第2話:クロムハートの子守唄


 6th TRACK


 「ロボット?」

 信じられなかった。
 
 真義の知っているロボットはAIBOとかASHIMOとか、あるいは先行者とかどうも機械機械したものたちばかりで女の子が彼らの同類だとは到底見えなかった。
 その幼い顔も
 細い腕も
 その年頃にしては膨らみまくっているその胸も
 ミロのビーナスのような綺麗なラインを描くお尻からふととも
 何処も不自然さはなく、その超絶的な可愛らしさを除けば何処にでもいる人間なように見えない。

 ただ髪は新雪のように白く
 プラチナを削りだしたかのように梳られた髪は足首まで伸びて、彼女を包み込んでいる。

 「髪、触ってみてください」
 「いいの?」

 こくんとうなずいたので、真義はお姫様に接するかのようにおずおずと肩になだれ落ちている髪を一房手に取った。

 「わかりませんか?」
 「・・・・・・うん」

 女の子の髪はサラサラでいつまでも触っていたくなるような肌触りをしていたがほんのりと暖かかった。

 人間の髪でこういうことはない。
 ましてや握っているうちに髪が加熱してくることなんてない。

 「これは髪ではなくて放熱デバイス。CPUの熱を冷却するために設けられたものです」

 つまりヒートシンクのようなものなのだろう。

 髪の熱さに比例して、少女の顔の赤みも増していた。

 思い切ってた頭を撫で撫でしてみる。
 
 「あぢっっっっっっっっ」

 その瞬間、頭が燃え上がったように熱くなった。
 もちろん触り続けることができなくて、必死になって近くにある水道から水を出すと流れ落ちる水に手を浸した。
 焼けた鉄を突っ込んだようにじわっ、と水蒸気が立ち上る。
 冷たい水を浴びたことでひとまずは落ち着いたものの、それでもちりちりとした痛みは続いていた。

 「ごめんなさい」

 抑揚がないというか平板な声で女の子は謝った。

 「・・・・・・わかりません。お姉さまや博士、その他の人たちではならないのに。真義さまだと不思議と熱くなってしまうのです」
 「わかったわかった」

 まだ水に手を浸しながら真義は言った。

 頭を撫でられただけで手が火傷するぐらいに赤くなる女の子なんていうのはいないす言うのはいない。
 
 「でもさ。綺麗な髪だよね」
 水に浸していないほうの手でその白い髪をすくいながら真義は言った。真義の言葉通り、掌に余るその髪は艶々と宝石のように輝いていた。
 「これは放熱用デバイスです」
 瑠柁だったら喜ぶところだけれど、この女の子はそのギャグの何処が面白いのかとばかりに素で困っていた。
 「でも、アナタに撫でられると・・・・・・わからないんです」
 「わからない?」
 「ノイズが入るというかフリーズしてしまうというか。とにかくアナタのことを考えたら私の動きがおかしくなってしまうんです」
 
 そうやって、戸惑っているあたりは
 恋をしている普通の女の子だった。

 女の子には分からない。
 でも、真義には分かる。

 女の子にはなくて、真義たちにはある概念。

 「どんな風に?」

 「例えば・・・・・・・」
 迷った末に髪の一房をつまみ上げる。
 その一房は地面に届くぐらいに長い。

 「頭、重くない?」
 純白コートを羽織っているようなもので、そこまで来るとかなりの重量がある。けれど、女の子は僅かに首を横に振った。
 「いえ。これが普通ですから」
 
 髪を切ることができるから重たいと感じるわけで
 切ったことがない、切ることができない存在なら、自分の身体のように髪の重量込みで自分の体重が計算されているから重いと感じる概念さえないのだろう。

 「でも、シンギさまが切れというのなら切ることもできますが」

 さらっと言ったあとで、その発言の重大さに気づくと女の子の顔が火のように赤くなった。
 比喩でもなんでもなく水蒸気が出ていた。
 「わたし、なんでそんなことを言ったのでしょうか?・・・・・・」
 意思ではなく、勝手に口から言葉が出てしまったようで女の子は困惑していた。
 気持ちはわかるが本人ですら分からないものを真義が答えられるわけがない。

 ロボットであるというのなら
 「切る」と言わせたモノと、「切る」と言ったことことに戸惑ったモノは何処から生まれたのだろう。
 
 その失敗した子供のように途方にくれた表情はとてもじゃないが演技のようには見えなかった。

 これが感情ではなく、プログラミングで出せたとしたら神クラスの腕前だろう。

 そうでないとしたら女の子は自我がある。
 それが女の子を人間らしく見せているのだけれど、女の子がそれがあることに戸惑っていた。

 だいたい意識というのはいったいなんなんのだろう?

