第二話:クロムハートの子守歌


5th TRACK


 枕元で瞳がじっと真義のことを見つめている。
 おもいっきり心配している眼差しで真義の胸は痛くなった。
 それが苦悶にいっそうの彩りを付け加えて、瞳の顔をますます曇らせていく。
 
 「病院にいく? 真義くん」
 「い、いえ、そこまでは。そこまでやばいものじゃないですから」
 「私の目を見ていえますか?」
 
 瞳はうるみかけた目で真義を見つめる。
 
 ナイフを首筋に突き立てたような沈黙。
 視線を逸らしたくなる欲求を懸命に抑えて真義は言う。
 
 「ちょっと辛いですけど・・・・・だいじょうぶっすだいじょうぶっす」
 
 嘘をついている辛さが作用したのか、起きた時から具合の悪かったお腹に鈍痛が走って真義は布団にうずくまった。
 
 「ぜんぜん大丈夫じゃないじゃない」
 「そんなことないっすよ、そんなことないっす」
 
 真義は首をペロペラのように回転させて否定するが全然説得力がない。
 そんな真義をしばし見つめるとしょうがないと言いたげに瞳はため息をついた。
 
 「そろそろ私はでかけますから。ちゃんと布団の中でおとなしくしてるんですよ」
 「はい」
 
 瞳は優しく言うと真義の部屋から出て行った。
 閉めたドアの向こうから階段を下りる音が聞こえ、気配が遠ざかるのを確認すると真義は深呼吸をしてから起き上がった。

 気分が悪かった。

 おなかは臓腑が勝手に動いているかのように苦しくて、一刻も早くトイレに行くことを要求しているのだけれど、それ以上に瞳に嘘をついたことがとっても苦しかった。

 
  ・・・・・・

 おなかを押さえながら階段を下りて
 トイレに入るとそれは出た。

 便器の中から灯油の臭いが立ち上る。

 覗いてみると糞というよりは油が浮いており、それを見て真義は灯油は異物なんだなと思わざる終えなかった。
 何故ならそれは口に入れた時のまま、ぜんぜん消化吸収されているようには見えなかったからだ。
 それを見てため息を漏らすと真義はそれを水に流した。
 排便は轟音と共に流されていくが、灯油臭さは残っていた。

 ごまかしきれるんだろうか、と思うと真義は憂鬱になる。

 しかし、VDMで便所に漂う灯油臭さを疑問に思う奴は少ない。
 気づきそうなのは陸と瞳であるが、その二人も家を出てしまっている。理亜も瑠柁も樹もボケキャラ系だから気がつかないだろう・・・・・と真義はそう思ってトイレを出たが、鳥の巣のように突っ立った頭に寝ぼけ眼の蒼衣と遭遇する。

 「おはよ・・・・・真義」
 「お、おはようございます」

 男物のワイシャツを羽織っただけの姿にどきりとしたが、それ以上にこの場に居合わせたことにおもいっきり焦った。
 それでも動揺を隠しながら立ち去ろうとする。
 真義と入れ替わるようにして、蒼衣はトイレの中に入った。
 真義はホッと胸をなでおろしたがその瞬間、寝ぼけた声が響き渡る。

 「・・・・あれぇ。なんだか灯油臭いんだけど・・・・・・・」

 素直に立ち去ればいいのに、硬直してしまう真義
 「ま、がぁんばってね〜♪」
 冷やかしともからかいともつかない意味深な言葉を残して、トイレのドアは閉められた。

 ばれてる。すっかりばれてる

 脱水症状になるぐらいに汗が流れ落ちたのはいうまでもなかった。


   ・・・・・・

 真義は部屋に戻ると野球帽を被り、サングラスをつけると誰にもみとがまれないように注意を払いながら外に出た。
 今日の光沢は曇りで、灰色と白の雲が空にかかっていて雨になるのか、そのままなのか分からない不安定さを抱えているようだった。

