エゼキエルの幻視-塩基ATGC-四魂 2001.12.17
「おい起きてるか?」
「起きてますよ」
「じっちゃん、具合どうだ?」
「寝込んでます」
「マラシータが夢を観たぞ」
「またでっかくなるやつですか?」
「違う。啓示の夢だ」
「どんな?」
「壁にあるたくさんの窓。窓はぱたぱたと開閉を繰り返す」
「窓がいくつかわからないんですね?」
「数える余裕がないんだろう。窓は36あったはず」
「それでパタパタ開閉ですか?」
「開閉ではない。窓がウィンクしたんだ。ウィンクするたびに視線がかわる」
「視線?」
「窓は眼だ。36の眼が八方に視線を送り通信する構図。1の視線は、2の眼を観る。2の視線は3を観る。3は4を観る。最後のXが1を観るという視線の錯綜図」
「よくわかりませんね」
「ルネッサンスの大絵画様式と同じ。ばかでかい絵に沢山の人が描かれてある絵があるだろう。各人てんでばらばらのようだが、その視線をひとりひとり追うと、かならず主人公を通過し、元に行き着く。犬が人を観る、人が彫像を観る、彫像は主人公を観るという具合に、視線はすべての登場事物を結びつけている。ところが、そのなかで一人だけ視線の円環を離れた視線がある。その人物はなんと絵を観る人を観ているんだ。視線が向かい合うとどうなるか知っているか?」
「Xさんと視線が向かい会ったんですね」
「お前がそこにいた」
「僕が?Xさんがそこにいたんじゃないのですか?」
「お前がいたんだ。エゼキエルの幻視と同じ」
「エゼキエルの幻視?」
「紀元前6世紀に、予言者エゼキエルが観た幻視。彼は神を直視したんだよ。だが直視した神を表現することができなかった。そこで神に付随する4つのカテゴリーを言葉で表現した」
「神の元にいる4つのカテゴリー?」
「エゼキエルが観た4つのカテゴリーは、天使、獅子、鷲、牛。日本なら幸御霊、荒御霊、奇御霊、和御霊と表現されてきたものだ。俺はこれを遺伝子の塩基ATGCと読む。エゼキエルの幻視はもはや夢ではない。ばらばらの骨はくっつき肉がつく。そして神はそこに魂を呼べとエゼキエルに命じた。これが何かわかるか?」
「魂を呼べ?」
「どこから呼ぶのだと思う?」
「直視することと関係あります?」
「そこだ。ATGCの組み合わせは錯綜した大絵画様式の視線。それですべての生き物が生成される。事物の視線が角度をもつことで赤い糸ができる。だが赤い糸が点になったところにしか、魂はやってこないはずだ」
「赤い糸が点になったところですね?見つめあった時に視線が一致したところですね!」