彼女たちの守護者
 第1話:再会

 イラスト
  ・天瀬たつき様
  ・召還士ブブ様

  MADE IN (OMC)
 ・

2nd TRACK


 そこは王の間だった。
 ダンスパーティが開けるぐらいに広いスペースに絨毯が引かれ、その上に引かれた緋色の絨毯が一段高いところに設置された金色の王座まで続いている。
 絨毯のいたるところに、ファンタジー小説に出てくるような鎧に身を固めた兵士たちが死体となって転がり、傷口から噴出された血が手間隙かけて織り上げられた絨毯に赤茶色のしみをつけていた。
 王座にほど近いところには、兵士というには恰幅と威厳にあふれた男が倒れている。
 戦闘機動には絶対に向かない大きな腹に穴を明けられた男は絶対に手にしえないものを見つめているような顔のままで絶命していた。

 王座の隣では彼が地べたに座り込んでいた。
 見るからに疲労しているのがわかる。
 灰色に塗装されたプレートメールは返り血で染まり、疲れ果てている彼には単なるウェイトでしかなかった。
 傍らにはMG34に銃剣をつけたようなフォルムをしたような武器が転がっている。
 浅い呼吸を繰り返すだけで死体のように身じろぎもせず、遠くを見ているだけの彼であったが、力を振り絞って老人のようなおぼつかない手先で腰に手をあてると、ナイフを抜いた。
 五分ぐらいの時間をかけ、幾度となく取り落としそうになりながらもナイフの刃を喉元まで持っていく。
 そのまま、ナイフで首を掻っ切ろうとしたが彼の目の前に一人の女性が現れる。

 女性は年齢が14歳ほどで、サックスブルーを基調としたフレアスカートにブラウスとロリータ系のファッションでまとめていた。
 肩にマントを羽織っている。
 右手には杖が握られているが女性が持つにはかなり大降りでバランスが取れていない。

 その女性がやってきたのを見て、動作を止めるとそのはずみでナイフは床に落ちる。
 疲労で口をあけることさえ苦労しながら、彼は言った。
「……なんだ。かあさんか」
「かあさんか、ではないでしょ。リンデ候と呼べっていってるのに」
 儀礼を守っていないことにケチをつけるが、それほど気にしているわけではない。
 彼は女性の態度を気にしていていない。
 気にするほどの体力さえないのかも知れないが、はっきりとした声で言った。
「………殺せ」

 何もかもが終わって、残るのは死体だけ。
 彼もその死体の群れの中に入るべきだった。

 為政においても、道義においても彼は死ぬべきだった。

 時間が流れる。
 女性は笑ったまんま答えない。
 行動を起こそうともしない。

「やだ」
 誤解のしようのない単純な返事。
「あのね、陛下に逆らって楽に死ねると思うわけ? 甘いわね。腐女子の妄想よりも甘いわね。生きながらバラバラにされる苦痛にもだえながら、陛下に逆らったことを後悔しなさい」
「そうだな」
 口元に浮かぶのは自嘲。
「こんだけの大乱を起こしたんだから、冬ちゃんは巻き込んだ人々のためにも苦しんで苦しみぬいた果てに死ななくちゃいけないの」

 全てが彼のせいというわけではないが、彼がいなければ起きなかった。
 彼がいたおかげで、死ななくてもいいたくさんの人々の命が失われた。

 そのことに後悔はない。
 ただ、責任は取らなくてはいけない。

 体力はとっくに使い果たして、戦うことはおろか意識さえも保つことが難しくなっていた。
 勝手にまぶたが下りて、ゆっくりと睡魔が彼の意識を浸し始めている。

 何もかもが終わった。
 彼にもはや戦う力もなければ、戦う意味も失われていた。
 もう、戦争は終わったのだ。

 後は彼を捕らえて処刑台に送れば決着がつく。
 死に至るまでの旅路は長く苦しいものだろうが、彼には受け入れる覚悟ができていた。

 おそらくは捕らえられて牢屋へ
 再び目覚めた時にはどんな光景が待っているのだろう。憂鬱で陰惨な情景を思い描いてみたその時、女性は言った。

「でも、冬ちゃんが死んでも誰も喜ばないの」

 落ちかけていた意識が一瞬で覚醒する。
 言葉の意味に気づいたから。

「理において俺は死ななくてはいけない」
「法に従うなら冬ちゃんは死ななくてはいけないんだけど、殺したところで誰が得するというの」
「損得の次元ではない。曲げたら、誰がその法に従う?」
 約束事を破ったら法律は法律でなくなる。
 ひいては国の存亡にかかわる。
「立場がぜんぜんわかってない」
 この石頭と言いたげな表情になっていた。
「俺は罪人で敗北者」
 予想通りの答えに女性は頭が痛くなった。
「冬ちゃんは敗者で、みなみは勝者。敗者は勝者のルールに従わなくちゃいけないの。あたしが死ねといえば死ななくちゃいけないし、あたしが生きろといえば冬ちゃんが死にたくても生きなくちゃいけないわけ。わかる」
 詭弁であるのかは微妙なところだった。
 女性は法に反することをしようとしている。
 立場からすれば許されないことでありごまかしている側面があるが、勝者と敗者の論理からすれば妥当だった。
 勝者は敗者の言うことを聞かなくてはいけないのだから。たとえ法に反することでも。
 無茶苦茶なことを言っていた女性ではあるが、彼が黙りこくったのを見ると表情をいくらか和らげた。
「カチュアや陛下に拭いようのないトラウマを植え付ける気? そんなの許さないわよ」
「…………」
「陛下だって傷ついてるんだから、このまま死なれたら性格歪むよね。根性のひん曲がった君主の治世がどういうものになるのか、冬ちゃんだって想像がつくはずでしょ」
「…………」
 彼は答えない。
 もとより無口なタイプだから了解しているのか、そうではないのか非常にわかりづらい。
「エルシーだって、すぐに後追いさせるために身体張ったんじゃないんだから」
「…馬鹿な女だ」
 間をおいてから女性はため息をついた。
 血も涙もないような言葉であったが、女性は彼が声を発する前にほんの一瞬であるが動揺したのを逃さなかった。
「エルシーをバカにするのは勝手だけれど、冬ちゃんにもわかってるでしょ。もう、簡単には死ねなくなったんだって」

 彼は答えない。

 けど、女性はくすりと微笑む。

 反応が見えないけれど、その程度の理屈がわからないバカではないことを女性は知っている。
 わきまえているのだからこそ、苦しんでいるのだということも。

 女性は座っている彼と目線が合うよう腰を落とすと、杖を置いてから彼をちっこい身体で抱きしめた。
「死人にできることなんて何もないの。生きている人のために何かをしてあげてほしいの」
 誰に何をしてあげればいいのかわからない。
 さっきまでの辛らつぶりが嘘のように女性は優しく語り掛ける。
「せめて、約束だけは守るの」
「約束?」

「交わしたんでしょ。お姉ちゃんのとこの悠璃ちゃんと」


  ▽▽▽▽▽


 不意に風の冷たさを覚えて、意識がさめる。
 声も映像も鮮明だったのに目覚めてしまえば、一気にあやふやなものに変わってしまう。
 二度寝をするようなことはせず、睡魔を引きづりながら寝袋のジッパーを開けて起き上がる。
 
 茜色の光が網膜に飛び込んできた。

 時刻はちょうど日の出を迎えたばかりで、空と雲が鮮やかな茜色に染められていた。
 公園を渡る風は冷たいが凍死するというほどでもない。
 一日のうちで数十分しか見ることができない光景の中に溶け込みながら、彼は見たものの分析に入っていた。

 気を抜いた一瞬の隙に蘇る過去の記憶。
 大切な人々を裏切ったあの時間は時がたっても色あせることなく、罪科の刃が鳩尾に突き刺さる。

 深々と突き刺さる刃の痛みで
 記憶を再確認する。

 忘れてはいけないこと。
 
 あの時、流されたたくさんの血と
 消えていった大量の命。

 そして、たった一つの笑顔を。

 "冬威さまっ♪"

 記憶の刃が身体を貫いて、背から長い刃を露出する。
 彼の表情が状況にふさわしいものへと変わる。

 本来なら彼は生きてはいけない存在だった。
 自分の役割が終わった時から死ぬことだけを考えていた。彼は用が済んでしまえば用無しどころか放射性廃棄物のような危険な存在だったから。

 にもかかわらず運か誰かの悪意が働いてなのか死ぬべき自分が生き残り、生きるに値する存在が死んだ。

 生きるに値するどうかなんて関係ない。
 ただ、生き残れる能力がある奴が生きている。ただ、それだけの話。

 母親の言うように安易には死ねなくなったから首を吊ろうとは思わない。

 ただ、死ぬことが前提にあって、失敗した後の人生設計なんて考えていなかったから、状況から切り離された世界に置き去りにされて、どうしたらいいのか分からず途方にくれていた。

 ふと、彼は思う。
 ――なんて、楽な人生を送ってきたのだろうと。

 



 隣にある寝袋が空になっていることに気づいて、もそもそと行動を開始する。
 みなもが両手を広げながら深呼吸していた。
 その瞳は遠くを見つめている。

 珍しいと思った。

 みなもは外見とは裏腹に大人びている。細やかな気配りは高級旅館でも勤まるほどで笑顔を絶やさず、温和に接していた。つまり露骨には出さずオブラートにくるんでいるわけなのだけれど、空を見ているみなもには喜びに満ち溢れていた。
 この時だけは小学生ぐらいの少女のように見えた。

 戻ったきたのがいいことなのか悪いことなのかはわからない。
 彼はこの世界においては異質な存在であることを自覚していた。それだけにこの世界にいてもいいのかどうか未だに迷っている。
 けれど、憧憬を持って朝焼けの空を見つめているみなもを見ていると戻ってきてよかったと思う。
 みなもはまさに幸せなのだから。
 その笑顔を見ているだけでも胸がいっぱいになった。

「おにいさま。おはようごさいます」

 みなもは彼が見つめていることに気づくと挨拶する。挙措は丁寧であったがところどころに喜びがあふれていた。
「うれしそうだな」
「朝日がこんなに綺麗なんですもの」
 
 こんなに見事な朝焼けを見たのは久しぶりである。
 けれど、ここでしか見られないというわけではない。
 朝焼けなら何度も見たことがあるし、戦場ほど空気が汚れているというわけではないがかといって綺麗というわけでもない。

「お兄様。深呼吸してみませんか?」

 けど、こんなにはしゃいでいるみなもを見るのは久しぶりだから突っ込みは無粋というものだろう。

「すうーーーっと息を吸って、はぁーーーって吐くととっても気持ちいいんですよ」
 彼は無言でみなもの真似をする。
「小さいです。もっと大きく」
 みなもの真似をして、口を大きく開いて一気に息を吸い込んでは吐き出す。
 ………朝の冷たい空気が気持ちよく肺腑を刺激する。
 これはいいかもしれなかった。
 朝日を飲み込んでいるような感じで。
「そろそろ朝ごはんにしましょうか?」
 喜びを満喫していたみなもであったが最後の一笑してから、いつものみなもに立ち返る。
「ああ」

 こうして二人の一日は始まった。

 今日の朝食はストーブで暖めたレトルトのシチューという内容だった。
 プラスチックの食器に入れた白くてとろみのある液体を鶏肉と一緒に口の中に運んでいるとみなもが話しかけてくる。
「これからどうなされます?」
「学校にいくが、おそらく新宿に行くことになるんだろう」
 新宿には母親の知り合いという人が住んでいる。
 本当は誰にも頼りたくないところなのであるが、母親から軍資金をもらっているとはいえ、早いところ生計を立てなければ飢えるだけである。
 問題なのは……住民票がないということだ。
 働こうにもロクな働き口はないし、家だって借りられない。みなもがいるのだから養っていかなくてはいけないと大変なことばかりである。
 この世界で彼は単なる16歳の少年でしかない。
「頼るなら、伯母さまをあてにしたほうがよろしいのでは。頼るという点では誰でも同じですし。伯母様もお兄様に会いたがってました」
 新宿にいたところで誰かをあてにすることには変わらない。
 誰かを頼るのであれば気心が知れている相手を頼るほうがいい。他人にはない貴重な材料があるのだから活用するにこしたことはない。
「わかっている……」
 それだけに厄介ごとに巻き込みたくないのだけれど、プライドとどっちを優先するかと問われたら伯母を頼らざる終えない。
 自分一人だけならプライドを守って飢えてもいいが、みなもを飢えさせるのには耐えられないから。
 みなもは口に出しては言わないが、窮するあまりに名誉を地に投げ捨てようなことができないのは十分にわきまえている。

 この世はとかく、めんどくさい。
 
 その気になればみなもと二人で小国の一つや二つぐらいは制圧できる力がある。
 けれど、正当性がない行動に意味がない。
 彼女が喜ぶとは思えなかったから。

 彼女は何のために彼を生かしておきたかったのだろう。
 気持ちが分かるだけに迷いが増える。

 せめて彼女のためにと思いたいのだけれど、己の人生は己の人生であって他人の人生ではない。

「叶うことなら、無人島に行っておまえと二人だけで生活するのも悪くはない」

 彼女が彼の幸せを願っていたとするならば、自分が望む生き方をしてもいいだろう。
 みなもは彼にとっては大切な存在で、同じように大切な存在を大切にすることができなかったのだから、みなもに尽くすのも悪くはないとは思ったのだけど、みなもにそっぽを向かれてしまった。
「こんな腑抜けた生き方を選ぼうとするのだから軽蔑されるのも無理はないか」
 まことにもって惰弱な生き方だと思って彼は自嘲するのだけど、みなもの全身が真っ赤かに火照っていることに気づいていない。
「……そんなことありません。お兄様はわたしにとって大切なご主人様です。軽蔑なんてしてません。どんなことがあろうとも絶対についていきます」
 胸の中で激しく暴れまわる心を懸命に沈めながらみなもは言った。
 見られたくなかった。

 彼の一言で動揺してしまった自分を。
 真っ赤になる自分も
 天井に高く舞い上がってしまう自分を
 喜んでしまった自分を。

「お兄様の言葉は大変うれしいです」
 何よりも大切に思っていていてくれるのがうれしかった。
「ですが、お兄様には幸せにしなければいけないお方がたくさんいるはずです」
 幸せにしなくてはいけない人たちがいるのに、自分だけが歓喜におぼれることはできなかった。
 彼は答えない。
 つらいとはいえないけれど、しこりが残っている問題にみなもは踏み入れる。
「わたしのことは気になさらないでください。お兄様のお傍にいられるだけでみなもは幸せなんです」
 目を潤ませているみなもを前にして、彼は何かを言おうと思ったけれどやめて、ひとまずは現実の問題について考えてみた。

