彼女たちの守護者
イラスト:召還士ブブ様
・「OMC」様 外部様の作成です。
日が落ちて、コンマ単位で空の色が闇へと変化していく頃、戦闘もようやく終わった。
冬威は槍というよりも銃剣付きのMG34といった感じの武器で弾丸の代わりにビームをばら撒くと武器を腰だめにすえるが、彼以外に立っている物はいなかった。
硬い岩で敷き詰められたような大地は、数え切れない敵の死体で覆われていて、本来の地さえも見ることができないほどだった。
ある者は頭を吹き飛ばれ
ある者は腹部分で真っ二つにされ
ある者は細切れにされて
まるで、その人々の個性に応じた形の死だけがそこにあった。
その屍骸たちを見る彼の眼に表情はない。
科学者のように、ただもたらされた結果を確かめるだけだった。
「みなも、大丈夫か」
冬威がそっと呼びかけるとすぐさま反応が返ってくる。
鼓膜を震わせるのではなく、心に直接響いてくる声で
(私は平気です)
冬威はかすかに顎を上下させると必要な要件の処理に入った。
「ドープ、ベルゲ、ザーン、ジルベルト、ポルティ、状況は」
(こちらドープ、橋頭堡確保しました)
(ベルゲ、同じく確保)
(こちらザーン生きてます。問題ありません)
(こちらジルベルト、予定通り確保しました)
(こちち、ポルティ。隊長のおかげで楽させてもらいました)
どうやら事は予定通りに進んでいるようだった。
(張り切りすぎですよ。隊長)
(隊長がひきつけてくれたおかげで楽できたのはいいんですけどね)
(まあ、ありがたいことはありがたいんですけど、どっしりと構えたほうがいいんじゃないですかね)
「……了解」
冬威が通信を打ち切ると、すかさず優しい声が伝わってくる。
(本当にいい人たちばかりですね)
冬威はみなもの声にはこたえない。
(皆さんの言うとおり冬威様はがんばりすぎです。冬威様の力を十全に発揮しなければならない状況はいくらでもあるのですから)
冬威としても言いたいことはいくらでもあるのだけれど、何も言わなかったしみなもも問い詰めるようなことはしなかった。
(……エルシー様のことが気になりますか)
「みんなが楽できたと言っただろう」
相変わらず表情もなければ、声も平坦なまま。
「何のために地獄のような苦しみを与え続けていたと思っている。この程度で死ぬのであればいらない」
口調こそ厳しくて情の欠片もないようであったが、みなもにはわかっていた。その対称を信頼していること。信頼しているからこその厳しい言葉、伊勢冬威とはこういう人間なのだ。
………ツンデレなどといったら瞬殺されそうであるが。
「冬威様っっ!!」
タイミングよく呼びかけられたので振り向くと蒼のプレートメールに身を包んだ茶髪のツインテールの少女が駆け寄ってくるのが見えた。
冬威の眼差しが一瞬、鋭くなる。
配下にはそれぞれの橋頭堡を確保した後、その場に留まるよう指示している。彼女の行為は命令違反だった。
気持ちはわかるけれど、指示よりも自分の感情を優先させるのでは駒として役に立たない。
どのように叱責したらいいのか語句を組み立てようとした時、少女はけつまずいて物の見事にずっこけた。
「……ふえ………」
少女は泣きそうになったのだけど、地面をびっしりと覆い尽くした死体の群れに涙さえも凍りついた。
断末魔の叫びを上げながら絶命している男の生首にけつまずいたのだから動揺を抑えるのは酷なのかも知れないのだけど、少女は一般人のように怖がることが許されない立場であった。
独断専行するくせにドジな部下を見て、冬威の表情が変わる。
さきほどまで続いていた戦闘を表情を変えることなく遂行していただけに、変わったのが少女が冬威にとって特別な存在であることを意味していた。
………渋面であったのだけど。
しかし、冬威は少女に駆け寄ろうとはせず、右手に持っていた武器を一瞬で回転させながら背後に、銃剣を上につきたてるようにして回した。
「……趣味が悪い」
いつの間にか冬威の背後を一人の少年が取っていた。
身長が170あるかどうかの小柄の少年で、どちらかといえば女顔であることから冬威とは対称的だった。
背後を取られる代わりに、銃剣の切っ先がガラガラ蛇のように少年の簡単に折れそうな首元を狙っている。
「過敏すぎるよ。冬威は」
敵はいないのだから警戒することもないのだけれど、返ってきた答えはかなり辛辣だった。
「この戦場では楽浪候ほど危険な存在はいない」
「おいおい。僕は味方だよ」
「なら、正々堂々と近づいたらどうだ」
「おもしろくないじゃん」
冬威は苦笑すると武器を下ろした。
「怒っちゃだめだよ」
すかさず少年はそっと冬威に囁いた。
「エルシーの持ち場はシャナウが守っている。僕が勧めたんだ。怒ることはないよね」
冬威は何か言いたそうだったけれど言うことはなく、肩をそっとすくめた。
「いってあげなよ」
本音を見抜かれているような感じをしていたのだけど、不思議と怒りは沸かなかった。
「手間かけさせて悪かった」
少年が率いる部隊は遊撃、あるいは予備部隊で出番は冬威が橋頭堡を築いた後になる。
「気にすんなよ」
少年は言った。
「ボクらは友達だろ」
「情けない姿をさらすな。エルシー」
冬威に声をかけられて、少女はずっこけた当初よりもおびえた。
「貴様は何者だ」
「私はガイランゲル王国蒼虎師団第6中隊隊長、エルシー・トレナバントです」
エルシーは冬威にプレッシャーをかけられて取り出しながらも必死になって戦士としての外面を取り繕っていく。
「なら、取り乱すな。蒼虎師団としての誇りを忘れるな」
「はいっっっっ!!」
部隊に所属に相応しい戦士としての顔になって、直立不動でエルシーを感情なく見やっていた冬威であったが、再び肩をすくめた。
