将棋界を救済する為のカント三大批判書解剖シリーズ7
Kritik zum Kritik der Urteilskraft 1790 von Immanuel Kant 010603-3
判断力批判 表と裏 3 上級者コース 2001.12.29.06:00
「マスメディアでは名人さえペット扱いする」
「客観的合目性でしたね?」
「そう。客観的合目性には外面的目的性と内面的目的性がある。Xは陥落するときに、Yに同 情。Zは最初からもう一度すべてやり直すために自由意思を尊重」
「涙もろいですからね。同情したんですね」
「ところが別の友人が、それはペットに対する同情と同じだと酷評した。そういう同情は人間同士のつきあいではないということ」
「手厳しいですね」
「その背後にはマスメディアの落とし穴があった。大多数の将棋愛好家は、そこで脳を洗われる」
「そうでない人は少数派なんですね。犬のウンコは実はネコのフンだった?」
「そういう人間とペットの関係を、カントは外面的目的性と呼ぶ」
「それでは内面的目的性とはなんですか?」
「内面的目的性では、自分自身の内面から原因と結果が見いだされる。一言で言えば、人間は自分自身で成長するということ」
「外面的目的性では不毛な愛ですね」
「すぐに決めつけるな。犬猫にも毛はある。その毛を櫛で撫でると可愛いものらしい。それを不毛な愛と呼んではまずい。相手が人間でも動物でも、愛撫の行為は自己認識機能で愛情表現と認識できる。なぜだ?」
「相手が生き物だからです」
「より厳密には有機体だからだ。ミジンコを愛する者もいる。ミトコンドリアを愛する者もいる。こ れは不毛な愛ではない」
「でも不毛でしょうに」
「それは自己保存機能がそう訴えているからだ。犬猫やミジンコとセックスの物まねは出来ても、目に見える融合体である子供はできないというだけのこと」
「ええ、確かに」
「ここで人間の優位性がアピールされる。あの酷評は半分正しかった。セックスの果実がない人間は、対象としてペットと同じだとね」
「半分だけですか?」
「ブラックと甘党の決定的な違いは別にある」
「なんでしょう?」
「ここからが問題。ブラックと甘党はオペレーションシステムが全く違う人間だった」
「村のOSはどっちだったんですか?」
「甘党と同じオペレーションシステムだった。ヴァージョンアップはしているが」
「日本語が母国語ということですか?」
「そう。だがそんなに簡単なことではない。ここで言語というものが何だったのか考えてみる」
「はい」
「言語はどの国でも全世界的に800年で8割相転化する。国語学者が実証済み。これは最近日本でもクローズアップされた文明800年周期説と相似形。ここではまず言語を扱う。800年で変わらないのは基礎語と文法。これが言語の根本OSとなる。ところがこの相転化を今まで誰もが音韻とリズムで国際的に分析集計した者がいない。局地的に注目されただけだった。世界レベルでは誰もが文法という構造と、文字の表象だけにしか視点をあわせなかった」
「音韻とリズム?」
「U認識機能のもつ表象。カントの言葉を使えば直感的悟性」
「直感的悟性とはなんですか?具体的に」
「比喩で言うなら、標準語で下手に話すより、方言で生き生きと話す方が人間的だということ。カントはわざわざこの有機体特有の感覚を直感的悟性と名付けた。それが実はU認識機能の側面」
「判断力批判でそれはどういう意味で扱われたんですか?」
「部分のすべてが全体に関与する有機体構造は、最高の知が顕現したものであるかのようだが、現実の世界はそうでないと彼も気がついていた。目的論的判断力が客観的合目的性の原理を含むはずが、 それはあくまでも自然科学の教科書的限界内であり、対象的理論的認識の原理としては役立つことはないとね」
「どういうことですか?」
「こういう言葉の羅列は死語となったから覚えなくていい。カント語族圏では以上は無調音楽が商業社会で存在し得たということ ですでに証明された。ヴォツェックは70年代末にギーレンが快楽の種をまいてから、5年でアッバードが対象的理論的認識から客観的合目的性、すなわち大衆の快楽に完膚無きまでに引き上げる。ウィーンフィルがここまで市場感覚を広げ得るとは想像さえできないことだったが、現実にそれが起こった。大衆がそれに気がついたのはさらにその5年後だったが。今日本で逆の現象が起きようとしている。カントが想像もできなかったようなことがね。大衆の快楽だったものが知の世界になだれ込む。オヤスミナサイ?」
「ごめんなさい」
「今のは独り言にしよう。どうせ将棋界ではわかる人間は三人しかいない」
「続けてください」
「要は標準語と方言、普遍と特殊の狭間には、人間の想像を超えた音韻とリズムが介在するということ。カントはそういうものの存在を直感的に知っていた。それを直感的悟性と名付けた」
「U認識機能と呼んじゃだめだったんですかね?」
「彼は標準語で書いたからね。だから言葉のダイナミックなうねりを一言で納得することができなか った。カントがあまりにネチネチ言葉をもてあそんだものだから、それ以後のドイツ観念論は、その オイシーところをことごとくフランスに持っていかれてしまった」
「それで今度はフランス哲学ですか?」
「そんなもの、もうやる必要も時間もない。その手法は詐欺師トマ。結論はでてる。彼らはモホ族。振り子打法は佐渡に幽閉されたままエイズで死んだ。よしマラソン」
「はい」