 現代文明は長足の進歩を遂げて、昔だったら神の仕業で済ませていたほとんどの事象に説明づけをすることが可能になっていたが、人間の意識という根源のところについては昔と同じように分かっていないことに真義は気づく。

 意識は何処から生まれるのか?
 何故、人は人しか会話できないのか?
 意識は何処にあるのか?

 暗い森を彷徨うかのようにわからないことばかりで、踏み込めば踏み込むほど迷ってわけわからなくなるのことがこの分野だと思う。

 「光沢に来てからそんなに日が立ってないというのにナンパとはやるなあ。にいちゃん」
 こんなところで聞くことがないだろうと思っていた家族の声がして、真義の顔からさーっと血の気が引いた。

 「でも、ちっちゃな女の子って・・・・・・・やっぱり真義はロリだったんだ」

 光沢飛翔の制服に身を包んだ、一房だけ膝までのツイスト編みにして後は肩ですっぱりと黒髪を切り落とした女の子・・・・・・陸の出現に声が裏返る。

 「ロリって・・・・・陸、おい」
 「でもさ、瑠柁にバレたら大変だと思うよ」

 真義の顔色がかわいそうなぐらいに真っ白になる。

 真義とレオタード姿の頬を赤らめた女の子
 瑠柁が誤解して暴走するには条件があまりにも揃いすぎている。

 「・・・・・た、たのむ。瑠柁には言わないでくれ」
 「ちょっと誠意が足りないんじゃないのかなー」
 「お願いします。陸様っっ!!」

 恥も外聞もないとはこのことだが地獄が待っていると思えばこれぐらいは屁でもなかった。
 ・・・・・・・・かなり情けない兄である。

 「陸・・・・・有馬陸さまですね」

 女の子。二人の一連のやりとりで平静を取り戻したようだった。

 「そだけど。キミは?」
 「私はTXBC-001 お姉さまからは「ねね」と呼ばれてます」

 「てぃーえっくす、ねね・・・・・キミってひょっとして」
 
 陸の驚きをねねは無表情で肯定する。

 「はい、私はロボットです。製造元についてはプロテクトがかかって言えませんが」
 「ロボット・・・・・へぇ〜・・・・・」

 ロボットというねねを黙って見ていた陸だったが、納得したようにうなずくその頭を撫でた。

 「よろしく。ねね」
 「はい。こちらこそよろしくおねがいします」

 「よく納得できるなあ・・・・・・・・」

 ねねがロボットであることを素早く認められたことに真義は驚いた。

 「だって、あたしだって人間じゃないもの」
 「それもそっか」

 天使がいるのならロボットだっていてもいい。

 その時、真義のおなかがぎゅっと鳴った。

 「・・・・・・・おなかの調子。だいじょうぶ?」
 
 心配している割には顔が笑っていた。

 「・・・・まあ、大丈夫だけど」

 無言の時間が続いた後に真義はやっちまった政治家のような曖昧な笑みを浮かべた。
 ごまかし笑いとも言う。

 「だいたい、なんで陸がこんなところにいるんだよ」
 「灯油を飲んでまで仮病している真義に言われたくないなぁ〜♪」

 逆切れに出るものの、当然のことを突っ込まれて真義は敢え無く撃沈する。

 「そんなこと言ってるとこれ売らないぞ〜」

 陸は手にしていたブラックベリーカフェのビニール袋を真義の目の前でひらひらさせた。けっこう膨らんでいる。

 「あげないぞの間違いじゃないのかよ」
 「奢ってあげるほどの金持ちじゃないし、こんなところで借りを作られるよりはいいでしょ」

 実際、どっかで食料を調達しようと思っていただけに陸が買ってきてくれたのはありがたかった。

 「しょうがないなあ。これだけの量を陸一人で食べさせたら太ること確実だから、陸のダイエットのためにも喰ってやろうとするか」
 「こらっっ!! これしきの量だと・・・・・・うーん、ちょっと心配かな?」
 途中から自信なさげに変わる様子に真義は笑い、陸は拗ねたような表情を見せた。

