ。もう終わっちゃったのー」
 至福の時間が、本人の想定よりも短かったらしくて瑠柁は抗議する。
「しょうがないだろう。そうのんびりもしてられないんだから」
 瑠柁が髪を纏めていることはこれから仕事に出るからである。
「ぶーっ」
 わかってはいたけれど、それでも瑠柁はふくれていた。
「また遊んでやるから」
「ほんと?」
「瑠柁の髪で遊ぶのはオレも大好きだから」
 瑠柁の大きいお団子をぎゅっと握りながら言うと、瑠柁はとたんに笑顔になった。
「いつでも遊んでいいからねっ♪」
「遊んでいいからねというよりも、遊ばれてほしいんだろ」
 頭を撫でながら指摘すると瑠柁は「てへへ」と表情がとろけた。
「だって、お兄ちゃんに髪撫でられると胸がどきどきしてぽわぽわってなるんだもん」
 瑠柁はとっても幸せそうだった。
 太陽の光が透けたような元気で明るい顔をしていて、そんな瑠柁を見ていると日ごろの疲れとかストレスとか忘れて和むことができた。
 そんな顔をさせているのが自分だと思うと満足感を覚える。
 そして、時折見せる表情や仕草に心臓が高鳴るのを真義は自覚する。
 瑠柁は瞳や理亜、樹や負けないぐらいの美少女なのだけれど、あまり動揺することはなかった。真義にとって瑠柁は妹のようなものであって、真義の日常に密着していたからさほどのサプライズはなかった。
 にも関わらず、最近はほんのちょっとした動作でも動揺することがある。
 真義が光沢にやってきてから、瑠柁はいい表情を見せるようになった。
 一日一日ごとに輝くようになった。
 
 でも、手放しで喜ぶことはできなかった。
 瑠柁が輝きだした原因が自分にあることを真義は自覚していて、それだけに深く考え込まざるおえなかった。

 何故なら、いい事だけではなかったから。

「ご主人様っ」
 部屋にVDMのウェイトレス服を身にまとった女の子が現れる。
 小学生ぐらいの女の子だけれど胸が大きく、純白の髪を前髪を作らずに全身を覆うようにたらしこんでいる。
 幼さから来る愛らしさと淑女の気品ある美しさが融合したような女の子だった。
「私の髪、編んでもらえませんでしょうか?」
 真義は「いいよ」と言いかけるが途中で止まる。
「ダメっっっ!!」
 瑠柁の咆哮が部屋の中で轟いた。
 女の子が現れると瑠柁の顔からは輝きが消えて一瞬で修羅の形相になっていた。
 憎悪の炎で熱く燃え盛る双眸の先には女の子がいる。
 46cm砲を打ち上げるような勢いで瑠柁は絶叫した。
「お兄ちゃんが編んでもいいのは瑠柁の髪だけなんだからダメったらだめなのっっっ!!」
 さっき自分が言ったことと矛盾していたが、そんなことを気にする余裕は瑠柁からぶっ飛んでいた。
 瑠柁にとってこの女の子は敵だった。

 瑠柁から大切なものを奪おうとする許しがたい敵だった。

 
 

 1st TRACK

 チャイムが鳴り、数学の先生が去るとしばしの休息の時間になると真義は深くため息はついては机に突っ伏した。
「だ、だいじょうぶ……ですか……」
 授業の疲れというにはあまりにも疲労の度合いが激しかったので、樹が不安そうに声をかける。
「だいじょうぶじゃない……かも」
 あまりの力のなさに、樹の顔色が紙よりも白くなる。
「おいおい。樹に心配かけさせてるんじゃねーぞ」
「……うるさいな」
 言動と行動で周りに多大なる不安をかけさせているプポーネが自分のことを棚にあげて文句を言うと、真義は冬眠を邪魔されたような態度で文句を言った。
「人が心配してやってるのに」
 どう見ても心配しているような態度には見えないのだけれど、問題なのはほとんど無視しているような真義の態度であった。
「てめぇっ」
「やめてください」
 キレかけたプポーネであったが樹の静止によって止められる。
「わりぃ……ほんとに元気がないんだ」
「おいおい」
 タイムラグを置いてようやく疲れ切ったように反応したのを見て、ようやくプポーネも心配しているようなそぶりを見せる。
「ったく、何があったんだか。瑠柁が迫ってきて寝かせてくれないのか?」
 プポーネの茶化したような言い草に樹も冷たい眼差しを浮かべ、陸は呆れたようにため息をついた。
「それ洒落になってない」
「洒落にないってやっちまってるのか!?」
「大声だすな」
 プポーネの空気の読めなさは健在だった。
「……もう、いいよ」
 プポーネと陸のやりとりを見て、真義は微笑んだがその微笑みはどこをどう見ても富士の樹海に飛び込もうとする自殺者の微笑だった。
「どうせ言ったところで自業自得だ、なに言ってるんだ。この野郎で終わっちゃうんだから……」
「…………」
 あまりの引きこもりっぷりにプポーネも引きつった笑いを浮かべることしかできなかった。
「こりゃ重傷だな……」
 めんどくさいどばかりに自分の世界に浸りこんでしまった真義に、プポーネはやや真面目な顔をすると樹と陸に向かって話しかけた。
「そんだけ本妻と愛人との喧嘩がひどいんかい」
「……まあね」
 やりきれないといった表情で陸が答えた。