 涼しいが鋭さのある視線をみなもに投げかける。

 この世界は平和である。
 理想郷のように犯罪がまったくないというわけではないが、一人で街中歩いていたら多数の人間に囲まれて身包みはがれるということもなく、一瞬でも気を抜いたら自覚もなくあの世行きということもない。
 ただ、気がかりなことがある。
「私と晶様は見張られてました」
 彼に軽く視線を投げかけられると、それだけで意図を理解したのかみなもは彼と別れてから合流するまでのことを話し始めた。
「晶様を誘拐しようとしていましたが諦めたようです」
 見逃してやると言ったにもかかわらず挑んでいって返り討ちにあった奴に比べれば賢い。
 いずれにせよ、昨日の誘拐は衝動にかられたものではなく、ある種の計画に基づいて行われたことである事がはっきりした。
 今回は防げたけれど、いくら彼だとはいえ次が防げるという保障はない。
「伯母様がどのようなトラブルに巻き込まれているのかこればかりは今はわかりません」
 学園のホームページに乗っているような情報だけでは限界がある。
「けど、この世界にはとても不思議なことがあります。お兄様にもお分かりになられていることだとは思いますが、この世界には実にたくさんのホウズに満ち溢れています。あまりにもいっぱいなので吐きそうなぐらいです」
 この世界に戻ってきて感じたのは、大気の中に酸素や二酸化炭素とは違う物質があることに気づいたことだった。
 あまりにも大量に入っているものだから、来てから数日の間は頭が痛くなったほどだった。
 その事実と彼女たちが狙われることについての関連性が実証されているわけではない。
 しかし、この世界を取り巻く大気の中に取り回し癖はあるが世界の枠組みを変えてしまうほどのエネルギーが秘められているのだから、伯母が学校を経営していることを考えると関連性を疑っておいても損はない。
 もっとも、真っ向から聞けばいいのだけの話なのだけど。
 恐らくは伯母は正直に答えてくれるはず。
 伯母のプロジェクトに関わることを条件として。

 伯母のやる事が風を良い方向に導くのか悪い方向へと導くのかはわからない。
 その流れに入っていいのか彼は迷う。

 彼という存在が彼女たちに害を与えしないかと。

 いくら彼といえど運命には逆らえない。
 でも、関わらなければ介入することはできない。
 観客として傍観するしかない。

 最悪のルートをたどろうとしても、黙って見ているしかない。
 
「……お、おにいさまっっ!?」
 彼の行動はまったく予想していなかっただけに不意打ちになった。
 頭をなでられて、落ち着いてきたみなもの顔色がまた紅潮する。
 みなもは外見通りの年頃の少女のように彼を見上げる。

 あの時の悠璃は、まるで化け物でも見ているかのように怯えていた。
 幼い頃、初めて出会った時も怖がっていただけに喉の奥からいささか苦い笑みがこみ上げてくる。
 彼も、みなももこの世界では化け物でしかない。
 こんな二人を世界が受け入れてくれるかどうか分からない。

 でも、それがなんだというのだろうか。

 自分の立場やプライドなどに囚われて大切なものを失ってはいけない。
 過去をいたずらに嘆くだけで歩みを止めてはいけない。
 己というものを忘れてはいけない。

 思い出せ。
 己にしかできないことを。

「………轍は踏まない」
 瞳に宿るは鉄の意志。
 数万数億の軍勢が攻め寄せてきてもひるむことなく立ちふさがる漢の意地。
 表情こそは穏やかで優しいが一点の曇りもなく1mmものゆらぎもなく、天下を一人で支えきる気迫で目的に向かってひたすらに突き進む男がそこにいた。

「はいっ」

 うれしかった。
 トンネルから抜けて、いつもの彼らしさがもどってきたことが、みなもには自分のことのようにうれしかった。

 
 ▽▽▽▽

 私立芙理衛学園。
 この学校は数え切れないほどの学部を持った大学からいくつもの学部を抱えた大学と複数の付属校からなる巨大な学園である。
 市内の面積の3分の1を占めるほどで、市の基幹産業になっているといっても過言ではない。
 このため、校門をくぐって敷地内に入っても目的の場所に行くまで時間がかかる。
 並木道を滑るように走るベンツの車内で晶はぼやいた。
「あ〜あ、もう学校かぁ……」
 後方の席で晶がつまらなそうに足をばたばたさせていた。
 日頃は普通の子供たちと同じように通学路を歩いて登校していただけに楽できる反面、友達と会話できないのが不満だった。
「しょうがないでしょ。学校に通えるだけマシ」
 当たり前のモノとして受け取ってきたものが、実は様々な奇跡からなる産物であって、ダイヤモンドよりも貴重であること悠璃は思い知らされていた。
 性欲を充足することしか考えていない男たちに輪姦されたり、コンクリート詰めにされて東京湾に沈められることを思えば授業なんて苦痛でもなんでもなかった。
 なんて、ありがたいことなのだろう。
 母親や晶と会話ができることや、こうして学校に通えることが。
 ……とはいえ、人というのは喉元を通り過ぎてしまえば熱さを忘れる生き物だから困難に直面した時に、前に体験した巨大な困難のことを忘れて苦悩するのだろうけど。
「あたしたちはママの子供なんだから、名を辱めないように」

 ベンツは二車線に加えて、路面電車の線路が走る幅の広いストリートを走っていく。枯れ枝だけの街路樹が並ぶその道は学校の敷地内とは思えないほどである。
「うちのママがえらいなんて実感が沸かないよね」
 母親の職業を知らないわけではないんだけれど、世間において一目置かれるほどの立場にいるなんて実感が沸かなかった。
「ママの職業に見合うぐらいのお小遣いをくれたっていいのに」
 否定することができずに悠璃も苦笑してしまう。
 母親が特別だというのは、何も本人だけにとどまらない。
 その影響が家族にも及んでくる。
 送り迎えされているのがその証で、毎日が送迎つきでみんなと同じように単独で帰ることなんてできないと思うと悠璃はちょっぴり憂鬱になる。 
 みんなとは違う。
 彼も周りとは違うことをどう感じていたのだろう。

「いいなあ、おねえちゃんは」
 よっぽど会えなかったのが不満だったらしい。
昨日もぶちぶちと言い続けていた。
「そんな、会ったっていいもんじゃないから」
「そっかなー」
 怖かったといわれても、説明するのが難しい現象は体験するのが一番で口でどんなにいわれても実感するのは難しい。

 そんなこと言っている間に高等部の校舎が見えてきた。
「まったねー。おねえちゃん」
「またね」
 ベンツは昇降口前で止まり、悠璃が降りると小等部へと向かう晶を乗せて、そのまま走り去る。
 走り去るのを見届けることもなく、悠璃は構内に入ると上履きに履き替えるために自分の下駄箱の蓋を開けた。
 中には爆弾……ではなく、封筒が数通入っていて、悠璃は疲れたようにため息をついた。
「もてもてじゃん、悠璃」
 後ろからいきなり友達に話しかけられて悠璃はのけぞった。
「な、成美。おはよっ……」
「修行が足りんなあ」
「ほっといてよ」
 図星なだけに悠璃は憤然とすると、そのまま友人をほっといてクラスへと歩き始める。その後を友人もついていく。
「5枚か……ひところに比べると落ち着いてきたね」
 封筒の内容はいわずもがなである。
 ひどい時には下駄箱を開けた途端に封筒があふれ出るほどで、その時に比べればかなり落ち着いてきた。
 5枚でも大量でも悠璃からすれば、うざいことには変わりない。
「まったく。無駄なのに」
「しょうがないじゃん。男ってばかばっかなんだから」
 今までの反応から推察できるのに無駄な行動をしてしまうのが男の性というものなのだろう。同意を示したところで、友達はにんまりと肘で悠璃のわき腹をつついた。
「な、なによ」
「あんたサッカーU-20代表の太田さんをふったんだって?」
「……う、うん」
 記憶を探り、数日前に校門付近のロータリーで大学生に真っ向から告白されたのを思い出す。
「代表のエースで未来の大スターをあっさりとふっちゃうなんてすごいなー」
「ま、まあね……」
 顔はイケメンの範疇に入り、人柄も悪くはなさそうな感じで、後で調べてみたらU-20代表では不動のエースであり、海外のチームも注目している有望株から求愛されたにも関わらず断ってしまった。
「悠璃らしいといえば悠璃らしいんだけど、あんたの理想はどれだけ高いのよ。ロナウドクラスじゃないと納得しない?」
「なんで、あたしがガ○ャピンなんか好きになるのよ」
「あれ? 悠璃ってキワ物系が好みじゃなかったっけ?」
「違う」
 無視すれば済むのに反応してしまう悠璃と、にやりとする友人。
 どういうわけだか知らないのだけどラブレターが常日頃から舞い込んでくる悠璃であったが、その全てに断りを入れていた。
 取るに足らないような雑魚ばかりではなく、好条件の物件があるにもかかわらずである。
「……ほんと、悠璃の好みって謎よね」
「うん。あたしもそう思う」
 なんとなく受け入れることができなかったのだけど、なんとなくであって、その理由がわからなかった。
 けど、今ならわかる。
 どうしても彼と比較してしまうからで、告白した相手の中に彼を超えるものはいなかった。
 彼以下の人間とは付き合う気にはなれなかった。振られたのであれば考え方はかわるかも知れないのだけど、答えが出ていないのだから妥協する気にはなれなかった。
「でもさ、なんとかしたほうがいいよ〜 そのうち、あんた刺されるよ」
 断り続けているのだから逆切れして襲う奴もいるかも知れない。むしろ、今までその手のトラブルがなかったことが奇跡といえるかもしれない。
「だからといって付き合えとでも」
「そういうわけでもないんだけどね」
「いいもん……」
 悠璃はそっぽを向いた。
 勢いのあまりに墓穴を掘りそうになってかろうじて思いとどまった。
 考えていることがすぐに表に出やすい悠璃を友人は生暖かいまなざしで見やっていた。
「ひょっとして、トモキチが好き?」
「どうしたら、そういう考えがででくるわけ?」
 漂白剤を加えても、こうは白くならないというぐらいに思いっきり真っ白な目に、友達は頭をかいた。
「ちぇっ。はずれか……」
「成美よりも趣味は悪くないとは思ってたんだけど」
「言う様になったじゃん。悠璃のくせに」
「……なんで、あんな万年発情期を好きにならなくちゃいけないのよ」
「だって、あんたはツンデレじゃん」
「違う」
 「まあ、大丈夫か。トモキチが襲ってきても騎士様が守ってくれるから大丈夫?」
 ……さすがにこけることはなかったけれど、悠璃の顔色が一気に真っ赤になった。
「な、なんでそうなるのよっっっ!!」
 否定するが、全身で図星だと言っているようなものだった。
「悠璃を助けたのがどんな奴なのか非常に興味があるじゃない」
 事件に興味を持つなというのが不可能だとはいえ、友人の表情には邪気がありすぎた。
 悠璃の心境を手に取るように把握されている。
「もうっ。知らないんだからねっっ」
 悠璃はただ一つできる行動をとることにした。つまり、教室に向かって速度を速めたのである。
「こーら。まて」
「またない」
 ぷりぷりしている悠璃の背中を友人はにやにやしながら追った。

 こうして、悠璃の一日が始まった。

 芙理衛学園の敷地は五角形になっていて、5つのエリアに別れている。その真ん中はこの都市一番の大きな広場になっており、各エリアの合流地点としてにぎわっている。
 広場を取り囲むようにして植えられている桜の枝は蕾が膨らんでいて開花までもうすぐ。
 若干冷たい風の中を重たそうな音を引きずりながら、旧名鉄美濃町線の馬面な路面電車が走り去っていく。
「情報はインターネットで入手しましたけれど、見ると実際に確かめて見るとでは大違いですね」
 回りを見渡し、彼のコートをつかみながらみなもがつぶやく。
 彼の伯母が経営する学園が世界有数の規模であることは知っていたけれど、空間の広さはヴァーチャルでは知ることができない。
 彼の肩が僅かばかり上下に動く。
 その目は前にある巨大な学内地図を見上げている。
 相変わらず表情はない。
 スタジアムのスクリーンほどの大きさがある地図には学内の諸施設が表示されているのであるが、彼が求めている場所は表示されていない。
 彼の知っている芙理衛学園は何の変哲もない女子高で、構内を路面電車が走っているような巨大な学園ではなかった。
 頭のメモリーに検索をかけているのだけど、数年しか経っていないにもかかわらず、浦島太郎のおとぎ話のような変貌を遂げているのだから、なかなかヒットしない。
 みなもからすれば人に聞けばいいのではないかと思うのだけれど、素直に人に聞けるのであれば正門からではなく、数メートルもの高さがあるフェンスを乗り越えて泥棒みたいな侵入はしない。
 そんなに深く考えることでもない。
 本気で困れば自然と最適な行動をとるのだから。
 と、思考をめぐらせていると彼が口を開いた。
「みなもは初等部に」
「……わかりました」
 たったそれだけであるが、みなもは理解する。

 道行く人々は二人が奇異だと思いつつも通り過ぎていくが、警戒モードに入っていることに気づいていない。

 みなもは肩の力を抜くと彼に向かって微苦笑を浮かべた。
「変な人と思われてまでの装備が無駄になってくれたらありがたいんですけどね」
 暖かくなってきているにも関わらず、軍用のコートをまとっているのは変で、彼とふりふりドレスのロングヘアの美少女とのツーショットは兄妹というよりも美女と野獣で警察に通報されてもおかしくないのだが、彼の凶悪なまでの存在感が見て見ぬふりを強制させていた。
 彼も苦笑を浮かべると、みなもの小さくて華奢な肩をそっと叩いた。
「晶を頼む」
 表情には出さず、口数も僅かであるが肩に置かれた手に込められた想いにみなもは微笑みながらうなずいた。
「不肖伊勢みなも。微力ながらも全力を尽くして、伊勢晶様をお守りいたします」

 みなもは彼が消えたのを確認すると、人目のつかなそうな場所に向かった。
 人の注意が向けられていないことを確認すると、右手を懐に突っ込んではさみを取り出した。 左手で髪を首に近いところで束ねると、切っ先を頭皮に触れるぎりぎりのところに髪に当てた。
 一閃で、みなもの長い髪が切り離され、髪が顔の周囲に散らばる。
 そこに立っていたのは左手に膨大な髪束を持つ、肩までのおかっぱの少女だった。
 手を広げると髪束は離れ、風に乗って散っていくが、光り輝きながら周囲の空気に溶けて消えていく。
 前髪をつまみあげると、根元から切り落としていく。
 ナイフが踊るたびに、赤茶色の綺麗な髪はみなもの身体から切り離され、風に乗って宙をさまようが片っ端から光となって消えていった。
 熟練の板前のようにみなもは自分の髪を刈っていく。
 表情に悲壮感はなく、さばさばしている。

 数分後、みなもははさみを止めた。



 

 みなもの髪は坊主のように切り落とされていた。
 1センチ程度の長さしかない髪は、もはや風を受けてもそよぎはしない。
 豊満な髪で上半身を覆っていた姿はどこにもなく、そこに立っていたのは白いフリフリドレスを着た非常に愛らしい男の子だった。