 それからねねを見つめる。

 「ねねも食べる?」
 「いいえ」

 ねねは首を横に振った。

 「わたし、ロボットだから食べられないんです」


 ・・・・・・・・・

 ブラックベリーカフェの分厚いハンバーグを頬張りながらの昼食
 ほどよく焼けた重いパティとそれに絡みついているソースとレタスの食感を楽しみながら真義は口を開いた。

 「よくオレたちのことがわかったね」

 「はい。おねえさまから真義さまや陸さまたちのことを聞いてましたから」
 「そのおねえさんはあたし達のことをどう言ってた」
 「そうですね・・・・・・」
 ねねは考え込むそぶりを見せた。
 「おねえさまは週に一回、私のところにやってきておねえさまの見たもの聞いたものが私のデータバンクにダウンロードされるんです。それで真義さんや陸さんたちのことを知りました。もちろん、他の人たちだっていっぱい知ってます」
 「そっか」
 「ただ、ダウンロードされる時に・・・・・ノイズが混ざるんです」
 途中で言葉が止まったのはその現象をどう説明していいのか分からなかったのだろう。
 「ノイズ?」
 「おねえさまが見る映像にはノイズが混ざっているんです。そのせいでわたしの行動にも影響を与えているんです」
 「影響って、どんな影響?」
 陸がいぢ悪く微笑んだ。
 「どんな影響といいますと?」
 「ほら。誰かを見ると変にならない?」
 「変といいますと例えば」
 「そうだねえ・・・・・フリーズするとか熱暴走しかけるとか、CPUの占拠率が上がるとか。とにかくそういうこと」
 「そうならば・・・・・」
 ねねが視線を真義に向ける。

 「・・・・・・・・・!」
 すると何故か赤面してしまって、慌てて顔をうつむいた。

 「しんぎぃ〜」
 「べ、別に。オレは何もしてないよ」

 陸がニヤニヤと笑いながら肘で胸をつつくので、真義は僅かに動揺しながら顔を背けた。

 実際、何もしていない。
 出会ったばかりだから何をする余裕もない。

 「まあ、それは後でゆっくりじっくりたっぷり聞かせてもらうこととして。そのおねえさんはあたし達のことをなんと言ってた? そのおねえさんのことだからデータで伝えるんじゃなくて、ちゃんと口で教えてくれたんでしょ?」

 そのおねえさんの名前はねねの口からは聞かされていない。
 でも、ねねがオレ達の名前を知っているようにオレ達もそのおねえさんのことを聞くまでもなく知っていた。

 それしか考えられなかったからだ。

 「はい。おねえさまには一人のおねえさまと4人の妹さまがいるとうかがいました。陸さまは明るくて元気な女の子だと伺っております」
 「陸さまなんてそんな柄じゃないよ。あの会長じゃあるまいし呼び捨てでいいよ」
 「え、でも・・・・わたしは・・・・・」
 「ロボットだとかそういうのは関係なし。ねねがそのおねえさんの妹なら、ねねだってあたしの妹だよっ」
 そういうと陸はぎゅっとねねの身体を抱きしめる。
 「わたしは陸さまの・・・・・・」
 「だから、それはいいっこなし」
 陸はねねの白い髪をそっと撫でた。
 ねねがポッと顔を赤らめた。
 「あぢぢぢぢぢぢぢぢぢぢっっ」
 その瞬間、手を火傷してしまい陸は慌てて手を離してねねは泡を食ってぺこぺこと謝った。
 「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
 「いや、いいんだけど・・・・・」
 陸はフォローに入るが、手を痛そうに振っていた。
 「笑うな」
 お返しとばかりに笑う真義にすねると陸は水道に手を突っ込んだ。
 「でもさ、そんなことで熱くなるぐらいに赤面するなんてまるで樹みたいだね」
 「そうなんですか?」
 ねねは分からないという顔をする。
 「おねえさまは樹さまについて、もう少し自信もってくれればいいのにとおっしゃってました」
 「やっぱり」
 「あと、陸さんについてですがもう少し真面目に勉強してほしいともおっしゃってました」
 「・・・・・ったく」
 
 苦笑する陸の傍で真義は考え込んでいた。

 陸の傍で礼儀正しく、時には湯気が出るぐらいに赤面しながら喋る白い髪の女の子。
 どう見てもロボットには見えないのだけれど、仮にねねの主張を信じるとしたら疑問が浮かぶる
 
 ねねは何処から来たのか?