「……死ななくてよかったな。エルシー」
温かみのある笑顔。
その横顔はエルシーの上官でも師匠でもなく、伊勢冬威という私人としての横顔だった。
「はいっっっ!!」
冬威の変化を感じ取るやいなや、エルシーから一瞬にして緊張が解けて笑顔になる。
「図に乗るな」
「はうっっ」
涙目になるエルシー
「で、第六中隊の状況は?」
「はい。第六中隊は無事に展開を終了しました。被害はなしです」
「そうか。でも、持ち場を離れるなと言ってなかったか?」
「す、すみません」
無表情さが、下手に怒られるよりも怖い。
「ったく、冬威ってば堅いんだから。堅すぎるのも問題だぞ」
「柔らかすぎるのも問題だとも思うが」
少年が軽口を叩くが、冬威も持ち前の重厚さでやり返す。
(何事もほどほどが一番です)
この場合はみなもの言葉が心理なのだろう。
「なにはともあれ初陣おめっとさん。戦果はともなく、キミが無事に生き延びてくれておとーさんは嬉しいよ」
「ありがとうございます。楽浪候様っ♪」
少年が初陣を祝ってくれたのでエルシーは謝意を示したが、少年は腐った。
「……あのう……私、何かまずいことでもいっちゃいましたでしょうか」
「エルシーを呼び捨ててるんだから、ボクのことも呼び捨てちゃってもいいのに」
「そ、そんな……冬威様と並び称されるお方を呼び捨てにすることなんてできません」
恐れ多いといったエルシーを前にして、少年はじっとりした眼差しを冬威に向ける。
「キミは部下にどういう教育をしているんだね」
「少なくても礼節を弁えた言葉遣いをするよう指導はしている」
「何処の風紀指導だっつーの」
少年はオーバーアクションで頭を抱え込んだ。
「冬威の脳味噌が硬くなってもかまわないけど、エルシーの脳まで硬くすんなつーの。冗談がわからない奴は冬威だけで充分だ。つまんない奴にするなよ」
「つまらなくても仕事ができればそれでいい」
「あのなあ、人間というのは仕事のために生きてるんじゃないんだぞ。ボケと突っ込みができないがっちがっちの硬い頭で生きてて楽しいか?」
「人は仕事のために生きているわけではないけど、漫才のために生きているわけではない」
「……この男は。冬威一人だけで生きていくんならいいんだけど、エルシーまでイノセントワールドに引き込んでいくなよ」
「智也みたいな中身のない人間になるよりはマシだ」
場はすっかり少年と冬威の舌戦になっていた。
少年はともかく、寡黙な冬威までもが付き合っているのが不思議である。
「あの……」
すっかりはじき出された形のエルシーが遠慮がちに割り込んでくる。
「私はつまらない人間でもいいですから、冬威様のお役に立てればうれしいです」
すると、心臓にナイフでも刺されたように少年の表情が固まった。
わなわなと震える。
「………エルシーのくせにぃ……」
かすかに立ち上ってくる怒気のようなものを感じて、エルシーは小動物のように怯えてしまっていた。
「エルシーのくせに生意気だぞーーーーっっっ!!」
「やめてくださいっっっっっ!!」
(いいんですか……)
少年にヘッドロックされて悶絶するエルシーを前にして、みなもの声も若干震えていたが、冬威は冷酷なまでに平然としていた。
「智也が本気なら死んでるから大丈夫だろう」
……そういう問題ではないとは思われるのだけれど。
「エルシーにはいい薬だ」
子獅子を谷底に突き落とす親獅子のような冬威にはさしものみなももため息をつくしかない。
「と、言うよりオレもエルシーを笑えなくなってきたかな」
みなもには冬威の言葉の意味がわからなくなかった。
冬威は銃剣を地面に突き刺して両手をフリーにする。
その直後、一人の女の子が一瞬で長い距離を詰めて、ミサイルのように冬威に向かってきた。
「おにいちゃんっっっっ!!」
冬威は飛び込んできた、長いウェーブのかかった金髪がまぶしい少女を触れることすら許さずに撃退することはなかった。
両手をフリーにしたのは女の子を抱きとめるためである。
冬威に抱きとめられた女の子は嬉しそうに手の中ではしゃいだ。
「おめでとっっっ!! 生きててくれてておめでとっっっっ!!」
「わざわざご足労頂き光栄に存じます。陛下」
冬威が頭を下げると、女の子の細い指が冬威の額にデコピンする。
「陛下というの禁止。敬語を使うのも禁止。おにいちゃんはおにいちゃんなんだからっっ」
びしっと指先を突きつける女の子を前に、冬威は一瞬、困惑の表情を浮かべてしまう。
「ですが、陛下は陛下でございます。軽々しくも御名を口にすることはでき……」
「これは勅命だぞ。ユーを陛下と呼ぶのは反逆に値いするぞ。分かっているのか」
さしもの冬威もどう反応していいのか迷う。
幸いなことに、高らかな笑い声が冬威を救ってくれた。
「な、何がおかしいっっ!! 智也っっっ!!」
エルシーに対する智也のいじめは終わり、玩具の座はエルシーから冬威に移っていた。
智也は露骨に笑い転げている。
「いえ、おかしいのはユーではありません。冬威がおかしいのであります」
「そうだろう。そうだろう」
あっさりとごまかされる女の子。
「冬威様がおかしいのであれば、楽浪候様はもっとおかしいです」
「なんだと」
「いたひ…いたひでふ……」
「ナマを言うのはこの口か、この口か」
「ユーをのけ者にして二人で盛り上がるな」
お約束通りに智也がエルシーの頬をパッド代わりにしていると女の子がつまらなそうに口を挟む。
「これはこれは、失礼しました。ためしにエルシーの頬をつまんでみませんか?」
「ふひー………」
伸びるエルシーの右頬に少女は感嘆の声を上げる。
最初、おそるおそる。
「おう。エルシーの頬ってばぷにぷにする」
「ひゃひゃめてください……」
「可愛いーっ」
「ふみゅん……」
(どうしますか?)