 伊勢淳子の日常の大半は学長室で過ぎていく。
 なにせ、市の基幹産業にまでなってしまった巨大な学園を運営しているわけなので、年齢の割には若々しい肩にかかる重圧は並大抵のものではなく、仕事の量も半端ではない。
 秘書の立てたスケジュール通りに人にあったり書類を処理していくのだけれど、運営しているプロジェクトがらみで脅迫されたり、娘を誘拐されたことなどで当初の予定からすればだいぶイレギュラーなものになっていた。
 淳子の眼差しはVAIOのtypeSの液晶画面に注がれていた。
 見ているのは学園の警備部からまわされてきた、監視カメラの映像である。
 場所は中央広場。
 常にたくさんの人が流れている広場にあって、学内地図を見つめている二人の姿は非常に目立っていた。
 一人はフリルとリボンがいっぱいついた多段スカートとブラウスに、これまたフリルいっぱいのジャケットを羽織った晶と同い年ぐらいの少女で、赤茶色のウェーブヘアをお尻を完全に覆い隠すぐらいに伸ばしたその姿には匂い立つほどの上品さが備わっていた。
 もう一人は身長が2メートルを超える青年で、慎重の割には細身でルックスも悪くはないが、春だというのに軍用のコートを深々と羽織ったその姿は周囲から完全に浮いていた。第二次世界大戦時のスターリングラードの空気を劣化させずに運んできたかのようだった。
「……あの頃とちっとも変わってないわね」
 苦笑を浮かべつつも、彼を見る眼差しは暖かい。
「あの方が学長の甥御様でしょうか」
 傍に控えている秘書の問いに淳子はうなずいた。
「うん。あの子があたしの甥の伊勢冬威」
 幼少期の頃に確立されたイメージそのままに成長していたから、長年会っていなくても一目でわかった。
「…………とっても凄そうな方ですね」
 T72が乗り込んできたような威圧感には否定的なイメージしか浮かべないのだけど、学長を前にして、その親族を否定するようなことはいえないので結局は曖昧な表現になってしまう。
「冬くんは悠璃を助けてくれたから」
 そう言いつつも悠璃が彼を怖がった理由も理解できた。
 路線を何十倍、いや何百倍にして成長してきたのである。
 どちらかといえば優男系の顔立ちにも関わらず、そうだとは思えない雰囲気は尋常ではない。
「あと十歳ぐらい歳とってくれたら、選挙に出したくなるんだけど」
 一国の総理大臣よりも風格があるのだから、それだけでも擁立してみる価値がある。と軽口を叩いたところで淳子はシリアスに戻る。
「警備に伝えておいて。みなもちゃんを見つけたら学長室にお招きすること。彼女は客人で伊勢家にとっての恩人なんだから」
「わかりました」
「それと何かあったらみなもちゃんの指示に従うこと」
 警備は警備で指揮系統が確立されているにも関わらず他人、しかも素性の知れない人間に指揮権の委譲なんて正気の沙汰だとは思えない。
「あの子はプロだから」
「プロ?」
 みなもは頭のてっぺんからつま先まで何処を見てもお嬢様で、何のプロなのか判別がつかなかった。
「人を見かけだけで判断すると偉い目を見るわよ。冬くんなんて何処からどう見てもその筋の人じゃない。その冬くんについてるんだから」
「その筋って……」
 淳子の言うように彼は何処をどう見てもカタギには見えない。好意的に解釈してもSEALsで軍歴を重ねたマフィアといったというところだろう。
「あの様子だと初等部に行ったみたいだし。どうやら、晶の護衛にいってくれているようね」
 浮ついたような空気が一気に沈静化する。
「現実にお嬢様が誘拐されかけましたものね」
「みなもちゃんと冬くんがいなかったら、青山ちゃんとのんきに会話なんてしてられないし、恐らくは再度の襲撃があると見てるのね」
「あるんでしょうか?」
「最悪の状況を想定するのは常識でしょ」
 もしもの状況をシミュレートして、対策案を練っておくのは常識以前のことである。
 みなもが髪を切り出したのはその直後だった。
「おもいっきったことするわね」
「……はい」
 まず自慢のロングヘアを肩まで切り落とし、それから髪を根元で切り落とし続けるみなもを二人は驚嘆して見ていた。
 もっとも、淳子の顔に意味ありげな微笑が浮かぶ。
「やっぱり、みなもちゃんは只者じゃないわね」
「学長にはわかるんですか?」
「ええ。それと……」
「が、学長なにするんですか?」
 淳子は秘書の腰まで届く三つ編みを乱暴につかむとペーパーナイフでリボンの上から切り落とそうとした。
「あれ? 切れない」
「……ちょっと待ってください」
 秘書が泣きそうになったので、淳子はペーパーナイフを机に置いた。
「ごめんごめん。ちょっと硬さを確かめてみたかったから」
「硬さ?」
「青山ちゃんも髪をナイフを当ててみてくれない? 切れとはいわないから」
 秘書は淳子を目で非難しながらもしぶしぶペーパーナイフを手に取り、淳子がやったように束ねているリボンの上の部分の髪に刃を当てた。
 編んでいるだけに秘書の髪はロープのように硬くなっていて、ペーパーナイフ程度では簡単に切り落とせない。
「……どういうことなんですか?」
 秘書も淳子の悪戯が意味あることに気づく。
「あれだけ量があるんだから、簡単に切り落とせるはずがないじゃない」
「そうですね……」
 一本一本は簡単に切れるけれど、何十万本も集まれば鉄のように硬くなる。
 ましてやみなもの髪の量の多いのだから、切り落とすのは容易ではない。にも関わらず、みなもは一息で切り落とした。
 つまり、刃物の扱いに長けているということである。
 証明されたのは刃物だけであるが、その他にも優れた能力を持っているだろうと思われた。
「そういった意味ではあの二人には実績があると思うのよ。まあ、みなもちゃんだって顔を立ててくれるでしょ。邪魔しない限りは」
 それでも外見からの説得力は乏しかったが、秘書は話題を切り替えることにした。
「甥御様は?」
「対応は同じ」
 内面が見た目に反映されるというのが正しいのであれば、印象だけで彼がどういう人種であるのか証明されている。
 淳子はtypeSの電源を落とすと席から立ち上がった。
「青山ちゃん。スケジュールの調整よろしく」
「ち、ちょっと待ってください」
 淳子がこの期に応じて仕事から逃げ出すことに気づいて秘書は止めに入った。
「なに? 可愛い甥との再会を邪魔しようっていうの」
「そういうわけではないですけど、だからといってさぼる理由にはならないじゃないですか」
「そうじゃなくて、あたしは冬くんと会いに行くの。こんだけ広いんだから闇雲に探しても見つかけられるはずがないじゃない」
「宛があるんですか?」
 秘書が問いかけると詐欺師のように自信たっぷりに言った。
「わかるんだ。あの子が行きそうなところが」

 スピーカーからチャイムの音が鳴り響いて、2時間目が終わる。数学の先生が教室から去ると教室の空気は一気に弛緩する。
 休み時間に入ったことに気づかずに寝続ける奴、友達と談笑する奴もいる中で、悠璃は大きく腕を上げるとそのまま猫のように突っ伏した。
「こらこら。修行が足りんぞ」
「爆睡していた成美に言われたくない」
 半ば寝ぼけた目でにらみ付けられる。
「川島の授業ってつまんないんだもん」
「そんな調子だと留年するよ」
 悠璃の指摘にごまかし笑いを浮かべる成美であったが汗が流れていた。
 そんな友人を見て、窓の外を見ながら悠璃は疲れたようにため息をついた。
 疲れているには何もさっきまでの授業が苦痛だったからだけではない。
「ま、そーやって退屈できるだけでも幸せじゃない」
「それはそうなんだけど……」
 悠璃は非常につまらなそうな顔をしていた。
 教室に入ってからというもの、顔をあわせるたびに誘拐未遂のことをネタにされ続けていた。
 心配されているのはありがたいのだけれど、触れられたくないネタなのでいい加減に放っておいてほしかった。
 なぜ、放っておいてほしいのかわからないのがいらだつ。
 
「ジュース、何がいい? 奢るからさ」
 友人の申し出にも関わらず、悠璃は疑わしい気なまなざしを浮かべた。
「裏なんてないって。悠璃が無事に生還できたお祝い」
 引っかかるものを感じなくもないのだけれど、友人の好意を受け取れないほど悠璃も鈍感ではない。
「ありがと、成美」
「じゃあ、ドリアンジュースでいい?」
「なんでそういうゲテモノ系しかないわけ?」
「冗談冗談」

 成美は一階に降りると、渡り廊下に出ると中庭に面している自動販売機にコインを入れた。
 ボタンを押すと少しのタイムラグを置いて、缶ジュースが落ちてくる。
「いっつも思うんだけど、うちの自販機ってマイナーなのしかないのかなー」
 コカコーラとかファンタとかないのに、メッコールがある捻くれた自販機のラインナップにぶつくさ言いながらドラゴンフルーツジュースとブラジル・ガラナの缶をトレイから拾い上げるとクラスに向かって戻りだした。
「あっ…」
 手が滑ったのか、缶ジュースが手から滑り落ちて地面に転がった。
「あっちゃ………」
 景気がいいぐらいに遠くに転がったの缶ジュースを見て成美は舌打ちする。
 渡り廊下からでは回収できないから、上履きで外にでなくてはいけない。面倒と思いつつも取りに行こうとした。
「落としましたよ」
 不意に声をかけられる。
 誰かが拾ってくれたんだろう。ありがたいことだと思いながら、視線をその人物に向けた。

 ………そこにいたのはケ○シロウだった。

 もちろん本物ではない。
 身長こそは彼らに匹敵するが線は細く、どちらかといえばイケメンに入る顔立ち。モデルとしても通用しそうな感じなのだけれど、その存在感だけで空間を制圧していた。

 彼の身体から漂ってくるのは血の匂い。

 人の声は消え、破壊された建物の瓦礫で大地が覆い尽くされたような世界に立っているような錯覚を覚えるのは、春だというのに季節外れな軍隊仕様のコートを身にまとっているからではないだろう。
 長身であるが普通の人間の範疇に入る背丈なのに、成美には城壁にように大きく感じられた。
 今にも押しつぶされたような圧迫感を覚える。
 山菜取りにハイキングに出たらヒグマ、いやそれ以上の化け物に遭遇したようだった。
 
 思わず後ずさしてしまうが、彼をマジマジと見る。

 彼は襲うことなく、成美の対応が変であるにも関わらず平然としている。

 相手はヒグマでも化け物でもなく、あくまでも人間なのだ。
 その事を言い聞かせていくうちに平静さを取り戻してきた。
「すいません。拾ってくれてありがとうごさいます」
 成美は缶ジュースを受け取った。
「………友人に伊勢悠璃という面白い奴がいるんですけれど、ひょっとして、貴方がその悠璃を助けてくれたかたですか?」
 脈絡がないのは承知している。
 しかし、悠璃から聞いた情報を目の前にいる人物と目の前にいる人物を照合してみるとあまりにも符号する箇所が多くて、成美には彼しか考えられなくなっていた。
 彼は口では何も言わない代わりにうなずく。
 無口ではあるがヒグマとは違って、コミニュケーションが成立することに成美は勢いづく。
「よかったら、悠璃を呼びましょうか?」
 彼は答えない。

 そして、消える。
 
 目を離したというわけではない。
 移動する兆候もなかった。
 にも関わらず、軌跡を追うどころか指一つも動かすような動作すら見せず、忽然と消えてしまっていた。
 フロジェクターのスイッチを切ったように存在感の残滓すら残さず綺麗さっぱりと消滅した現場に立ち会うことになって成美は呆然とする。
 アブダクションの現場を目撃したのかと思った。
 さっき会ったばかりだというにも関わらず、夢でも見たのかと疑う。感覚というには意識に支配されていて、思い込みが強ければ望んだ方向に捉えた情報が歪んでしまうだから。
 しかし、手のひらの缶ジュースの重さが彼の存在が現実だということを教えていた。
 落とした缶ジュースがひとりでに自分の手元に返ってくるはずがない。
 それでも、彼が放っていた強烈な存在感が一瞬で抜けた急激な変化に認識がついていけてなかった。
 彼の正体について興味がないといえば嘘になる。
 しかし、成美には対処しなくてはいけない問題がいっぱいあるわけで必然的に優先順位は下がる。
 さしあたっては教室に戻ることだろう。
 悠璃もジュースを待っていることだろうし。
「あれ? どした?」
 その悠璃が降りてきて、成美の元にやってきた。
 よっぽど急いでいたのだろう。成美を見るなり
両手を膝については犬のように激しい呼吸を繰り返す。数秒のタイムラグを置いて息も絶え絶えな声で言った。
「……何かあった?」
「何かあったって?」
「その、なんというか深海の底に落とされた圧迫感を感じたから着たんだけど」
 途中で消えてしまったから確証を無くして、悠璃は戸惑ってしまう。
「悠璃も感じたんだ」
「何かあったの!? 成美」
 餌を目の当たりにした狼のような悠璃の勢いに押されつつも成美は答えた。
「ケ○シロウが缶拾ってくれた」
「ケ○シロウ?」
「あたしが缶を落として拾おうとしたら、ケ○シロウみたいな人が現れて拾ってくれたんだ。身長は2メートル超えてて、春だってというのに重たそうなコートを着てたな。どうやら、悠璃を救ってくれた人らしい……」
「その人はどうしたの!?」
 食いつきがいいどころの話ではなかった。
「いっちゃった」
「どこにっっ!!」
 激しすぎる反応に成美は気圧される。
「悠璃を呼ぼうかとしたんだけれど、あっという間に消えちゃった。まるで手品でも使ったみたいにさ。そんなわけだから、何処に向かったのかぜんぜんわからんのよ」
 沈黙が訪れる。
 成美の言葉を聴いて悠璃は色々と考えているようだった。
 高い負荷のかかるプログラムを動かしているCPUのように全身から仄かな熱気が立ち上っていた。
 悠璃の身体からあふれ出る想いに成美は圧倒される。
 これほどの熱い想いを抱いたことってあるのかと思わず考えさせられてしまう。
「あとお願いっっ!!」
「ちょっと待て、悠璃」
 止める間もなく悠璃は走り出し、あっという間にその姿は見えなくなった。
 もちろん、行き先が教室ではないのは言うまでもない。
 さっきと同じようにまた成美は取り残される。
 しばらくしてから、頭をぽりぽりとかいた。
「……しょうがないなあ」
 休み時間も残り少なくなっていた。
 悠璃の「お願い」にはさぼりのフォローが含まれている。それは大変なことなのだけど出来るところまでフォローをしてあげようと思った。
 悠璃がここまで必死に、しかも授業をサボリにいくなんて始めてだったからだ。
 もちろん、時間が経つうちに笑いがこみ上げてくるわけなのだが。
「やっぱし、キワモノ好みじゃんわけだ。あんなのが相手じゃ勝てるわけがないじゃない」


 ▽▽▽▽▽


 芙理衛学園の入り口は南端にある。
 ちょっとした町ほどの面積を持つだけに、その正門も大きい。
 環境保護の観点からスクールバスの乗り入れは正門までで、学園各所に張り巡らされている路面電車網との接続点なので朝から夜まで常に人の流れが絶えない。
 校門傍にいる詰め所では警備員が欠伸を上げていた。
 警戒するのが役目だとはいえ、正門を通るのは学生か教職員、面識のある業者たちばかり。初見の人間も見受けられるが学校見物に着た受験生などで危険な人間は見当たらない。
 学長に脅迫文が届き、娘が誘拐されたのだから物騒といえば物騒なのだけれど、今のところは何の変化もおきていない。
 警備員は文字通り警備するのが仕事なのだから、結局はいつもの日常と変わらないわけである。
 昼間が近づいていることもあって、警備員の頭にあったのは昼飯を何食べようかということでもあった。
「おい。吉田、何を食べる?」
「カレーライスでもすっか」
「おまえ、いっつもカレーライスばかりだな」
 一週間も昼飯がカレーなのだから飽きが来るのだけれど、同僚の返事は違っていた。
「悪いかよ」
「いや、悪いとはいわないが。飽きないかなと」
「飽きない」
 潔い返事にあきれつつも警備員は携帯を取り出すと学食に出前のオーダーを出そうとする。
 
 彼らは非日常に対応するものである。
 しかし、日常が続いて非日常なことがおきないと日常に慣らされて本来の役目を忘れてしまう。
 全てのことを惰性でこなせてしまうので、いざイレギュラーなことがおきた際には対応が遅れる。