 ねねのような人間そっくりなロボットが実用化されているわけがないから、ねねは何らかの研究機関にいることになる。
 問題はその研究機関がねねに外出の許可を与えたかということだ。

 否といわざるおえない。
 
 外に出すのなら目立たないように、それなりの外出着を着せるのにねねが着ているのはどう見てもインナーなレオタードであり、だいたい駅前で一人ぼっちで放置させるはずがない。
 たとえ監視していたとしても真義やねねとの交流を許さないはずだ。

 となると真実は一つしかない。

 それに思い当たった瞬間、真義の胃にへどろのようなものが落ちてきた。

 ・・・・・・熊の次は国家機関かよ。

 姉妹のように会話する二人とは裏腹に真義の心は際限なく沈んでいた。

 無理もない。

 この界隈で秘密裏にロボットを開発できそうなところといえば超遅野の研究所しかない。
 どうやって抜け出してきたのかは知らないけれど、脱走してきたのは確実だった。
 つまり、このまま一緒にいることは超遅野グループを敵に回すことなる。
 そのグループの巨大さから真義には国家権力と戦うようなプレッシャーを感じた。

 眩暈で視界が斜めになるような気分を味わいながらも真義は危惧を出そうとする。だが、それよりも陸の一言が早かった。

 「でさ、そのおねえさんは真義のことをどう思っているの?」
 
 その一言で頭の中にあった心配ごとはぶっとんだ。

 陸にそう聞かれて顔を赤らめる陸と同じように真義もまた心の底が熱くなっていた。
 
 目の前に迫る危険さえ忘れてしまうほど、自分の評価が気になってしかたがなかった。
 それは真義がとっても好ましく思っている人物がどう思っているのか。 
 それは普通では聞かれないことなだけに、意外なところから聞く機会を得て真義は興奮する。

 血走った目で見つめられてもねねは冷静に答えようとした。

 だが、その矢先に聞き覚えのある男の声が被さった。

 「おーっす、真義。生きてっかーっっ!!」
 
 話の腰を折ったことにも気づかない能天気なプポーネに真義は苦虫を噛み砕きながら振り返える。

 プポーネが楽しそうに笑いながら公園に突っ込もうとしたが、視界の中に見知らぬ白い髪の女の子を見た瞬間、落雷にでも打たれたように立ち尽くした。

 「おい、真義・・・・・・」

 震えているプポーネに真義は嫌な予感を覚えた。

 「あどけないロリ顔にむっちりとしたボディ。・・・・・・いい」

 変なものが取り憑いたかのように震えるプポーネから、ぬっとりした熱気が立ち上る。
 
 「・・・・・・・・いい。実にサイコーだ。ブラボーだ。グラッチェだ。好きだぁーーーーーっ!!」
 常軌を逸したプポーネに圧されて、反応が一瞬遅れた。
 
 その刹那にプポーネはねねに接近し、メスを前にした発情期の獣のように猛りながら興奮しながらそのたわわに実ったねねの乳房に向かって手を伸ばそうとした。

 「い・・・・・」

 ねねの表情が恐怖に染まる。

 「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーっっ!!!」
 「おじぱらげぱりぃぃっ!!」

 ねねのアッパーを顎下に食らって、プポーネは奇怪な叫びを上げながら天空へと吹っ飛ばされていく。

 ほんの一瞬でプポーネは真昼の星となり、そして消えた。

 「いゃいゃいゃいゃいゃいゃいやぁぁぁぁぁぁーーーーーーっっっっっっっっ!!」

 プポーネを吹っ飛ばした後もねねは錯乱しており、そのまま真義に抱きついた。抱きついた後も「こわいこわい」と泣き叫んでいた。
 ねねは本気で怖がっていて、とてもじゃないがロボットだとは思えないぐらいに人間味に溢れていた。

 押し付けられる胸の感触が人工物だなんてとてもじゃないけど信じられなかった。

 「だいじょうぶ。だいじょうぶだから・・・・・」
 「ほんと、ですか?」
 「だいじょうぶだって。オレが護ってあげるから」

 ぐいっぐいっと押し付けられる乳房の感触に戸惑いながら真義は言った。

 その後で発現の重さに気づく。

 恐怖に怯えて泣くねねを見て護りたいと思ったのは本当だ。
 
 けれど、そんなことは軽々しく思ってはいけないものだった。

 護るということは彼女に降りかかるありとあらゆる困難から護るということだ。
 たとえそれが超遅野という巨大な敵をたった一人で相手にしようとも、それでも護るといったからには護らなくちゃいけない。
 
