戦争の構造 インスピレーション1-4
MashudaBBS2004.08.22-24

インスピレーション1 戦争の構造 単純なこと&わからないこと
インスピレーション2
角換り腰掛け銀の場合
インスピレーション3 戦争指導者たちの言い分
インスピレーション4 時代の風


インスピレーション4 時代の風 No: 6291 [返信][削除]
 投稿者:マシュダ一家  04/08/25 Wed 02:22:21

4番バッターが送りバントをしたら笑われる。しかし第4スゥイマーがコケるよしマシかもしれない。
今季アテネオリンピックは東京大会以来の神懸かりニッポン。40年に一度ぐらいこのような狂い咲きパッションがないとウップンを晴らす為に人間は戦争を楽しむかもしれない。心情的にはオリンピック選手には国家予算の国防費から援助してもよい。ここまで1島国がメダルを根こそぎ取ってしまうパワーは戦闘機購入よりはるかに戦争抑止力の効果がある。
しかし海洋国家日本は清廉潔白なので国家も銀行もアマにはカネを出さない。マスメシアがオリンピック基金を作って一般国民から選手への寄付金を募ればアっと言う間に選手の未来は保証されるであろう。日本とは世界最強「突撃隣の晩ご飯」の国。
女子柔道も激しかったが、女子レスリングも死闘劇の連続。柔道同様パッシブをすぐに取られるので攻め続けないと負ける。日本女子はこんなに強くなってしまった。ヘナチョコ自衛隊は泡踊り専用にして、アマゾネス軍団にこそ特別終生年金を付与したい。
個人競技の中ではわけても日本女子マラソンのレベルは目を見張る鮮やかさ。アテネ大会マラソンは坂が多いアップ&ダウンの生き地獄。走者は心臓にサラシとオリーブを巻いて丘陵地帯を命懸けで走っている。英国チャンピオンなど途中で棄権して泣きだしてしまったほどキツイコース。よくもこんな所でニッポンアマが金メダルを取れるものと呆れてしまう。日本人女性は世界で一番長生きするという白書にも毎年ビビルが、それを象徴するような走りブリ。「ブラックパワーからイエローウーマンへ」と世界は認識した。
球技のチームプレイではまだ金メダルには遠い。一番オマヌケだったのは野球。「ナガシマジャパゆきさん」は日本プロ野球のエース松坂を使ってもコアラに負けた。アマ軍団は看板の誇大広告に怒っているであろう。実況解説はアニマル浜口かと思ったら星野おセンチであった。選手を一番良く知っているはずの人間が実は客商売野球しか知らなかったという典型。しかも中畑がコーチではクズ軍団であった。どこがプロなのかというお粗末さは日本将棋連盟よりヒドイ。一方同日の女子バレーは負けても感動を残した。準準決勝の中国はかつての東京オリンピックで東洋の魔女と異名を取った大松軍団の現代版。メドゥーサもどきの化け物がいる。あんな連中相手に日本はそれでもいい勝負。カメラはエースのプリンセスメグばかり追っているように見えるがあれは意図的なモンタージュ写法。おかげで竹下のトスが与える秘技の数々はまるでアニメを実写で見ているかのような錯覚を与える。技術的には「東洋の魔女」が「気合いの集合」ならコチラはアクロバットのサーカス団。将棋で言えば横歩取り85飛戦法のような空中戦だが理論的には現代バレーの方が複雑な構造。日本将棋連盟棋士より日本女子バレーの方がはるかに難しい事をしようとしている。
バレーのサーブはテニスと違って一発で決まることは少ない。先手有利とは限らないことも将棋と試合運びが似ている。中国チームを見ると1-25までの間に序中盤の構成もはっきりしている。ディフェンスから相手の隙を抜く終盤力は日本の3Dバレーがいいカモになっている。
バレーボールの基本はサーブという1の運動提示を除外すると先天的に3手1組のコンビザツィオーンス・シュピール。これは一見将棋と同じだが、日本のバレーボールはこれを6人の複合リズムで構成する。すでに昔の定跡を信用しないのも将棋と同じ。前衛-中衛-後衛と言う布陣はおろかフォワードとアタッカーという区別さえなくなってきた。栗原大山高橋がバックアタックなど打つのは当然であるばかりかセッターまで臨機応変。中国陣営がブロックに最強3枚ディフェンスまで駆使しているのに日本は高さをセンターから構成している。今日の対中国戦では大友が夢の神技「バック・ブロード」(後衛移動攻撃)を1回だけ見せた。一瞬これはビーチバレーかと思ってしまう。あんなことまでできるようになったのでは前衛の壁「万里の長城」も食い破られてしまう。しかし1点しか取れない。
結局序盤優勢から中盤追いつかれ終盤で一挙に離されるというパターンから3タコで日本チームは負けた。原因はハッキリしている。深浦が今年の朝日オープンで負けたような試合運びだった為に3手1組の構成がバリエーションとして持続しない。技術に溺れて「波の力学」までは追いきれなかった。大林解説もまた「流れ」という曖昧語でしか全体の波動効果を把握できないのだから、これは日本陣営の頭の限界であろう。全体がローリングストーリーのアニメ化となった結果、質感を伴った揺らぎが修正帯域から消えた。終盤ではこの先どんなに頑張ってもCGを見ているようなコンビしか期待できないので逆転は絶対に有り得ないとひとめでわかる。
マラソンの話に戻るが、撮影&送信技術は過去最悪であった。パナソニックがデジタルシステムで世界戦略を企画した時の欠陥が8年経っても解消されないどころかますますヒドクなっている。あの中継ではMpeg特有の画像破壊、動画圧縮不均等の欠陥が露骨にでた。移動式ではまだアナログ中継の方がはるかに安定している。中国は北京オリンピックで日本のデジタル技術完全導入を目論んでいるが、必ず同じ欠陥がマラソンで出てくるはず。8年経っても改善されなければ4年経っても同じ。これは日本の先端市場を見るとよくわかる。顧客はダマされているということ。
そしてデジタル映像の不自然さ自体はトランスミッションの技術ともども今後も絶対に解消されない。だから東京オリンピックをもう一度見直す時が来る。するとチームプレイで何が退化したかすぐにわかるから。
風の揺らぎが記録された時代。恐らく北京大会で中国人はそれを見逃す。だから中国は日本のようにはなれないであろう。


