彼の部屋


「こーくん、いる?」
 ロスヴァイセは宏介の部屋の前に立つと、一旦は躊躇ったが、硬く手を握って決意を固めるとドアをノックした。
 乾いた音が広い廊下の中を響く。
 緊張と共に心臓が跳ね上がるが反応はない。
「いい……ですか? お部屋に入っちゃっても」
 緊張は抜けたけれど、いいえでもうんでもない所で放置され、不安に苛まれながらもヴァイセはノックを続ける。
 1回、2回、3回
 ……反応がない。
 予想される宏介のリアクションに期待と不安を抱きながらノックをするが反応はない。
「……おねーちゃん、入っちゃうから」
 許しも得ないで入ることに罪悪感を覚えたが、好奇心が勝った。
「ほんとうにはいっちゃうからね……はいっちゃうんだよー」
 おそるおそるではあるが、手を止めることはなくヴァイセはドアを開けた。
「こーくーん♪」
 期待で胸を躍らせるが数秒後には落胆に変わる。
 20平方メートルほどの部屋の中に、宏介の姿は何処にもなかった。
 緊張は去り、残念に思いながらもとりあえずは怒られないことに安堵する。
 数分かけて、部屋の中に宏介がいない事実を確認すると、宏介の部屋の中を見回してみた。
 豪邸といえる屋敷ではあるが、宏介の部屋は広いとはいえない。
 窓の傍にベッドがあって、その反対側に机と本棚とタンスがある。寮の一室というような感じの部屋だった。
 考えてみたら、夜這いをかけることはあったけれど宏介の部屋を仔細に観察したことはなかった。
「こーすけ♪」
 まっさらな宏介のベッドが視界に移るなり、ヴァイセはベッドにダイブする。ホテルのようにスプリングが効いているというわけではないから衝撃が減殺されずに身体にくるが、それでもマタタビを与えられた猫のように至福の表情を浮かべながら萌え転がっていた。
 なんたって愛する男がいつも寝ているベットなのだ。
 彼の汗が染み付いていると思うと胸が震えた。
「こーすけ……」
 宏介の姿は何処にもない。
 けど、本人がいたらベッドで転がることもできないわけでそれはそれでいいのかも知れなかった。
 しばらくの間、ベットに寝ていたヴァイセであったがヴァイセであったがノックの音が至福の時間をぶっ壊す。
「コースケ、いる?」
 直虎の声に焦るが、下手に身動きをするのも危険だった。
 もろちん、宏介の部屋にいるところを見られるのも危険で、ヴァイセは必死になって打開策を探そうとするが見つかるはずもない。
「いるんだろ? コースケ」
 ノックの音が激しくなる。
 ヴァイセは直虎が諦めて帰ることを願ったが、それは甘い考えというものだろう。
「あけるぞ、コースケ♪」
 ドアが勢いよく開かれ、壁に当たってバウンドする間に直虎が入ってくる。
「コース……」
 期待に満ちていた直虎であったが、ベッドで寝ていたのが宏介ではなく、ヴァイセだということに気づくと途端に不機嫌になる。
「なんで、てめぇがここにいるんだよ」
「直ちゃんこそ……どうして入ってきたのよ」
 子虎をさらわれた母親のような剣幕で直虎は責めるが、おびえながらもやり返す。
 後ろめたいのはどちらも同じだからだ。
「ヴァイセこそ、なんで入ってるんだよ」
「そのおねーちゃんは……」理由も何も考えていなかっただけに言葉に詰まるが、何とかひねり出す。
「おねーちゃんはその……こーくんの部屋をお掃除に。直ちゃんこそ、どうしてここに来たのよ」
 この部屋は直虎の部屋ではなく、侵入者である点はヴァイセも直虎も変わらない。その点を突かれると直虎もしどろもどろになる。
「いや……オレはこーすけが変なものを持っていないかと」
「変なものって」
「……えっーと」さっきのヴァイセと似たような理由で直虎も返答に窮してしまう。
