将棋界を救済する為のカント三大批判書解剖シリーズ5
Kritik zum Kritik der Urteilskraft 1790 von Immanuel Kant 010603-1
判断力批判イントロ 1 上級者コース 2001.12.26.11:00
「空を飛ぶ鳥は自由だと思うか?」
「さあ」
「あれは自然と呼ぶ。自然の寵児は自然流と呼ばれる。
では、空を飛ぶ鳥のように自由になりたいというXはなんだ?」
「空を飛ぶ鳥のように自然に憧れるという人間の願望ですか?」
「違う。人間は自由になりたいと望んだ。
その自由は配下の者達をことごとく食い物にするかもしれない」
「それが空を飛ぶ鳥のようにってことですか?」
「鳥は比喩。自由に空を舞うサマに人間は憧れた。そこで自然界と自由界というものを人間は認識する」
「自然界と自由界?」
「自然界の法則は自己保存機能から始まる。
カントによれば、それは悟性で認識され理論的。
自由界は自己認識機能から発生する。カントによれば、それは実践的。
この両世界は、同時に成立しつつ、一方が他方を侵害しないようにできていることをカントは証明しようとした」
「自己認識機能と自己保存機能は別の世界であるということですね」
「しかも同時に成立しつつ、一方が他方を侵害しないようにできている。パソコンの
オペレーションシステムが自己認識機能とすれば、自己保存機能はハード群」
「明解ですね」
「ところがカントは自己保存機能を感性的と呼び、自己認識機能は英知的と呼んだ」
「感性的と英知的?」
「日本語にすると余りに情緒的な表現。自然界と精神界と読めばどうだ?」
「明解ですね」
「だが解釈を間違えると逆の意味になる」
「精神界で弟子を食い物にされたらたまりません」
「自然界で道徳性を強調されても困る」
「世間は我田引水の解釈ですものね」
「すべての道はUに通じる。
自然界と精神界は、だから
自己保存機能と自己認識機能と読むべき」
「間違いようがないですね」
「カントは英知界が感性界において実現されるべき要求があると言う」
「オペレーションシステムがハード群に僕を使用してくれと訴えているのと同じですね」
「その要求とはなんだ?」
「父さんは、それがU認識機能であるはずとして、純粋理性批判と実践理性批判を批判しました」
「復習したね」
「パソコンに置き換えるとU認識機能って何にあたります?」
「なんだと思う?」
「ソフトですかね?」
「違う」
「わかりません」
「順番に考えてごらん。自己保存機能にあたるハード群とはなんだ?」
「HD、CDROM、DVDとかですよね」
「そう。それは共通の保存メディア。肉体そのもの。では自己認識機能にあたるオペレーションシステムとはなんだ?」
「UNIX、Mac、Windowsとかですね」
「そう。ところがオペレーションシステムはUNIXをベースにした統一規格に統合されようとしている。IBMがAIXをデスクトップにしたあたりからその兆候は発現していた。もう7年以上前のこと。だが市場の競争原理と原価償却期間は最低5年間という鉄則は死守された。WIN帝国の急速な台頭でまた数年引き伸ばされたというだけのこと。今は露骨」
「それがU認識機能ですか?」
「U認識機能ではない。U認識機能がC言語を使用して個別の自己認識機能を統合しようとしているだけ」
「どういうことかわかりません」
「エスペラントを知っているか?」
「いいえ」
「かつて欧州語族を統一しようとして提唱された言語」
「共通言語ですね」
「かつてキリスト教教会ではラテン語を共通言語としていた。典礼文はすべてラテン語」
「なぜですかね?」
「表だった理由は、翻訳言語で解釈されることを避けたから」
「裏の理由は?」
「翻訳文ではミサ曲を歌うのに音韻を完全に意味と統一できなかったということ。つまり技術的な問題だった」
「そう言いきれますか?」
「言いきれる。これは音韻の問題に帰結する。そして言語という自己認識機能は、音という自己保存機能に合致しようと自ら求めていることにも気がついた。これはU認識機能の介在なしには起こり得ない現象。
カントが純粋理性批判で証明した命題と全く逆のプロセス!」
「どっちが正しいのですか?」
「世の中の流れが自然に証明している。カントの命題では、オペレーションシステムがハード群に僕を使用してくれと訴えていることになる。
WIN帝国が世界中のハードに向かって、俺を使ってくれと戦略を繰り広げたことを思い出せ!
事実その通りになった。ところが、それはPC界の第三帝国だった」
「今は第三帝国の時代だったんですか?」
「みんなそれと気がつかずにパソコンショップにかけ込んでいる。WIN帝国配下のハードとソフトで生活を型どっている。こういう情況がまだ続く。そして蓄積されたデータはある時に一挙に使用言語を相転換する」
「使用言語の相転換?」
「現在C言語系に相転化するための作業中。ところがC言語そのままでは従来のデータがすべて相転換できなかった。そこでMACもWINDOWSも市場の機嫌を伺いながら従来の自己認識機能と互換性のあるOSに変更を加えざるを得なかった。
CPUという自己保存機能で最も重要な中央演算処理機能が高速になるにつれ、OSはヴァージョンアップにつぐヴァージョンアップ。これは相転化のプロセスだった。今はそれが相停滞し、来たるべきOSの相転換を迎える直前の情況。
この相転換を促すものは一体なんだったのか?」
「それがU認識機能ですね」
「そう。統一言語にすべてのデータを相転換せよという要求があるからこそ、U認識機能そのものの存在を認めなくてはならない。
カントの純粋理性批判は、実は市場が完全に否定している!
しかもそれはかつて日本でCANON帝国のEZPSが死滅したように、局地的には繰り返されてきたことだった。今はそれが全世界規模で闇の中で行なわれつつあるということ」
「ではU認識機能とは一体何なのですか?」
「自己認識機能を統一しようとする機能」
「言語プログラムではありませんね?」
「違う。その根底にあるもの」
「ヒントください」
「情緒的な表現を使うなら、
コンピューターに向かい合う神の手」
「コンピューターに向かい合う神の手?」
「自己認識機能が、自己保存機能において要求するU認識機能の正体は、コンピューターに向かい合う神の手」
「そんなこと言っていいんですか?」
「カントが実践理性批判で結論したことだ。俺はそれが情緒的すぎると言っている」
「それで今日は判断力批判ということですね」
「では本題」