 ねねがVDMにやってきてから数日が立つ。
 
 ねねが甘えてくるのは真義にとっては悪いことではないのだけれど、

問題なのは瑠柁が気分を悪くしたことだった。
「しょうがないといっちゃしょうがないんだけどね……」
 おにいちゃんラブラブの瑠柁にしてみれば、降って沸いたように同じ御主人様らぶらぶの女の子が現れたわけだから敵意を抱かぬはずがない。問題なのは瑠柁が某向こう傷の怪握力ヤクザも真っ青な怪力の持ち主であることと、短気で怒りの矛先が真義に向かうということだった。
 その結果、どういうことになるのかは言うまでもない。
「ここまで来るとかわいそうになってくるな」
 瑠柁とねねという美少女二人に惚れられているのだから、もてない連中にとっては羨ましい話であり自業自得の一言で片付けられてしまうのだけど、げっそりと憔悴しきっている真義を見ると気の毒に思えてくる。
「……わたし、心配です……」
「そんなにひどいのかよ」
 真義よりもキミの方がかわいそうだ、といわんばかりの樹の表情にプポーネは信じられないといった表情を浮かべたが樹はうなずいて事実を肯定する。
「瑠柁の気持ちもわかるんだけどね……」
 陸が苦笑を浮かべた横では委員長が机に突っ伏している真義に話しかけていた。
「大変みたいね」
「……まあね」
 話しかけられて、真義は力なく反応する。
「ねねちゃんと瑠柁ちゃんに挟まれているのがそんなに大変?」
 真義はそれに対して重くうなずいただけだったが、それだけで察したらしい。
「菅野くんも大変ね」
 ねねと瑠柁に挟まれている状況で真面目に心配してくれているのはVDMの家族を除けば委員長ぐらいなものだった。真義がロリコンだろうが変態だろうが悩みには真摯に聞いてくれる。ありがたい存在だった。
「でも、嫌なら嫌だって言えばいいじゃない」
 ただし、厳しくなってしまうのが難点である。
「菅野くんは瑠柁ちゃんとねねちゃん、どっちが好きなの?」
 つまるところ問題はそこに帰結する。
「…………うーん」
「菅野くんが優柔不断だから、二人とも困ってるんじゃないの」
 真義がどちらを取るか迷っているからこそ問題になっているわけで、どちらか選べば問題は終結する。
 ……もし、ねねを選んだらその時は地獄絵図を見るかも知れないけれど、中途半端に希望を持たせたまま中ぶらんにしておくよりは遥かにマシだ。
「こらこら。困らせるんじゃない」
「……そうです。選べるようだったら苦労しません」
 心配しているのか糾弾しているのかわからなくなってきたので陸と樹が文句をいうと委員長は済まなそうにする。
「ごめんなさい」
「いや、その通りだと思うよ」
 選ぶことができないのは自分の心が弱いから。
 選ばれなかった相手が傷つくのが怖いんじゃなくて、嫌だけど必要なことから逃げているだけ。
 委員長に言われなくてもわかっていて
 けれど、前に進むことができなくて
 真義は煩悶の真っ只中にいた。
「おっにいちゃーーーんっ!!」
 耳をつんざくような大声と共に瑠柁が教室に入ってきた。
 真義はのそのそと起き上がると瑠柁と向き直る。
「瑠柁。どうしたんだ?」
「お兄ちゃんの顔、見たかったの」
 周りの空気を読んでいないように瑠柁は明るく輝いていた。
「瑠柁。お兄ちゃんの顔が見れなくて、さみしくてさみしくて死にそうだったの」
「そっかそっか」
 真義が瑠柁の頭を撫でると瑠柁は顔を蜂蜜のように蕩けさせた。
「お兄ちゃん。だ〜い好きっ」
「……あ〜あ、見てらんねえ」
 瑠柁から発散されるラブラブオーラに宛てられて、プポーネは青汁を鼻から飲まされたような表情を浮かべた。
「虫唾が走るぜ」
「まあ……瑠柁ちゃんですから」
 樹がフォローに入るけれど、顔は引きつっていた。
「ったく、あんたのことで大問題になっているというのにいい度胸だ。まったく」
 まさか、真義に対する瑠柁の態度が問題になっていることなんて、瑠柁は思いもよらないのだろうけどたとえ知っていたとしてもオバタリアンのこどくスルーしてのけるだろう。無神経もここまで来ると見習いたくなるものである。
「お兄ちゃん。頭撫で撫でして」
「……ああ、いいけど」
「はにゃ〜ん」
 真義がおそるおそる頭をなで続けると、瑠柁は子猫と化して机にへたりこんだ。
「気持ちいい?」
 最初は引いていた真義であったが、幸せそうな従妹を見ているとほっとしたような表情になる。なんだかんだといっても瑠柁は可愛い妹で、その可愛い妹が幸せなのであれば真義も幸せになれるのだった。
 だから、瑠柁のことで苦しむのもしょうがないだろう。
「うん。瑠柁、とっても幸せなんだよぉ……はぁふん」
「教室で喘ぎ声なんて出すな」
 やばい方向に走り出したので、委員長が渋面で注意をした。