「変なものは変なものだよ。そうだ、エロ本だよ。エロ本。ヴァイセだって気になるだろ? オレ達がいながら他所の女に浮気されるのは」
 エロ本を所持していただけで浮気にされたらまともな結婚生活を営むこと不可能ではあるが、ヴァイセも直虎も稀にみるナイスバディの持ち主で、ヴァイセや直虎の胸に挟まれて昇天したという人間が何人もいるにも関わらず、無視されるというのはそれはそれで悲しい。
「そうね。そうだよね」
 同じ結論に達したのだろう。ヴァイセも同意を求めるような表情で直虎を見つめた。
「な、なんだよ……」
 高校生ぐらいの年齢にも関わらず、幼子のような眼差しを向けられて、直虎は視線を外す。
「直ちゃんはこーくんが変な道に走らないために、こーくんの部屋を調べようといっているわけなんだよね」
「まあ……そういうことになるかな」
「ということは、おねーちゃんとなおちゃんとは気持ちが一緒なんだよね」
 宏介は本気で世界を滅ぼそうとしていたこともあるのだから、道を踏み外しどころの騒ぎではないのだけれどヴァイセからすれば「いい子」である。ましてや直虎は宏介を否定することができない。そういった意味では宏介には道を踏み外してほしくないのは直虎も同じだ。
「て、てめぇのことは認めてないんだからな」
 直虎からすれば許可した覚えもないのにおねえちゃん面をするヴァイセを認めるわけにはいかないのだけど、無許可で宏介の部屋に踏み込んでいる点では同じで、宏介の部屋を探索してみたいという気持ちを持っているから、そういった意味では直虎もヴァイセの同類だった。
 共犯者だろう。
「悲しいなあ」
 冗談でも皮肉でもなく、ヴァイセは寂しそうだった。
「直ちゃんと仲良くなりたいのに」
「直ちゃんって言うな!」
 直虎とヴァイセはライバル関係で、直虎からすれば泥棒猫なのだけど、怒鳴られて年甲斐もなく落ち込むヴァイセを見ると罪悪感に駆られる。
 とはいってもフォローするのも気恥ずかしいわけで逃げるように視線をそらした。
「おら、時間ないんだからとっとと探す」
「……うん。そだね」
 いつ宏介が戻ってくるのか分からないんだから、探索は速めに切り上げるに限る。
 しかし、改めて部屋の中を見るなり二人とも絶句してしまう。
 宏介の部屋は10代男子のイメージとは異なり、きちんと整理整頓がなされていた。
 ベッドこそ、ヴァイセがさんざん萌え転がったおかげで乱れているが、本棚の本や椅子が定規で測ったかのようにまっすぐ入れられており、テーブルは顔が映りこむぐらいに磨かれている。床はきっちりと掃除機がかけられて塵一つなく、お客を迎えた直後のホテルの部屋のような清潔さが漂っていた。間違いなく一流ホテルのスチュワードでも食っていけるほどの腕前だ。
 が、あまりにも生活感が無さ過ぎるのである。
 ヴァイセがベッドで遊んでいなければ完全に整えられていた部屋であっただろう。
 モデルルームのように綺麗ではあるが、人が住んでいない形だけの抜け殻。
 綺麗で清潔すぎるあまりに無味乾燥としてしまい廃墟に似た空気が流れている。
 住んでいるはずなのに住んでいるという感じがしなかった。
 この部屋の主は生きていて、二人がとっても大好きな存在だというのに、本当は何処にもいない架空の存在だと生きていない、架空の存在だという気がして。
「直ちゃん」
 ヴァイセが寂しそうな顔で直虎を見る。いつもなら反発する直虎であったが、この時は難しそうな顔で指示するだけだった。
「オレは本棚を見るから、ヴァイセは机」
 役割分担をはっきりさせると直虎は手当たり次第に本棚を物色する。
 簡単だった。
 そもそも、本棚にも本があまり入ってなかったからである。
「こーすけってば、もっと面白いもん読めよな」