智也と女の子の玩具と化しているエルシーを見てなんともいえない感情を抱いているとみなもがそっと囁いてきた。
みなもも暴走する二人に気圧されているようである。
(しょうがない……)
みなもにだけは聞こえるようにそっと呟くと冬威は言った。
「何しにきたんだ、ユーディト。エルシーの頬を引っ張りにきたんじゃないんだろ」
「そうだったそうだった」
冷たい冬威の指摘に女の子は我に返ると、引っ張るのをやめると両手を腰に当てて尊大なポーズを取った。
「初陣、おめでとうなのだ。エルシー」
国王が前線に来れば、前線に詰めている兵士たちの士気は上がるのだけれど、女の子がそこまで考えていないことを冬威は知っていた。
全ては冬威とエルシーのため。
「ありがとうございます。陛下」
エルシーは恥ずかしそうにしながら礼を言うが、女の子の顔は一瞬だけ歪んだ。
「戦果はどうとかいうより、ユーはエルシーが生きていて嬉しいぞ。まあ、がんばれとはいわない。かっこ悪くても逃げてもいいから、これからも生きるんだぞ」
だったら最初から戦場に出るなといいたいところなのだけれど、それが女の子からエルシーに対する想い純粋な想いなのだろう。
どんな形であれ、親しい人には生きていてほしいものだから。
「はいっ」
ここで終われば感動的だっただろう。
「ところで……」
女の子は笑っていたものの殺気のような立ち上る。空気の変化に気づいてエルシーは後ずさるが女の子のほうが早かった。
「何度、陛下と呼ぶなといえばわかるっっっ」
「ふ、ふみまへんっっっっ!!」
女の子がエルシーの頬を引っ張り始めて、エルシーの意味不明な悲鳴がこだました。
「お兄ちゃんは部下にどんな教育をしてるのよっ!!」
「目上の者に敬語を使うのは礼儀だ」
「ユーがいいって言うんだからちゃんと従いなさいっっ!!」
▽▽▽▽
唐突に意識が覚めて、冬威の眼は覚める。
背中いっぱいに受けるマットの感触。
隣から静かに聞こえる寝息。
上にかぶさっている毛布を払って、ゆっくりと起き上がると周りを見回した。
30平方メートルのほどの寝室。
ダブルベットの向こう側に、机と椅子、ソファがあり、個人の部屋というよりはホテルの客室という印象を与えるのは、この部屋の前歴がまさにその通りであることと冬威が住み始めたばかりで私物がまったくないからである。
いずれにせよ、戦場とはほど遠い場所だった。
冬威はまだ朝日も差さない窓を背に見た夢を思い起こしていた。
あの頃はたくさんの仲間がいた。
油断ができなかったが、肌身を削るような緊張感が心地よかった親友。
能力的にはまだまだではあるが、一生懸命についていこうとする部下。
そして、兄と慕ってくれる主君。
あの頃は楽しかった。
どのような場所であれ、たとえそこが死体に満ち満ちた色気のない場所であったとしても、気心の知れた仲間たちに囲まれているのはとっても幸せなことだった。
この先にどんな苦難が続こうとも、この仲間たちとなら出来ないことはなかった。
この素晴らしき連中との日々がいつまでも続くものと信じていた。
信じていたはずなのに……
傍に眼を写すと晶が爆睡している。
寝息は定期的なリズムで流れていて、その寝顔は穏やかそのもの。とっても無邪気で心が和んだ。
父親とはこういうものなのだろう。
色々な思念が頭をよぎる。
主君もエルシーも今の晶のような年頃の女の子だった。
晶のような子供に一部隊を率いさせて、人を殺すことを命じているのだから無茶もいいところなのだけれど、エルシーが望んだことであって、冬威だって能力がない人間にそんなことはさせない。
結果的には無事に帰ってこれたのだからいいのだけど、それでも納得したと思ったら嘘になる。
そのときの選択が良かったのか悪かったのか疑問に思うのだけれど、成否を確かめる機会はないだろう。
主君は冬威から陛下と呼ばれることを嫌っていた。
その気持ちはわかる。
しかし、現実には冬威は臣下であり、私の時ならともかく公の場では臣下としての立場を意識せずにはいられなかった。
主君は主君なのだ。
臣下が主君よりも上のようなそぶりや態度をとってはいけない。
臣下たるものが増上な振る舞いをすれば、民も主君を主君としてはみないだろう。
智也が平気で主君を友達扱いしていたことに戸惑いは覚えていたけれど、それでも間違っていたとは思っていない。
近ければ近いほど、臣下として振舞わなければならない。どちらが主人なのか周囲に錯覚させるような事態は起こしてはいけない。
ただ、齟齬を来たしていたのはわかる。
公とか私とか、女の子にはまるで分かっていなかったのだから。口で言い聞かせても理解できるものはなかった。
あくまでも自ら知覚するしかないのだけれど、女の子は自身の立場について自覚することはなかった。
公人であった時にも関わらず、女の子は冬威を家族として扱ってしまって、冬威は受け入れることができなかった。そのすれ違いが今の状態を引き起こしたのかも知れない。
冬威は晶の頭をそっと撫でる。
深く寝入ってしまっているのだろう。晶の身体が一瞬、跳ね上がるが何事もなかったように眠り続けている。
失ったものものもあったけれど、得たものもある。
過去を見つめるよりも、未来に向き合うほうがよっぽど大切だろう。
忘れようったって忘れるものではないから、さっき見た夢のようにたびたび思い出しては苦しむこともあるのだけれど、過去は過去として大切にしまっておいてもいい。