 ・・・・・・・・

 時間はあっという間に流れて放課後になり、VDMの面々+プポーネは連れ立って坂を下りていた。

「……疲れたぜ〜」
 プポーネが気持ち良さそうに腕を伸ばして、首の凝りをほぐしたが陸と真義の眼差しは呆れていた。
「ほとんど眠っておいて何処が疲れたっていうのよ」
「何しに学校に来ているんだ」
 二人から同時に突っ込まれたがプポーネは平然としていた。
「そりゃ、日本の文化を勉強するためさ」
「どういう文化だよ」
 突っ込みたくなるが突っ込んでも徒労に終わるだけだというのがはっきりしていたので真義は突っ込む代わりに適度な重さがかかっている右腕を見てみた。
「……ふにゅ〜ん」
 右腕が重いのも道理で、瑠柁が抱きかかえてしまっているからだ。
「重たいとか痛いとか辛いとかだったらはっきり言いなよ」
 あまりの甘えぶりに陸が苦言を呈すると瑠柁は真義に尋ねた。
「痛くないよね。辛くないよね」
「……ああ」
 痛いなんていえるはずもない。
 そういってしまったが最後、真義の右腕は枯れ木のようにへし折られることになる。
「痛くないし、辛くもないよ」
「ほら。おにいちゃんも平気だっていってるじゃん」
 得意気にする瑠柁と顔が引きつる真義、陸はそっとため息をついた。
「……真義。いい顔ばっかりしてると地獄に落ちるよ」
「わかってる。言いたいことはわかってるから」
 八方美人を続けていればいつかは地獄を見ることは真義もわかっている。
 でも、いえないのだ。
「幸せそうですね」
「うん。とっても幸せだよっ」
 樹が話しかけると瑠柁はにぱっと笑って肯定する。
 白が本当に白であると確信できないこの世情の中で、はっきりと信じられるものがあるということが羨ましく思えてくるぐらいの肯定ぶりでその瑠柁が信じているものが自分であることに真義はちょっとした満足感と恐れを覚えていた。
 ……裏切ってしまったときの恐ろしさが想像付かない。
 間違いなく背後から刺される、いや、それだけではすまないだろう。
 蝶のごとく手足をもがれて、瑠柁を裏切ったことを後悔しながらゆっくりと蝋燭の火に炙られるような嬲り殺されるシーンを想像すると震えた。
「おにいちゃん……」
「いや、なんでもない」
 瑠柁が不安そうに表情を曇らせたので真義はごまかし笑いを浮かべると頭をなでた。
 それだけで瑠柁はぱーっと明るくなるが
「気をつけるんだ、瑠柁。真義は騙そうとしてるぞ」
「おにいちゃゃ〜んっっっ」
 瑠柁は一瞬で沸騰した。
「なにだまそうとしてるの」
 瑠柁の感情の高ぶりと共に腕が締め上げられる。
「だまそうとしてないだまそうとしていない」
「うそっ!! ほんとのこと言ってっっ」
 10tトラックが落ちてきたような圧力に真義は悲鳴を上げるが瑠柁はぜんぜん聞いていない。
「ひょっとして、あの女と駆け落ちするつもり!?」
「違う違う。そんなことない」
「もしかして、瑠柁を毒殺して後から遺産を二人で山分けにするつもりなんだーーーーっっ!!」
「サスペンスの見すぎだよ。瑠柁」
「陸ちゃん……」
 小声でぼそっと突っ込みを入れる陸に樹が呆れる傍で真義の地獄は続いていた。
「さっきのは冗談だから。瑠柁」
 真義が朽木が折れるようなうめき声を上げて悶絶するのを見て、陸はこれ以上は洒落にならないと判断するとようやく瑠柁を止めた。
 瑠柁はスイッチが切れたように真義から手を離した。
「ほんと、なの!?」
「旦那様がそんな浮気者に見える?」
「……だってぇ」
 瑠柁は真義から離れると顔を背けてはいぢけた。
「あの女ったら、あの女ったら……」
「あの女ったらなに?」
 陸は嫌らしい笑みを浮かべて、真義に詰め寄っていく。
 その一方で真義は樹に介抱されていた。
「だ、大丈夫ですか…………」
「なんとか、へ、平気……死ぬかと思った」
 フルパワーで瑠柁に抱きしめられるのは地獄としかいいようがないのだけれど、その圧力から解放されてゆっくりではあるが落ち着いてきた。
「大変だな〜。シンギ」
「変わってほしいのなら変わってやるよ」
 瑠柁に聞こえないように小声だというのが物悲しかった。
「……いくらオレでも、ありがたく遠慮させてもらうわ」
「プポーネに同情されるとは人生が終わったっていう気がする」
「なんだと。こら」
 内容自体は穏やかではないが、二人の表情は和やかだった。
「でもよ。アタックが激しくなってきてないか?」
