将棋界を救済する為のカント三大批判書解剖シリーズ1
Kritik zum kritik der reinen Vernunft 1781 von Immanuel Kant
純粋理性批判はアホ 初体験コース
「では将棋界を救済するために、カントに犠牲になってもらおう。今晩の素材は以下」
純粋理性批判
著者 カント
「むずかしそうですね」
「信仰や道徳の基礎をひっくり返し、永世名人の栄光を悪徳弁護士と淫猥裁判官の魔手から取り戻す」
「面白そうな」
「数学と自然科学を知識の手本にするのは正しい。カントは形而上学体系をその観点から批判した」
「形而上学ってなんですか?」
「超経験的世界を体系的に把握すること。信仰や道徳の原理も超経験的世界」
「チョーむずかしい?」
「理性でしか認識できない世界。カントはチョーむずかしそうなものを理性だけで理解するのは無理だと考えた。それで純粋理性批判となる」
「それをまた批判すると?」
「カントよりソクラテスの方が正しかったことを証明するだけ。超簡単」
「お願いします」
「先天的総合判断とはいかにして可能か?」
「総合判断ってなんスカ?」
「お前は阿呆」
「すいません」
「謝るな。例文だ。お前は阿呆。これは主語と述語からなる一般判断の構文」
「はい。僕は阿呆」
「今お前は総合判断を行った。お前は阿呆という構文の主語を替えて僕は阿呆と言った」
「はい」
「それが総合判断」
「先天的総合判断ってのはなんでしょう?」
「お前は阿呆」
「はい、僕は阿呆」
「お前は先天的総合判断で主語を入れ換えたことになる」
「なるほど、三歳児でもやってることですね」
「ところがカントは先天的総合判断の基礎を数学と自然科学に求めた。1+1=2という原因と結果」
「原因と結果?」
「お前の金玉はいくつある?」
「ふたつです」
「そう。金玉は先天的にふたつある。しかもひとつずつある。カントはこれを数式にして1+1=2とした。こういう作業を先天的総合判断と彼は呼んだ」
「数式にしなくても、見ればわかるでしょうに」
「金玉を見ればふたつあると判断する機能を先験的感性と彼は呼ぶ」
「先験的感性?」
「先験的感性には空間と時間が関与する。金玉を見るということは、空間にある金玉を時間の中で認識するということ。それがふたつあるということを認識することを先験的分析と彼は呼ぶ」
「先験的分析?金玉を見てふたつあると判断するのがですか?」
「1+1=2で金玉はふたつ」
「分析しなくても、ひとめで金玉はふたつあるってわかりますけど」
「昔の棋士はひとめだった。それが直感。 対象を見てひとめでその関係を認識したのが直感能力。従って、彼はこの先天的直感が先天的総合判断の基礎にあると考えた」
「めんどうくさいことしますね」
「それが形式というもの。このまどろっこしい形式が時間と空間の認識方法」
「時間と空間?」
「では時間と空間で認識してみよう。お前の金玉はふたつあるか?」
「はい、ふたつあります」
「それ自分でさわってみたの?」
「いいえ、見たらふたつぶらさがっていました」
「風呂上がり?」
「いえ、寒風に吹かれてます」
「ならば金玉は縮こまってひとつに見えるだろ」
「そうですかね」
「ちゃんと同時にふたつある?」
「ちょっと待ってください、今触ってみます」
「どうだ?」
「はい、ちゃんとふたつくっついてます」
「お前はさっき先入観で、最初に金玉がふたつあると言ったね。それが外的直感、同時存在の形式。ところがこの先天的総合判断がなければ、お前の直感では金玉がふたつあるとはわからない。そうだったね?」
「見るか触ってみないと確認できませんね」
「見たら金玉は縮こまってひとつにみえた。そこで触ってみて初めて金玉がふたつあると確認できたということだね」
「そうです」
「金玉はお前のものであってお前のものでないということだ」
「そうなんですか?」
「お前の直感では金玉がふたつあると今現在認識できなかったろう?」
「触らないと確認ができませんでしたね」
「過去に金玉がふたつあったから、直感で今も金玉がふたつあると判断しただけだな?」
「そうです」
「そういう主観的制約がある金玉は、現象と呼ばれる」
「現象?」
「現象とは、自分でもっている金玉という表象のこと」
「表象?」
「ワケわからんだろ。自分の金玉を認識するのに、なんでこんな用語使うのか俺も腹立たしい」
「もうちょっと説明お願いします」
「金玉という目で見る表象が、意識に内在化することで、金玉がふたつあるという現象になる」
「でも最初から金玉はふたつありましたよ」
「それを認識してるのはオマエ。金玉というモノ自体にとっては自分がひとつかふたつかなんてことはわからない。お前が認識するから金玉がふたつあるという現象になる。疑うならお前の金玉に聞いてみろ。 ふたつあるのかって」
「僕の金玉には口がついてません」
「そーだ。これをモノ自体の不可知性という。金玉という外的対象は、主観的形式で見る触るという空間内での認識を通してしか与えられ得ない現象」
「自分の金玉はそんなにめんどうなものだったんですね」
「女はこんな馬鹿なこと考えない」
「金玉ついてませんから」
「男は死ぬまで金玉とつきあう」
「死ぬまで自分の金玉がいくつあるか勘定するんですかね」
「毎朝、手で触って確認する。金玉という表象が、朝立ちという現象を繰り返す。こういう先天的形式の繰り返しで男は考えるようになった」
「女は考えないんですか?」
「自分の卵巣がいくつあるか毎朝勘定する女がいるか?」
「触ることもできませんが」
「女は直感でわかる」
「マンコひとつって勘定しませんかね?」
「股に力をいれると感じるものは常にひとつ。将棋の筋と同じ。だからオマンコは一筋と数える」
「マンコにはモノ自体の不可知性はないんですか?」
「金玉はどうやって数えた?」
「1+1=2です」
「そう。だがマンコを数える数式はない」
「マンコふたつあったら変ですものね。でもチンチンもひとつです」
「チンチンは一本と数える。確かに一本だな?」
「朝二本あったら大変です」
「カントのややこしい用語は現代角換り腰掛け銀よりたちが悪い。初体験コースはこれで終わり。明日、初級者コースをやろう」