「将進酒」 内藤國雄小話

投稿 T. Serisawa (2002年1月21日<月>20時22分)から(2002年1月24日<木>04時14分)


登場人物

内藤 國雄 九段 ー NHK将棋講座担当。

藤森 奈津子 女流三段 ー NHK将棋講座聞き手。

第一幕 書斎の初老棋士  

 平成十三年初冬、内藤國雄はひとり、書斎の安楽椅子に座っていた。

 今年も暮れかと思うと、月下独酌で酒を飲むのも悪くないと、心はそう思いつつも、年末までにやらなければ ならない仕事も多くてままならない。そういえば、去年の大晦日は、紅白の審査員で、東京で過ごしたのだっ た。年末の順位戦の相手は、田中魁秀君が対局者で、相手の手の内はわかっている。お互いこの年になれば、事 前に研究などせずとも、棋は対話。それができる相手ならば、気を遣わなくてもよい。しかし、すでに功とげ、 名をとげた、大棋士であっても、年末の大掃除は自分でやらなければならないし、新年の年賀状の詰将棋のこと も考えている。

 「来年は午年やなぁ。」

 ここ数年は、一千勝の祝いや、大作詰将棋の発表で忙しく、新年の年賀状を出さなければならない相手も増え ている。内藤の年賀状の詰将棋を、毎年、楽しみにしている人も多いだろう。馬が主人公の詰将棋も、数多くつ くってきたが、そこでもう一工夫どうしようか。馬が2枚に、桂馬も加えるか。そうだ、来年が平成十四年なら ば、▲1四馬で詰ます将棋ならば、ぴったり簡単なものですむか。

 古い雑誌や本の整理でもしながら、内藤はゆっくり考えることにする。NHKの将棋講座の題材も見つかるか もしれない。書棚の前で、昭和五十年代の将棋雑誌をめくっていると、当時の記憶がまざまざと思い出される。 そうや、この年は、ワシが王位戦に二度目の挑戦をしたときや。相手は中原さんやったなぁ。棋界の太陽、中原 誠の全盛期であり、女流棋士初のタイトル戦がはじまったのも、ちょうどこの頃である。

 ふとそのとき、当時の「将棋世界」の中の、ある一枚の写真が内藤の目にとまった。あるタイトル保持者と、 アマ棋戦優勝者の角落ち指導対局のようだ。内藤は、雑誌をとると将棋盤の前に座り、駒を並べはじめた。古典 的角落ち定跡で、これは講座の題材にも適している。内藤の目が光り、その灰色の脳細胞が働きはじめた。

 しばし少考した後、内藤は会心の笑みを浮かべ、盤の前をはなれた。詰将棋の新しい筋を発見したときのよう な、嬉しさがこみあげてくる。

「間違いない。これは、ワシと藤森さんなら解決できることや。後は、いつ、 どのタイミングでやるかやな。」

 安楽椅子に戻った内藤は、この、およそ二十五年前の棋譜を現代に蘇らせ るべく、構想を練りはじめるのだった。

Name : T. Serisawa Time : (2002年1月21日<月>20時22分)


「将進酒」 内藤國雄小話 第二幕

第二幕 謎の角落ち定跡譜  

年も明け、内藤國雄は、NHK将棋講座の収録に向かうため、東京行きの新幹線の車中 にいた。暮れから年明けにかけての棋界は、羽生善治五冠王に対し、佐藤康光九段が、王将戦、棋王戦の挑戦を決めて いた。女流名人位戦は、中井広恵倉敷藤花が、石橋幸緒女流三段とのプレーオフを制し、斎田晴子女流名人位との五番 勝負となっている。

 この日は、平成十四年、一月二十日放送分の収録日だった。「内藤國雄の終盤戦・玉の終着駅」、この日の主題は、 「直感と実力」。無限の変化に近いといわれる将棋の中で、最初に候補手を選び出す作業、その直感がテーマである。  内藤國雄は、この日の収録で、例の角落ち定跡の棋譜をひもとくべく、入念に準備を進めていた。すでに、指し手の 解説そのものは、NHK将棋講座のテキストに、終盤の変化まで十分に書き記したつもりだった。ただ一言、内藤はテ キストの末尾につけくわえている。

「なお、この将棋の対局者にまつわるエピソードについては、放送時にお話ししま す。どうかお楽しみに。」

「後は、藤森君にかかっとる。」内藤は、新幹線の中でつぶやいていた。

 内藤の講座の聞き手は、藤森奈津子女流三段である。今は二児の母親であるが、旧姓は中瀬奈津子。十七歳、当時の 最年少で女流プロとしてデビュー。二十歳のときから五年間、NHKの講座をつとめあげた、花形女流棋士の先駆けだ った。息子の藤森哲也君は、塚田泰明九段門下として、現在、奨励会2級に所属している。