 陸に問い詰められてしどろもどろになっている瑠柁を見ながら、プポーネは真義に耳打ちした。
「……まあね」
 以前から訳もなく真義に抱きついていたわけなのだけれど、ここ最近はより激しくなってきている。休み時間のたびにやってくることはなかったのに今では休み時間が来るごとに現れるようになったし、抱きつく時や腕にからみつく時の力も強くなって、裸になった時に体のあちこちが赤く腫れ上がっているのを見て真義は愕然としたこともある。
 ……理由はいうまでもないだろう。
「委員長じゃないけど言いたいことはがしーっと言ってやるべきじゃないのか?」
「……オレもそう思うんだけどね」
 真義も寂しい笑いを浮かべる。
「もっとも瑠柁をふったら血の雨が降りそうだよな」
 予測というよりも確定された未来というべきで真義はもちろんのこと、プポーネの顔も引きつった。
「それはともかく、瑠柁に逆らえないのって男として情けないんじゃないか」
 フポーネの言うとおりだったので、真義は何も言い返せなかった。
 光沢に来てからというもの瑠柁の言うことに逆らったことがなかった。かなり情けなかった。
 良く飽きられなかったところなのだけど、それだけ瑠柁の従兄を想う気持ちが強いのだろう。
「パワーアップする必要があるんじゃないのか?」
「……かもなあ」
 瑠柁に振り回されるのは、踏みとどまろうとしても力が足りなくて結局は土台ごと引き釣り回されてしまうからである。
「でも、いまさらマリンコには転校したくないしなあ」
 毎日がブートキャンプな生活を送りたくないなあと思う情けない真義ではあったが、冷静に考えてみたらそれもいいかなと思ったりもした。何故ならマリンコは全寮制だからである。全寮制であるのならある程度は距離が置くことができる。
 ……そこまで考えて真義は自己嫌悪に襲われた。
 逃げ出したくなるぐらいにオレはあいつらの事が嫌いなのか?
 無論、そういうわけでもないしハーレムのような環境を自ら手放すこともない。
「おいおい。いくら追い込まれているからってラツィアーレになりにいくこともないだろうが」
 マリンコにはラツィオファンもいればローマファンだっているだろうし、ミルトンケインズ・ドンズFCやグラッツァーAKのファンだっているだろうが、プポーネの頭の中ではそういう認識らしい。
「わかってるよ」
「筋肉増強剤とかステロイドだったら予算次第でいくらでも都合できるぜ」
「いらねーよ」
 真義は右腕をさすった。右腕は色を塗ったくったように真っ赤に腫れ上がっていて、特に肘辺りの赤みはひどかった。
「力勝負で勝てるんなら苦労しないって」
「そういうものなのか?」
「瑠柁に掴まれてみたら一発で分かると思うよ」
 痛いことは痛いけれど、単純に掴まれただけではここまで激しい痛みにならない。
 無意識のうちに関節を極めるから痛いのだ。
 見た目はたんぽぽのように可憐な女の子だけれど、羆でさえも泣き出すほどの握力と自動的に関節を極めてくるセンスは父親そっくりだと真義は痛感する。
「なら、銃はどうだ? トカレフだったらアミーゴ価格で5000円でオッケーだぜ?」
「いらんわ!」
「おいおい。いくらトカレフといっても北朝鮮製のクソじゃねーぞ。純正品だぞ」
「あのなあ」
 ここぞとばかりに商売センスを発揮してくるプポーネに苦笑する。
「ま、ブートキャンプに行くっていうのも悪くはないから良かったら従兄のアントニオのところ薦めるぜ。鍛えられてその上金も稼げるんだから言うことないぞ♪」
「そのアントニオってどこにいるんだよ」
 プポーネのことだから、どうせロクでもないバイトなんだろうと思いながら真義は聞いてみた。
「確か……バスラだって言ってたな」
 そりゃ精神的に鍛えられて大金もがっぽり稼げるはずである。
「イラクかよっっ!!」
「なあに、ビルの警備員をやるようなもんだ」
「撃たれたらどうするんだよ。拉致られたらどうするんだよ」
「そん時は自己責任だろ♪」
「……そん時は地獄の底でてめぇを呪ってやる」
 プポーネとの会話によって、真義はいつしかいつものペースを取り戻していた。
 瑠柁とねねの板ばさみになっていることもいつしか忘れていた。
 ちょうどその時だった。
「ご主人様ぁ〜っ♪」
 坂の下から、VDMのウェイトレスの制服を着た10歳ぐらいの女の子が駆け上がってきた。