たくさんの過去を積み重ねて、今がある。
「どうぞ」
ドアをノックする音が三回ぐらい響いたので、反応するとドレス姿ではないみなもが入ってきた。
ベットの上で起き上がっている冬威の傍で、愛人のように晶が寝入っているのだけれど、気にするそぶりも見せない。
「おはよう、みなも」
「おはようございます。お兄様」
みなもは優雅に一礼すると本題に入った。
「これからいかがなされますか?」
冬威は軽く一瞥しただけであったが、それだけで意思疎通が図れたようであった。
「わかりました。それでは後ほど」
また一礼するとみなもは着た時と同じように去っていく。
冬威は長い腕を思いっきり伸ばして硬くなっていた筋肉をほぐすと立ち上がった。
服を寝巻きからジャージに着替える前に、晶の頭を撫でる。
晶はまだ寝入っていた。
彼女たちの守護者
第2話:春風序曲
1st TRACK
今日の伊勢家の朝食のメニューはラーメンで、朝から旭川ラーメンの油臭い匂いが食卓に立ち込めていた。
麺は生麺。
麺とスープだけのそっけない作りではなく、ちゃんとメンマやチャーシュー、卵などを乗っけた上にとどめとばかりに海苔まで乗せている豪華版で、インタントではなく、ちゃんと手間隙かけて作られたことを証明していた。
「うーまーいーぞーーーーっっっ!!」
一口つけた晶が、どっかの評論家のように絶叫しながらラーメンをかっこんでいくのをみなもは暖かく見守っていた。
「みなもちゃんって凄いねー、お料理作るの天才だねーーっっ」
「いえ、スープと麺は淳子様のお知り合いの方が送ってくださったものですから」
「でもでも、チャーシューとかネギがぜんぜん違うよー」
インスタントではなく、生麺とスープが一緒になったタイプは具が入れることがないパターンが多く、特に朝食で食べるとなると具が入っていない確率が高くなるのだけれど、みなもの場合はそんなことはなく、しかも具材の一つ一つが丁寧に処理されていて、それが絶妙な味のハーモニーをかもし出していた。
みなもはちらりと冬威と視線を交わした。
他人の眼には冬威の表情に変化がないように見えるがみなもは嬉しいそうにうなずいた。
「みなもちゃん?? 何をしたの?」
「お兄様と眼で会話をしました」
「アイコンタクト? すごーいっっ。どんなこと話したの?」
「ラーメンがおいしいかどうかたずねてみたんです」
「そしたら?」
「お兄様」
みなもは軽く眼で冬威を促す。
微妙な間が空いたような気がしなくもなかったが、冬威は表情を崩さずに言い切った。
「うまかった」
「はやっ」
みなもや晶が麺をすすっているのに、もうスープを1滴も残さずに飲み切っている冬威の速さには晶も驚いていた。
「ごちそうさまでした」
「はい、おあいそでした」
冬威の表情は傍目にないように見えるのだけれど、みなもの眼には僅かな変化を感じ取れているのであろう。花のように微笑んだ。
まことにもって明るい空気が流れている食卓なのだけれど、一角がどんよりと重たかった。
「………」
悠璃が黙々とラーメンをすすっている。
三人の会話にも加わらず、冬威が軽く視線を投げかけると、うっとおしそうににらみ付けては見たくないどはかりに顔を背けた。
どうやら悠璃の機嫌は直っていないらしい。
冬威は今朝のちょっとした騒動を思い起こしてみた。
▽▽▽▽▽▽
冬威は拳を止めると時計を見てから、組手相手のみなもと見合わせる。
みなもはうなずいた。
みなもとの意思疎通は完璧の粋に達していて、戦場はともかく日常でも、視線を交わしただけで言いたいことを理解しあえてしまう。
早朝にこなしている修練を切り上げるにはいいタイミングだった。
「……難しいところだな」
納得がいかないことであっても、受け入れなくちゃいけないことがある。
深刻になるようなことでもなかったりするのだけれど。
冬威の眼には映っているのは白い外壁の洋館と、手入れの行き届いた庭園である。
伊勢邸の前身は大正時代に富豪の別邸として作られた洋館で、後に売却されてホテルとして利用されたが廃業。取り壊されるところを淳子が買い取って邸宅にしたという由緒ある建物である。
客を迎えてパーティをするにはちょうどいいのだけれど、親子三人だけで使うにはオーバースペックではある。
ただし、冬威とみなもとしては練習場所は広ければ広いほどいい。
建物いっぱいに広がる庭は動きまわるには充分なのだけど何分にも二人が本気で動きまくればたちどころに灰燼と化してしまう。
淳子からは好きにしていいよとは言われているけれど限度があるのは言うまでもない。
「戦闘機動を行なうものなら庭はおろか建物を壊しかねませんから。でも、私たちが運動不足なのはこの世界にとっては幸せなことではないのでしょうか」
「そうだな」
冬威が全力を出す事態というのは世界が崩壊しかけている状況といっても過言ではない。
「皆さんがおきてくるまでまだ時間がありますから、お風呂に入られてはいかがでしょうか?」
用意していたスポーツドリンクを冬威に差し出しながら、みなもは提案する。
運動していれば当然、汗を掻く。着替えることを前提にしてトラックスーツを着込んでいるわけで。
「みなもから先に入れば?」
スポーツドリンクをすすりながら、冬威はみなもに譲ろうとするがみなもは首を横に振る。