 身体の内側から湧き上がってくる震えを抑えて真義は言った。

 「護るよ。絶対に」

 もう、撥ね付けることはできない。
 逃げることもできない。
 死んだとしても彼女を護らなければいけない。

 それはとっても辛くて厳しい道。

 「ありがとう」

 でも

 「ありがとうございます」

 100%の感謝を込めた笑顔を浮かべた後に、なんでそんな顔をするのだろうと真剣に考え込むねねを見るとそれが辛いとは思えなかった。
 
 顔を覆う白い髪の隙間からのぞく笑顔がとってもまぶしくて、その笑顔を見れるのだったらどんな試練でも耐えられるような気がした。

 「あ〜あ・・・・・」

 ため息と冷やかしが混ざった陸の呟きが真義を現実に引き戻す。

 「瑠柁がこの現場を見ていたら、どう思うんだろうね〜♪」

 そして、一気に恐怖のどん底に叩き落される。

 殺される。

 間違いなく殺される。

 この後の展開が髪の一筋まで見えていた。

 おそらく真義は狼に捕食されるウサギのようになんの抵抗もできずに殺されるのだろう。

 首を絞められるか、それとも全身の骨を砕かれるか。

 死に方の違いでしかない。

 「・・・・・だいじょうぶですか?」
 「だいじょうぶ。平気だから」

 逆に不安そうに上目遣いされて、真義はねねに心配かけないように答えるがそれでもとめどない震えを抑えることはできなかった。

 「気をつけな。真義はこう見えても浮気者だから」
 「誰が浮気者だ。誰が」
 「ほぉ〜 なら、この現場を瑠柁に見られても平気だと」
 「はうっ」

 あっさりと撃沈する真義。

 「・・・・・・・・・・・・」

 そこへ委員長が現れては抱いている真義と抱かれているねねを見て唖然とする。

 「・・・・・・真義くん。浮気はほどほどにしておいたほうがいいと思うよ」

 「だから、浮気じゃないっていうの」

 いちおうは抗弁してみせるものの説得力がなかった。

 「申し訳ありません」

 ここでようやく真義の置かれた環境に気づいたのか、ねねは真義から離れると済まなそうに謝った。
 
 「・・・・・・わからないんです。わたし、なんでこんなことをしてしまったのか・・・・・・」
 表情や仕草の一つ一つがプログラミングの所作によるものなら、こんな反応はしない。何故ならプログラミングから外れたことは出来ないからだ。
 「そのうち分かると思うから」
 「そのうちですか?」
 「・・・・・まあ、そのうち?」

 真義の曖昧な答えに納得いっていないねねであったが、そこへ委員長の声が飛んできた。

 「この子はいったい誰なの?」


 ・・・・・・・・


 委員長にこれまでの経緯を説明すると、委員長はねねをしげしげと見つめてはうなずいた。

 「うん。信じる」

 「ちょっと待てよ」

 ちょっとした表情や仕草からどう見ても人間にしか見えないので、ねねがロボットであることを委員長が拒否、というよりそんな事実を認めることを拒否すると思っていただけに、その予測があっさりと覆ったことに真義は恐慌しかけた。

 「なんであっさり信じちゃうんだよ」
 「だって、この子。菅野くんや有馬さんと比べたら無いというぐらいに生気が感じられないんだもの。確かにこの子がロボットなんて信じられないんだけれど、私の感覚も疑うことができない」

 真義は委員長が前に言っていたことを思い出す。

 VDMが常識から外れた者たちの集まりであるのと同じように委員長だって常識の埒外で生きている。
 世間の常識ではありえなくても委員長の常識ではありえることなのだ。

 「何故ここにいるのかしら? 有馬さん」
 
 委員長は陸に険のある眼差しを向けるが陸は余裕で受け流す。

 「それを言うなら真面目で知られた委員長どのがこんなところで油を売っているのは目の錯覚でしょうかね」

 笑っている割には鋭い突っ込みだけれど委員長は動揺するそぶりをみせなかった。
 
 「菅野くんとミハイロビッチくんを野放しにしておくと何をしでかすかわかったものじゃありませんから」
 
 何故、オレがプポーネと同じように危険人物扱いされなくちゃいけないのかと真義は謝罪と賠償を要求しそうになったが、二人は完全に真義を無視していた。

 「止めようとは思わなかった? 力づくで」
 「菅野くんはともかく、ミハイロビッチくんを力づくで止めるのは難しいので」
 「へぇ〜 あいつのことは評価しているんだ」
 「人格評価と戦力評価は別なので」