インスピレーション3 戦争指導者たちの言い分 No: 6290 [返信][削除]
 投稿者:マシュダ一家  04/08/22 Sun 06:40:58

マシュダ一家恒例のスカラ式は今日はメドレーリレーであろう。
三番目のバタフライでなんとか真相に近づけろと言うことらしい。
しかし4番目のタコがこのあと何言うかわからないので思わず手加減してしまう。
戦争指導者はどのようにして大量殺人への罪の呵責を逃れたのか?
それは戦争しなければもっと多くの人が死んでいたという試算表が元になっている。
奴隷や失業による自殺者を増やすより、彼らを兵隊にして戦場で死んでもらった方が死ぬ人が少ないと試算した。
だからより多くの人の魂を生かすというのが戦争指導者の良心。多摩市を生かすと言うのは不動産屋。
棋士ならば負け組を増やさないために純粋芸術を目指す持将棋でもやればよいではないかと思うであろう。ところがそれはマシュダ一家が思考することであって連盟棋士はそんなこと最初から考えない。
まず千日手の問題。宇宙が千日手では神様が飽きて世界を壊す。
持将棋はどうか?
これには神様は飽きないので将棋の最終形態と絶賛して拍手を送る。
ところが地上の死の商人たちはダーメと言う。持将棋なんか見せたら客が逃げると。日本では読売新聞が現在死の商人の胴元を務めている。
持将棋ばかりではまず第一に金を払う客が納得しないと読売の営業責任者は言う。だから戦争で白黒つけたかったモチーフの根底は勝負でドキドキしたいだけのお客さんだったということになる。日本野球を牽引した読売巨人軍と野球トトカルチョを絶対に認めなかった日本国政府は、戦争で負けた痛みとウマミをよーっく知っている。
戦後平和憲法にすがった日本でギャンブルを禁止したというのもそのようなワケであった。勝ち負けそのものを生きがいにしてはいけないということ。 そのかわりに人生勝負で金持ちと貧乏人に分けてしまおうと言う米国式戦略も日本では通用しなかった。
純粋芸術である持将棋しか頭にない当家なら「未来のタイトル戦を成立させる為には番勝負の点数の合計で決めるしかない」と言う。それでは学校のお受験だと言うのが米長。勝つためにはどんなことでもしてきた米長にはオリンピックのアーチェリー加点方式もお受験に見えるであろう。
アホな客商売が好きな連盟棋士のスポンサーは持将棋が真剣勝負の結果とは絶対に認めない。それを認めざるを得なくなったほど将棋が進化すれば最後は囲碁のように点数を調整して半目ならぬ半駒のハンデ0.5点差をつけることになるであろう。それでは世襲制の方がまだマシという懐古趣味派はその頃絶滅している。
持将棋そのものは引き分け点でもそれぞれの点数を加算合計するのが番勝負の目的となる。
ところが世界や国家が番勝負となると、地域格差に怨念が生まれてしまう。最初から資源があるなしでハンデがついているために技術が流出すればするほど何もしないで遊んでいた資源国がボロ儲けしてしまう。羽生が八百長の振り駒で必ず先手番を貰える連盟将棋のようなものであろう。
このような先天的ハンデが国民全般の怨念に成長すると内戦や国家間の戦争による一発勝負でチャラにしようと言う指導者が支持を得る。
彼らが自社の棋戦を一発勝負のトーナメントにしている由縁。
これもアホな客層が永遠の金蔓という構図から来る。金蔓とはワイドショー好きな国民。
だから谷川が将棋を芸術にしようと思っても読売や朝日はそんなこと絶対に認めない。貴様等の究極芸は持将棋による完全芸術ではなく、白黒ハッキリつける勝負師であると死の商人たちは言っている。だからあの棋戦方式は永遠に換らない。