 男が校門の外からやってきたのは、ちょうどそんな時だった。

 その男は2メートル近い長身にこれでもかもいわんばかりについた筋肉が特徴で、男が歩いている様はまるで巨岩が動いているようであった。
 肩までのセミロングに顎鬚にジーンズというその姿はどう見ても真っ当なサラリーマンのようには見えない。
「おい、どうする」
「……しょうがないだろ」
 警備員はやれやれと思いつつも、あからさまに怪しさをかもし出す男をスルーすることができなくて、誰何に出ようとした。
 その直後、警備員とその同僚は固まった。
 男は丸太のようにでかい腕を前に突き出すと、いきなり、何もない虚空に巨大な物体が現れた。
 それは物干し竿ほどの長さがある棒に、電柱を半分にしたような塊がくっついた武器で、塊の部分にはびっしりとスパイクが密集している。
 現れたその武器を手に持つと片手で肩に軽々と担ぐ男の姿を見て、二人は血相を変える。
「おい。連絡だ」
「……わーってるよ」
 濃厚に立ち込めてきた殺気にあたふたしつつも連絡を入れる同僚を尻目に、警備員は男を見る。
 目線が合わさる。
 男はにやっと笑った。
 地獄に落ちた亡者に喜んで刑罰を与える牛頭馬頭の笑みで、その邪悪さに警備員は憂鬱さを覚えたが、それが最後の意識になった。

 ▽▽▽▽▽ 

 芙理衛学園高等部の校舎から東側に歩いていくにつれて緑が濃くなり、十分も過ぎると林になる。
 深い緑の木立と葉っぱの隙間から漏れる青空がまぶしい空間を行き、やわらかい大地を踏みしめていくうちにやがて建物が見えてきた。

 白く塗られた木造の外壁。
 赤い屋根に中央部分がひときわ高くなって時計台になっているその建物は半ば朽ち果てて、自然の一部となっていた。
 後数年も経てば、すっかり消滅するのだろう。

 その玄関部分に思いかげなくもない人物が待っていた。

 スーツをきっちりと着こなしたキャリアウーマン風の女性は彼の姿を見るなり、にっこりと微笑んだ。
「久しぶり、冬くん♪」
 彼は淳子を見据えてると、周囲を軽く確認する。
 朽ち果ててボロボロな建物と、深い木立に視線をやると表情も変えずに言った。
「娘が誘拐されかかってるのに護衛もつけないとは無防備すぎる」
 淳子ほどの立場の人間がホディーガードをつけないのは能天気を通り越して罪悪なのだけど、淳子には淳子なりの考えがあった。
「そん時は冬くんに守ってくれるから、大丈夫」
「……オレがこなかったらどうする」
 不確実な予測で重大な決断をすることはない。
「冬くんなら絶対にここに来ると思っていたから。違う?」
 彼は答えない。
 淳子は遠くを見るような眼差しで、半ば崩れて中身がさらけだされている白木の壁を見つめていた。
「懐かしいなあ。この校舎が現役だった頃、冬くんと悠璃、それに晶の三人とでよく遊びに来てたじゃない。覚えてる?」
 彼がまだ小さかった頃。
 学校が終わると三人はここによく遊びに来ていた。
 母親たちが学校に勤めていたのに加えて、三人が紛れ込んでも気がつかれないぐらいに広大だったから、入り込んでから母親たちに見つかって半ば連行されるように帰っていったものだった。
「……覚えてる」
 だからこそ、彼はここに来た。
 ここでの思い出は楽しいことばかりだった。
 たくさんある木に登ったり、かけっこしたり、かくれんぼしたり。
 そうやって駆け回って、疲れて、母親たちを待っているのがとっても楽しかった。
「冬くんがいたから心配はしなかったんだけどね」
「安心した」
「なくなっていなかったことが?」
 彼がこの地から去っていった間に、学園は拡大を続け、一介の高校でしかなかったのが町の大半を占領する巨大な学園になっていた。しかし、その一方で母親たちが事務員として仕事していた校舎は役目を終え、手入れもされずに自然へと変わっていこうとしている。
 けれど、彼たちが遊び場にしていた校舎近くの森はそのままの姿で残されていた。
「変わってないわね」
 変わっている。
 あれから数年も経っているのだから身長もずいぶんと大きくなったし、声も変わっている。
「でも、ますば挨拶じゃないの。会うのは本当に久しぶりなんだから」
 でも、基本的なキャラクターは変わっていない。
 何物にも負けずに立ちふさがりつづける剛毅さは昔のままだった。
「おはようございます。淳子伯母さん」
「……うーん、伯母さんか」
 せっかく彼が挨拶しているにも関わらず、淳子は渋い顔する。
「せめて、お姉さまといってほしかったなー」
「お久しぶりです。淳子お姉さま」
 低音で発せられた彼の声はBOSE製のスピーカーのように淳子を揺さぶった。
 完璧だった。
 イントネーションも言葉遣いも滑らかで、名家に数十年も仕えた執事のように精練されていた。
「ねえねえ、お姉さまといって」
「はい。お姉さま」
「もっともっと言って」
「はい、お姉さま」
 彼にお姉さまと言われるたびに嬉しくてたまらない。
 これほどまでに綺麗に「お姉さま」といえる者なんていなかった。
「それじゃ、今度はお嬢様」
「はい。お嬢様」
「うん、いい。すっごくいいよ」
 それだけで逝ってしまうぐらいに気持ちがよかった。
「ごめんごめん。アホなことさせちゃって」
 嬉しさのあまりではあるが、傍から見ればバカにしか見えないことを強要させたことに淳子は謝った。
 もっとも気分を害したようには見えないのだけど。
「美奈美は生きてる?」
「生きてる。最近ではオレが親だと間違われる」
「……ほんと、相変わらずか」
 その様子だと昔とちっとも変わらないのだろう。
 深く突っ込めばそれ以上のことを教えてくれるのだろうけれど生きているのであれば充分だった。
 本題は別のところにあるから。
「昨日は本当にありがとうね。悠璃や晶を助けてくれて」
「……当然の事」
彼はさらりというけれど、その当然のことが極めて至難なことであるのは言うまでもない。
「どうせなら名乗ってほしかったんだけどね。晶、冬くんに会いたがっていたわよ」
 なんて回りくどいことしやがってという顔をしていた。
 あの時、素直に名乗ってくれていれば、ここまで面倒なことにはなっていない。
「悠璃に怖がられたから?」
 彼の存在感というのは尋常なものではない。
 ヒグマがクラスに入って勉強しているようなもので、場の空気を暴君のように支配していた。
「気にしなくてもいいのに」
 おかしくてたまらない。
「悠璃はほんとは冬くんのことがだいだい大好きでたまらないんだから。おかげで彼氏も作らないのよ。そーいうわけだから悠璃は襲っちゃいなさい。あたしが許す」
 とんでもない親である。
「でも、みなもちゃんとはどういう関係? 何処で拾ってきたのか非常に気になるんだけど」
「親父の隠し子」
 にべもなかった。
 淳子には彼が言うようにみなもが彼が妹であるのかどうか疑問なのだけれど、彼が「目で納得しろ」と言っているのだから納得するしかなかった。
 彼の父親であり妹の夫である人物のことについては何も知らないのだけれど、それを言うなら淳子も人のことはいえない。
「冬くんはこれからどうするの?」
 返答はないので淳子は都合よく解釈することにした。
「行く宛がないのならあたしのところにこない? 歓迎するわよ」
「オレを迎えるという意味がどういうことなのか分かっているのか?」
 彼という異質な存在を迎えることについて、どのような悪影響があるのかわからないのだけれど、淳子は厳しい顔で言い放った。
「あたしの事よりも自分とみなもちゃんの心配をしなさい。冬くんはどうやって食べていくつもり? 住民票、ないんでしょ」

 
「伊勢みなも様ですね」
 みなもが初等部前の電停から降りると、数人の黒服の男たちに話しかけられた。
「あなた方は?」
 みなもを乗せていた路面電車がノスタルジックな走行音を響かせながら走り去っていくのを待ってから反応する。
「私たちは芙理衛学園警備部の者です。学長が貴方を客人としてお迎えしたいということなのでお迎えにあがりました」
「お勤めご苦労様です」
 みなもの上品な笑みに黒服たちは一応に心を揺さぶられる。
 決して楽な仕事ではないけれど、充分に報われたと思える素敵な笑顔だった。
「ですが、お兄様と合流するまで待ってもらえませんでしょうか」
 みなもの返答を聞いて、黒服たちは顔を見合わせるとしばしば話しこんだ。
 黒服たちとしては役所仕事的にとっととみなもを学長のところに連れていきたいのだけど、淳子からの指示があるだけに無理強いはできない。
「みなも様は何をなされたいのでしょうか?」
 しばらくしてからチーフと思しき人物がたずねてきた。
「晶様の護衛です」
 返事に黒服たちは神妙な顔で考え込んでしまう。
 彼らの目の前に立っているのは10歳ぐらいの少女で、その印象はあくまでもたおやかであり、箸よりも重たいものを持ったことがなく、持たされる必要もない品のいい美少女だった。
 ガードされることはあっても、護衛として勤まるのかどうか甚だ疑問だった。
「護衛なら、ついておりますが」
「私の出番がないといいんですけどね」
 済まなそうにするみなもを見ると黒服といえど罪悪感に駆られてしまう。
「いや、お気持ちはうれしいです」
 外見が外見だけに軽く見られるのは宿命だろう。
 内心で苦笑を浮かべるみなもであったが、その苦笑が凍り付いていた。
 
 ………何かがみなもの頭蓋を貫通して通りすぎていった。

 巨石のように大きい気と内臓を気味悪く撫でていく殺気はとっても馴染みのある感覚。

「どうしました?」
「いえ、なんでもないです」
 動揺を鎮めながら状況を分析していく。
 それは流星のように上空を通過していった。
 ほんの一瞬でしかないが、方向が重要だった。

(あの気は……ダンデルロプス?? まさか……)
「こちら、オスカー1」
 リーダーが持っていたトランシーバーから突如、通信を求める声が入ってきたのでリーダーが応答する。
 スピーカーから漏れてきたのは衝撃的な言葉だった。
「学園に不審者乱入。正門の詰め所が破壊された。不審者の所在は不明。不審者の所在は不明」
 ありえないとみんなが思い込んでいたことが発生したことを告げられて、黒服たちに衝撃が走る。
「足取りがつかめないとはどういうことだ」
「対象の速度が速すぎて補足しきれないんですわ」
 リーダーの問いに答えたのは警備部本部ではなく、みなもだった。
 子供がいい加減なことを言うなとばかりに目線がきつくなるが、みなもは平然と続ける。
「学園にUNKNOWNが侵入したようです。目的は重要人物の殺害、ならびに芙理衛学園の失墜でしょう。恐らくは初等部に向かっているのでしょう」
 リーダーはみなもに食って掛かりそうな態度の部下を目線で抑えながら話を続けた。
 みなもの分析が的確だからだ。
「晶お嬢様を殺せば学長にとっても大きな衝撃にもなるだろうし、初等部の子供たちが多数犠牲になれば評判はガタ落ちだな」
 引責辞任も避けられないだろう。
「ですから、貴方たちは子供たちの避難誘導にあたってください」
「避難誘導って、UNKNOWNはどうするんだ?」
 黒服の役目は黴菌に対する白血球のように侵入者を排除するのが目的である。にも関わらずみなもは放棄せよという。
「残念なことですが、あなた方ではUNKNWONには勝てません。無駄な人死を増やしたくありませんから」
「ちょっと待て。それはどういうことだ」
 黒服の中でも血気盛んな奴がみなもに食ってかかりそうになるがリーダーが抑えた。
「キミはUNKNOWNを知っているのか?」
「ええ。残念ながらというところですが」
 みなもはくすりと微笑んだ。
「UNKNOWNの迎撃は私が行います」
 みなもは走り出す。
「…おい、ちょ…」
 黒服たちはみなもを止めようとしたが、声を発しかけた時には既に100以上も離れていて、空を切り裂き、土ぼこりを四方八方に撒き散らしながらあっという間にみなもの姿は見えなくなっていた。
「チーフ……」
「ああ」
 緊迫している場面にも関わらず、黒服たちは唖然としていた。
「あの子はいったい……」
「…さあな」
 学長から「非常時にはみなもの指示に従うように」という命令を受けた時、正気を疑ったものだったが、よほどの無能でない限り、上司の命令には一定の妥当性があるのである。
 見た目はドレスを着た男の子のような女の子なのであるが、気がつくとみなもの命令に従っている自分たちがいた。
 自然にそういう流れになっていた。
「どうしますか? チーフ」
 UNKNOWNをあの子だけに任しておいていいのか非常に不安になる。見た目で判断するのであればとてもじゃないが対処できそうにないし、もしも多数の犠牲者を出した場合には非難は計り知れないものになるだろう。
「とりあえずは学長の命令に従っておこう」
 みなもはUNKNOWNを知っているようだった。
 自信たっぷりというか、自然に言い切られてしまっているのだから彼らが挑んでも返り討ちに合う可能性は高いのだろう。

 この時、初等部のグラウンドでは分割して、クラス対抗別の球技が行われていた。
 1組の男子が数人、ボールを回しながら攻めあがっていたがセンターラインのところでショートカットの女の子によってボールをカットされる。
 前がかっていたので、手薄になっていた陣内を女の子は快調にかっ飛ばしていく。
 二人ぐらい残っていたDF役の男子が女の子にスライディングをかけるが、あっさりとかわされる。
 最後にはキーパーと1対1になって、突っ込んだキーパーの動きを見切ってかわすと、後は余裕を持ってゴールに流し込むだけだった。
 ホイッスルが高らかに響く。
「やったねっ♪ 晶ちゃん♪」
 晶がゴールを決めると数名の女子が駆け寄ってきてはじゃれあった。
「やったね。ハットトリック、ハットトリックっ♪」
 公式戦でもなんでもないんだけれど、それでも得点を決めたのはうれしいことである。
 その一方で得点を決められたキーパーやDFなどの男子はふてくされていた。
「ちっきしょう。なんであいつばかり決められるんだよ」
「……ったく、むかつくなあ。女のくせに」
「その女に負けているのは、何処の誰なの?」
 男子のぼやきに一部の女子が反応したことから言った男子は立ち上がるとその女子を締め上げにいこうとする。
「なんだと、てめぇっっ」
「口で負けたからといって、手を出すなんて低脳ですね。幼稚園からやり直したほうがよろしいですよ」
 男子も男子だけれど、火に油をかけるような言動をする女子も問題だろう。
「二人とも抑えて抑えて」
「……おい。喧嘩はよそうぜ」
 一触即発のムードになりかけたので、間に晶と男子数人が入って仲裁に入る。
「麻奈ちゃんってば爆薬投げるようなこというのはやめなよ」
「バカをバカといって何が悪いんですの?」
 晶は女子に向かって注意をするが、女子はまったく聞き入れる様子はない。
「でもさ、言いすぎだよ」
「晶ちゃんは侮辱されて腹が立たないんですか?」
「侮辱?」
 まったく意識していなかった。
「「女のくせに」の何処が侮辱じゃないんですか?」
「……ぜんぜん」
 男子の言っていることはセクハラと受け取られかねない言葉があるが言っている本人が気にしてないんだから女子の憤りも空回りしてしまう。
「晶のチームが勝ってるんだから」
 女のくせにと言われても、その前に晶がハットトリックを決めている現実があるんだから腹が立ちようがない。
「晶。次こそは絶対にてめぇをぎったぎったにしてやるんだからな」
「おうっ。でも、返り討ちにしてやるんだからねっ♪」
 仲間たちの仲裁を受けて落ち着いた男子が改めて宣戦布告をし、晶は笑顔で返す。
 その様子を見ていた担任がやれやれといった表情で試合を再開させようとする。