「いえ。冬威様よりも先に入るわけにはいきません」
「わかった。なら、そうする」
少し考えて、みなもの好意をそのまま受け取ることにした。
伊勢家の風呂が母屋から独立した建物になっているのは、昔、温泉が沸いていたからである。
温泉が枯渇したことが原因でホテルは廃業。再び邸宅になってからは姉妹二人だけではオーバースペックなので閉鎖になっていた。
復活したのは家族が二人増えたからである。
特に男手が入ったのは大きかった。
半ば物置と化していた浴槽や風呂場を使えるようになるまで整理するのに半日。機械を設置して24時間対応にして昨日、ようやく入れるようになったところだった。
子供が楽々泳げるぐらい広い浴槽に浸り、内装の木材に細かく施された彫刻の一つ一つを追いながら冬威はのんびりしていた。
悠璃の元に帰ってきてから数日が過ぎた。
死者二人、初等部校舎半壊。
ガーゾの襲撃によるダメージは、みなものふんばりと冬威の圧倒的な力によって最小限に封じ込めることができたが、三学期も残り少なかったということもあってそのまま春休みとなった。
マスコミの報道も色々と騒がしかったが、淳子が何処から手を回したのか熱も沈静化に向かっている。
広い空間に一人きりということもあって、さしもの冬威もすっかりリラックスしている。
普通の学生なら早めに訪れた春休みに喜ぶところなのだけれど、まだ学生ではない冬威に休む時間は与えられていなかった。
再び芙理衛で暮らすための手続きに手間を要したというのもあるのだけれど、最大の原因は学園の警護部門に顧問として抜擢されて、首脳陣たちとの打ち合わせに忙殺されたからである。
疲れていないとは思っていても、暖かい湯の中に浸かってのんびりしていると脳を思いのほか酷使していることに気づかされる。
冬威に高校生には似つかわしくない重責を負わせようとする淳子の人使いの荒さに苦笑してしまう。
家族として扱うには過酷すぎるとはいえ、責任を負わせているということは期待されているということでもある。
おそらくは冬威に芙理衛学園理事長を継承させたい構えなのだろう。こういうのは日本語では世襲というのだけど。
前線ではなく後方で会議に参加して、自分の考えてを異なる考えを共存できるような形でまとめて計画を立案、後方から大局を見て、姿の見えない部下たちに先を見通した指示を送るといったことは初めてではなく、少しぐらい間違っても大量の人死が出ないのだから、淳子の期待には答えられるのだけど、淳子みたいにたくさんの人間を意のままに動かす生き方がいいのかどうか迷うところだった。
……性に合わない。
やってやれないこともないのだけれど、やっぱり前線で戦っていたほうが性に合う。手にしている武器は身の飾りではなく使われるためにあるのだから。
「王、か」
今日も淳子のとの打ち合わせがある。
冬威の選択肢は無いに等しく、与えられた条件の中でベストを尽くすしかない。
結局のところ、今までと変わらないのである。
引き戸を開く音が広い浴室内にこだまする。
「パパ……」
晶が一糸まとわぬ姿で入ってきても冬威は動じなかった。晶は遠慮がちに聞いてきた。
「入ってもいい?」
冬威は、緊張している晶に視線を投げかける。
いつもの凍てついた眼差しではなく、暖かい眼差し。
視線の持つ意味に気づくと緊張が一瞬にして解凍され、晶はいつもの元気よさを取り戻した。
「ありがと、パパっっっ!!」
晶は一気にダッシュすると浴槽に向かって飛び込んだ。
かなりの勢いがついていたのだけれど、反動で下がることなく冬威は晶を受け止めた。
「パパっっ 大好きーっっ」
冬威の頑丈な胸板に顔をすりすりさせる晶であったが、すぐに離されてしまう。
不満そうにする晶であったが
「浴槽に入るのは身体を洗ってからだ」
「じゃあ、洗いっこしてくれる?」
冬威が目線でうなずくと晶は笑顔になった。
「ありがと、パパっっ!!」
それはちょっとした気まぐれだった。
いつもは忙しくて朝風呂に入る余裕なんてないのだけれど、まだ春休みということと、何よりも朝食当番がみなもなので風呂に入れる余裕が生まれていた。
だから悠璃は渡り廊下を歩いて、別棟に入ると脱衣場に入ると服を脱いだ。
この時、脱衣籠が二つ衣服で埋まっていることに気づかなかった。
伊勢家は二人しかいないことが当たり前だったからだ。
「……………」
だから、家族が二人増えたことを不意打ちのような形で再確認させられる羽目になる。
「あ、おねーちゃん。おはよー♪」
湯船で晶が犬かきで泳いでいるのは、まあいい。
「おねーちゃんも一緒に入んなよーっ♪」
「………」
晶の傍に、傷だらけの筋肉で身体を覆った長身の男が入っているのが大問題だった。
一瞬、変質者と悲鳴を上げそうになるが言葉が喉奥から発射されようとした時に、その変質者が久しぶりに帰ってきて、そのまま居候することになった従兄だということを思い出したけれど、状況に変化はなかった。
胸があまりないとはいえ、16歳の少女がバランスのいい裸体をさらしているといるというのに冬威は平然としている。
「あ、晶。なんであんたが入っているのよっ」
さすがに冬威の入浴を問題視することはできなかったので矛先を妹に向ける。
「えーーーっ パパと一緒だよ」
晶は理解できないといった顔をしている。
「あんた、歳いくつだと思ってるの」