 白百合のように可憐な顔を喜びで満ち溢れさせ、白い肌をほんのりと紅潮させながら真義へと駆け寄っていく。
「おっす。ねね」
 真義もねねを受け入れるために、立ち止まると腰を落として両手を大きく広げた。
 ねねの姿が大きくなっていく。
 かすかに見えるだけのねねが、等身大まで大きくなってその次の瞬間
 ……誰かが真義とねねの間に割り込むと、強引に真義を抱きしめてはその顔を真義の顔に寄せた。
 抗おうとする間もなく、暖かくて柔らかいものがそっと押し付けられる。
「おにいちゃん」
 息が触れ合うほどの近い距離で瑠柁が微笑んでいた。
「えへへっ♪」
 無邪気な笑みは、とっても可憐で事情を知らなければそのままお持ち帰りたくなるような魅力に溢れていた。
 あくまでも事情を知らなければ。
「えげつねえなぁ……」
「そこまでやるか」
「……瑠柁ちゃん」
 プポーネは少し引きながら、陸は呆れて、樹はおろおろと三者三様に抱き合っている二人と真義に抱きつこうとして寸前のところで阻止されて尻餅をついてしまっているねねに向けられていた。
「あれ? ねねちゃん。どうしたの?」
 瑠柁は初めて気がついたように振り向くがねねを出し抜いた満足感が隠そうとしても滲み出ていた。
「…………」
 ねねは言葉も出ず、泣きそうになっている。
 真義としてはそんなねねに力を貸してやりたいと思う。慰めてやりたいと思う。
 けれど、真義の身体は圧搾機にかけられたように締め上げられていた。
 みしみしと全身から不気味な音を立てている。
 ねねはあくまでも幸せそうに笑いながらも、真義を逃さんとばかりに抱きしめているのであった。
「瑠柁ちゃんは今日は仕事じゃなかったっけ」
「この時間だけお休みをもらったんです」
「だから、おにいちゃんを迎えにきたんだ」
 相変わらず笑顔のままだったけれど、その全身からは怒りのオーラが立ち上っていた。
 それは真義を抱きしめる力がよりいっそう強くなるという形で発露されていた。
「る、るだ……ぐ、ぐるしいよ……」
 真義は蚊よりも小さな声で窮状を訴えるが瑠柁の耳には届かない。
「ほら。おにいちゃんも言ってるよ。ねねなんてどうでもいいって」
「いってないいってない」
「ねねみたいな不細工よりも瑠柁のほうがいいって」
「ねねは胸があって羨ましいなあと言ってたのは何処の誰かさんだったかなー?」
 陸がぼそっと突っ込むと無視すればいいのにも関わらず瑠柁はにらみ付けた。その眼差しは火で炙った刃のように熱くて鋭かったけれど陸は涼しげに受け流す。
 同時に注意が真義とねねから逸れた。
「あっ!!」
「おーい。生きてるか」
 瑠柁の締め上げる力が弱まった隙を突いてプポーネは救助すると、真義は必死になって肺に息を吸い込みながら答えた。
「なんとかいきてる……」
「おにいちゃん、だいじょ……」
 瑠柁が慌てて駆け寄って真義を抱きしめようとするが、陸に髪を引っ張られて止められる。
「なにするのっっ!!」
「あのね、瑠柁……」
 瑠柁は怒鳴りつけるが、陸はにっこり笑いながらもコメカミをぴくぴく稼動させながら、瑠柁の大福のように触りごこちのいいほっぺを掴んではではびろーんと引っ張った。
「抱きつくのはいいんだけれど、力の加減しろと何度言ったらわかるんだ。このおんぼろ駆逐艦がっっ!! あんたは羆も殺せるぐらいの力があるんだから真義を殺したらどうするのっっっ!!」
「ず、ずみぱせん……」
「いーや。そうやって何回謝ったの。このバカチンがぁっ!!」
「ひ、ひひたい……ひたいほぉ……ひくおねえはゃん……」
「楽しそうだな。オレも混ぜてもらおうかな」
「趣味悪いぞ」
 陸が瑠柁の頬を引っ張りまくっているのを楽しそうに見ているプポーネに真義がため息混じりに苦言を呈していると誰かがくいくいと袖を引っ張っていたので振り向いた。
「…………」
 そこにいたのはねねだった。
 何も言わなかったけれど、今にも泣きそうな哀愁漂う眼差しで真義は何が言いたいのかわかった。
「……ありがとう」
 真義が感謝の気持ちをこめてねねの頭を撫でると、ねねは顔を即座に破顔させた。
 その笑顔がとっても眩しくて、心の底から撫でてよかったと真義の心から満足感と幸福感が湧き上がった。
 けど、快感も長続きしないわけで。
「おーい。シンギとねねがいい感じになってるぜーっ」
「なんだってぇぇぇぇっっ!!」
「だぁぁぁぁっ 余計なこと言ってるんじゃねえっ!!」