 幸い、そんなに放れてはいなかったようで
 膝まである茶色の髪を僅かに揺らしながら歩いている瞳の後ろ姿を補足することができた。
 真義はつかず離れず瞳のあとをついていく。
 瞳は光沢海洋前の電停まで歩くと、路面電車の発車待ちをしている運転手と軽く会話をしながら電車に乗り込んだ。
 そこそこにいる乗客にまぎれながら真義も乗ると、瞳の対面に座る。
 動向をしっかりと見定めるだけで、そんなに詳しくはみない。
 何故なら変装しているとはいえ、仮病を装って瞳を尾行していることがバレかねないからだ。

 やがてベルが鳴り響き、路面電車はフォーンを一発鳴らして走り出す。
 真義は顔を背けながらも視界の一端に瞳を収め続けながら、ポケットから携帯を取り出すと短縮ダイヤルをプッシュした。
 一発で相手が出る。
 
 スピーカーからイタリア語らしきものが漏れた。
 どうやら寝ぼけているらしい。
 言いだしっぺはお前だろと心の中で呟きつつ真義は口を開いた。

 「こちらカテナチオ、こちらカテナチオ。ファンタジスタ応答よろ」
 「おっ、カテナチオか」

 もちろんイタリア語を喋る知り合いは一人しかなくて、その予想から少しも外れていなかった。

 「おなかはちょっと苦しいけど、なんとか持つ」
 「ばか。スクデットのことだ」

 知っててボケた。

 「今、路面に乗っているところ」
 「了解。委員長は?」
 「エアプラはわからん。出来れば会いたくないんだけど」

 そこでプポーネは話題を変えてくる。

 「委員長じゃねえ。エアプラだ」
 「・・・・なあ、プポーネ。暗号名って意味あるのか?」

 瞳が何処に行くのかつけてみようという話になってその結果、真義はカテナチオ、プポーネはファンタジスタ、瞳はスクデット、委員長がエフプラという符丁がつけられている。

 「ばかやろう」
 即座に罵倒された。

 「こういう隠密作戦には符丁というのは大変意味があるんだぞ」
 「・・・・ああ」

 何故意味があるのかという説明がまったくないのだけれど、話をややこしくするのは愚の骨頂だから真義は納得することにした。
 「えっと、ひと・・・・・・じゃなくてスクデットは」

 真義は瞳を見て息を飲んだ。

 閑散としてはいないが、混んでいるというほどではない路面の車内
 瞳は視線を窓の外に向けていた。
 それは人魚姫がもう戻ることができない故郷を想うような、遠くて切ない眼差しでそんな瞳を見ていた真義は一時、自分が何をしているのか忘れた。

 「おい。どうした?」
 携帯からのプポーネの声に真義は我に返る。
 「ううん。なんでもない、なんでもないよ」
 「まさか、てめぇ・・・・・」
 不穏な空気がスピーカー越しに漏れる。
 
 気づかれた?

 内心を見透かされたことを想定すると真義は即座に戦闘態勢に入る。

 が?

 「やばいのか?」

 「はぁ?」

 「出そうなのか?」

 真義は失笑しかけた。
 プホーネは単に真義のコンディションを心配していただけなのだ。
 それ以上でも以下でもない。
 すねに傷を持つもの特有の神経過敏を起こしていたことに真義は苦笑してしまう。
 「笑ってるんじゃねえよ」
 「下痢ピーピーで動けないんじゃだめなんだからな」

