第2話:クロムハートの子守唄
エピローグ
あれから数週間が過ぎて、真義の日常は変わることなく過ぎていた。
強いて違ったことというのなら日に日にVDMの一員としての経験値を積み上げていることで、学生とウェイターの二束のわらじを履きながら目まぐるしく日々が過ぎていった。
ねねのVDMに帰ってこない。
あの衝撃の出会いの日からだんだん遠ざかっていき、つい薄れがちになる今日この頃、一つのニュースが流れていった。
それは超遅野グループの企業である超遅野電気が家事介護用としてメイドロボットを開発したと発表したことで、テレビにはデカデカとねねが登場していた。
ロボット然として無表情な態度を見せるねねに真義は、アイドルになった幼馴染を見るような、そんな距離感を覚えてならなかった。
今日は光沢大社での花見の日。
花見ということもあって、VDMは臨時休業をしており真義は外出する支度で朝から忙しかった。
陸は先行して場所取りに出かけている。
「しんちゃん。おねが〜い」
「はーい」
さっきからインタホーンが鳴り響き、理亜の要請で真義はドアを開けた。
「どちらさまですか?」
「宅急便です」
聞くまでもなかった……相手は運送会社の制服を着ていたから。
とはいうものの、この世界では運送会社を装った物取りの可能性もあるのだけど
「菅野真義さまでしょうか?」
「えっと、オレですけど」
「荷物をお届けに参りましたので印鑑かサインをよろしくおねがいします」
「ちょっと待ってください」
下駄箱の上にある印鑑を取り上げては配達員に渡す。配達員は伝票に印鑑を押すと伝票と共に返した。
真義は伝票をしげしげと見る。
宛先は……間違いなく真義とVDMの住所
送り主は会長だ。
何を送ってきたんだろうな、と思ったら配達員が海外旅行に使うような大型のトランクを持ってきたので真義はびっくりした。
「それではどうもありがとうございました」
「どうも〜」
動揺を隠し切れないまま一礼すると配達員はドアを閉めて去っていく。
運送屋のトラックが走り去る音を真義はトランクと一緒に聞いていた。
……なんなんだ、いったい。
会長がトランクを送ってきた意図がわからない。
会長とは知り合いだけれどエロ本の貸し借りをするような間柄ではない。
とはいうものの、ここでいくら考えても埒が明かないから真義はトランクを開けることにした。
鍵はかかっておらず、ぱかっと簡単に開く。
「のわっっっ!!」
一気に開けた瞬間、真義はのけぞった。
トランクの中に入っていたのは白い繭だった。
繭といってもトランク一杯に入るほどに大きい繭で、白くて艶やかな毛のようなものが全体を包み込んでいた。
「なんなんだ……これ」
いくら意味不明で寒いギャグを飛ばすとはいえ、こんな得体の知れない物体を送ってくるなんて思いもよらなかった。
まさか危険な物体ではないよな
汗をかきながら一応は会長のことを信頼しようと思うと、おそるおそる白い繭に手を伸ばした。
白い毛のようなものに掌が触れる。
……ようなものじゃなくて、それは実際に毛だった。
艶やかで絹のようなさらさら感が麻薬のように心地よい。ただ、ほんのりと熱を持っていた。
これは髪?