 
 ・・・・・・・


 ねねがVDMで働くようになってから真義は裏方に廻るようになった。
 理由はねねが常勤に入って人員に余裕ができたのと、理亜が厨房でサポートしてくれる人材を欲したこと。けれど、最大の理由は真義がウェイターで出るのが危険になったからである。
 ……理由は言うまでもないというところかも知れない。

 夜に入ってVDMの厨房はフル回転していた。
 自動皿洗い機の中では、スペースいっぱいに置かれた皿がシャワーで洗浄され、その隣では洗い終わった皿が乾燥機で乾かされている。乾かし終わった皿は食器棚に戻されることなく、真義の手によってキッチンに並べられては理亜が田植え機のようなスピードで目にも鮮やかな料理を盛り付けていく。
 料理をカウンターまで運び、ウェイトレスに料理を手渡していく。
 そして、再び厨房内での雑務に入っていく。
「真ちゃんが手伝ってくれてほんと助かる〜」
 最近では簡単な野菜切りやピザの盛り付けなどもやるようになっていて、仕事内容はゆっくりと高度な方向に走っているのだけれど、理亜のにんまりとした笑みを見るとそれだけで報われたような気がした。
 再び、カウンターへと料理を運んでいく。
 ふと店内を見るとねねが接客に努めていた。
「セットメニューが4つとドリンクバー4つ。。イタリアンハンバーグとステーキ、シーフードドリアにサルティン・ボッカ。ライス二つとフォカッチャ二つですね。ドリンクバーはあちらになります」
 識別用の猫耳型ヘッドセットをつけたねねが流暢にオーダー確認と説明を丁寧にこなしている。
 VDMに試験投入されてからそんな日がたっていないにも関わらず、ねねはすっかり順応していた。
 特にオーダー確認の場合は量が多いと瑠柁や樹はおろか、真義でさえもつっかえる事もあるのだけれどねねは淀みなくスラスラとこなしている。
 この辺りはロボットだと感心せざるおえない。
 問題は人間らしい応対の仕方ということなのだけれど、そちらの面でも特に問題はない。というよりヘッドセットをつけていない限りは人間以外の何者でもなかった。
 ねねが真義に見られていることに気づいて、ほんのりと顔を赤くさせる。
 その様子がおもいっきり可愛かった。
「……萌えだなあ」
 完全に不意打ちだった。
 耳元でボソっと囁かれて思わず仰け反った。
「驚かさないでくださいよっ」
「驚かしているつもりはないんだけど」
 してやったりと蒼衣がにへへと笑っていた。
「仕事中だっていうのに気を抜いているなんてたるんでるぞ。こらっ」
 蒼衣が何かしたというより、樹でも背後から刺せるぐらいに注意がね

ねに向かっていたのだから怒られるのも当然だった。
 しかし、蒼衣は相変わらず笑ったままだった。