 轟音と共に何かが空から降ってきた。

 それはグラウンドの真ん中に着地する。
 反動で大地が割れ、土砂と土煙がもうもうと湧き上がる。
 突然の出来事に戦々恐々とする先生や子供たち。次第に彼らは恐怖によって身体が硬直していく。
 落ちてきた、土煙の中のそれは巨石のように大きくかった。
「……外したか」
 そして、煙が消えて現れたのは小山のように大きな巨漢だった。
 3メートルに近い巨体を覆う筋肉の装甲。
 シャツやジーンズの内側から、それぞれが別種の生き物であるかのように盛り上がり、パーツのラインや無数に刻まれた傷跡が表情のように見えた。
 肩までの長髪に顎鬚という容姿は粗野。
 何よりも周囲に恐怖を撒き散らしているというのは肩に担いだ武器の存在だった。
 物干し竿のような長い柄に、電柱を半分に切ったような円柱をくっつけたような武器で、円柱部分には隙間なくびっしりとスパイクが生えている。
 モーニングスター、更に細かくいえば中国の長兵器である狼牙棒なのだけれど、錘にあたる部分が巨大で破壊力増大を狙っているのが特徴である。
 このままで巨大だと取り回しに支障が生じるのだけれど、丸太のように太い腕がしっかりと狼牙棒を支えているのだから問題はないのだろう。
 見た目からして凶悪な上に強烈な殺気を放っていて、グラウンドのみならず初等部校舎一帯をその威だけで制圧していた。
 一歩踏み出すたびにグラウンドがかすかに揺れ、地響きが轟く。
「まあ、いい」
 男は凶悪な笑みを浮かべると、狼牙棒を天高く突き上げた。
 すると、狼牙棒が光輝いてくる。
 何かのエネルギーを吸い込んでいるかのように音がして、狼牙棒の輝きが増していく。
 吸い込みが終わった時、待っているのは破滅だと想像ができる。
 けれど、男の存在が放つ濃厚な殺気に身動きすることが叶わず、時を浪費するしかなかった。
 全身を縛り付ける恐怖は相当なもので、誰もがこのままの状態で最後を迎えると思われた。
「……まて」
 か細く、震えてはいたけれど力に溢れた声が、時間を止める。
 男は狼牙棒を下ろすと声の主を見た。
 鋭い視線の先にいたのは晶だった。

 男の全身から絶えず放出されているプレッシャーに晒されて身体が震えていたけれど、それでもちゃんと二本の足でグラウンドを踏みしめては男をにらみつけていた。

「おまえが狙っているのは晶さまだろ……」

 ほとんど反射的に決断していた。
 本能といっても良かった。

 姉や母、周りから誘拐の話を聞き、自分もターケッドになっていること。これが最後ではない可能性も知らされていた。
 ターゲットにされているのが自分だということが晶には理解できていた。

 怖いといえば怖い。
 本当は逃げ出したいぐらいに怖い。

 でも、晶はあくまでも対峙する。

 伊勢淳子の娘として、母親を辱める真似をしたくなかった。
「狙うんなら晶だけを狙えっっ!! みんなを巻き込むなっっっ!!」
 みんなを巻き込みたくなかった。
 逃げ出そうとしても、この男から逃げることができない。物凄い幸運があって逃げ切れたとしてもたくさんのクラスメートや先生が死ぬだろう。晶はこれからの人生を悔恨と共に歩んでいくことになる。それは死ぬことよりもつらかった。
 どうせ死ぬのであれば、みんなが生き残れたほうがいい。
 それ故に、魂が揺さぶられるほどの恐怖が襲っていてこようとも、みんなが目線で「逃げろ」といっていても、この男に勝てる可能性なんて微塵もないとわかっていながらも叫ばずにはいられなかった。
「だから、晶とだけ戦えっっっ!!」

 男はじっと晶を見つめている。
 体操着にまだ蕾すら生まれていないスレンダーな身体を包んだショートカットの女の子を見ていると、全身から力が抜けた。
 脱力したのではなく、リラックスしたような抜け方。
 プレッシャーが消えていた。
「まだ幼いのに胆力がある。チョウジョウの身内だけのことはあるか」
 有無を言わさずに殺しに行くかと思っただけに、聞きなれない単語に自分を関連させていくような男の口ぶりに晶は戸惑った。
「よかろう、オレと貴様で決闘だ。名を聞こうか」
 そのちっちゃな勇気には敬意を。
「名を聞く前に、そちらから名乗るのがルールだぞっっ!!」
 再び湧き上がるプレッシャーに気圧されながらも止まらない減らず口に男は苦笑を浮かべる。
「オレはボルチギィ王机下のヴォガトゥリが一人、ガーゾ」
 晶はきょとんとしている。
 わかっていた。
 並び立てた単語が、この場にいる者たちには理解できないことが。
 それでも、ガーゾは言わずにはいられなかった。
「ほれ。名を名乗ったぞ」
 現実に戻されて、まごつきつつも晶は名乗った。
「芙理衛学園初等部4年3組、伊勢晶」
「いい名前だ」
 男は笑う。
 もちろん、野獣が笑ったようなもので傍目から見れば怖い以外でも何物でもないのだけれど、晶はこの男に人間味のようなものを覚え始めていた。
 黙殺してよかったにも関わらず、
 しかし、思考は頭上から振り落ちてくる何かによって中断される。
 見えなかった。
 無造作に地面についているだけだった狼牙棒が晶めがけて振り下ろされるまでの動きが。
 それは業務用の冷蔵庫が高速で晶めがけて落ちてくるようなものだった。
 恐怖で足が動かない。
 いや、たとえ動けたとしても晶には避けることができなかった。
 晶の身体よりも大きい狼牙棒の本体と、びっしりと生えているスパイクの牙のような煌きが、伊勢晶という人間が最後に見たものになるはずだった。
 狼牙棒が伊勢晶をぐちゃぐちゃにひき潰された肉塊へと変えようとした刹那、晶のちっちゃい身体が横方向に飛んだ。
 コンマ数秒を遅れて、狼牙棒が晶がいた地点を通り過ぎて、地面に巨大な穴を穿つ。

 死ぬかと思っていたが、死なない代わりに宙を飛んでいた。
 誰かのぬくもりを全身に浴びて。
 そっと、声をかけられる。
「勇気は立派ですけど、無茶はだめですよ」
 聞き覚えのある声だった。
 ココアのように甘くてやさしい声は昨日、友達になったばかりの女の子の声。
「みなもちゃんっ!?」
 晶を救ったのはみなもだった。
 低空でこの場に進入したみなもは、狼牙棒が晶を叩き潰すすれすれのところで抱きかかえながら飛んだのである。
 みなもは短い飛行の後にグラウンドに足をつけて一発で反動を殺しながら着地すると、みなもの印象の激しい変化に戸惑う晶を地面に置いてから、守るように振り返った。
「お二人の決闘を邪魔するような形になって申し訳ないのですが私に代わってもらえませんか? こんなにも力の差があっては卿も面白くはないとは思いますが。 ガーゾ卿」
 みなもが現れたのを見て、男はにやっと笑う。
「これはこれは、神姫さまがお相手してくれるとは光栄なことで」
「では、了承と見てよろしいでしょうか」
「神姫様のほうが少しは楽しめそうだからな。それにしてもさっぱりしちゃって、どういう風の吹き回しだ? 性転換でもしたのか?」

 悪意があることはいなめないけれど、坊主に近いところまで髪を切り落としてしまったみなもが男の子のように見えてしまうのは事実だった。
「こんな時でもない限り、イメチェンをはかれないんですもの」
 髪があるかないかぐらいに短くなっていても、貴婦人らしく見えるのが不思議だった。
「ボルチギィ王の配下として勇名を馳せたのに、いたいけな子供たちを殺すところまで落ちぶれるよりはマシです」
「オレを路頭に迷わせたのは何処のどいつだ」

 礼儀正しいが痛烈なみなもの皮肉にガーゾは激烈な反応で返す。
 今まで溜めていた鬱憤をぶつけるかのようなガーゾの眼光は凄まじいもので、ふくれるほどの殺気と憎悪を前に心臓の弱い人間なら発作を起こしていたのかも知れない。
「……退いてもらえませんか」
 涼しい顔でスルーするみなもも只者ではない。
「なあ、晶。あの子はお前の友達か?」
 晶とガーゾから、みなもとガーゾの対決に推移してしまった状況の中で男子が晶に話しかけた。
「うん。みなもちゃん、晶の友達」
「じゃあ、あの二人が何話してるのかわかるか?」
 二人は日本語ではない言葉で会話している。
 英語らしいのだけれど、大抵の日本人には外国語イコール英語なので断定できるはずもなく、当然のことながら意味なんてわかるわけがなかった。
「退くだと?クラッキになれるチャンスをみすみす逃すかよ」
 意見を鼻で笑われるとみなもの態度が変わった。
 微笑がやさしいというよりは皮肉っぽいものへと変わる。
「卿は長城王に匹敵するほどの実力があると言いたいわけですか?」
「その通り。おまえであの野郎を撲殺できたらどんなに気持ちいいだろうな」
「妄想を語るのは自由ですが、その前に私の主人たる資格があるのか示していただかなくてはなりません」

 みなもは左右の手をそれぞれの懐に突っ込むと、ナイフを取り出し構える。
「好いてくれたらそんなしちめんどくさい試練なんていらないんだが」
「残念ですが徳行では殿下の足元も及びませんわ。及ぶのでしたら、こうして戦うこともないですから」
「……その減らず口をあえぎ声へと変えさせてやるぜ。余計にあいつを叩き潰したくなってきた」

 ガーゾも竹刀を持っているかのように狼牙棒を上段に構えると二人の間に緊張が満ちる。
 互いに向けられる鋭い眼差し。
 全身から迸る熱い気迫と殺気。
 空気はほんの短い時間で弾けた。
 裂帛の気合と共に振り下ろされる狼牙棒と二本のナイフが空中が激しく火花を打ち鳴らしながら交錯し、弾けた。
 強烈な反動を受け止め切れず、いや反動に乗っかるようにみなもの小さな身体が後方へとサッカーボールのように弾け飛ぶ。
 みなもめがけて、狼牙棒を振りかざしながら飛ぶ狼牙棒。
 しかし、みなもは地面に片足を接地させるやいなや、足首をしねらせ反動を前進する力に変えて
ガーゾめがけて飛んだ。
 コンマ単位で縮まっていく二人の距離。
 狼牙棒の範囲までみなもが接近したと思った瞬間、みなもの身体が正面、右、左と三つに分裂する。
 本体は一つなんだろうけれど、見分けがつかない。
 ガーゾは本体を見定める愚を冒さなかった。
 狼牙棒を水平に置くと回転する。
 速度はほんの数秒で音速を突破、巨大な独楽から生まれたソニックブームが撒き散らされ、校庭に置かれた遊具が紙くずのように破壊され、校舎の校庭側に面した窓ガラスが軒並み破壊される。
 空中で生まれた大渦はランダムに空間をさまよう。
 みなもの姿は消えていた。
 大渦に飲み込まれたかのようだったが、誰もがそう思った直後、みなもはガーゾの真上にあられた。
 みなもはガーゾめがけて落下しながら、ナイフをガーゾの肩めがけて突き下ろす。
「ちぃぃぃーーっっ」
 ナイフの切っ先が髪が触れるすれすれのところで、ガーゾは丸太のように太い腕を頭上に回してカバーする。
 ナイフの切っ先がガーゾの筋肉に触れて火花が立つ。
 耳を劈く金属音と岩のように硬い感触は決して人の筋肉を刺すような感覚ではない。
 1ミリも突き刺すことができたのだろうか。
 カバーが間に合うと判断するとみなもはナイフで突き刺すことに固執しなかった。ナイフの切っ先が弾かれるに任せつつ、全身を回転させながら回し蹴りを繰り出した。
 みなもの足が頭をガードしているガーゾの腕に当たり、一瞬、腕の筋肉に深く食い込んではガードごとガーゾごと吹き飛ばした。
 お嬢様のような優雅さで着地すると、再び構えを取る。
「以前よりも腕を上げましたね」
 タイムラグを置いてガーゾが着地する。
「……さっきので決着がつけられると思ったんですが」
「てめえこそ何者だ」

 みなもは決定打を与えられなかったことを残念がっているが高望み過ぎというものだろう。ガーゾからすれば自分の半分以下の背丈しかもたない女の子に主導権を握られているというのは屈辱だろう。
「神姫ですから」
 言外に舐めてもらっては困ると言っていた。
「へらず口を叩けるのも今のうちだぜ」
「でしたら殿下よりも強いと証明してもらえませんか? 口先ではなく実力で」
「ぬかせっっ」

 言葉での応酬の後、二人は再度、激突する。

「すごー………」
 二人が激突する様を晶は呆然と眺めていた。
 なんて、お嬢様然とした少女が巨岩のような男と互角に渡り合っているのである。
 無論、ガーゾもただの木偶の坊ではなく狼牙棒を振り下ろすと見せかけ途中から軌道を強引に変更して薙ぎにいったりとか、三段突きを行ったりとか芸のあるところを見せたりするが、いかんせんスピードではみなもに凌駕されていた。
 マシンガンを連射するような勢いで繰り出される突きを掻い潜りながら、ナイフを突き立てる。
 一発一発は致命傷にならないが、次第に切り傷が増え、ガーゾが高速機動するたびに流れる血が霧となってコントレールを牽くように流れていく。
「すげーなー………」
 男子も呆然と戦いを見入っていた。
 戦況はみなも優位ではあるが圧倒しているわけではない。
 やはりスピードに比べてパワーが劣ることと、体格差があまりにもありすぎ、深く踏み込めないからである。
 踏み込めばそれだけ強い衝撃を与えることができるが、捕捉される確率も上がる。
 捕まると最後だからみなもでも一撃離脱に徹せざるおえなかった。
「麻奈ちゃん。どうしたの?」
 勘ぐらずには居られない昨今の格闘技とは違って、筋書きも八百長もなく真っ向からぶつかりあっている二人の戦いに男子はすっかり興奮していたが、麻奈は軽蔑しているかのように冷ややかだった。
「……なんか、むかつく」
 何がむかつくのか分からないのだけど、本気でいらだっているようで、とてもじゃないが聞ける雰囲気ではなかった。
「お嬢様っっ!!」
「あ、小島さん」
 ようやく知り合いのボディーガードがやってきた。
 一瞬、横目で二人が戦っている様子を見るがすぐに視線を戻すと手を広げて三人を押し出すようなしぐさを見せる。
「お嬢様、ここは危険です。逃げてください」
「え、なんで……」
 黒服たちによる避難活動が始まっていて、迅速且つ的確な指揮の下、多少の混乱はあるものの正常に行われていた。
 促されて、三人もしぶしぶ下がり始めた。