その瞬間、繭がいきなり跳ね上がった。
「ごしゅじんさまっっ!!」
繭がむくむくと起き上がり、手を伸ばしたかと思ったら真義に抱きついた。真義はパニくりかけたが連呼する声が真義を冷静に戻す。
「ごしゅじんさまごしゅじんさまごしゅじんさまごしゅじんさまごしゅじんさまごしゅじんさまぁっっっ!!」
歓喜が爆発している叫びに真義には聞き覚えがあった。
そして、押し付けられる大きな胸。
正面を見るとそこには女の子の顔があった。
小学生ぐらいの可愛らしい少女の顔。
その大きな目はいっぱいいっぱい見開かれては涙が滲んでいた。
「あいたかったあいたかったあいたかったあいたかったあいたかったっっっ!!」
――白い繭に見えたのは、彼女が前髪を作らない髪型で豊かな髪が足首まで伸びているからで、手足を折りたたんで胎児のような姿勢を取れば髪の中にすっかりと埋もれてしまう。
真義の中に暖かいものがじわりと滲む。
間違いなくねねだった。
「おかえり。ねね」
真義が人差し指で涙をすくうと、ねねは嬉し涙に塗れながらもにっこりと笑った。
実にいい笑顔だったけれど疑問が残る。
何故、ねねは真義の元にやってきたのか。
トランクを見ると封筒が落ちていたので真義は封筒を拾い上げては中に入っている手紙を読んだ。
「前略、菅野真義さまへ
やあ、真義くん。元気にしてるかね。
かねての約束通り、ねねを君の元に送るから可愛がってやってくれたまえ。
本当は実家のほうでメイドとして使う予定だったんだけれど、ねねが「真義さまの元に行きたい」とダダをこねるものだから君の元に送ることにしたんだ。どうせ使われるのなら本人の望み通りにしてあげたいしね。
ただし、これは超遅野電器としてのテストを兼ねているわけで、その辺りのことは瞳さんに話してあるから聞きたまえ
では、また。
草々」
真義はしみじみと思った。
……持つべきは金持ちの友人だと
「そういうわけなので、今後ともよろしくお願いします」
真義が手紙を読み終わるの見計らってねねは礼儀正しく一礼をする。
「それはこっちのセリフだよ」
真義は感謝の気持ちをこめてねねの頭をなでると、ねねは恥ずかしそうにうつむいた。
「……きてくれて本当によかった」
それは心からのセリフだった。
ねねの髪をなでていくうちにあの時の気持ちが蘇ってくる。
可愛いと思った。
守ってやりたいと思った
好きだと思った。
本当に浮気者だと思うのだけど、あの時感じた感情に嘘偽りはなかった。
そして、これから一緒に暮らせるのかと思うと胸が熱くなる。
「わたしもごしゅじんさまの元にこれてうれしいです」
再びねねは涙ぐむ。
「わたしはごしゅじんさまを大好きになるために生まれてきたのですから、こうやってごしゅじんさまと会うことができてとってもうれしい」
ねねは真義をがしっと強く抱きしめた。
「私はごしゅじんさまのことを愛しています」
心よりの愛情をぶつけられて真義はくらくらする。
ねねほどの可愛らしさを持つ女の子に「愛してます」といわれてくらくらしない野郎なんていない。
ただ、そこまで愛される存在なのかと自分でも疑問に思ってしまうのだけど、それはそれでいいのだろう。
しかし、背後から突然立ち上った殺気が幸せな気分を一気に吹っ飛ばした。
「な〜にやってるのかなぁ〜 おにい〜ちゃん」
……一番危険視しなければならない存在がいたのにも関わらず、その存在を忘れてしまったことを真義は後悔したが、こういう時の後悔というのは得てして手遅れなのである。
棒になった首を無理やり振り向かせると、そこには瑠柁が立っていた。
「事情を聞かせてもらおうかしら」
瑠柁は笑っていたけれど、全身から怒気が立ち昇り、進入したもの全てを焼きつくすような制空権となって張り巡らされている。
「瑠柁が納得できるような理由をね」
そんなもの玄関先で裸同然の女の子と抱き合っている真義にあるわけがない。
瑠柁は鬼の笑みを浮かべながら真義に近づいてくる。
その歩みは非常にゆったりとしていたが、メデューサの顔をまともに見てしまった犠牲者のように動くことができない。
何処からか、スターウォーズの帝国のテーマが流れてきたような気がした。
「……って、実際に流しているんだったら助けろーーーっっ!!」
助けにいくはずがない。
天罰を受けたほうが面白いから。
……この男は実際に天罰を食らったほうがいいのであった。
「おにいちゃんのおにいちゃんの……」
朝のVDMに瑠柁の絶叫が響き渡る。
「ばかぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーっっっ!!」
そして、真義の地獄が始まった。
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