 目につくもの目につくもの、難しい文章を書いてあるか、数式の羅列が新奇な外国語に見えてしまう本だけ、つまり教科書や参考書が大半で直虎が好きそうなマンガ本や雑誌の類は一冊もない。目の痛さに堪えながら本棚を探るが結果は変わらなかった。
「そっちのほうはどうだ?」
「……駄目」
 どう表現しようか迷った。
 引き出しを開けても、筆記用具とかノート類ばかりで授業に使わないものはまったくなかった。
 ひとまず探索し終えると二人はため息をつく。
 この部屋にはテレビもなければ、ラジカセもないので宏介の好みがわからない。
 宏介とは一つ屋根の下で暮らしていて、色々な感想はあるけれど一応は家族のような存在であるはずだった。最近、知り合ったばかりのヴァイセはともかくとして直虎とは深い絆で結ばれているはずであった。
 でも、知らないということを思い知らされる。
 宏介がどんな本を読むのか、どんな曲が好みなのか、何が嫌いなのか二人は答えることができない。
 知っていれば、どんなに辛いことでも隠したいことでも包み欠かさず言ってくれる仲だったら当然のように知っていることを二人は知らない。
 知らないということは、近づけていないこと
 手がつながっているのかと思ったら違っていた。
 直虎は決意したようにうなづくと、ベッドの下に潜った。ベッドの下はかなりのスペースがあって、直虎が探していた物がありそうな雰囲気ではあったが、真っ先に探される場所に隠しておきたいものをおくはずがない。
 今度は布団の中にもぐりこむのだけど、戻ってきた時の冴えない表情が結果を物語っていた。
 沈黙が部屋を支配する。
 
 この部屋に生活に関係ないものはない。
 ここまで徹底的に無駄を省かれていると一種の美学のようなものさえ感じられるのではあるが、疑問が残る。
 人はただ起きて、飯を食べて、仕事として、寝るために生きているのではない。
 人は誰しも生活とは関係ない無駄な嗜好をもっており、嗜好を満たすために生きていると過言ではない。


 趣味を持っていないんだとしたら、宏介は何のために生きているのだろう。
 人間ではなく犬とか猫だったら食べるのに必死だし、趣味なんて考える脳を持っていないのだけど人間は違う。
 それすら放棄しているように宏介は傍目から見て、生きていて楽しいのか疑問に見えるし、何よりも寂しかった。
「どこ探したらいいんだろう……」
 直虎がぼやく。
 もとより狭い部屋だから探索といっても短い時間で終わってしまう。
 思いつく限りの場所は探したといったところで、候補は見つからない。
「コースケめ。よっぽど見つかられたくないとみたな」
「直ちゃん?」
 直虎の瞳が狂気の色合いを帯びだす。
 もとより、あんまり気が長く方ではあるから焦れるのも無理はない。
「さては、この中にあるな……」
「直ちゃん、だめっっ!!」
 直虎がおもむろに壁に向かって腕を伸ばし始めたので、ヴァイセは背後から羽交い絞めにして抑え付けつける。
「離せ!! オレはこーすけの秘密を暴く!! コースケはオレに秘密なんてあっちゃならないんだっっ!!」
「だからといって、そんなところに隠してなんてない!!」
 隠す時の手間と、取り出す時の困難さを考えればわざわざ壁の中にヌード雑誌を隠すはずはないのだけれど、頭に血が上っている直虎にはまともな判断ができない。
「離せっっ!! 離せって離せっっ!!」
 吊り上げられた鮫のようにヴァイセの腕の中で暴れる直虎。その力はだんだんと強くなっていくが、ヴァイセも力を強めて抵抗を続けた。
「ダメ。ぜったいにダメッ!!」
 しかし、筋力では直虎が圧倒的に上なので、抵抗もむなしく腕が直虎の身体から離れようとする。それでもヴァイセは力を入れようとするが身体が悲鳴を上げ、意思とは裏腹に直虎からはがれかかる。