 甲高い金属音が響いた。

 
 ▽▽▽▽▽

「仕事なら、いいのがあるんだけど♪」
 淳子は歌舞伎町の裏通りで危険な仕事を持ちかけるようなバイヤーのようで、巨大な学園の支配者のようには見えなかった。
「晶と悠璃、ついでにあたしも守ってほしいんだ。ほら、ボディガードは雇っているんだけど、冬くんがついてくれるんなら安心できるんだもの」
「……なぜ、安心できると思う?」
「見た目」
 彼の眼差しがあきれたようなものになったので、淳子は捕捉を入れる。
「冬くんと美奈美が今まで何をしてきたのかは知らない。でも、どんな生き方をしてきたのかはわかるんだ。いや、匂ってくるというのが正しいのかもね」
 わかる人にはわかるのだ。
 彼の身体から仄かに血の匂いが漂ってくるのを。
「………オレは悠璃たちから離れているべきだ」
 彼は人とは違う化け物であることを理解していた。
 だから、親しい人たちから離れようとした。
 虎になってしまったら人の世界では生きていけないから。
 いるだけで傷つけかねないから。 
 大切だからこそ、離れていようと思った。
「そういう考え方しない」
 無表情の軍人然とした男の頭を半分にも満たない背丈の女性が頭を撫でているのは壮観かも知れない。
「冬くんは化け物かも知れないけど、あたしにとっては大切な甥なんだから。そのことだけは絶対に変わらない。そうでしょ」
 虎であれ人であれ、鬼であれ悪魔であれ、姿は変わることはあっても本質は変わることはない。
 彼がどんな代物であれ、愛すべき存在だった。
 彼女だけではない。
「晶も冬くんが帰ってくること待っているんだし、悠璃だって……あの子だって帰りを待ってるんだから。ちっとも素直じゃないんだけど」
 みんな愛していた。
 背が大きくて、ぶっきらぼうで
 超然としながらも優しかった彼のことを。
 最後には笑顔になるけれど、あくまでも彼の態度は変わらず素っ気がない。
「……何をたくらんでる?」
 感情にはとらわれず、あくまでもリアリスティックに事を進めようとする。
「たくらんでいる? やだね。冬君に含むところなんてないわよ」
「晶や悠璃が狙われる原因を知りたい」
「知りたい?」
 表情こそ変わらないように見えるが、僅かな変化が見られていた。
「教えてもいいけど。分かっているわよね」
 わかっている。
 教えてもらうことと引き換えに淳子が進めていることに巻き込まれるということ。
 知ってしまったら、好む好むまいと関わらず他人事ではいられない。
 彼は再び口を閉じ、考え込む。
 沈黙の時間は長いが、彼の口から返事が返ってくることはなかった。

 二人に向かって、高い場所から何かが高速で打ち込まれてくる。

 死がコンマ単位で迫ってくるにも関わらず、彼の態度にも、行動にも変化はなかった。

 ▽▽▽▽▽

「……おい」
 旧校舎から約1キロ離れた大学部の校舎の屋上で男が途方にくれていた。
 傍らには発射を終えたRPG-7の本体が転がっている。ラッパ状になっている尾部からはバックドラフトの名残である熱気が僅かに立ち登っていた。
 戦車に当てるのであれば1キロという距離は長すぎであるが、相手は複合装甲で鎧われた戦車ではなく、筋肉と水分だけの存在である人間を粉砕するのに鋼を貫く貫通力はいらない。
 正確性は広範囲に攻撃することによって補いがつく。
 RPG-7から発射されたサーモバリック弾頭によって片がついているはずだった。
 弾頭自体の破壊力も去ることながら、爆発によって粒子の細かい燃料が霧となって放出。その霧が空気を消費しながら燃焼することによって範囲にいる人間を確実に死に追いやることができるのだから今頃は目標エリアで火災が発生しているはずなのに煙どころか爆発音でさえも響いてこなかった。
 遠くの方から風におって飛行機が地上すれすれでドックファイトを演じているような爆音が響きまくっているというのに。
 不発を疑ったその時、虚空より突然、彼が現れた。
 ………正気を疑う光景だった。
 前触れも何もなく、テレポテーションでもしたとしか説明のしようもない登場の仕方も以上だが、とんでもないのは彼が浮いていたということだった。

 空に。

 鳥でもなく、
 ワイヤーで吊っているということもなく、
 支えも何も無しで、屋上よりも高く、虚空に浮かんでいた。

 左手で軽々とターゲットである伊勢淳子を小脇に抱えながら彼は淡々としていたが、長身痩躯な体格もあいまって、男には魔王のように見えた。

 恐怖というものを擬人化するとしたら彼のようになっていたのだろう。
 
 視界全体に飛び込んできた恐怖に男はなすすべもなかった。
 一瞬、身体が硬直する。
 身体の中で行き場を失った恐怖が叫びという形になって爆発しそうになったが、口を少し開けた時点で再び身体の動きは止まった。
 
 男の身体も宙も浮く。
 見えない100tのダンプカーに衝突したかのように、ひとりでに屋上へと弾き飛ばされる。
 そこは地上4階以上の高さがある空中。
 ニュートンが見つけた法則にしたがって、男の身体は地面へと高速で落下する。
 逃げることのできない現実と未来に恐怖したがまたしても叫び声を上げることはできなかった。
 
 最後に見たのは、弾け飛ばされた男を追ってきた彼の姿だった。

 彼は地上4階以上の高さから地上へと一気に降下する。
 二人に向かってサーモバリック弾頭を発射した男を、彼が全周に張り巡らせた不可視の障壁によって押し潰しながら。
 力場に触れた時点で全身の骨が砕けていたが、重圧を下方向に向けることによって、数百トンの重圧がかかり、地面とサンドイッチにされた男の身体は分子レベルまで分解された。


 血が霧となって流れるが、一部が力場に張り付き、傍から見れば空中に血が散りもせず停止したままという奇妙な状態になっていた。
 彼は男を押しつぶすと再び急上昇を開始、高速で再び旧校舎付近の森へと向かっていく。
 淳子は一連の行動を彼の腕の中で強制的に見させられていた。
 RPG-7のサーモバリック弾頭の爆発を、張り巡らせた不可視の力場に吸収して消滅させると発射した人物を特定して殺到した。
 男の身体が力場によって圧壊していく様をまざまざと見せ付けられた。
 力場がまったく見えないだけに、人体がひとりでに胴体や肩、二の腕や手首といったパーツに分別され、パーツが粒単位に別れ消滅していく様は生々しくて不気味だった。
 こんなのは人間の所業ではない。
 さすがの淳子も震えを止められずにいると彼がぼそっと言った。
「……オレはこういうことができる」
 見えない力場を張り巡らせて弾頭の爆発すら完全に消滅させることができる。
 焦ることもなく、至って淡々と発動させることができたところを見るとこれが全力ではないのだろう。
 恐ろしいのは人を文字通り虫けらのごとく平然と押し潰すことができる彼の神経だろう。
 
 彼のやったことは紛れもない殺人。
 躊躇もなく、情けをかけることもなく平然と人の命を消し去った。
 当然のことながら後悔する様子なんて微塵もない。

 淳子は実感する。
 彼が人間ではなく化け物だということを
 場を制圧する外見もさることながら、その身に核兵器並の破壊力を内包した化け物だということを。
 敵だと判断したなら相手が誰であろうと、女子供であろうが平気で殺せる存在なのだ。

「……あたしの目に狂いはなかったわね」
 化け物に抱かれているにも関わらず、淳子は笑っていた。
「冬くんが化け物で安心した。そうでなきゃ、あの子たちを守れるはずがないもの」
 誰かを殺せるということは誰かを守れるということである。
 護るためだったら敵を殺せるというほどの神経がなければ護衛は勤まらない。
「冬くんは獣じゃない。ちゃんと意思疎通ができる。敵にされなければ怖くなんてない。違う?」
 羆が怖いのはパワーもさることながら、しゃべれないから説得がまったく効かないということだ。
 彼は口が利けるから意思疎通が図れる。
 利がある、あるいはないと判断すれば退くこともできる。
 ましてや大切な存在に手を上げることはない。
 淳子は確信していた。
「どうかな?」
 確信がもろくも崩れていきそうな錯覚を覚えるが、淳子も生気を保っているのが精一杯で彼の表情を見ている余裕はない。
 空気を切り裂く音が遅れて聞こえていることから、物凄い高速で飛んでいるのだろう。
 その割にはビジネスクラスのシートに座っているかのように衝撃がかからないのは、彼がフィールドを張り巡らせているからなんだろう。
 血は未だに空中に留まっていた。

 やがて、彼と淳子は深い森へと降下を始める。


 ▽▽▽▽▽


 何十回目の打ち合いの後、ガーゾは大きく飛びのいて距離を取った。
 すかさずみなもは距離を詰めようとしたが、ガーゾは自身を軸として回転を始めた。
 駒と化したガーゾの回転は音速の壁をテッシュペーパーのようにぶち破り、グラウンドを切り裂きながら、土ぼこりと共に衝撃波と無数の光の棘を四方八方にぶちまけた。
 みなもは表情を僅かに変えると後方に飛びのく。
 一瞬で100m以上もの距離を飛んで初等部校舎傍まで下がると校舎に向かって飛んでくる無数の棘に向かって迎撃を開始する。
 10体に分身するのは驚異的だといえるが、それでも飛んできた棘を払いのけるのには不足していた。
 なぜなら、棘は校舎全体を覆うほどの範囲と密度で飛来してきたからだ。
 両手のナイフを高速で払うことによって、光の棘は消えるが、いかんせん棘の数が多すぎて、処理が追いつかず、いくつかのグループがみなもの迎撃網を抜けて校舎にぶつかろうとする。
 が、激突する直前で、まるで意思を持っているかのように停止すると、それぞれが一塊になっては激しく光りだした。
 みなもを取り囲むように点在している塊に周囲の空気が吸い込まれていく。
 
 みなもはガーゾの意図に気づいたが、既に手遅れだった。

 回転をやめたガーゾが狼牙棒を槍で突くかのように構える。
 その狼牙棒も棘のグループ同様に激しく光っていた。
「これなら認めていただけますかな。お姫様」
 ガーゾがにやっと笑った瞬間、狼牙棒と光の棘から電柱ほどの太さがある極太のビームが中心軸にいるみなもめがけて発射された。
 一瞬のタイムラグを置いて、グラウンドと初等部の校舎一帯は激しい光に包まれた。


 ▽▽▽▽▽

 気がつくと迷子になっていた。
 友人から彼がいたと知らされて飛び出したのはいいのだけれど、森があまりにも深すぎたため悠璃は現在位置を見失ってしまっていた。
 歩いていても歩いても途切れることのない森をさまよい歩くのに疲れ果てて、悠璃は座り込む。
 見知らぬ土地に置き去りされてしまったような孤独感に加えて、森の外から轟く爆音が不安感を倍増させる。
 ママの子なんだからしっかりしなくちゃと言い聞かせても、パンクしたタイヤのように気力が抜けてしまう。
 あの桜の木は何処なのだろうか。
 外の状況がどうなっているのかわからない。
 たとえ、状況を知ったとしても悠璃には何もできない。
 ……会いたかった。
 桜の木の前で別れた彼に会いたかった。
 どんな顔をしたらいいのかわからないけれど、会えば状況が決めてくれるだろう。
「……しっかりしなくちゃ。あたし」
 疲れきった身体に活を入れると、悠璃は歩き出す。
 彼を待つために。
 帰ってくるといった彼との約束を果たすために

 ▽▽▽▽▽▽

 初等部でガーゾが暴れているドサクサに紛れて校舎内に侵入した男たちも、彼が淳子を抱きかかえながら飛んでいることに違和感を覚えつつも、その後を追っていった。
 彼が森の中に消えたのを見て、男たちはほくそえみながら、着々と包囲を固める。

 ▽▽▽▽▽▽

 森の中に悠然と着地すると、小脇に抱えていた淳子を下ろした。
「ありがと」
 長時間、荷物のような抱きかかえられていて、疲れていないといえば嘘になるのだけれど、そうでなかったらとっくの昔に死んでいた。
「区切りをつける」
「……決着じゃないんだ」
 淳子には彼のやり口が想像できたのだけど、微妙な言い回しが気になった。
「みなもが戦っているから」
「強い?」
 大抵の敵なら余裕で倒せることに淳子は気づいていたが、彼は苦笑を浮かべた。
「みなもを向かわせたから大丈夫だと思ったんだが、ヴォガトゥリを出してくるとは思わなかった」
「ヴォガトゥリ?」
 初めて聞く単語に淳子は首をかしげる。しかし、すぐに納得いった。淳子も森に到達する前に初等部の校庭が激しく光ったのを見ていたからだ。
「大丈夫かしら……晶も、みなもちゃんも……」
「相手はみなも。陛下や智也クラスでない限り、みなもを相手にするだけで手一杯なはず」
 断絶をつなげるキーワードがさらりと漏れたが淳子は聞こうとはしなかった。教えてくれるはずがないから。
「みなもちゃんのことを信頼しているんだ」
「クラッキでもない相手に倒されるのであれば、オレのパートナーたる資格はない」
 口調こそ厳しいがみなもに対する信頼が感じられた。
 負けることがないと信じている。
 確信できる相手がいることはすばらしいこと。そういう存在がいることに淳子は暖かさを覚えた。
「見せてもらうわね。冬くんのやり口を」
「あまり面白いものではない」
 彼は淳子との会話を切り上げると、目を閉じて意識を集中させた。
 暗闇の中に浮かぶ複数の光点。
 光点はフレアのように殺意を振りまきながら、周囲に点在している。
 砂浜から星砂を探り出すように、光点の一つ一つを丁寧に探り出すと溜めていた気を放出させた。

 世界が夜のように薄暗く染まる。
 太陽の一部が欠けた。

 轟音と共にRPG-7の本体からラグビーボールほどの大きさの弾頭が発射される。
 10メートルほど空中に飛んだところで固体ロケットに点火、295秒の速度で加速していくが目標のいる森の外苑部分に差し掛かったあたりで消しゴムで掻き消されたように消滅する。
 予想もしない、というよりも現実に目の当たりにしているはずなのに夢を見ているとしか思えない光景に男たちは呆然としてしまう。
 自分たちがどれだけ危険なことをしているのか忘れて。
「A、B、C、D。状況は?」
「こちらA。RPG-7発射しましたが弾頭が途中で消滅しました」
「こちらB、同じく弾頭が消滅」
 森の周囲に展開させた部下たちに状況を報告させたが内容は彼が体験したものとほとんど同じだった。
「全班、弾頭を再度発射」
 タイムラグを置いて了解の返事が返ってきたのと同時に部下がRPG-7への再装填を完了させていた。
「よーい、打てっ」
 森に向かってさっきと同じように榴弾を発射する。
 前後にある安定翼が空気を切り裂きながら、宙を飛んでいくがさっきと同じように森の外苑部分で再び消滅していく。
 ……確認を取るのは必要だけれど、アホらしくなった。
 どうせ部下たちも同じような結果になっているのだから。
「こ、これは……」
 さっきと同じ結果に部下も呆然となっていた。
 男は部下と同じように呆然としたい気分なのだけど、男はRPG-7を他人に撃たせられる代わりに理解できない状況に対応して命令を下さなくてはならない。
 ガーゾという客分との会話を思い出す。

 ガーゾは言っていた。
 男たちにもガーゾがいるように、ターゲットとしている伊勢親子にもガーゾに似たような存在がいるということを。
 気に食わない奴ではあったが、その身にある特別な力は認めていた。
 ガーゾにもあるのであれば、その男も持っていることになる。

「撤退だ。撤退っっ」
 発射された弾頭が何故、消滅したのか理解してしまった瞬間、男は敗北を悟った。

 だが、遅かった。

 遠くの森で彼は目を閉ざし、立っている。
 瞼に閉ざされた網膜の内側で、光点がある配列を持って並んだ瞬間、彼は目を開けると拳を前に、掌を上にして二の腕をやや上に曲げながら突き出した。

 その瞬間、男と付き従っていた部下、それと各所に配置していた部下たちの自由が一切奪われた。
 歩くこともできない。
 指を動かすことができない。
 巨人の掌で握り締められているように全身が圧搾されて、声すらまともに出ない。
 いや、実際に見えない巨人の手に握り締められているのだろう。
 森を包み込んでいた不可視のフィールドが、男と部下たちを包み込むような形で広がったのだ。
 男の位置にあわせて透明の城壁がつらなり、見えない壁に塗り込める。

 いずれにせよ、男たちは身動き一つすらできず、身体が圧力で破壊されていく痛みにうめき、ゆっくりと迫ってくる死を知覚させられて恐怖するしかなかった。
 避けることはできない。
「……た、た、たす…」
 彼の慈悲にすがるしか助かる道はなかったのだけれど、無駄だった。