インスピレーション2 角換り腰掛け銀の場合 No: 6289 [返信][削除]
 投稿者:マシュダ一家  04/08/22 Sun 04:59:34

1=先後が入れ換る。
2=先手がダマす。
3=後手はダマされたフリをして技を返す。
4=先手はさらに修正して自然に勝つ。

インスピレーションは3の局面図を瞬間見せて「なるほど」と思わせて一瞬で消える。
そこでどうしても解消されない問題がある。谷川羽生の戦いがなぜ羽生谷川となっていたのか?
これは千日手が一度あったためであろうか?
それともあの局面図は第5局だったのであろうか?
連続性の中でこの問題はインスピレーションの翻訳だけでは解明できなかった。
そこで千日手というものが商業将棋でタブー視されているという現実を直視する。
このような世界に妥協してインスピレーションの翻訳そのものが行なわれてる。
1の前に千日手を決して容認しない世界がすでに確立されていたと言うこと。


インスピレーション1 戦争の構造 単純なこと&わからないこと No: 6288 [返信][削除]
 投稿者:マシュダ一家  04/08/22 Sun 04:13:57

尾形光琳筆とされる国宝指定の「紅白梅図屏風」は現在熱海市のMOA美術館に鎮座して毎年2月に公開している。今年はそこで「尾形光琳筆-紅白梅図屏風-の新知見 調査速報とシンポジウム」というものが2004年2月14日(土)午後1時半〜5時に開催された。 事前に公に知られていたことだが、このシンポジウムで「紅白梅図屏風」には金箔と銀箔が一切使用されていないことが報告された。2004年8月21日(土)午後9時〜9時49分放映のNHKスペシャルはそこから始まるドキュメント。まず呆れてしまうのは、NHKさえお抱え専門家に責任転嫁して「300年間も日本人はダマされた」と言う前提で大発見を演出していること。上記シンポジウムで東京大学名誉教授の辻惟雄がせっせと大学ノートにメモっているサマはNHKの今年最高のギャグであろう。何も知らない人々を使って科学検証をさせ、頭の悪い権威筋がその結果に「驚く」と言ういつものマンネリ構図であった。
金箔銀箔がモノホンかモドキかは本物の職人集団はひとめで見抜ける。
大陸へ行くとよくわかる。贋作の山だから。材料の素材からオリジナル当時のものを探して完璧な贋作を制作するプロ工房が無数にある。科学分析などしたら逆にハクがつくと言うオチが待っている。金に糸目をつけない対象作品は一度モノホンと認定されると購入責任者とその一族が死ぬまで嘘を貫き通すのが数百年来の恒例。美術史はデザイン盗用史だが、美術市場は昔からニセモノ争奪戦。デザイン象徴化が発展すると今度は安易となった贋作量産を防ぐために工房では様々な工夫をした。どうせニセモノが売買されるので先にニセモノを工房でつくらせて市場を制御するのが美術市場とデザイン工房の戦略。だから工房では同じモノを最低ふたつ以上作る。尾形光琳が型紙を使用したのは複数同じものを作るため。金が少なくて済む金泥を使用しそれを金箔に見せたのはダマシ絵の系譜ではなく様式と保存の系譜。こんなことに300年間も職人やオーナーが気がつかなかったわけではなく、たまたま世間が知らないからダマされたと思っているだけ。
立川談志なら「期待するからダマされる」と言うであろう。
だからこんなところで大恥さらす名誉教授もでてくる。現役教授なら給料に直結するが、名誉教授などもともと骨董品なのでギャグになるというのがNHKの戦略であった。生きたミイラとなった米長が人間大学に出演するようなものであろう。