 その時だった。
「ヴァイセが直虎を襲うとは。あんたら、思ったよりも仲良しじゃん」
 場を読んでいないような声が二人の動きを止める。
「喧嘩売ってんのか?」
 いつの間にかギド・ローナが部屋の中に入ってきていて、二人を楽しそうな目線で見ていた。第三者から見れば神が作り上げたとしかいいようがないナイスボディな美女二人がエッチしようと絡みあっているようにしか見えないのだけれど、直虎は反発する。一方、状況に気づいたヴァイセは恥ずかしそうにうつむいていた。
「喧嘩売ってるのは直虎だろ」
「なんだと!?」
 直虎が怒ると獰猛な虎が猛っているように見えるが、ギドは気にせずに部屋の中を見渡した。
「あ〜あ、派手に散らかしちゃって。これ見たら宏介、怒るだろうな」
 二人が入るまでの、精密機械が作れそうなぐらいに清潔な面影はどこにもなく、強盗でも入ったかのように散々な状態になっていた。
 二人とも我に帰ると、顔色が真っ白になる。
「いくら心の広い宏介でも、この光景を見たら二人を嫌うだろうなあ」
 言わなくてもいいのに、傷口に塩を塗り込むようなことをするギド。
 しかし、笑っていた二人も、母親に叱られたようにしょぼりと落ち込んでいた。
「………」
「……やだよう。こーすけに嫌われるのはやだよぉ……」
 所持した株が一気に暴落したように涙ぐむ二人を見て、ギドはガキかと思いつつも気の毒になってしまう。
「おいおい。片付ければいいじゃないかよ……」
 散らかしたのは仕方が無いから、現実的に考えれば片付けるしかないとはいえ、元のクリーンルームに戻るまで果てしない道のりがかかりそうだった。破壊は一瞬で終わるが再建には長い道のりがかかるのである。
 それでも一度失われた元気は復活しない。
 安易に手伝ってやるからともいえず、かといってひどく落ち込んだ雰囲気を放置したまま去るのにも忍びなく、キドはどうしたものかと考えた。
「直虎とヴァイセはどうして、宏介の部屋を荒らそうと思ったんだ?」
 二人とも答えない。
 助けを求めたいのだけど、言ったら悪事がばれるといった感じで沈黙している。そういった意味では二人はまだ子供だ。
 見た目はナイスバディの20代だというのに。
 見た目は大人なのに、中身はちびっ子な二人を微笑ましいと思いつつ、ギドは言った。
「大方、お前らのことだから宏介がエロ本隠し持ってないかどうか調べようとしたんだろう」
 まったくそうだというわけではないのだけれど、真実からは外れていない。二人の僅かに赤くなった表情で事実だと確認すると周りを見回した。
「……その様子だと見つからなかったようだな」
 二人ともうなずく。
 それから先、言葉が続かなくて、また沈黙の時間が訪れる。
 流石にギドは他の二人とは違って、中身も成熟しているから言いたいことがあるのだと察した。
「どうだったんだ?」
 さんざん荒らされた後に来ただけにキドにはこの部屋の状況を察することができない。
「……なかったの」
 この時のヴァイセは完全に子供だった。
「なかった?」
「うん。なかったの」
 禅問答みたいであり、保母みたいな苦労する羽目になるとは思わなかったと思いつつもギドは解釈に勤めてみる。
 深い、"ない"と言う意味。
 理解するのは簡単だった。
「確かになさそうだよな」
 部屋の中は玩具箱の中身をぶちまけたような有様になっているわけだが、その割には散乱しているものが少ないといった印象だった。本も多少はあってもおかしくないのに少ないといった感じである。
 ギドが一冊の本を手にとってみると、それは英語の参考書だった。
「参考書と教科書ぐらいしかないの」
「それが悲しい?」
「悲しいの」
 その程度で悲しむのはおかしいのかも知れない。