「そんなの関係ないもん。晶はパパと一緒にいたいんだもん。パパと一緒に入っちゃいけないってどこのほーりつにあるわけ? 教えて? 教えて?」
冬威は従兄ではあるが、パパではない。
「晶だって大きいんだから、恥というものをわきまえなさい」
確かに惜しげもなく冬威に裸体をさらしているのは問題なのかも知れないけれど、悠璃の顔はやや紅潮していた。
「恥?」
わかってない様子の晶に、いらだちを押し殺しながら悠璃は言う。
「だから、晶はお子様なのよ」
「晶はお子様じゃないもんっっ!!」
残念ながら晶はお子様としかいいようがない。
「………」
喧嘩になりかけたこの時、冬威が浴槽から立ち上がった。
自分が身を引けば喧嘩は収まるし、長く浸かりすぎていたからというのもあねのだけど、冬威の全身が悠璃の視界の前にさらけ出されてしまった。
悠璃の眼が下半身の上、上半身の下あたりに吸い寄せられるかのように集中してしまう。
悠璃の顔はみるみるうちに真っ赤になり、身体が熱病にでもかかったように震えた。
「いやぁぁぁぁぁぁーーーーっっっ!!」
そして、羞恥が脳天を突き抜けて爆発すると一目散に逃げ出していった。
悠璃がいきなり消えて、そのスペースを埋められないといった感じに乾いた空気が流れる。
「………?」
さしもの冬威も悠璃の行動を測りかねているようだった。
晶は言った。
「パパっておっきいんだね♪」
(何があったんです?)
(……わからん)
みんなが顔を見ようとするたびに、赤面しては視線を外しまくる悠璃を不思議に思って、みなもは冬威にアイコンクトを取るが、返答は要領得なかった。
(お兄様はお風呂に入られたんですよね)
(ああ)
(他に誰か入られましたか?)
(晶も入ってきた)
みなもはテーブルに突っ伏したくなるのをこらえた。
その続きはあえて聞くまでもない。
(悠璃様は陛下や晶様とは違うんですから)
もう、悠璃は異性に裸を見られても抵抗がない歳ではないのである。
もっとも、晶も冬威以外の人間では反応が違うのだろうけど。
「ねえねえ、今日はパパと遊べる?」
「悪い。伯母さんと用事がある」
勢いこんで聞いてはみたものの、つれない返答に晶は不満を漏らす。
「ママったら……今日こそはパパと遊べると思ったのに……ばかっ」
どうやら、かなり不満がたまっているようである。
「パパに何の用があるっていうのよ」
「それなりに忙しいんだ。オレは普通とは違うから」
「どんな風に違うの?」
「晶だって、みなもの活躍を見ただろ」
ガーゾが初等部校舎に襲撃してきた時、迎撃に当たったのはみなもだった。
晶はガーゾと対峙して、死ぬところをみなもに助けられたことを思い出す。
ガーゾのことを聞こうとしたけれど、ためらった。
ガーゾはあの時、晶を殺そうとした。
本気で殺そうとしていたわけで、ガーゾが他の誰かに殺されても同情するいわれなんてないのだが、晶が決闘を申し出た時、ガーゾは笑い飛ばすことなく真面目に対応してくれた。
それだけなんだけれど、それだけのことが気になる。
冬威は晶の考えていることがなんとなくわかったけれど、言うべき言葉はなかった。
外からはけたたましい爆音が聞こえてくる。
「でも、伯母さんの用事は今日で終わりだから、明日からは遊びにいける」
「ほんと!?」
「俺はこの町について全然知らないから、晶と悠璃が教えてくれれば助かる」
すると、今まで一人話の輪に加わっていなかった悠璃が反応する。
「なんで、わたしなの。晶だけでいいじゃない」
「一人よりも二人のほうが、たくさん知ることができる」
晶の見方があれば、悠璃の見方があるのだから、晶が悠璃の知らないところにつれていけるの同じように、悠璃も晶の知らないところにつれていけるわけで、二つ揃えば完璧だった。
「おいあにくさま。私だって忙しいんですからね」
「……そっか」
断ってみたものの、冬威が食い下がってこないことに不満を覚える悠璃。
しかし、感傷に浸る間もなく淳子がやってくる。
「いい匂いしてるじゃない。みんな、おはよう」
「伯母様、おはようざいます。朝食は?」
「食べてきたところだから心配しないで。それよりも、あたしはおばさんじゃないのよ。おねーさま。いい?」
「はい。わかりました」
みなもからすれば、何処で聞いたようなことがあるやり取りをかわすと淳子は本題に入った。
「みんな、悪いんだけど冬くん借りていくわねーーーっ♪」
「ちぇっ。早く返してよね」
「それは考えておく」
「ほんとだよ。パパと遊びたいんだから」
「あんまりはしゃぎすぎないようにね。冬くんだって人間なんだから」
「はーい」
晶はとりあえず返事はしておくが、パパと遊べる状況になったら言葉を忘れてフルパワーで引きずりまわすのだろう。それが子供だから。
(みなも、後は頼む)
(任されました)
こないだは極端だしても、絶対に狙われないなんてということはない。
冬威がいない間はみなもが二人を警護するという取り決めになっていて、目配せで再確認すると冬威は立ち上がった。
「行ってきます」
「いってらっしゃーい」
「いってらっしゃいませ」
「……いってらっしゃい」
晶は元気に、みなもは優雅に、悠璃は不機嫌そうに冬威を送り出した。
玄関を出て、外に出ると冬威を待っていたのは一台のスーパーカーだった。