「そろそろ。休憩時間だろ?」
「そうでしたっけ?」
 時計を見るとかなりの時間が過ぎていた。
「いらないっていったらもらうけど」
「いりますいります」
 休める暇があるのなら休んだほうがいいに決まっている。
「セットメニュー、イタリアンハンバーグにステーキ、シーフードドリアにサルティン・ボッカ。ごはん二つにフォカッチャ二つです」
 そこへねねがやってくる。
「おっし。二人とも休憩に入っていいぞ」
 蒼衣が言うとねねは恐縮する。
「別に、休憩がなくてもいいですが」
 それはねねがロボットだからだろう。わざわざ休憩時間を取る工業用ロボットなんていうのは存在しない。
「でも、真義と一緒に休みたいだろ」
 蒼衣にニヤッしながら言われると一発で着火した。
「……はい」
 恥ずかしそうに俯きながらうなずいた。
「……かあいいなあ。くっししし」
「…………」
 そうやって抱きつく蒼衣はオヤジそのものだった。
「真義。お持ち帰りしていい?」
「お持ち帰りもなにもなんでオレに聞くんですか?」
「だって、真ちゃんはねねの旦那様なんでしょ?」
「あのですね……」
「…………」
 ねねに泣きそうな眼差しで見つめられるといたたまれなくなって首を吊りたくなる。
 話しかける代わりに真義は、首の後ろで纏められてネットが被さったねねのお団子をきゅっと握り締めると白い髪を撫で続けた。
 悲しみは一瞬で消え、ねねの顔が幸せな色彩に満ち溢れていく。
「気持ちいい?」
 恐る恐るな問いかけにねねは小さな声でうなずいた。
「……なんだかよく分からりませんけど……嫌ではありません」
 ねねの表情がほんのりと赤くなる。
 そんなねねがとても可愛くて、真義も思わず赤くなってしまう。
「おいこら。ここでラブコメやるなっつーの」
 蒼衣の突っ込みに二人とも我に返る。
「す、すみません……きゃっ」
 慌てて弾みでバランサーが狂ったのかねねは危うく転びそうになったが真義が寸前のところで抱きかかえた。
「大丈夫か?」
「はい……だいじょうぶ……」
 答えて……真義に抱きかかえられていることに気づいてねねは沈黙してしまう。
 真義は何故ねねが黙りこくってしまったのか不思議に思い、次に手に握っている大きくて柔らかい物体が何なのか不思議に思い、それがねねの乳房だっていうことに気づいておもいっきり狼狽する。
「いや、その、それは不可抗力であって、そのあの……」
「そ、そんな……あやまることじゃないです……わたしだって……その、あの……」
「おーい。さっさとお持ち帰りしたほうがいいんじゃないのか」
 蒼衣の冷やかしによって真義は僅かばかりの理性を取り戻すと真義はねねを抱えたまま母屋へ歩き出した。
 