 けれど、ヴァイセや直虎はともかくギドだって生活には関係ないもの、例えば漫画本の一冊や二冊を持ち込んでいるのだから、それすらないのは奇異なのかもしれない。
「まあ、図書室があるからわざわざ持ち込まなくてもいいんじゃないのか?」
「それはそうなんだけど……」
 この家には図書館があって、ヴァイセや直虎の趣味から漫画本に関してはなかなかの充実ぶりを見せるから、わざわざ自分で漫画を買い込まなくていいというのはある。
 しかし、グラビア本はおろか漫画本を自室に持ち込まないのはやっぱり変だといえた。
「ギドはどう思うんだ?」
「どうって……」
 部屋の中はその人物そのものである、というのは言い過ぎかも知れないけれど、自身のパーソナルの中に何を持ち込むかによって嗜好をある程度把握することができる。
 必要ないものは何もない。
 病的なまでに清潔で、無駄というものを憎悪しているかのように無駄というのを排除した室内。
 この事から宏介が実は荒涼とした人間というのかも知れない。
 何者にも心を動かされない
 何者も心を動かさない。
 ただ、そこにいるだけの人間。

 路傍の小石と同じ存在で
 誰にも愛されず
 愛されることをよしとしない存在。

「なんで、宏介の部屋に荷物がないのか教えてやろうか」
 二人の視線が興味津々といった感じにギドに突き刺さる。
 食いつきがよかった。
 ギドには分かる。
「簡単なことさ。いつでもここから逃げ出せるために荷物を少なくしているんだよ」
 荷物が多ければ、それだけ身動きが取れなくなる。家財道具を持ち運べる範囲にまとめてしまえば、何処に行くのも、何処で暮らすのも自由である。
 ギドもヴァイセ達の監視役を勤める前までは放浪の生活を送っていただけに、その辺りの機敏は理解できる。
 理解は……できるけど、納得できるものではなかった。
 空気が一気に重くなる。
「……オレ。こーすけに嫌われてるのかな………」
 さっきの勢いは何処へやら、直虎は落ち込んでいた。マリアナ海溝まで沈みこんだかのようにしょぼんりとしていた。
「そりゃ、勝手に部屋を荒らしたら嫌われるだろうな」
「…………」
「おいおい。泣くなよ」
 大好きな人を殺してしまった後のように沈み込む直虎を見て、ギドはいたたまれなくなってしまう。
「だって、だって……」
 直虎は宏介が大好きなあまり、宏介の存在が自分の存在意義になってしまっていて、宏介に嫌われるということは立っている大地こそ奈落に突き落とされることを意味する。そんなことになることなんて想像もできないし、なったらとてもではないが生きていけない。
 それはヴァイセも同じだった。
「ここはこーくんの家なのに」
「しょうがないだろ。きたばっかなんだから」
 宏介と一つ屋根の下で暮らし始めたのはほんの数週間前の事であり、どちらかといえば無理やりに近い。だから、ヴァイセがいくら宏介の家だからといって本人がそう認識できなければ意味はない。
 結局のところは、自分達が思う以上に宏介が思っていてくれてないことを思い知らされて二人ともショックを受けていた。
 二人はもちろんの事、惨状を目の当たりにしているギドも放置するというわけにもいかなかった。
「だったら頑張ればいいじゃん♪」
 ギドの提案に二人は目を大きく見開かせる。
「振り向いてくれなかったら振り向かせるようにすればいいじゃないか。甘えんな。めけずにアタックすればあいつだってお前らの事を好きになってくれる」
 人は誰も最初から仲良しだったというわけではなく、理論上では第一印象が最悪だったとしても挽回できる。最初がダメだからといって投げてしまったら話にもならない。ましてや、二人と宏介の関係も険悪でない。
「なあ、頑張れば好きになってくれるかな?」