ミッドシップの滑らかなボディデザインが爬虫類を連想させるスーパーカーにまず淳子がガルウイングドアを開けて乗り込むと、助手席側のドアを僅かに跳ね上げた。
冬威はドアを持ち上げて中に滑り込むと、その大きな身体をバケットシートに押し込んだ。
キーを差しこまれて、大きくて重い音を奏でながらエンジンが回りだす。
冬威がシートベルトをつけたのを確認すると、車は走り出した。
「こいつはね、ミツオカのオロチ。かっちょいいでしょ」
「ええ」
走り出してからすぐに淳子は自慢を始める。
かっこいいと言われればかっこいいんだけれど、それよりも冬威はスーパーカーで淳子が運転という状況が気になった。昨日までは運転手付きのジャガーで送迎されていたからである。
ポケットに手をいれて、中にある赤い球の感触を確かめる。
……気を抜かない限り、心配はいらない。
たとえ、狙撃されようと冬威が防壁を張れば防ぐのは簡単だ。
「オリジナルはSUVのを積んでるんだけど、あたしのは色々と手を尽くしてフェラーリのを搭載してるんだ。だって、こんだけかっこいいのにエンジンが1BOXってださいじゃない」
「………」
「二人しか乗れないという時点で実用性なんてないんだから、と……まあ、冬くんにはどうでもいいかもね。この子がいくらがんばっても冬くんには追いつけないんだから」
フェラーリを積んでようが、ランボルニーギを積んでようが、淳子を抱えて飛んだ冬威ほどの速度は出せない。
運転手を介在させないことによる淳子の意図を冬威は見破っていた。
二人きりで話しをしたいからである。
今までのは余興。今日が本番だと言ってもいい。
淳子は微笑みを浮かべながら言った。
「冬くんのおかけでこの世界には、まだ解明されていないエネルギーがあることがわかった。冬くんもそのエネルギーについて何か知っていることがあるんでしょ?」
沈黙が流れる。
狭い車内に緊張が張り詰めるが、思いのほか、短く解けた。
「確かにある事はある。ただし、色々と制約がある」
「どんな制約?」
「一つは特別な物質でないと検知すらできないこと。また、特別な人間でしか使えないことや安定性にかけるというのもある」
「その特別をヴォガトゥリというのね」
「……まあな」
「冬くんやみなもちゃんはどこか分からない国の言葉でごまかしてたけれど、あれだけ連呼してたらね……んで、どういう要因で安定性に欠けるの?」
「人を通して発動されるから、ヴォガトゥリの精神状態によってパワーが左右される。落ち込んでいる時は70% 下手したら50%以下の出力しか出せないし、ハイになった時には平気で150%は超える。だから長時間、安定させて使用しなければならないものは無理だ」
「つまり、漫画で言う気が人の身体の中ではなく、大気に満ち満ちという感じ?」
「そうなる」
驚愕の事実なのだけど、淳子は淡々としていた。返事を余地しているかのように。その時の淳子は新しく出した説が正しいのかどうか確かめている科学者のようだった。
「力の発動にはヴォガトゥリだけではなく、エネルギーとヴォガトゥリの意思をつなぐ物質が必要だ」「その物質はとっても希少価値なわけね」
引き出せる人材が希少価値だとはいえ、簡単に引き出せるようなものであれば教科書の記述は今とは物凄くかけ離れたものになっていただろう。
「石油や原子力のように既存のエネルギーの代替として使うのは難しいかも知れないけど、兵器としては有効だ」
冬威は軽く眼を細めた。
「晶や悠璃が襲われた原因もそれか?」
「ええ」
冬威の眼差しはナイフのように鋭い。
脇腹から差し込まれているような錯覚を覚えながら、淳子は微笑んでみせた。
「晶や悠璃にはとっても済まないし、研究が危ないものだというのもわかっている。でも、ここまで来ると止めるわけにはいかないでしょ」
かかった費用のことを考えると止めようにも止められるわけがない。
「完成させるよりも、途中でやめてキャンセル料を払ったほうが安く済むというケースもあるけど」
「それもあるかも知れないけどね。できれば冬くんにも協力してくれれば嬉しいんだけど」
冬威は視線を窓に向けたままでいた。
冬威からすれば、淳子は地獄に片足を突っ込んでいるとしか思えない。淳子たちが研究しようとしている力はそれほどまでに危険な力だった。
しかも、淳子に危害が及ぶのは自業自得であるが何の関係ない晶や悠璃にまで被害が及ぶのは最悪である。
けど、淳子の態度から推し量ると研究はかなりの段階まで進んでいるようだから、いくら冬威であっても止めることなんてできない。
冬威の眼が空を射る。
ここにくれば平和に暮らせると思っていた。
事実、戦火にあけくれているのでもなければ一秒単位で爆弾が爆発して尊い命が犠牲になることもない。
にも関わらず、冬威は不穏な空気を感じ取らずにはいられなかった。
「研究の対象にすべき人間がオレが見ただけでも4人ほどいたから、この学校には特異な人材がいっぱいいるんじゃないのか?」
「4人?」
淳子もこれには驚いたようだった。
「……バカだったんだよ。ガーゾは」
みなもと戦うよりも簡単に神姫をチャンスがあったのに、と冬威は心の中で呟いた。
「ところで、悠璃の機嫌がよくなかったようだけど、何かあった?」
淳子が話を変えてくる。
考え方によっては一番面倒なネタだったのかもしれないけれど、冬威は平然と答えた。
「朝風呂に入りにきたら晶が入りにきた」
「……なるほどね」