 「おいおい。ちょっとまてちょっとまて」

 険悪になっていく空気に耐えかねたように真義が声を張り上げた。

 「仲良くできねーのかよ。おまえら」

 「そうだね。こんなところで喧嘩したところで意味ないし」
 「私も有馬さんには色々と言いたいことがありますがこのへんにしておきましょう」

 陸がケラケラと笑って剣呑な空気は去っていった。

 「ところで、ミハイロビッチ君は知らない?」
 「プポーネならねねにセクハラしようとして吹っ飛ばされた」

 真義の言葉を裏付けるようにねねがガクガクブルブルと震えたのを見て委員長は呆れた表情をした。

 「そのまま消えたほうが人類のためね」
 物騒なセリフをぼそっと吐き捨てると怯えているねねに向かって笑顔を作った。
 「こんにちは、ねねさんね。私は山尾美穂です。よろしくおねがいします」
 「こちらこそ、よろしくおねがいします」
 委員長が礼儀正しくお辞儀をしたのを見て、ねねもまた礼儀正しくお辞儀をした。その様は研修をやらなくてもVDMのウェートレスができそうなぐらいに様になっていた。
 「山尾さまのことはお姉さまからお聞きになっております。お姉さまによると若い割にはしっかりした方だと伺いました」
 「そうなんですか?」
 「堅いけれど、道理はちゃんと弁えたいい方だと」
 「・・・・・そこまで評価されることは」
 
 褒められて、さしもの委員長も照れている。

 委員長も、そのお姉さまが誰かだとは聞かなかった。

 御飯が食べられない。
 生気が幽霊のように少ない
 陸や委員長たちのことをよく見ている。

 そのお姉さまに該当する人間が
 真義や陸の知っている人間の中にいる。

 そして、真義の頭の中には仮説があって
 その仮説が正しいとかすればある程度の齟齬はあるけれどツジツマが取れる。

 その人が御飯を食べないのはクローン病ではなく、そもそもエネルギー補給の形態が通常の人間とは異なるからだ。
 
 その人が一週間に一回程度、何処かに行くのはそれが必要だからだ。
 その人だけではなく、その人に関係ある人にも

 そして、その人がスキンヘッドなのは
 剃っているからではなくて元々生えないからだというのがわかってしまった。

 「なあ、陸」
 「ん?」

 真義はそっと陸に話しかけた。

 「陸は瞳さんの正体、知ってたのか?」
 「うん。知ってたよ」

 答えたあとでそっと付け加えた。

 「あたしとおんなじで本人が教えたがらないんだから教えられなかったんだけど」
 「それはわかってた」
 「だいたいは真義の思っている通り。それで満足した?」

 真義としてはそれだけで充分だった。
 
 けれど、満足したとは答えられない。

 黙っていると陸は続けた。

 「だけど、満足したからといってそれで終わるわけじゃない」

 珍しく陸は真面目だった。

 その直後、委員長はねねに向かってこう言い放った。

 「ねねさんは正式に許可をもらってここに来たのですか?」

 真義が聞こうとして聞けなかったことを委員長は真っ向から切り出した。

 ロボットのなのにねねの顔が強張る。

 俯きはしたけれど、少しすると顔を上げては感情味を喪失した顔で口を開いた。
 「許可は得てません。逃げ出してきました」

 予想通りではあったが、真義としては外れてほしかった。
 宝くじや馬券は外してこういう最悪な事態では外さないものである。

 「どうして逃げ出してきたんですか?」
 規則を遵守させることに執念を燃やしているだけのことはあって、委員長の口調が自然と詰問調になる。
 「そのご両親・・・・・いや開発者の人だって心配していると思いますよ」
 どういう心配なのだろう。
 白い肌やふっくらとした胸の質感など見た目や詰問されて怯えているような細かい仕草が人間にしか見えないとはいえ、本人の自己申告通りにロボットだとしたら、それは親が子を心配するような心配ではない。
 
 ねねの表情は暗い。
 でも、それは委員長の詰問を怖がっているわけではない。

 「・・・・・おかしいですよね」

 自嘲が混ざった呟きに委員長の厳しさが一瞬だけ緩和する。

 「ロボットはプログラムから外れた行動はできません。こんなこと指示されていないのにも関わらず私はこんなところにいます。おかしいですよね」

 蒼衣だったら容赦なく「おかしい」というところなのだけれど蒼衣の姿はなく、落ち込んでいる女の子を前にしてそんなことを言える神経は持ち合わせていなかった。

 「プログラムされていないって、どういうこと?」
 「私はお姉さまが見たこと聞いたことをダウンロードして表情とか仕草とか学習してきました」
 「ダウンロードって・・・・・パソコンでデータとか落とすアレよね」