 この尾行は真義が主役なんだから、真義がリタイアすれば追跡自体が頓挫するのだからプポーネの危惧はもっともだ。

 「悪い悪い。ありがとう」
 「それじゃ、ちょっと。気づかれそうだから切る」

 実際には真義に注意を払っていなかったのだけれど
 それを口実に真義は電話を切ると瞳を見た。

 瞳は真義とプポーネの電話なんか我関せずとばかりに
 あの遠い眼差しで流れ行く景色を見つめている。

 その冬の海のような遠くて物憂げな眼差しには
 胸が痛んだけれど
 同時にそんな瞳が綺麗だと思った。

 光沢海洋から駅前への道行きの間に、市立の総合病院があるのだけれど瞳は降りることなく、路面電車はその白亜の城砦のような建物を降りることなく通りすぎていった。

 瞳が降りたのは駅前だった。
 商店街の中を歩いてく瞳の後を、間隔を空けて三人の男女がついていく。

 「なあ・・・・・プポーネ」
 真義が小声で話しかけるとプポーネはいらついたように反応する。
 「今はファンタジスタだ」
 とことん暗号で呼ばれることにこだわっているようである。
 「なんかおまえ・・・・・・・」
 プポーネがぶっとんでいるのはいつものことだが、今日のプポーネはヤクでも決めたように更にかっとんでいるように見えた。
 
 サングラスをかけただけなのだけれど、それだけで雰囲気ががらりと変わる。
 
いつもはヘリウムよりも軽くて明るいプポーネなのだけれど、今は興奮した獣のような暴力臭をヘロモンのようにばら撒いていた。
 簡単に言ってしまえば何処をどう見てもイタリアン・マフィアにしか見えないわけで
 「なんか、マフィアみたいだなーって」
 「よく分かったな」
 「よく分かったって・・・・・・おいっ」
 危うく大きな声を出しかけた。
 「冗談でしょ。それ」
 傍を歩いていた委員長がやや血相を変えて問い詰める。
 「んにゃ、本当。うちは先祖代々からのマフィアだぜ」
 先祖代々も何もそうとしか見えない説得力があったのだが、委員長が血相を変えてきたので、真義は慌てて中に入った。
 「落ち着けって。今は追うほうが先だ」
 その一言に委員長は理性を取り戻す。
 とはいっても、それを崩すようなことを言わずにいられない真義ではあったが。
 「なんで委員長がついてきてるのさ。オレ達に付き合って皆勤賞逃すこともないのに」

 はっきり言って委員長は邪魔だった。
  
 「貴方たち二人では不安だからです。なにをしでかすかわかりませんから」
 即答で予想通りの答えが返ってくる。
 ・・・・・・確かにプポーネは危ない。
 ノーマルでも色々な意味でやばい奴だというのに、サングラスをかけているせいでいっそう危なく見える。
 加えて黒いギターケースを背負っている意図がわからなくて不気味だった。
 「その背中に背負っているのはなんだよ?」
 「ステアーだけど」
 
 「ステアー? なんなの? もしかして危ないものじゃないでしょうね」
 「危なくないって。玩具みたいなもんだ」

 ステアーという言葉を知らない委員長は幸せだ。
 
 「それ。本物じゃないよな」
 期待というよりは願いをこめて真義は言った。

 ステアーAUGなんてこの日本国内に持ち込むことなんてできないし、ましてはそれを撃ちまくることなんてできない・・・・・・はずなんだけれど常識が覆る様をまざまざと見せ付けられているだけに、プポーネならモノホンのステアーを持っていてもそうはおかしくないような気がした。

 「どうなんだろうね」

 はてしてプポーネは人の悪い笑みを浮かべたまま答えない。

 「てか、なんでオレもなんだよ」
 
 本物のライフルまで持ってくるようなイタリアン・マフィアの同類とは思われたくない。

 「菅野くんも危ない。ロリコンだもの」
 はっきりと言い切られて真義はしゃがみこみそうになった。
 転校初日に言ったことを後悔するが時が捲き戻ってくれないことはいうまでもない。せめて前向きに生きるしかなかった。

