「摩修陀家経典」

志なき者、読むべからず!

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修羅の船

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不条理の河、下って行けば

水夫のガイドも無用であった

赤肌めらが奴等を脱がせ

極彩棒に釘付けて

騒々しくも弓矢の標的!

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オランダ製の小麦やら

英国コットン運ぶ身に

船員どもなど関知できん

例の騒ぎが収まれば

大河の行方、俺の意のまま

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怒涛の潮汐、狂う波

幼児の脳髄より鈍く

あの冬走ったこの俺だ

陸と分かれた半島も

この混沌には敵うまい

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海の目覚まし、嵐の祝詞

久遠に犠牲者転がす波上

呆れ顔の舷灯も見ず

コルク栓より身軽になって

夜っぴて踊る俺だった

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子供の食らうリンゴより

しびれる水のさ緑が

俺の樅板染み抜いて

果てには俺の虎の子の

舵も錨ももぎ取った

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以来俺が身を浸す星屑煎じた大海は

乳色なした夢幻世界

紺碧の空むしゃぶれば

時折酒気撒く浮遊物

夢想の死人が沈み行く

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真紅に輝く陽炎は

突如海原染めあげて

繰り出すリズムは厳かに

酒より強く狂おしく

竪琴よりも開けすけに、愛の瘡蓋裏返す!

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俺は知ってる 裂けた空

稲妻、龍巻、潮津波

黒い流れに、黄昏を !

震える曙、群れ立つ鳩か

俺も見たのだ、この眼でしかと!

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俺は見た

神秘の恐怖に滲む斜陽

筋を朱紺に照らし上げ

古代の役者さながらに

震える襞を巻き上げ行くを!

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夢を見た

恍惚の雪降る青い夜が

海の瞳へ接吻か

この身にたぎる見知らぬ生気

青、黄の燐火が目覚めに歌う!

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月を重ねて追った怒涛

暗礁乗っ取るその様は

ヒステリックな牛の群

マリア様ならその足で

海の鼻息和ませように

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俺はがつんとぶつかった

世にも奇怪な半島に!

人の皮膚した豹の眼が花と交じわるフロリダ州

地平に群れる羊らをブルーとグリーンに操る手綱

張られた虹は縦横無尽

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俺は見た

巨大な沼が沸き立って

イグサの繁った大梁に全身爛れた幻獣を!

凪の中心、水逆巻いて、はるか彼方に大瀑布

どん底までも雪崩れて行くか!

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氷の世界、銀の星

真珠の波浪、炭火空

ヘドロの入江に難破船

捻れた幹より悪臭放ち

虫喰い大蛇が群舞で落下!

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子らにも見せたい青い海

波を切り行くシーラの群れに

金の成魚や歌う稚魚!

花と舞い散る潮に揺られ

順風次第で翼を得ては、夢見気分の俺だった

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地平の果てに倦き果てた

殉教者たるこの俺に

啜り泣く海、揺り篭か?

黄色い吸い玉震わせて、差しだされた花、影の花

蹄ずいた俺とても女のごとく嫋やかに

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俺は島も同然か?

金の視線もやかましく、鳥は糞のし放題

つたなく櫂漕ぐ傍らを

死体の面々よぎっては

眠ったままに沈み行く

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髪に絡まれ入江に難破のこの俺が

突風に煽られ舞い上がる

鳥も棲めない大気圏

海水漬けのこのあばら

軍艦、商船、どこが救う?

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思う存分、煙吐き

菫の靄を身に浴びて

真紅の天空貫けば

壁にべったりついていた

浮き世の詩人に美味かろう、太陽の苔、天の鼻汁!

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いざ走れ! 

電光石火の星を浴び 、黒い海馬を護衛につけて

狂乱流浪の板子となって!

棍棒振るって七月は

群青の空を漏斗と燃やす!

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五十海里の彼方には

発情したての妖獣と、大渦巻の呻き声

身震いしてもこの俺は

大海巡る永久の紡ぎ手

だが昔日の胸壁並ぶヨーロッパが故郷だと!

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俺は見た!

きら星のごとき群島を!

島の門戸は開かれて、船乗り招く狂乱の空 !

幾千万の不死鳥よ、未来にたぎる生命よ!

無限の夜天、修羅の底!?

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実際俺は泣いていた

夜明けは痛い、月は酷い

陽光突き刺す総身を

さらに麻痺する恋の痣!

さあ!龍骨よ砕けろ! おー!海に逝こう!

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もし俺が、欧州の水を欲するなら

森深く、漆黒玲瓏の池

その薫る夕べに

幼児が独り蹲り

五月の蝶より嫋やかな葉舟を流す池水

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海原よ、その倦怠にひと度浸ったからには

俺はもう、綿船の後追いも出来ず

意気揚々と旗掲げた世界に立ちはだかることも

獄門船の恐怖の監視を抜け

潜航することもできん

Arthur Rimbaud