 真義はUSBケーブルでつながっているねねとそのお姉さまの姿を想像して苦笑しかけたがその実態は真義の想像と大差がないだろう。

 「その時、映像や音、操演データに混ざってノイズが私にダウンロードされるんです。それが私をフリーズさせるんです。こんなプログラムから外れた行動をさせるんです。おかしいです。こんなのおかしいです」
 声は淡々としていたが、それだけに正体がつかめないことによるもどかしさと痛々しさがひしひしと伝わってくる。

 「そんなのおかしくないよ」

 陸が背後からねねをそっと抱きしめると耳元で囁いた。
 いつもの毒はなく、とっても優しい顔をしていた。

 「でなかったらねねに会えなかった。ねねは後悔している?」
 「わかりません」

 ねねは困惑している。
 でも、それは陸を拒絶しているというわけではない。

 「陸さまに抱かれていると私はおかしくなってします。でも、それが悪いものだとは思いません。何故だかわからないんですけど、それがわたしにとっては大変にいいことだと思うんです」
 遠慮がちなその言葉とは裏腹にねねは幸せそうな顔をしていた。

 それはあくまでもプログラミングの結果として反映された仕草だけなのかも知れない。
 外側だけなのか、それとも中身があるのかは他人には分からない。
 
 けれど陸はそれで充分とばかりに目を細めるとぎゅっと抱きしめた。

 「それが嬉しいなんだよ」
 「うれしい・・・・・ですか?」
 「ねねはあたしたちと一緒にいて幸せに感じているんだよ。それでいいんだよ。おかしいことなんてなにもない」
 「そうなんですか?」
 「そうそう」

 陸の中ではにかむねねと
 それを幸せそうに見ている陸。

 二人は顔立ちは違えども、本物の姉妹のように見えた。
 二人だけではなく、周りの人々の心を和ませるようなそんな空気を振りまいていた。

 「それとこれと脱走と関係がありますか?」

 陸は二人だけの空間をぶち壊されたことで委員長に非難の眼差しを向けるがねねは冷静に答えた。
 
 「私はセクサロイドとして開発されました」

 「セクサロイド?」
 「異性に身体を与える目的で私は作られました」

 三人はその告白に衝撃を受けていたが、ねねは淡々としていた。

 「セクサロイド・・・・・・」
 陸はしげしげとねねを見つめる。
 ちっこい身体。彫刻のような綺麗なボディラインに大きい乳房。
 それと自分の身体を見比べてはため息をついた。

 「・・・・・だからか。この子の胸が大きいのは」
 その呟きには諦念が混ざっていた。
 自分よりも年下な女の子にバストサイズで負けるというのは屈辱以外の何者でもない。
 「そうですね・・・・」
 バストサイズでは陸と似たりよったりなので委員長も同意する。
 「なにジロジロ見てるの?」
 真義が二人とねねを見比べてのを見て、陸はじろりとにらみ付けた。

 「本当だったら、それを受け入れなければならなかったのかも知れません。わたしはロボットなんですから」
 ひび割れていた。
 冷静を装う声から、感情が透けていた。
 「でも、私にはできませんでした」
 冷静さは砕け散り、悲痛さが露になる。
 「怖かったんです。お姉さまのように男の人たちに弄ばれるんだろうと思うとイヤでイヤでたまらなかったんです」

 その一言を聞いた瞬間、空気が一変した。

 「・・・・・・弄ばれたってどういうこと!?」

 委員長の堅物ぶりが木っ端微塵にぶっとんでいた。

 委員長だけではなく、陸も真義も一様にショックを受けていた。

 「私を人間らしく見せるために、お姉さまは日夜、男の人たちに弄ばれ続けて、その時のデータがみんな私にダウンロードされていたんです。」
 この場合の弄ばれているがどういう意味を指すのかはいうまでもなかった。

 そのお姉さまが見たこと聞いたことをそのままダウンロードすることによって、そのデータが表情や仕草に反映されてねねは生まれた。
 単純に笑うことや怒ること接客の時の動作をデータの転送によって学んできたのだから、セックスの時の仕草もダウンロードするのは自然だった。

 「今日、私はたくさんの人達に輪姦されることになっていたんです。お姉さまのように弄ばれると思うと・・・・・・嫌で嫌でたまらなくて気がついたら逃げ出してました」

 それがどんなに非人道的なことであったとしても。

 「そういうことされてたの。瞳ねえ・・・・・」

 陸の身体からほのかに殺気が立ち上る。

 身内がそんなことをされたことを知って陸は怒っていた。

 「すみません」

 ねねは怯えて陸に謝る。

 「私がいたからいけなかったんです。私が生まれたからお姉さまは汚されてしまった」
 「そんなことない」
 自分を責めるねねの頭を陸はそっと撫でた。
 「ねねが悪いんじゃない。そんなことをさせる奴らが悪い」
 「そうです。存在すること自体が悪いということは絶対にありません」
 ねねの自己嫌悪を陸は否定し、それに委員長が同意する。