それだけで淳子には展開が読めたのかうんざりした表情になる。
「んで、冬くんのでかいピーを見て悶絶したというわけか。我が子ながらまったくもって情けない」
男の裸を凝視しても傲然としたままでいるのも問題がないわけではないが、淳子に似てないのは確かなようだった。
「悠璃みたいなのも悪いは思わないが」
「冬くんは悠璃みたいのが好み?」
「……嫌いなタイプではない」
話が変な方向に転がっていくが、あくまでも冬威は言質を取らせない。
淳子は軽くため息をつくと意味ありげな笑みを浮かべる。
オロチは、ガーゾの襲撃によって完膚無きまでに破壊されて再建中の詰め所の脇をすり抜けて学園内に入ると中央部を走行していく。
休校中ということもあってか、いつもよりも静かだった。
中央広場から左に曲がり、しばらく進むと大学部に入っていく。
ゲートでくぐられた区域に顔パスで入ると、校舎の傍にある駐車スペースにオロチを入れた。
冬威は降りると、淳子の案内で校舎の中に入った。
空気が冷たいのは、部屋の中に設置されたパソコンを冷却するためである。
照明を落とした室内の中で複数あるモニタが灯り代わりに写っている。モニタに表示されているのは数式の羅列のようで、その意味を理解できるのは真ん中に座っている少女だけだろう。
「おはよ、ピナちゃん」
淳子が声をかけるとモニタに向き合っていた少女が顔を上げた。
全身を覆うぐらいに伸びた白い髪が重たそうに揺れた。
「おはようございます。学長」
14歳ぐらいの色素がないというぐらいに肌の白い少女で、紅い瞳はけだるげで、この世の全てに何の興味もないようだった。
羽織っているシャツや白衣もよれよれ。
白い髪は伸ばし放題に伸ばしているだけでぼさぼさ。真ん中で分けているだけで浮浪者にしかみえなかった。
実際に似たようなものなのかもしれない。
ディスプレイとキーボード、冷却ファンが回転する音が響く室内は整然というよりは雑然としているのは、缶コーヒーの空き缶やポテトチップスの空き袋が無秩序に散乱しているからで、明らかに仕事場とプライベートが一緒になっていた。
「彼は前に話した私の甥の伊勢冬威」
少女に向かって説明すると、今度は冬威向けの説明を始めた。
「この子はアナスタシア・エウゲーニャ・スクリャーピナ博士。見た目は浮浪者だけど天才少女よ」
「………」
つまり、彼女が未知なるエネルギーを研究しているのだろう。
冬威は一瞬にして事情を理解すると少女に向かって挨拶した。
「初めまして、伊勢冬威です」
「はじめまして。スクリャーピナです。ピナでどうぞ」
冬威は無表情。
ピナも興味がないと言いたげに淡々としていた。
「もうちょっと愛想よくできないかなー。ピナちゃん」
険悪ではないけれど、友好的ともいえない無味乾燥とした空気に淳子はケチをつける。
「あたしたちが冬くんにお願いする立場なんだから」
「……お願いします」
あくまでも事務的であって、本気で願っているとは思えなかった。
何をお願いするのかは確認するまでもなかった。
淳子がここにつれてきて、ピナと面会させたのはピナの進めている研究に協力させるためであり、研究の内容は車内での会話で察せられた。
「ボスは学長だから、言うことには従う」
「ありがと。冬くん」
冬威が淳子の甥ではなく、一人のエージェントとしての立ち位置を取っていることに淳子は安心するけれど、ピナが敵意を向けてはいないものの、友好的とはいえない態度に困ったような顔をする。
「ごめんね、冬くん。ピナちゃんは人見知りする子だから」
「言いたいことはわかる」
短いけれど激しい人生の中で冬威はたくさんのDQNと接してきたから、ピナのレベルは可愛いものである。
知能レベルは高いけれど、対人能力に難ありというところか。
経歴の影響で、部下としてどのように使いまわそうかシミュレーションをしていると淳子は言った。
「そうだ。これから二人ともデートしなさい」
「デート?」
とんでもない提案に冬威の表情は変わらなかったが、ピナはめんどくさそうにする。
「……研究中だというのに……」
「これは学長命令です」
「ひのひかりきらい……あるくのきらい……」
博士号を持つ天才ではなく、ただの少女のように見える。そんな彼女を淳子は暖かく見守っているが容赦はなかった。
「ピナちゃんは冬くんやみなもちゃんのことを知りたいんでしょ。冬くんの生体解剖なんて不可能なんだから、冬くんのことを知りたいのならデートぐらい苦じゃないでしょ」
とんでもないことを言っているのだけど、飲まざるおえない説得力があった。
ただし、淳子のほうにも邪気がまったくないとはいえないのだけど。
しかし、ピナも一見すると無表情ではあるが完全に無感情というわけではないらしい。
少なくても冬威ほどポーカーフェイスではいられていない。
「そういうことだから分かったわね」
淳子はピナに無理やり了解を取り付けると、今度は冬威に聞いた。
「冬威くんもデートいい?」
「学長命令か?」
晶や悠璃とデートらしいこともできていないのに、初めての女の子といきなりデートすることに抵抗を感じないでもなかったのだけど、こういう展開になることは予想できていただけに反応は早かった。
晶や悠璃にしてみたら、ひどい話になるかも知れないが、こんなことよりも遥かに外道なことをしてきた。
淳子は言った。
「うん。学長命令」