 隣ではプポーネが笑い転げていた。

 ・・・・・・覚えてろよ。

 そう思いつつ真義たち三人は瞳の後をつけていく。

 やがて瞳は光沢の中でも老舗と謳われたデパートの中に入っていく。
 「分かれたほうがいいんじゃないのかな?」
 「・・・・・そうね」
 真義が提案すると、やや黙思独考してから委員長はうなづいた。
 「オレとプポーネが中に入るから、委員長は外で」
 「ファンタジスタだ。と何回言えばわかる」
 委員長はプポーネを無視して真義をにらみ付けた。
 疑っている。
 「わかったわ」
 しかし、ため息をつくと真義の提案を了承した。
 「プポーネ一人だと何するか分からないんものね」
 「だから・・・・・」
 「オーケー」
 真義は軽くプポーネの口をふさぐと瞳の後を追って、デパートの中に入っていく。プポーネは舌打ちをすると真義の後を追い、委員長はその場で待機した。

 瞳は化粧品や貴金属売り場の脂粉の香りが漂ってくるエリアを通り過ぎて一階の奥まったところにあるトイレに入っていった。
 トイレが見える位置に待機して、真義は苦笑する。
 
 これだとオレ達って不審者みたい・・・・・・というかその者だよな。

 サングラスをかけた怪しい奴が二人、トイレで見張っているだからおもいっきり怪しかった。しかもそのうちの一人はイタリアン・マフィアだから尚更である。これが怪しくないというのであれば北朝鮮だって怪しくない。
 「どした、カテナチオ」
 「いやオレ達って怪しいなあって」
 「そっか?」

 真義はマジマジとプポーネを見る。

 ネタかと思った。
 けれど、プポーネは自分たちがおもいっきり怪しい連中であることに素から気がついていないようで真義はおもいっきり脱力した。

 「トイレにいったほうがいいんじゃないのか?」
 「いや、だいじょうぶ」

 腹の方はだいぶ安定していた。

 それから真義たちはトイレをじっと見守っていた。
 その間に人の出入りはなく、ただ時間だけが無為に流れていく。

 ・・・・・・流石にただ見ているだけというのも飽きる。

 「なあ、ファンタジスタ」
 「どうした?」
 「ファンダシスタはスクデットのことをどう見るんだ?」
 「今年のスクデットはローマで決まりだろ」

 ・・・・・頭が痛い。

 「違う。瞳さんのことだ。プポーネは瞳さんのことをどう思うんだ?」
 プポーネの見方を知りたかった。
 材料が揃えば揃うほど精密な判断が下せる。
 いっぱりありずきるとわからなくなるかも知れないが、足りないよりはましだ。
 「そうだね」
 何気ない変化だったが、真義はプポーネのスイッチが切り替わったのを悟った。
 「なんでこいつを持ってきたか、わかるか?」
 そんなのわかるはずがない。
 無言のままでいるとプポーネは続けた。
 「瞳さんは真っ当じゃあない」
 プホーネは学校を簡単にさぼる学生としてではなく、本職のマフィアとしての目線で瞳を語っていた。
 「真っ当じゃないって・・・・・・・」
 「瞳さんから血の臭いがするんだ」
 「血の臭い?」
 「ああ見えても二三人は殺してるだろうな。よくはわからんが大したタマだぜ。だからオレはこいつを持ってきているのさ」
 やっぱり本物じゃんかよ。それ
 ギターケースをぽんぽんと叩きながら微笑むプポーネには脱力するけれど問題はそこじゃなかった。
 「プポーネは瞳さんを・・・・・その同類として見ているのか?」
 「ああ。瞳さんはオレ達の中でも最高にいかれたやろうだよ」

 ヤクが入っているんじゃないかといういかれた笑みを浮かべるプポーネを前にして真義は欝に入っていた。

 ・・・・・聞くんじゃなかった。

 事実というのはたとえ認めたくなくても認めなくちゃならないというのはまさに今がそうだろう。

 間違っているのか正しいのかはわからないが
 それがプポーネの見解だというのは確かだった。

 瞳さんは危険な意味で普通じゃない。

 実は裏街道に片足入りこんでいた人間ならそれを教えたくないにも理解はできるし、その辺りで撤退してもいいような気がする。
 
 それ以上踏み込んだら相手を傷つけるだけだからだ。

 そうは思うのだけれど踏み出した足を後退させることはできない。

 その時、女子トイレの方から誰かが出てきた。

 「・・・・・・・すっげぇなあ〜」
 「ああ」

 その女性は・・・・・女性というのだろうか。
 毛根を1mmにでも頭皮からはみ出ないような徹底的に頭を反り上げていて、カタチのいい頭を素直にさらしていた。
 その上でサングラスをかけているからプポーネとは別な意味で暴力的な臭いを発散させていた。
 黒いつなぎで身を固めたその姿はマトリックスの世界から抜け出したようで、押さえ込もうとしても押さえ切れないその胸の大きさが彼女を女性だと知らしめていた。

