織田信長は、天正3年(1575年)に越前で起きた一向一揆の本拠豊原寺を攻略し、越前を柴田勝家に守護させた。勝家は甥の勝豊は豊原に城を構えたが、翌年丸岡に城を築いてそちらに移った。
「「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」 本多作左衛門でよく知られている。これは徳川家康の家臣で「鬼作左」の勇名をとどろかせた本多作左衛門重次が陣中からその妻女に送った書で、文中にお仙は後に家康の次子結城秀康に仕えこの丸岡城主になっている。この書簡の石碑が天守閣石垣の東北端に建てられている。
現在、本丸に天守を残している。昭和9年に国宝になったが、昭和23年の福井大震災で倒壊してしまった。昭和30年に用材の8割を元の古材で修復され現在に至っている。
野面積みの立派な石垣に、石製の鯱、屋根が全部石瓦と重厚な様相で、木の素朴な感じがまことにいい。
筆者が訪れた日は昨日の雨があがった晴れの日で、壁の木の部分がまだ湿っていた。