 近年は、NHK杯の本戦の聞き手も担当していた藤森だが、若き日の彼女の、初年度のNHK講座の相手をしたのが 内藤國雄だった。藤森は、あるインタビューでこう語る。

「一年目の内藤先生にはいろいろ教えていただき、勉強にな りました。これは財産です。」

 いよいよ、講座の収録がはじまった。内藤は、さりげなく季節の話題である年賀状 の話から入ると、詰将棋の入った年賀状について語る。

「年賀状の詰将棋は、簡単なものが良いですな。」

 そしてま ず、飛車の逃げ場所が題材の将棋を一問。続いて、香車の打ち場所が問題の将棋を一題。

 実は、この日の内藤は、表情や態度にはまったく表さなかったが、時間とも戦っていた。このときのために用意し た、謎の角落ち定跡譜。二十分間の収録の中で、その謎を解き明かすための時間を、収録中ずっと、頭の中で計算して いたのだ。そのため、テキストには書いた、歩の打ち場所の小問は、謎解きにかかる時間次第で、収録するかしないか を決めることにしていた。  そしてついに、内藤、藤森の両者は、角落ち定跡譜の大盤の横にたった。

「えー、これ は角落ちでありましてね、本定跡。藤森さんも、こういう将棋、経験がある...ありますか?」

「ええ、子供の頃 に、この将棋、勉強しました。」

 藤森は、将棋好きの父親を持ち、幼い頃から、連盟の「良い子の将棋会」に通っていた。父親は自宅でも将棋教室 「歩の会」を開き、三歳年下の塚田泰明とは、その頃からのつきあいである。

 内藤國雄自身にとっても、懐かしい定跡手順の将棋であった。内藤の師匠であり、普及に尽力をつくした藤内金吾 は、関西で教室を開いており、内藤も兵庫のアマ強豪たちを相手に、角落ちの上手を何十番と指していた。

 今まさ に、二十五年前の過去の定跡が、現代に蘇らんとする瞬間であった。

Name : T. Serisawa Time : (2002年1月22日<火>03時42分)


第三幕 「自在流、真相を語る」

 講座は、下手が矢倉に囲い、角を落とした上手が、端攻めを見せながら、6筋の飛車で矢倉を正面から崩そうと、△6六歩と指した局面へと進んだ。この歩は、下手が金で取っているならば、上手の方は攻めが続かない。

 実際は、下手がこの歩を角で取るという、難しいながらも意欲的な指し方を見せていた。内藤國雄は解説した。

「元気のある下手がたは、みんな角で取ってこられたもんなんです。」

「はい。私もこの、角で取る手も教わったような気がしますけれども。」

アシスタントの藤森奈津子が相づちをはさむと、内藤はにこやかに話を進めた。

「下手は、元気いっぱいなんですね。」

 角を積極的に働かせようという下手の指しまわしに対し、上手側からも、銀を捨てて飛車を成りこもうという反撃の筋もあった。

「こわい指し方やなぁと思いながら、私は並べておったんです。」

 さらに、上手が持ち駒の金を使って下手の玉に重圧をかける手段にでると、下手は歩切れをついて香車を田楽に打つ。内藤は、ただ駒得をはかろうとする槍打ちは、囲碁の感覚だとたとえながら、将棋の場合は、終盤に頭をきりかえ、上手の玉を攻めるほうがよい、と説いた。  玉の耳から攻める筋を解説しながら、内藤の頭は、収録の残り時間を計算していた。そろそろやな。内藤は、上手が△6四同飛と走った局面まですすめ、藤森にたずねた。

「さあ、これ、藤森さんならどう指します?この局面。」

Name : T. Serisawa Time : (2002年1月24日<木>04時11分)


 藤森が少考して答えた▲6五歩は、もちろん最善の受けだ。しかし、実戦の下手の指し手である▲6八歩が残念なミスで、形勢は上手優勢に進んでいく。内藤は、下手の悪手を、ちょっと気が弱い手と軽くいさめると、大盤の解説をまとめ上げ、ふと藤森の方を見た。

「こういう将棋は見たことないですか。」

「そうですねえ。あんまり。」

「この将棋、見たことない?途中までは、憶えてますか。経験、ありますか。」

「あ、角が出る定跡は知っていましたけれども。」

 藤森は、子供のようにきょとんとした顔をしている。内藤は、静かに語った。

「実はね、なぜこの将棋を取りあげたかといいますとね。対局者がね、下手方が、中瀬なっちゃん。」

「えっ!...えっ、そうなんですか?」

 思わず首をすくませ、吹きだしそうになる藤森をみて、内藤は嬉しそうに、一冊の将棋雑誌を手に取りとった。それは、去年、内藤が書棚で見つけた『将棋世界、1976年2月号』。二十五年前の刊行である。