 「かっちょいいなあ〜」
 
 プポーネが幸せそうな声を漏らす。
 女性としての美しさというよりは軍用車両のような問答無用のかっこよさが彼女にあった。

 彼女は二人の前を気づかないようにして
 そのまま通りすぎて玄関の方へと消えていく。

 プポーネがシンパを求めるように囁いた。
 「やっぱ女はあんな風にぼんきゅっぼーんなのが一番だよな」
 「瞳さんと同じで素敵じゃないか」

 「・・・・・・・・同じなのか?」

 「ああ。あのスタイルは瞳さんと同じだ」
 「瞳さんのスリーサイズを把握しているんかい!!」
 「違うな」
 ちっちっちっ、と「世界でお前は二番目だ」と言いたげに笑った。
 「オレが出会った女全てのスリーサイズはこの頭にしかと焼き付いているぜ」

 ばかだ。
 こいつ、真正のバカだ。
 
 なんでこんな奴が友人なのだろう断崖があったら身を投げたくなった。

 しかし、疑問に思った。

 なぜこいつはオレを排斥しない?

 不思議だった。
 この男は真義を排斥するのではなく最初から友達として手を伸ばしてきた。
 あの3人の美少女と3人の美人と同じ屋根の下という羨ましすぎる環境にいる真義を、この性格なら真っ先に排斥しに行くはずなのにフランチェスコ・ミハイロビッチという男はそうはしなかった。

 「なあ、ファンタジスタ?」
 「どした?」
 「おまえって彼女がいるのか?」

 真義が言い終わると無言の時が流れる。
 プポーネは店内の至るところに張られている禁煙マークを無視してポケットからジタンを取り出すと口に加えては火をつけた。
 紫煙が立ち昇る。
 濃すぎるタールを肺に吸い込んで気持ち良さそうに目を細めると、プポーネはジタンを離しては口を開いた。
 
 「・・・・・許婚がいる」
 
 驚きはしなかった。
 VDMの女の子たちを巡っての争奪戦に参加していないのは、既に彼女がいるからだ。

 「どんな子?」
 「伯父さんの家の子。結婚したら財産ががっぽがっぽだぜ」

 意地悪そうにプポーネは笑うが、その伯父の家がどれだけの悪いことをして財産を築き上げてきたのかと思うと汗が流れ落ちた。

 プポーネの組織と対立する組織の暗殺者たちが光沢にやってきてドンパチを繰り広げるのもそう現実味がないわけではないような気がする。

 そもそもプポーネは国籍はイタリアだが、そのファミリーネームは東欧系だ。マフィアはマフィアでもシシリー系ではなく、セルビアとかロシアとかあっち系の可能性が高い。
 ・・・・・・何かあったらすぐに手が出る東欧系のほうが危険だ。

 「・・・・・・おいおい。なにオレ様を珍獣・・・・・・」
 「キミたち、そこで何をしているのかね」

 プポーネの言葉を警備員がさえぎった。
 こんな挙動不審な二人組がトイレの前で佇んでいるんだから警備員が飛んでくるのは当然のことで思わず真義は蒼くなる。

 だが、プポーネは冷静だった。
 
 「・・・・・・・・・・・」

 いや、冷静というにはかなり違っている。
 プポーネはサングラスをずらすと、サングラスと肌の隙間からじろりとにらみ付けた。
 視線が肋骨の隙間にゾーリンゲンのナイフを差し込むかのよう警備員に突き刺さる。