「爆ぜろ」



 森の中で彼は突き出した拳をゆっくりと広げた。

 その瞬間、張り巡らせた透明の城壁が爆発する。
 塗り込められた男たちも悲鳴を上げることすら許されずに爆砕、砕け散った肉体はコンマ単位で粉末にまで砕け、壁の破片に吸収されるような形で消えていった。

 森を包み込んでいた敵意が全て消滅したのを確認すると彼にすると手を下ろした。
 その時、草を踏む音がしたので彼は振り向いた。
「あっ…」
 そこに現れたのは悠璃だった。

 再びの再会に悠璃の足は止まる。
 表情が強張る。
 
 彼に出会うことを望んでいたのだけれど、様々な変化が立て続けにおきていただけに、目の前の状況に対処するのが精一杯だったというのもある。
 出会うことだけを考えていて、その先の対応をまったく考えていなかったということもある。
 もっとも、考えていたとしてもその通りに行動できるかどうかは怪しかっただろう。
 でも、悠璃には見えていた。
 森の周りに不可視のフィールドが張られていたこと。
 フィールドの爆発によって多数の人間が消滅していたこと。
 現象が悠璃にはおぼろげながら見えてしまっていた。
 そして、現象を引き起こしたのが彼だということに気づいてしまった。

 結果、反応が最初の再会の時と変わらなくなる。
 彼が人間ではなく化け物としか思えなかった。
 しかし、ひとりでに下がりかける足を懸命になって止めて踏みとどまると彼に向かって話しかけようとした。
 その矢先に、彼から何かを放り投げられる。
 あわてて受け止めてから見ると、それは彼が着ていたコートだった。

「…………」

 コートの下から現れた彼の肉体は灰色に塗られた甲冑に鎧われていた。
 つや消し処理をされているのか反射しない甲冑は基本的には西洋の甲冑を模したデザインをしているが全身を隙間無く覆うのではなく、要所要所をプレートでカバーする形式を取っていて、防御力と動きやすさを両立させたデザインをしていた。

「やっぱり」
「ママ?」
 
 淳子が現れたのを見て、悠璃はびっくりする。

「悠璃は大丈夫だった?」
「あたしは……大丈夫だけど、何が起こったの?」
「説明すると長くなるから話は後。でも、大丈夫よ」
 理由は詳しく説明されなくても分かったような気がする。
 淳子は彼に話しかけた。
「いってらしゃい」
 彼がコートを脱いだのは理由は明白だった。
 襲撃者と戦うためである。
 包囲者たちとの戦いは彼からすれば片手間で済むところなのだけど、ガーゾ相手だとそうはいかないということなのだろう。
 彼は視線を悠璃に投げかける。
「……いってきます」
 彼は地面を蹴って、ほとんど垂直に飛び上がる。
 気づくのに遅れて、悠璃はあわてて反応するがその時にはもう飛び上がった地点から加速して、高速で飛び去るところを見守るしかなかった。

 後悔が残る。
 また、下手な対応をしてしまった。
 時間が短かったとはいえ、もっとうまいやり方があったはずである。
 繰り返さないと誓っていた失敗を再び繰り返してしまった。

「帰ってくるわよ」
 悠璃の肩を淳子が優しく叩いた。
「なんのためにコートを預けたと思ってんの?」
 両手が重い。
 トレンチコートであることを割り引いても、それでもかなりの重さがある存在をしげしげと見つめた。
 彼はコートを捨てたわけではない。
 それにまだ約束は果たされていないのだから。
「さーてと、どうなっているのかしらね」
 淳子は大きく伸びをすると携帯を手に取った。


 ▽▽▽▽▽▽

「気分はいいがですかな? 姫君」
 ガーゾの先にはみなもが立っている。
 狼牙棒や棘の集団による光線の十字砲火を受けても、まだ立っていたが、その派手なドレスは焼け焦げ、身体のあちこちに火傷を負っていた。
 ガーゾもあのレベルの攻撃でみなもが死ぬとは思っていない。
 手加減なんてぜんぜんしていない、あくまで本気で殺害を狙っていたが、それでも到底殺せるとは思えず、この程度で死ぬのならいらないと思っていた。
「姫君はお優しい方だ。そんなちっぽけな建物を護るために傷を負うとは」
 むざむざと集中砲火を浴びる羽目になったのはガーゾが攻撃対象を校舎にまで広げたからである。あの時、校舎を無視していればガーゾを倒せていたのかも知れない。
 しかし、みなもには出来なかった。
「ええ。私も損な性分だと思います」
 人の命とは違って校舎はいくらでも再建できる。
 護る義理なんて無いのにも関わらず、条件反射的に護ってその結果、余計なダメージを負ってしまうのだから損な性分だとしか言いようがない。
「チョウジョウはどうだか知らんが、オレや姫君はこの世界の存在じゃない。よその世界で何が起きようと、何を起こそうとかまわないんじゃないのか」
 旅の恥を掻き捨てて何ら恥じることのないガーゾの主張にみなもをそっと目をそむけた。
 深いため息が一つ漏れた。
「……殿下が行なったことを肯定するようなことはいわないでください」
「なんだと……」

 怒るのでもなく、みなもは悲しんでいた。
 ダメージを受けているにも関わらず、哀れみがこもった目で見つめられてガーゾは戦いを忘れて呆然とし、続けて忘れていた疑問を思い出す。
「おい。何故、チョウジョウは皇帝を裏切ったんだ?」
 いくら、みなもでもダメージを短期間で消し去ることができないから。
 当初に比べればましだとはいえ、それでも絶えず全身から痛みが信号となって走っている。
 にも関わらず、身体から自然と不必要な力が抜けてリラックスしていた。
 誰かを護って受けなくてもいい怪我を負う。
 それは人として決して器用な生き方ではないだろう。
 でも、自分の都合だけで動いていたら動物と変わりない。
 みなももガーゾも通常の人間とは比べ物にならない力を持っているのだから、力の運用に関しては慎重でなくてはならない。
 たとえヴォガトゥリであろうとも、世界には他者もいるのだから他者を尊重しないと生きていけない。他者よりも強大な力を持っているのだから己を律しなければいけない。
「知りたかったら私を倒してください。それがヴォガトゥリというものだと思います
 言葉は幽霊のようなものだ。
 実体というものがない。
 力の裏付けのない言葉は鼓膜をくすぐりこそすれ、心には決して届かない。
 言葉よりも拳こそが有効なのだ。
 たとえ、それが友情を結び合うのではなく、力がある者が無い者を従わせるようなものであったとしても。
「……ああ、証明してやるよ」
 ガーゾの全身から闘気が立ち上る。
 立ち上った闘気はガーゾの全身を包み込み、周囲の温度が上がる。
 みなもも目を閉じて精神を集中させる。
 穏やかな表情とは裏腹にカーゾの半分以下の背丈から闘気が立ち上る。
 闘気と闘気は交じり合いながらぶつかりあい、周囲の温度を高めていく。

「逃げたほうがいいんじゃないの」
 一階の教室に潜みながら成り行きを固唾を呑んで見守っていた男子が、一緒に見ていた女子に向かって言った。
 みなもが全力で護ったように校舎崩落に巻き込まれる危険性があったのだけど、それ以上に風邪でも引いたように女子の気分が悪そうだったのが心配だった。
「逃げたいなら逃げれば」
「なんだと」
 心配しているのに木で鼻をくくられたような態度を取られれば反発するに決まっている。
「麻奈ちゃんも大輔も落ち着きなよ」
 体育の時間と同じように二人がにらみ合うので、気が長いとはいえない晶が仲裁に入る羽目になってしまう。
「みなもこそ逃げないとヤバいんじゃないのか? 学長から怒られるんじゃ」
 痛いところを男子に突っ込まれて晶は苦笑いを浮かべる。黒服の指示は母親の命令と同義語だからだ。
「麻奈と大輔がほっとけないんだもん」
 晶の危惧が正しいのはさっきの喧嘩で証明されている。みなもとガーゾがにらみ合っている状態ならまだしも、校舎に向かって砲撃が来た状態で喧嘩されては目も当てられない。
「ほっといてくれてもいいのに……」
「ほっとけないっつーの」
 顔が熱っぽく、死に掛けた犬のように息が荒っぽい人間を放置できるはずがない。
「一緒にいてくれなんて頼んだ覚えはない」
「………」
 女子に凍てついた眼差しで拒否されて晶は言葉を失ってしまう。
「てめぇ、その態度はないだろ」
 親切を拒絶されて落ち込む晶を見かねたのか、男子が憤る。
「せっかく心配してやってるのに」
「心配してくれるからって解決するとでも言うの。私のことなんて何も知らないくせに。それが迷惑だっていうのよ。善意を押し付けるだけでいいと思っている奴らが」
「……おまえなあ」
「大輔、抑えて抑えて」
 男子と女子の板ばさみにあった苦悩する晶。
 その時、みなもとガーゾが再び激突した。

 みなもとガーゾとの間にはかなりの距離があった。
 いくら、みなもといえど一砲撃を加えるチャンスがあった。
 しかし、ガーゾに砲撃する余裕を与えずに長い距離を一瞬で詰めると鳩尾に向かって強烈な一撃を叩き込んだ。
 コンマ数秒の差でガードされてしまうが、ガーゾの巨体が弾丸のように吹っ飛んだ。。
 みなもの外見とは裏腹に重たい一撃だったがガーゾはふっとばされながらも体勢を立て直し、空中で踏みとどまろうとする。
 更に追撃をかけようとするみなもだったが、地を蹴ろうと膝を曲げた瞬間、痛みが爆発した。
 身体がよろけ、左足をついて踏みとどまるが血がかすかに漏れた。
 そんなみなもに向かって飛んできたのは、電柱ほどの太さのある巨大な光線だった。
 回避運動が間に合う間もなく、みなもはとっさに手を伸ばして、掌から透明な障壁を発生させるがそれでも衝撃を抑えきることができずに、みなもの小さい身体は吹き飛ばされた。
 ……さっきの十字砲火のダメージが残っている。
 痛みをこらえながら、宙を蹴ってガーゾに向かおうとするみなもであったが、狼牙棒にびっしりと生えた棘が発光しながら分離するほうが早かった。
 棘はイワシの大群のような密度と量で、空一面に巨大なスクリーンを構成する。
 ガーゾがみなもを見て、嫌味ったらしく笑った。
「己の無力さを呪えっっ」
 狼牙棒を片手で軽く振り下ろすと、巨大なスクリーン状に展開した光の棘が、鉄槌を下すように一気に前進を開始する。
 その先にはみなも、
 続けて校舎があった。
「終わりだ」
 ガーゾは笑った。
 勝利を確信して、笑っていた。

 世界は激しい光に包まれる。

 みなもほどの能力も経験も持ち合わせていないから、三人は校舎を覆いつぶすほどの光の棘が迫ってきてもどうすることもできず、ただ、物陰に隠れて必死になって目を閉じているしかなかった。
 晶の心を恐怖が揺さぶる。
 死なんて遠いものだと思っていた。
 一日として死のニュースが流れない日なんてないが、それが自分の身に起こりうるなんて想像もつかなかった。
 生きたかった。
 悠璃のように青春を謳歌したかった。
 まだ、死にたくなかった。

 しかし、恐怖は暖かいものにくるまれて消えた。

 幼い声が脳裏に響く。
「パパ、だっこだっこー」
 その人は求めに応じて、まだ小さい晶を抱いてくれた。
「たかいたかいしてー」
 無茶な要求だったのかも知れないのだけど、顔が見えない彼は快く応じてくれた。
 幸せだった。

 声は消え、晶は我に返る。
「だいじょうぶだよ」
 身体をくるんでくれる暖かさは今でも続いている。だから、死ぬことはないと確信できた。

 轟音の剣がグラウンド上の空気を切り裂く。

「………なに…」
 光が消える前からガーゾは光の棘のエリアアタックが不発に終わったことを悟らされていた。

 空気の質が変わっていた。

 光が消える。
 校舎は窓ガラスが破壊されてはいたけれど、それ以外には何のダメージもなく存在していた。
 みなもの姿はない。
「温いな」
 みなもの代わりにいたのは彼。
 右手には、いつの間にか全長120センチ以上のある火器が握られていて、右肩に担いでいた。
 後部の膨らんだストック部分や丸みの帯びたデザイン、熱放出用の穴が空いたバレルジャケットなどのフォルムはMG34機関銃に酷似していたが、機関部に弾薬ベルトやドラムマガジンは装着されておらず、MG34なら銃身下に二脚架が供えられているのだけれど、この武器の場合には幅広で片刃の銃剣に置き換えられており、前方に展開している。
「陛下や楽浪王に比べれば軽すぎる。この程度の力でオレを超えられるとは耄碌したか? ガーゾ」
 屈辱以外の何者でもないが、現実に光の棘を高速で打ち出すことによるエリアアタックが、彼の生み出す障壁によって掌を翻すかのようにいともたやすく防ぎきられているのだから返す言葉もない。
 彼がいると空気が様変わりする。ガーゾですら支配から逃れることはできない。
 みなもも強者……というか、みなも以外の人間なら一瞬でミンチになっていたところなんだけれど、彼はガーゾでさえも次元が違っていた。
 あの光の棘がまともに炸裂していたら、初等部校舎は模型のようにあっさりと破壊されていただろう。
 彼は担いでいた武器を下げると、ノーモーションで空中に飛び上がった。
 VLSから発射されるミサイルのように上昇を続ける彼を見てガーゾも後を追った。
 執拗に校舎を破壊しにいっていたのだから、今更彼に付き合って周囲への被害を回避しようと思ったわけではない。
 ビームやスパイクを飛ばすことによって 遠距離攻撃が可能であるが射程範囲では彼の方が遥かに優越しており、その場に留まっていれば反撃できない距離から狙い撃たれるのが自明だったからだ。
 
 高度11000メートルほど上がれば、空の景色は何処に行っても変わらない。
 上にも下にも横にも蒼が続いており、普段は見上げていた雲が遥か真下に存在している。
 彼はようやく上昇を止めると、武器を構えた。その直後、雲を抜けてガーゾが現れる。
 彼とは距離を置いたところに現れると、狼牙棒を中段で構えて対峙する。
 この高さにくれば周囲に被害が及ぶということはない。
「久しぶりだな、ガーゾ。願わくばこんな形で会いたくはなかったが」
「けっ。てめぇには会いたくなかったんだが」

 ガーゾは心底から嫌そうな顔をする。
「てめぇのせいで路頭に迷ったんだぞ。この責任をどう取ってくれる」
「……それは貴様の責任だろう」

 彼の顔に浮かんだのは冷ややかな嘲笑。
 思わず、激怒の勢いに任せて突っかかりになるが、彼の戦闘スタイルを熟知しているだけに辛うじて踏みとどまった。
「戦争で負けたのは貴様の努力が足らなかったからだ」
「なにぃっっっ!!」

 詭弁であることは彼も理解していた。
 一人が頑張っていても根本が間違っていれば負けるし、敗戦の原因は彼にあることも理解している。
「いつから貴様は他人のせいにするようになったんだ。オレたちはヴォガトゥリ、生きるのも死ぬのも自身の責任だ。それが分からぬ貴様にヴォガトゥリたる資格なぞない」
 彼らは戦士である。
 自らの意思で戦場に赴いたのだ。
 生きるも死ぬも、それは自身の責任であり他人に転嫁するものではない。
 ましてや没落するのも自身の責任というものだろう。

 歳は遥かにガーゾのほうが上だが、状況は圧倒的に彼の方が優越していた。

 彼から放たれる気に空間は制圧され、ガーゾといえど押されていたが不意に緩めた。

「それでもとって欲しいというのであれば、取らなくもないが」
「抜かせ」

 狼牙棒から棘が分離され、無数の棘は光り輝きながらガーゾの背後に展開する。光の棘はスタジアムのオーロラビジョンのようなスクリーンを形成し、見ているだけで吐き気を催しそうなほどの密度を誇っていた。
 ガーゾには彼の思惑が見えていた。
 みなもとは違い、彼がガーゾを見逃すつもりがないということを。
「責任を取る? オレの命を取ることの何処が責任だ」
「貴様とボルチギィ王の名が穢れないうちに処分する。安心しろ。痛みを感じる間もなく地獄に送ってやる」

 そういうのを責任を取るとはいわない。
「やれるものならやってみやがれ……」
 彼の気に制圧されていた空間にガーゾの怒気と殺気が満ちる。
 闘気がガーゾの全身を包み込み、冷たい高空の空気を熱帯のように暑くしていく。
 空気が狼牙棒に吸い込まれ、狼牙棒本体と背後に展開している巨大なスクリーンの輝きが増していく。
 ガーゾが着々と大技を放つ体勢を整えているのに対し彼の態度は冷ややかでガーゾの動きを冷静に見極めているようだったが、初めて動きが出た。
 彼が構えていた武器が発光する。
 グリップが消滅し、銃剣が巨大化して両刃の刃が銃口を覆い、槍に近いフォルムになる。
「貴様ぁぁぁっっっ!!」
 遠距離攻撃はしないという彼の意図がが武器の変形で現れたことにガーゾは激昂した。
 白兵戦だけで片がつくと豪語しているしているようなものだった。
「なら卿の力を見せてみろ」
「ああ、見せてやるさ………地獄で後悔させてやる」

 炎のように燃え上がった闘気が消えた。
「死にやがれっっっっ!! チョウジョ……」
 高空は元の身を切るような冷たさを取り戻したかのように見えた瞬間、ガーゾは狼牙棒から極太の光線を発射しようとしたが、それより早く衝撃が文字通り、ガーゾの身体を突き抜けた。

 見えなかった。

 ガーゾが着々と準備しているのに対し、彼は微動だにせず、動き出したのもガーゾだった。
 防がれるにせよ、彼に向かって光線や棘が殺到するほうが早いはずなのに現実にはガーゾがアクションを起こすよりも早く、息が触れる位置まで彼に肉薄されていた。

 いつ動いた?
 いつ迫った?