「古い『将棋世界』でね。じゃ、ちょっと。」

内藤は、しおりをはさんでいたページを、カメラに向けながら言った。

「え?忘れました?ここ。」

「ああ...」

 そこには、まだ高校の制服姿の、中瀬奈津子が写真に写っていた。発足してまもない女流名人位戦の、初防衛を果たした蛸島彰子とともに。

 藤森、いや、中瀬奈津子は、このときはじめて悟ったのだ。敬愛する内藤先生が、自分が女流プロとしてデビューする前の将棋を探しだし、今日の講座の収録のために準備してきていたことを。確かに、あのとき、中瀬奈津子は、蛸島彰子女流名人位と、角落ちの対局をしていたのだ。そういえば、講座のテキストでは、対局者のエピソードをお話すると先生は書いていたが、収録前の打ち合わせでも、一言もその話は出ていなかった。

「わたし、じゃぁ、気が弱かったんですね。」

内藤は、やさしく、笑って言った。

「それで上手方がね、蛸島彰子さんなんです。」

「ぜんぜん、気がつきませんでした。」

「今なら、こう、指さないですね?」

「そうですねえ。あらぁ。」

 内藤がふたたび大盤の駒を動かしはじめると、藤森は、まだおかしくてしかたがない様子でたずねた。

「よく先生、そんなの探されましたね。」

「いやいや、私もね、古い雑誌をこう、整理してね、置いておくぶんと、人にあげるぶんと、処分するぶんに分けてましてね。で、このテキスト書くときにこれ見たら、あ、懐かしいなぁと。将棋も面白いからね、取りあげてみたんですけど。」

種明かしがすんで、気分よさそうに笑いあう二人だった。

 内藤國雄にとって、この蛸島・中瀬の角落ち対局の解説にあたり、当人である藤森奈津子が、果たしてこの将棋を憶えているかどうか、そこがこの日の収録の分かれ目になるところだった。それゆえに内藤は、解説の最初の盤面で、こうたずねたのである。

「藤森さんも、こういう将棋、経験がある...ありますか?」

 この会話の、独特の瞬間的な間の取り方。これこそが内藤の話術の真髄であろう。そう、内藤はこの瞬間の間に、藤森の表情から、彼女は憶えていないという確信を得たのである。講座のテキストでは、この将棋を終盤まで詳しく解説しているので、藤森がそれを事前に見て、思い出しているという可能性もあった。しかし、それならば、収録前の打ち合わせで、藤森の方から、自分の対局ではないかと、内藤に聞いているのが自然である。その場合も、内藤の頭には、また別の筋書きが用意されており、自在流の棋風そのままに展開されていたことであろう。

 最後に、今週の詰将棋のコーナーの収録が終わり、テレビ局の楽屋には、二人の姿があった。

「先生、ほんとに、びっくりしました。でも、ありがとうございます。」

「まあ、今日の収録分の、放送日の一月二十日は、女流名人位戦がある日やから、ちょうどええかなと思いましてな。」

 そのとき、内藤は自ら語らなかったが、一月二十日は、内藤國雄にとっても、生涯、記憶されるべき一日になるはずであった。自作の長編詰将棋、「ベン・ハー」の解説会、同時にウィリアム・ワイラー監督作品の映画「ベン・ハー」の上映会が、東京の銀座で行われるのである。

 後日談になるが、斎田晴子女流名人位に中井広恵倉敷藤花が挑戦している、女流名人位戦の第二局は一月二十日に福島で行われ、内藤の愛弟子、神吉宏充六段が、現地解説に向かっている。と、ここまではよいのだが、神吉は新幹線車中で居眠りし、慌てて乗り換えの名古屋駅で降りた際、スーツケースを車中の網棚に忘れ、たいへんな目にあっていたとのことである。とにかく、エピソードに尽きない師弟と言うべきであろう。

 テレビ収録を終え、帰り支度を整えた内藤國雄は、この日のために持ってきた「謎の角落ち定跡譜」が載った雑誌を手にとって、藤森奈津子に言った。 「そや。この本を、哲也君に差し上げてください。ちょっと遅いかもしれんけど、ワシからのお年玉や。」

 帰路の車中で、内藤が飲んだビールの味もまた、格別のものであった。

Name : T. Serisawa Time : (2002年1月24日<木>04時14分)