 怖かった。

 たったそれだけのことなのに館内の空気が真冬にまで下がる。
 
 そこにいるのはおちゃらけてバカをやっている高校生ではなかった。
 コートに下に幾千のナイフを隠しているモノホンのセルビア・マフィアで下手に刺激を与えたら背中のギターケースに入れたステアーをぶっ放しかねないそんな危険さに満ち溢れていた。
 メンタリティが暴力ゲームに影響されて現実でもやってしまう厨房なのに加えて、そのくせ闇社会にどっぷり浸かった威圧感をかもし出しているのだから溜まったものじゃない。

 プポーネは睨むのをやめるとジタンを美味しそうに加えた。

 それを合図に警備員はそそくさと二人の前から消えていく。

 「おまえなあ」

 警備員さんがいなくなったのを見て、審議はため息をついた。
 今日はほんとに脱力しまくる日だ。
 おかげで糞をする力さえない。

 「いいじゃないか。助かったんだからよ」

 それだから複雑だった。
 
 ちゃんと仕事しろよと警備員に言いたくなるんだけれど、同時にそれが酷であることも理解できていて嫌になった。

 ・・・・・・ひょっとしたら警察に通報されているかと思うとますます嫌になる。

 「それにしても瞳さん。トイレ長くないか?」
 瞳が入ってきてからかれこれ一時間になろうとしている。
 もちろん、入り口は二人が見張っていて瞳らしい人物が出てくるところは見たことがない。
 ここまでトイレが長いと体調不良を起こしたんじゃないかと疑ってくる。
 「だからって行くな」
 女子トイレに突っ込みかけたプポーネの襟首を掴む。
 「カテナチオはスクデットが心配じゃないのかよ」
 「常識を考えろ、常識をっ。イタリアでは野郎が平気で女子トイレに突っ込むのか?」
 常識以前を通り越してイタリア人をバカにしているような問いではあったが、プポーネは爽やかな笑みを浮かべて答えた。
 「そういや以前、トイレのドア開けたらちょうどイラリーがウンコしてよー。「ばかー、えっちー」ってトイレットペーパー投げつけられて大変だったぜ。けどよ、見られて恥ずかしがるような身体かっつーの」
 