尾形光琳ならお笑いで済むが、国家同士の戦争となると隠匿合戦は熾烈を極める。昨日からNHKはゾルゲ特集を組み、オチは篠田正浩監督の映画「スパイ・ゾルゲ」。あれは照明の使い方からして悪趣味映画だが、内容は娼婦に聞いたワイドショー。あんなモノでなぜNHKは「これが戦争の裏側」などとダマした気分になれるのであろう?
当家が考える戦争の構造はもっと簡単。
以下の通り。
1=プロ集団が世間をダマしてボロ稼ぎ。
2=プロ集団のスポンサーがお抱えのタイコもち使って宣伝。
3=モノホンと思い込んだバカがまたダマされる。
4=責任問題を回避するために隠匿の繰り返し。

この1-4に該当者を当てはめれば済む。
なぜ人々は尾形光琳にダマされたのかという構造と同じであった。
ダマしたのは尾形光琳ではなくボロ稼ぎした集団の方。
一言でダマス方もダマされる方も自分の生活圏を護る為にこのような構図となる。

このような世界は日本将棋連盟を見るとよくわかる。
彼らは芸を磨くために生涯を捧げたフリをし、生活圏を護る為に嘘をつく。実態はダマしたりダマされたりを交互に繰り返して生活している。
そして興味深いのはそれを見る人間の習性。
これも一言で済む。アレを口にしただけで彼らは職を追われてしまう。友達を失うかもしれない。そして彼らの愛するモノを失ってしまうかもしれない。
世間とは古今東西そのようなもの。愛する対象を護る為に言論を自ら制限し、知らぬ存ぜぬを貫き通す。知っていても知らないフリをする。だからアホのフリして300年間尾形光琳の嘘に気がつかなかったなどと言える。絵にそのまま書いてあるのに誰も正視できなかったのは、その絵に値札がついていたため。人間についている肩書きのようなものが絵の値札。その絵を正視した者は抹殺されたのはなぜかと問う必要もない。モノホンの価値と居場所を口外したらいつの世でも人は殺される。
だから神様の居場所を知っている人間は表にでてこない。
インスピレーションとはなぜ人間界で重宝されるのか?
インスピレーションとは真実の一部を瞬間垣間見ること。
インスピレーションとはその世界の言語で再構成しなくてはならない。だからその翻訳者は重宝される。そしてそれを市場で金にする人間とは生まれつきインスピレーションがないために、その先の世界に震撼することなく値札だけで世界を把握する。
もうひとつある。
1の前に何があったのかというモンダイ。
1=プロ集団が世間をダマしてボロ稼ぎ。
このプロ集団の親分は殺し合いのインスピレーションをどこからもってくるのか?
これを解明するために将棋と言う羅針盤がある。
今季のアテネオリンピックで日本選手に「絶対勝つ」と言わせているモノはマスメシア。あれは「何をしても相手を殺す」という殺愛のインスピレーションから来ている言葉。
殺すということが愛。
その大もとはわからない。わかった瞬間に死んでしまうので人間の言葉にするイトマがないであろう。