「……面白い奴だなあ。見せ付けてくれやがって」
 二人がいなくなった後も蒼衣は笑っていた。
「懐かしいなあ……」
 料理の方を一段落迎えて、ようやく会話に参加できるだけの余裕を得た理亜が昔を思い出すような表情になっていた。
「ともちゃんとおねえちゃんが出会った時のことを思い出しちゃった。ともちゃんも今のしんちゃんみたいにがちんがちんに硬くなっちゃってね。おかしかったなー」
「ともちゃんって、瑠柁のパパですよね」
「うん。おねえちゃんの旦那様っ♪」
「……しんちゃんの話では確か、旦那さんって某世紀末覇者とクリソツだとか」
「あの漫画見た時、驚いちゃった。まるっきりともちゃんだったんだもの。あの作者さんはパパをモデルにしてあのキャラを描いたのよ、きっと」
「……武○尊&原○夫先生すみません」
「蒼衣ちゃん。何いってるの?」
 ……という訳で皆さんも連想してください。
 赤面しながら理亜と一緒に歩いている某世紀末覇者の姿を。
 ……分からないという方は2mを越えるような巨体と熊をも凌駕する筋肉を持って殺気を360度に放って周りを震え上がらせているオヤジを連想するように。
「大丈夫かな」
 何かを思い出したのか蒼衣は呟いた。
「何かあったの?」
「真義。ねねをお姫様だっこで運んでちゃったから……」
「羨ましいなあ」
「…………」

 
 ・・・・・・・


「あの。ご主人様」
 天然にもねねをお姫様抱っこしているとは気づかないままで真義が歩いているとねねが話しかけてきた。
「私の働きぶりはいかがだったでしょうか?」
 期待と不安がこもった眼差し。
「最高だよ」
 真義から賛辞にねねの表情がぴたりと輝いた。
「むしろ、オレなんかよりもうまくやってるよ」
 実際にそう思えてならなかった。
「そんな。真義さんに比べたらまだまだです」
「そっかな……」
「そうですよ」
 何がそうなのかは分からないけれど、ねねに励まされたことは幸せだった。
「これからもねねに負けないように頑張らないとな」
「……負けないようにとって、まるで私たちが敵のように聞こえるじゃないですか」
 ねねの中で何かがひっかかったのか少しだけふくれる。
「じゃあ、オレ達は何のなのか?」
 答えがわかっていながら真義は聞く。
「それは……」
 プロミングでもされたようにねねは赤面で黙り込む。
「それは?」
「……ご主人様。いぢわるです」
 ねねは拗ねてぷいっとそっぽを向いた。
 そんなねねを見て、真義は笑う。

 幸せだった。
 何気ないけれど、ねねとこんな時間を過ごすことが何よりの幸せだっ

た。
 ……前方から某世紀末覇者ばりの殺気を浴びるまでは

「何をやってるのよ。二人とも」
 気がつくと瑠柁がいた。
 真正面から二人を睨んでいて、その全身から放出される殺気が真義を思わず後退させた。
「なにって……」
「なんでねねをお姫様抱っこしてるのよーーーっっ!!」
 そこで間抜けにも真義はねねをお姫様抱っこしていることに気づいて赤面する。
「これはそのあの……」
 言い訳する言葉が見つからなくてしどろもどろになるが、その時間はあまりにも短かった。
 殺気の視線が真義を射抜く。
 しかし、ねねは冷静だった。
「あの、真義さん。瑠柁さまを抱っこしてあげてもらいませんか?」
 思いがけない言葉に真義のみならず瑠柁もあっけにとられた。
「いいの?」
「瑠柁さまが満足なされるのであれば」
 ねねは真義の腕から飛び降りた。
「よ、よく分かってるじゃない」
 その言い方に真義は引っかかるものを感じなくもなかったけれど、せっかく落ち着いたのにこじれさせるのも時間の無駄なので黙って瑠柁を担ぎ上げた。
「それじゃ」
 ねねがこくんとうなずいたのを確認すると、真義は瑠柁をお姫様抱っこしながら歩き出す。

 何が問題って、ねねと瑠柁の関係が悪いのが問題だった。
 正確にいえばねねはどうとも思ってはいなくて、瑠柁が一方的に突っかかっているのだけれど、その原因が自分があることに気が重かった。
 ねねは真義が好き
 瑠柁も真義が好き
 二人に挟まれて真義は悩まされている。
 答えを出さなくちゃいけないとはわかっているものの、出すことができない。

 ただ、振り返ると
 ねねが親と絶縁された子供のように寂しく立ち尽くしているのがひどく印象に残っていた。

 
......to be continue