 ・・・・・・真義は思わず、プポーネの背中にかかっているステアーを奪い取って自分に引き金を引きたくなった。

 なんでこんな奴が友人なんだろうと血の涙を流しながさずにはいられなかった。

 でも、ほんとに瞳はどうしたのだろうか。

 不安になる。

 真義たちがついてきていることを知って、空いている窓から逃げたということも考えられるがこのデパートの構造を真義は知らない。

 その時、不意に言葉が蘇る。


 「やっぱ女はあんな風にぼんきゅっぼーんなのが一番だよな」
 「瞳さんと同じで素敵じゃないか」

 「・・・・・・・・同じなのか?」

 「ああ。あのスタイルは瞳さんと同じだ。素晴らしい。グラッチェ」
 「瞳さんのスリーサイズを把握しているんかい!!」


 その瞬間、氷の塊が真義の喉を滑り落ちていき
 血の気が引いた。

 「ど、どうした」

 プポーネも真義のただらぬ様子に気づいたのか不安そうに見やる。

 「クソしたくなったのか・・・・・」

 その言葉さえ真義の耳には入っていない。

 「にげられた・・・・・」

 信じられなかった。

 「逃げられた?」
 
 まさか、そうだったなんて信じられなかった。
 
 「ああ、逃げられたんだ」
 「どうやって瞳さんが逃げたっていうんだよ!」

 プホーネも色を失っている。

 信じられない。
 けれど、真義はこちらに来てから数々の信じられないことを体験しているのだから、それに比べればこっちのほうがまだ常識を守っているだけに信じられる。
 
 つじつまも合う。

 「あのトイレから出てきたスキンヘッド美人が瞳さんなんだ」

 「なんだってぇぇぇぇぇぇーっっっ!!」

 その時のプポーネはキ○ヤシから真実を告げられたM○R隊員のようになっているのは言うまでもなかった。

 「・・・・・・おい、嘘だろ。あの人が瞳さんなのか?」

 真義だって信じたくはなかった。

 あれほどの量のある髪を剃り落とすには時間がかかるし、宝石のように剃り上げるのまでにはもっと時間がかかる。
 それなのに短時間で坊主頭で出てきたということは剃り落としたというよりは、もともとスキンヘッドであの膝までの絹のように美しい髪はカツラだったというほうが説得力がある。

 「プポーネだって言ってたじゃないか「あのスタイルは瞳さんと同じだ」って。スリーサイズが小数点以下まで一致する他人と遭遇する確率っていくらだ? 相当低いんじゃないのか?」

 恐らくは何万分の一の確率だろう。

 事実というのは受け入れられなくも事実だ。
 贔屓のチームが負けたとか、むしろ受け入れられない事実のほうが多い。

 その現実を認め始めて、プポーネはわなわなと震える。
 だが、その身にライフルのような迫力が立ち昇りだした。

 「見てくるっっ!!」
 「・・・・・おい」

 プポーネは真義が静止の手を伸ばすよりも早く女子トイレに向かって突っ込んでいった。

 こうなってしまえば何もかも遅い。

 真義は女子トイレに入っていくプポーネを置き去りに逃げ出した。
 プポーネの愚行に付き合って、その同類にされる気も補導される気なんてさらさらなかった。

 走りながら携帯を取り出すと真義は短縮ダイヤルで委員長にプッシュすると受話器に向かって叫んだ。

 「作戦失敗。撤収っっっ!!」



 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 走って走って、周りを見ずに走って
 息切れて倒れこむと、真義はいつの間にか光沢駅前にたどり着いていた。
 車と路面電車が走る音が響き、かすかに潮の香りが漂っていた。

 あまりにも全力で走ったためいったん気力が切れた最後、犬のように激しく呼吸をしたまま歩くどころか石畳の歩道にしゃがみこんだまま身動きがとれなくなっていた。
 熱くなっていた身体をひんやりとした空気がクールダウンしていく。

 やっぱり気づかれていたんだ。
 というより、気づかないほうがおかしい。

 熱が冷めていくのと同時に思考が回復してくる。

 でも、そんなことよりのあの膝までたなびくあの髪が実はカツラだったということのほうが驚きだった。

 剃っているのか? それとも生えないのか?
 剃っているのなら何故剃ったのか?
 それとも剃られたのか?
 カツラまで被っているのに、なぜスキンヘッドを維持しているのか?

 何故、生えなくなってしまったのか・・・・・・

 そのスキンヘッドな頭を瞳は好きなのか

 色々な思考が立ち昇ってきて真義は気分が悪くなった。

 そんなこと本人に聞くのが一番いいんだけれど聞けるはずがない。

 そして、疑惑は解決するどころか深まるばかりなんだけれどここを落としどころとして納得すべきだろうと理性がそう言っていた。

 これ以上踏み込んだらお互いに傷がつく。

 ここで捜査は打ち切りにして引き上げたほうがいい。

 そもそもデパートで巻かれた時点で糸はすっぱりと断たれていた。
 瞳が何処に行ったのかわからないし、闇雲に動いたところで意味はない。

 「・・・・・帰ろう」

 今日は仮病をしてまで休んで、瞳の後をついていったのである。
 それが失敗したのであれば素直に家に帰って休んだほうがいい。

 そう思うと真義は立ち上がって、光沢海洋方面の電停に移動しようとした。

 真義はこのまま帰って探索はこれで打ち切りにしようと思っていた。

 しかし、運命というのは本人が認めたくない事実を押し付けるのであるの同時に、本人の意思なんておかえまなしにある一定の流れに巻き込まれるのが運命というものなのである。