 ガーゾには分からない。
 
 油断なんてするはずもない。
 彼の動向には常に注意を払っていた。

 にも関わらず、気がついたら彼の武器が胸を深々と貫き、銃剣の刃が背中から外へと突き出していた。
 口から血が吐き出される。
 銃剣の刃は狙いたがわず、ガーゾの心臓を貫通、破壊していた。

 理解できない。
 彼がガーゾに肉薄して武器でガーゾの肉体を貫いた過程を現実のものとして把握することができない。
 何故、こんなことになったのか分からない。

 いや、答えは単純だ。
 
 ガーゾよりも彼の方が早かった。
 ただ、それだけ。

 認めたくなかった。
 確かに、彼はガーゾよりも力が同じ存在なのだから戦略で出し抜くことができれば彼に勝てるだろうと思っていた。

 夜空に手をかざせば月は隠れるが、月を手にすることはできない。

 ガーゾが弱いというわけではない。
 でなければ、彼がこんな高空まで出ることはなかっただろう。

「陛下以外のヴォガトゥリは不用」

 それ以上に彼が強すぎた。
 戦略や戦術の組み方などでは到底、補いきれないほどに力の差がありすぎた。

 ………笑うしかなかった。
 これまで倒してきた雑魚と同じように瞬殺される自分がとってもおかしくてたまらない。
 おかしさが突き抜けすぎてむしろ、爽快だった。

 悔いなんてない。
 惜敗などではなく、本気を出した上でいともたやすく凌駕された完敗だから却って爽快だった。

 死に方にも色々ある。
 病で死ぬこともあれば、交通事故で死ぬこともある。
 もちろん、野垂れ死ぬことも。

「また」
 敵意も殺意もない、短い時間だったとはいえ共に戦った同僚への手向けの言葉に、ガーゾは力なく笑った。
「………じこくで…まってる…ぜ」

 不本意でないといったら嘘になる。
 けれど、ガーゾは戦士として死ねるのだ。
 さんざん暴れ倒すことができた。
 ……最後にガーゾは彼と戦えたことを誰かに感謝した。
 

 彼はガーゾの手に握られていた狼牙棒を奪い取ると、掌を突き出した。
 掌から再び、広範囲にわたって不可視の力場を生み出すと前進させる。
 ガーゾの遺体と生前に展開されていた力場は前進したフィールドに吸収され、飲み込まれるようにして消えていった。

 戦いは激しくも一瞬で決着がつき、蒼穹は何事もなく元の静けさと冷たさを取り戻す。
 汗さえも凍りつく風に揺られながら、彼は額を拭う。

 これが一連の戦闘の終了だった。



 ▽▽▽▽▽▽▽ 



 空いっぱいに激しい閃光を放って目くらましをかけると、彼は再び森の中に降り立った。
 目測を誤ったのか一瞬、意外な顔をすると武器を右肩に担いで歩き出した。
 ほんの微妙な狂いだったのか、ほんの数歩、歩いたところで開けた場所に出た。
 森の中にある広々としたスペース。
 真ん中にぽつんと立つ一本の桜の木。
 枝についているたくさんの蕾は膨らんでいる最中で、春が近づいていることを実感させる。



 その桜の木の下に悠璃はいた。
 両腕に彼のコートを抱えて

 彼に出会って緊張する悠璃。
 顔がほんのりと紅潮するが怖がりもせず、硬直することもなく、笑顔を浮かべられた。
 桜の花のように優しくて安心できる笑顔を

「おかえりなさい、冬くん」

 無言の時間が流れる。
 でも、それは全ての存在を圧殺する沈黙ではなくて、春の日差しのように柔らかくて心地のいい沈黙。

 彼は相変わらず表情を変えない。
 しかし、威圧感が消えているだけで、彼の心理状態が普段とは違うということが理解できるだろう。

「……ただいま」

 重たくて短い一言だったけれど、時が動き出す。
 春になって、雪が解けていくように止まっていた二人の時間が音を経てて走り出す。

 肩に担いでいた武器がそっと草むらに落ちた。

 離れていた糸と糸が結ばれた。

「約束、果たせた」

 言葉を聞いた途端に悠璃の瞳から涙が滲んでは春風に乗って流れていった。
 それでも悠璃は笑顔を浮かべ続ける。
 
 長い時間かかって
 遠い道のりをたどって
 それでも彼は帰ってきてくれたのだ。

「約束する」
「ほんと!?」

「ああ、絶対に約束する」

 滅多なことでは笑わない彼がはにかみながら小指と小指を交じ合わせて誓ってくれた約束。

 その約束がとうとう果たされたのだ。

 悠璃は何もいえなかったけれど、言葉なんていらなかった。
 彼も穏やかに笑っていたりして、満足だった。

 彼の言葉が肋骨の隙間を縫って悠璃の心に突き刺さる。

「……ありがとう」

 感謝の言葉。
 口調こそは穏やかで優しかったが、彼が何を考えているのか分かってしまった。

 彼はこのまま去っていくつもりなのだ。
 思わず立ちつくしている間に彼は落とした銃を拾い上げるとそのまま歩き去ろうとする。

 彼を見た瞬間、身体が一人で動いた。
「だめぇっっっ!!!」
 彼の行く手を阻むと、鳩尾に腕を回してそのままぎゅっと抱きしめた。
「やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだっっっっ!!」
 渾身の力を込めて、装甲に包まれた彼の身体を必死になって抱きしめる。
 恥も外聞もあったものではなかったけれど、必死だった。
「いっちゃやだっっっ!! いかないでっっ、冬くんんがいっちゃうのはやだ。もう離れたくない、離れたくないから約束してっっ あたしと一緒にいるって約束してっっっっ!!」
「……苦しい」
「離れていた間、とっても苦しかったんだから」
「オレは化け物だ」
 彼は人とは違う。
 今は大丈夫でも、いるだけで傷つけてしまう。
「ううん、かまわない。冬くんは冬くんだもん。冬くんには違わないんだもん。冬くんがあたしを傷つけるというならそれでもいい。一緒にいられるのなら、それでいいから……」
 今ならはっきりといえる。

 彼と一緒にいたんだということ。
 彼のいない空白に耐えるのはとっても痛くて悲しいんだということ。
 再び出会えたのだ。

 もう、その大きな手を離さない。
 ぬくもりを感じていたい。
 ……いつまでも、いつまでも。

「もう逃げられないわよ」
 草を踏む音がして、木陰から淳子が現れる。
 彼は気づいたけれど振り向くことはなく、悠璃は彼を抱きしめることに必死でそれどころではない。
「……あ〜あ、泣かせちゃって、責任を取りなさい」
 言葉こそ厳しいが顔は笑っていた。

 彼は、もはや人ではない。
 大切な人を傷つけてしまうから、離れようかと考えていた。

 でも、
 彼が居て欲しいと彼女たちが願うのなら
 彼がいることで彼女たちが笑顔でいられるのなら。

「……可愛い顔を台無しにして」
「誰が台無しにしたというのよ」
 悠璃は顔を見上げてにらみつける。
 彼が頭を撫でることによって、悠璃はふくれっつらをするが、彼はその顔を見ながら微笑みで決定的な一言を放った。
「約束する。一緒にいる」
 その瞬間、悠璃の顔がぱーっと輝いたから現金なものである。
「ほんとっ!?」
「ああ、悠璃たちのことを護り続ける。それでいいか?」
 
 止まっていた涙が再び流れ始める。

「……泣くなよ」
「泣いてなんかないもん。これは汗だもん。あたしはうれしいと汗が出るくせがあるんだもん」
 大量に涙を流しておいて説得力もないけれど、悲しい涙じゃないから悠璃も笑っていた。

「これでいいのか?」
 振り返ると淳子はニヤけ笑いでオーケーマークを作る。

 悠璃の涙とぬくもりを胸で受け止めながら、彼……伊勢冬威は空を見上げた。
 
 澄み切った蒼が何処までも続いている空は、さっきまで激しい戦いが続いていたのが嘘のように静けさを取り戻している。

「……これでいいのか。エルシー」

 冬威の呟きは誰にも聞かれることなく、宙に消えていった。

 
 エピローグ

「……ただいまーっっっ!!」
 予定よりも早く学校が終わって、晶は玄関を抜けてたたきにあがると居間へと一目散に向かう。
「おねーちゃーん、おや……」

 おやつを期待して居間に飛び込んだけれど、ソファに座っている見慣れぬ人物を見て、晶は戸惑った。
 ……そりゃ、長身巨躯で戦場の冷たい空気を常に帯びた人間が座っていたら驚くに決まっている。
 それでも晶は物怖じせずに近づいていく。
「久しぶりだな、晶」
「あなたは……」
「小さかったからな。覚えていないのも無理もないか」
 その一言で忘れていたはずの記憶がよみがえってくる。
 過去と現在が一つにつながり、晶の全身に力がみなぎった。

 晶は一発で理解した。

「パパ、パパ、パパっっっ!!」

 作っていたコーヒーが出来たので、中身が満載のコーヒーサーバーを片手に持って居間に来た悠璃が見たものは、冬威に高い高いされている晶の姿だった。
「ねえねえ、胴上げして胴上げして」
 晶にリクエストされて、冬威は無言で晶の身体を放り投げる。
 胴上げにしては軌道が高すぎるきらいがなくはないのだけど、空中遊泳している晶は無茶苦茶楽しそうで、冬威も平気な顔で受け止める。
「こーら。晶、冬くんに迷惑かけないの」
「かけてないよねーっっ!!」
 彼は苦にもしていないようで、二人を見て悠璃は苦笑してしまう。
「いいじゃないですか」
 何故か髪の長さが昔のお尻を覆うほどまでに伸びているみなもがたしなめると悠璃は苦笑を浮かべた。
「まあね」

 理由はどうあれ、晶は楽しんでいるし冬威も苦には思っていないのだから、それでいいのだろう。


 ▽▽▽▽▽


 冷房が効き気味で鳥肌が立つのは、この部屋の主人が人間ではなく、スパコンだからである。
 びっしりと展開されたモニター群を一人の少女が見つめていた。
 年齢は14歳ぐらい。
 乳白色の髪が全身を包み込みながら垂れ下がり、床についてもなお余りがたれていた。好きだから伸ばしたのではなく切るのがめんどくさかったというのが明白で、当然手入れなんてされているはずもない。
 膨大な髪に顔が隠れてしまっているため、表情がいまいち分かりづらい。
 このため、若いホームレスのように見えてしまう。
「まず、この画面を見てください」
 淳子は少女に指示された画面を見る。
 場所は校舎に囲まれたエリアで、二人の男が棒立ちになっていた。アジア系の20代から40代とおぼしき人間に見えるのだけど、そばにあるRPG-7が男たちの正体を雄弁に物語っていた。
「それでは行きます」
 少女がマウスをクリックすると、男たちの身体が爆発。スロモーションで部品から破片へ、そして飛沫へと変わり、空間に溶けていくようにして消えた。
 いつ見ても気味のいい光景だとはいえない。
 また、原因がわからない。
 男たちの身体が爆発するのは身体に爆弾を埋め込まれていたからで納得できるのだが、破片や血潮が空間に吸収されてしまう説明ができない。
 画面が一瞬、消え。再び映し出される。
「これは……?」
 画面が一面真っ赤になっていた。
 黒い画面にムラのある赤が広がる画面はどうやらサーモグラフの画面のようであったが、人の体温ではなくエリア一帯が真っ赤に染まり、黒が二つ、人の身体を描くようにしてくりぬかれていた。
「フリエ反応を表示した画面です。隣のモニタを見てください」
 隣のモニタを見ると、現場が真上からのアングルで写されている。赤い線が巧みにラインを変えながら走っていた。
 不可視の防壁が彼らを巻き込むような形で張られていたことがわかる。
「なーるほどね」
 事情がつかめてうんうんとうなずく。
 淳子がひとりでに笑っていた。
 これがいいことなのか、悪いことなのかわからない。
 この事によって自分の娘たちを危険にさらしてしまったし、冬威もいい顔はしないだろう。
 しかし、知ってしまったのだから今更知らなかったことにすることはできない。
 それにこの世界が面白くなると思ったのだ。
「実証されたというわけね。この世界にも魔法があるっていうことが」
 
「ところでみなもさんは何者なのでしょうか?」
 彼女が疑問を呈するのも無理もない。
 昼間、広場で冬威と別れた後、髪を根元からばっさりと切り落として少年のような姿になったというにも関わらず、淳子が出会った時にはその赤茶色の髪はしっかりと上半身を覆っていた。
 切り落としたことが見間違いか夢であったかのように。
 言うまでもないが、ほんの数時間で髪が5センチから60センチ以上に伸びるのであれば、美容院はもっと繁盛しているはずだろう。
「あの子は冬くんの妹よ」
 彼女が疑問に思うのは分かる。
 人間のようでいて人間でない不気味さを覚える。
 でも、冬威は言ったのだ。「みなもは妹だ」と

 冬威が妹だと断言する以上、みなもは冬威の妹であって実験動物ではない。
 にも関わらず、実験対象扱いするのであれば冬威の敵になるということを意味する。
 襲撃者たちよりも恐ろしい冬威の殺戮ぶり見せ付けられているのだから、とてもじゃないがそんな勇気なんて出せるはずもない。

 そもそも、出す必要もないのだけれど

「よかったら、ピナちゃんも友達になってみる?」

.....to be continue