2002.8.2竜王戦準々決勝
角換り後手番プロジェクト
中田宏樹VS森下卓
棋理を越えた相転換
マシュダ談話 2002.8.2



「101手目の局面です」
「森下はこの対局で不利とされた角換り後手に新定跡を誕生させた。そしてこの局面は森下必勝型」
「二分考えて53歩のとどめの一発は止めて、なんと75歩としました」
「ここまでは息もつかせぬ森下の猛攻に中田が防戦一方。中田期待の73角打ち王手の隙を故意に与えて66手目で86歩からの一挙の寄せ。70手目で45銀切りの最速手順。序中盤の新機軸といい、この終盤の変貌ぶりといい、底無しの新森下をまざまざと見せつけたはずが」
「なぜあそこで攻めたと?」
「最後の5分から2分を使って森下は何を考えたと思う?」
「さあ」
「中田を切らして勝つのが最も確実。叩き歩から桂を打たれても最後は金銀で受けて後手は攻めが切れる。ところが森下はここまで後手番角換りの新局面を切り開いたという自負から、攻めを選択し、切らす筋の読みを打ち切ったんじゃね」
「あまりに出来すぎた名局が」
「そう。あまりに出来すぎた名局。だからこそ森下は過去の名局に恥じないように切らして勝つということを潔しとしなかった。そこに至るまでの序中盤の定跡破りの指し回しは圧巻。腰掛け銀とする前に後手からの仕掛けを考え、先手の反撃に玉の移動を計るという大胆な発想。角換りの後手番不利に果敢に挑戦する人間の魂を感じる。大成功だったはずが、最後は勝負を越えて、よりハードなスコアを目指そうとした2分」
「相手を切らして勝つより攻め勝つことを目指したんですね。もしやそれも手番強迫神経症?」
「いや。森下の場合、相転換型の棋士と考えるべき。しかも将棋を越えた相転換じゃね。だからタイトルが逃げる」
「例えると?」
「勝利の花束を受ける直前で便所に行く英雄」
「53歩はもう一回打つチャンスがありましたが?」
「一度相転換し、勝負の彼岸に達すると、攻防の二文字は消える。最後は片方を一切放棄し、プログラムはただの影となり、現世では敗北へ誘う亡霊の囁きのみ。心理状態は棋理を越えた相転換。中田も信じられナカッタじゃろーね。最後はわざと負けてくれたのかとしか考えられん手順」
「しかし違うと?」
「あの時点で森下には棋理しか頭にない。棋理でおわった将棋はそれでシャットダウン」
「それが棋理を越えた相転換と?」
「なぜか憎めんのはそういうこと」
「この大勝負で宝くじの当たり券を捨てたと?」
「宝くじはそれこそフォルトゥーナの管轄。森下は結婚式の最中に脱走する花嫁」
「最後にひとこと」
「森下らしい」