 何気に周りを見ると光沢駅の壁に一人の女の子が寄りかかっていた。
 変わった・・・・・どころの話ではなかった。
 年齢は8歳から10歳というところなんだけれど、この歳にして乳房がこんもりと桃のように盛り上がっていて着ている白のレオタードが今にも破れそうだった。
 ・・・・・・瑠柁はおろか、樹や蒼衣といった貧乳連中が泣いて殺したくなるぐらいに大きくて形のいい胸をしている。
 背中から腰、ふとともにかけてのラインがバランス良く決まっていた。
 その身体を地面につくぐらいに伸ばした白い髪が覆っている。
 それだけの長さと圧倒的な量があるにも関わらず、その髪は丹念に整えられていて山奥の澄んだ湖を思わせるぐらいに綺麗だった。
 光を浴びて、その髪面に艶の波が現れる様を見ると真義はちょっとドキっとした。

 この子、何者なんだろう。

 あまりにも変わったところだらけな故に道行く人々は一瞬は視線を向けるものの何事もなかったのように通り過ぎていく。
 そんな人々を女の子は無表情に見つめている。

 だから、その目線が真義の顔に合った時。
 真義は一瞥をくれるだけで何も変わらないだろうと思っていた。

 「・・・・・・シンギ?」

 かすかにもれた言葉

 真義の姿をその大きな瞳に捉えた瞬間、スイッチが入ったように女の子の顔に表情がやどる。

 最初は戸惑い。

 「スゲノ・・・・シンギ」

 自分の名前を呟く女の子を真義は呆然と見詰めていた。
 当たり前だ。この女の子と会うのは初めてだ。

 「アナタは・・・・・・スゲノシンギ?」

 外国人のようなたどたどしさで女の子は真義に問いかける。
 
 「そうだけど。でもさ、人違いじゃないかな?」
 
 日本にはたくさんの人間が住んでいるのだから菅野真義という名前の人間はいっぱいいる。この町で一人や二人ぐらいは同じ名前を持つ奴がいるだろう。

 女の子は首を横に振った。

 「間違いない。アナタはおねえさまが見ていたスゲノシンギ。外見データとボイスデータがおねえさまが見ていたものとぴたりと一致する」

 「おねえさまって・・・・・・」

 女の子は確信を持って言っていた。

 真義に嘘つく意味なんてないから、本当のことを言っているのだろう。

 よく見れば誰かに似ていた。

 髪を真ん中でワンレングスにしているから童顔にも関わらず大人びて見えることをさっぴいても、その顔の作りは誰かに似ていた。

 真義は女の子の肩を叩く。
 
 あれ???
 
 膨大な量の髪が頭からなだれ込んでいる関係で髪越しに女の子の肩を叩いたのだけれど、涼しげな雰囲気とは裏腹に暖かくてその感覚に真義は戸惑った。

 この子のおねえさまは真義の知っている人だ。
 それに該当する人間を真義は即座に思い当たった。

 心臓が震える。
 血が熱くなる。

 「場所、移動しようか?」

 周りの注目が集まってきていた。
 これから女の子と話すことは立ち話で済ませられるようなものじゃないから女の子もうなずいた。

 その公園はビルと家の谷間にある猫の額ほどに狭いスペースの公園で緑の他にはベンチがあるだけだった。

 二人してベンチに座ると真義は途中で買ってきたファンタを女の子に渡した。

 「これは?」

 女の子は両手でファンタをつかむと発掘物を見るようにマジマジと見つめる。

 「いや、オレだけ飲むのもどうかなと思って」

 真義はガラナドリンクのリングプルを指先で引き抜くとそれをゆっくりと口につけた。
 冷たい液体が実に心地よく喉から胃へと流れていく。

 「けっこうです」
 「・・・・・・ファンタは嫌い?」
 「わたし、飲めません」
 ちゃんと注文を聞けばよかったと思ったが、そこから先の女の子の反応は真義の予想を遥かに超えていた。

 「わたしはロボットですから」
 
.........to be continued

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