 「ねねさん。きついこと言ってごめんなさい」
 「えっ?」

 ねねには委員長が何の脈略も謝ったように見えたので戸惑った。

 「貴方が逃げるのは当然のことです」
 「私はロボットです」
 「そんなことは関係ありません。貴方がさせられることは非常に人道から外れた行為であり、その行為から逃れるのは極めて健全な行為です・・・・・・なにがおかしいんですか?」
 
 陸が忍び笑いをもらしたので鋭い視線を向ける。

 「委員長らしいなあって」

 普通の人間ならそんな堅い言葉遣いにはならない。

 陸の言葉を無視すると委員長は優しい笑みをねねに向けた。

 「貴方の人権は私が護ります」
 「へぇ〜 会長とガチやろうっていうんだ〜」

 委員長が覚悟を決めたような晴れ晴れとした実にいい顔をしていたが陸が冷やかすとじろりと視線を向けた。

 「ええ、あります。たとえ困難であろうとも悪を見過ごすわけにはいきません」

 悪と言い切るあたり大仰過ぎて苦笑が漏れるのだけれど、委員長はあくまでも大真面目だった。

 「そうだね」

 そういう陸も納得したような顔をしていた。

 「絶対に護らなくちゃね」

 「いいんですか?・・・・・・・」

 盛り上がる女性二人をよそにねねは困っていた。

 「そんな。お二方に迷惑なんてかけられません」
 「いいっていいって。あたしらとっても腹が立っているんだから」

 陸は有無をいわさず、縫いぐるみ代わりといわんばかりにねねを抱きしめた。

 少女二人が女の子を肴にはしゃぎあっているのを真義は無言で見ていた。

 真義は真義で瞳がよなよな男たちに弄ばれていたことにショックを受けていた。
 もちろん瞳を穢れたとか非難するつもりはなくて、なんでこんなことになったのだろうと世の中の汚さに頭をぶん殴られてそのまま佇んでいた。
 なんていったらいいのか分からない。
 どんな顔をして会ったらいいのかわからない。

 人の秘密に触れるということは時には嫌な想いをすることもある。
 隠蔽度が高ければ高いほどダメージは深い。
 傷口のように触れられると痛いから隠すの秘密というのなら、瞳の場合はまさにそれだった。

 知らなければよかったのかも知れないし、知っておいたほうがよかったのかも知れない。
 それがいいのか悪いのかは分からない。

 ただいえるのはもう知ってしまったということで、知らない前に戻ることはできなかった。

 「んで、これからどうする?」
 陸はおろか委員長までもがあっちの世界に突っ走ってしまったので、現実に引き戻す意味で二人に問いを投げかけた。

 「まずは会長のところに連絡だね」

 会長こと超遅野大志がどれだけ家の業務に関わっているのかどうかはわからないのだけどすがれる藁があるのならすがっておきたかった。

 どんな困難があろうともねねを護らなくちゃいけない。
 もし、ねねを超遅野に引き渡したら間違いなくねねはフォーマットされる。それはねねの個性や真義たちと関わって記憶が失われることでそれは殺されることに等しかった。

 それだけは絶対に避けたい。
 
 「私のところにいかない?」

 そう申し出たのは委員長だった。

 「私のところだったらねねちゃんを護れることができると思う。少なくても超遅野の連中に好きなようにはさせない」

 それは決意の表明であり、覚悟の表れでもあり、そして確信の表れだった。
 絶対とは言わないまでも安全地帯があるのなら希望が沸いてくる。
 「そういえば、委員長の実家って?」
 
 真義は瞳のことを知っていなかったように、委員長のことも深く知っているわけではない。
 「私の家は光沢大社よ」
 その直後、被弾したように委員長が顔をしかめた。

 「どうした?」
 委員長の変化を見て不安になる真義に、委員長は厳しい表情で説明した。
 「囲まれた」

 その言葉に真義は思わず公園の周りを見回す。
 
 振り返っても公園の外には誰もおらず普段と変わらないように見える。

 だけど、委員長がゾーリンゲンのナイフよりも鋭い表情をしているだけにそう言われてみると真義も首筋にナイフを突きつけられたようなプレッシャーを覚えた。
.........to be continue 

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