 子供とは現金なもので、さっきまで泣いていたにも関わらず、直虎は目を輝かせ出す。
「まあ、なってくれるんじゃないの?」
「ほんと!?」
 見た目は大人だが、中身はお子様な二人に挟まれて苦笑するギドであったが、瞳に悪戯っぽい光が宿りだしていた。
「やっぱ、こんなに美人に挟まれているのに興味がないっておかしいよな」
 ギドのみならず、ヴァイセや直虎も絶世の美女である。彼女に愛されたいと願う男たちが大半なのに半ば無視な態度を取っている宏介は特殊な嗜好をもっているのではないかと勘ぐりたくなるぐらいに変だ。
「そうよね。直虎ちゃんもとっても可愛いのに……変だよね」
「そうだ。そうだ。すっげぇ変だ」
「なら、それを修正しようとは思わないかね」
「こーくんが変な道に入ったら困るものね」
「で、オレ達はどうすればいいんだ」
「それはだ、どうせならお前ら二人がグラビアモデルをやればいいんじゃねえの?」
「グラビアモデル?」
 二人も幼子のようにきょとんとした顔をする。
「二人ともエッチな格好をすれば宏介も興味を引いてくれるだろうし、逃げることもないんじゃないのか?」
 ギドは真面目さを装ってはいたけれど、こみ上げてくる笑みを堪えることができなかった。
 しかし、真意に気づいた二人にギドの心中を読み取ることはできない。
「こーくん、ちゃんとおねーちゃんを見てくれるかな?」
「見てくれるよ。男の子だもの」
 宏介は普通とは外れてはいるけれど牡である。
 雌ではない。
 そういうことでヴァイセは無理やり納得させた。
「なあなあ、オレはどんな格好すればいいんだ?」
 直虎はすっかりノリノリである。
「直虎は…」
 ギドは直虎を見る。
「直虎は……うーん」
 直虎は単に千早をまとっているだけである。申し訳程度に巨大な胸が隠れている程度で、下着すら着ていない。
「ちゃんと着ろよ」

 宏介が己に課した重いトレニーングメニューをこなして、家に帰る頃にはすっかり日が暮れていた。
「……つかれた……」
 その細い両肩には疲れがのしかかっている。決して心地よいとはいえない。
 宏介はまだ歩き出したばかり。
 自分自身の力がどのレベルにあるのか今だ分からないし、どれほどの努力をすれば最強になれるのかはわからない。
 まるで、闇夜の中を灯りもなしに彷徨い歩いているよう。
 ただいえるのは、たとえ辛くても厳しくても歩き続けなければ目的地にはたどり着けないということだ。
 とりあえず、先の事は後回しにして、とりあえずは目先の欲、つまり好きなだけ眠りたいという欲望をかなえるために自室のドアを開けた。
 すると、いきなり何かが宏介めがけて飛んできた。
「こーすけっ♪」
 それは聞き覚えのある声を上げて、パイロンから放たれたミサイルのように飛び込んできたが宏介は事もなげによける。直後、その誰かは宏介の背後にある壁に激突して泣き声を上げた。
「ひどいよ、こーすけ」
「……どういう格好しているんだ」
 相手が誰なのかは分かっている。
 問題なのはその格好。
 直虎はその豊満で無条件に野郎を欲情させる肉体を黒ビキニの水着を着ていた。ほとんど裸である。隠しているのはほとんどボカシ程度であり、食い込んでいる紐が艶かしい。
「オレ、心配なんだ。こーすけがちゃんと女に興味持ってくれないと」
 普通の人間なら襲ってしまうところであり、直虎もそれを望んでいるはずなのだけど、宏介は無言で部屋の電気をつけた。
 明るくなる。
「こーくん♪」
 ベッドにはヴァイセが寝ており、宏介の顔を見るなり笑顔を浮かべる。
「おねーちゃんといいことしようねー」
 健全な青少年なら受けるであろう申し出。
 しかし、健全でない青少年の宏介は苦虫を踏み潰した表情でこういったのであった。
「……帰れ」