棋譜とは最も雄弁で寡黙な記号劇1-4
MashudaBBS2004.07.06

棋譜とは最も雄弁で寡黙な記号劇1 高度な抽象芸術
棋譜とは最も雄弁で寡黙な記号劇2 静謐なドラマ

棋譜とは最も雄弁で寡黙な記号劇3 繊細な表現力

棋譜とは最も雄弁で寡黙な記号劇4 勝負に反映する
生観
棋譜とは最も雄弁で寡黙な記号劇X 腐った芸人棋士


棋譜とは最も雄弁で寡黙な記号劇X 腐った芸人棋士 No: 5772 [返信][削除]
 投稿者:マシュダ一家  04/07/06 Tue 04:41:11

恒例の番外なので大した内容はない。
将棋を大衆芸能にしたのは誰か?
それはマスメシアではない。他ならぬ棋士自身であった。
戦後の時代は職業棋士確立の為にチンドン屋兼業も戦略であった。
今はどうであろう?
専業棋士は生活が保証されたのに率先してチンドンしている。
テレビCMに出る羽生、対談番組でアホ晒す米長、芸能番組でマヌケ顔晒す島朗。
何事にも境界線がある。彼らはカリソメにも第1線で棋譜を作ってきた棋士。神吉とは立場が違う。こんな風潮があるため豊川まで勘違いした。故意の2歩までNHK杯で見せて自己宣伝活動をするようではオシマイ。故意の2歩でないならアホ顔晒して週刊誌の取材などまっとうな棋士は受けない。もともと腐った芸人棋士ならそれは有り得る。島までNHK杯解説で自分の禁じ手をネタにするようでは今後もっとヒドクなる一方であろう。
すでに連盟棋士は「生活の為に体売ってマース」と言う娼婦のノリと大差ない。
貴様等おかしいと思わない?
そんなにメシが食えないか?
嘘コケ。貴様等は逆に棋士の風格を貶めているだけ。
売れればSM雑誌になっても構わないという月刊「将棋世界」がその象徴。 「将棋世界」なんか売れなくてかまわねーの。もともと社団法人の優遇税分だけで出せる同人誌。逆にアホに売れるような内容じゃ困る。仕事がない能無し職員養う為?
なんのために棋士が理事やってんだか。
この大衆ポルノ路線は恐らく芹沢あたりまで許された。芹沢は自らダメ棋士を演じ切ったため。逆に永世棋聖を名乗って迎合路線を推進する米長は棋士を殺す悪魔になり兼ねない。
中原林葉のオマンコスキャンダルは大衆路線ではなくシリアスな切り傷。そこからまだタラタラ血が流れてる。中原は切腹の覚悟でいた。だが踏みとどまって棋譜を残した。
日経の将棋王国も産経Webも延々と高橋和の写真出して恥ずかしくねーの?あそこまで見事な棋戦中継やっておいて傍らでは迎合路線。高橋和なんかそのうちどんなオマンコするか作家のダンナがバラスに決まっている女流棋士。その逆かもしれない。米長の内弟子林葉直子が中原の性を世間に売ったように。そんなモノが売れる市場で棋譜までオマケで嬉しいか?
対局以外で自己表現したい蛇族の棋士には転業していただきたい。
別の道もある。
棋士の役目をハッキリ分けること。
無理であろう。
やはり転業して頂くのがもっとも手っ取り早い。
すでに死に行く和尚にソレをハッキリ言っていただきたい。
貴様等腐ったエロ本を見せて楽しいかと。


棋譜とは最も雄弁で寡黙な記号劇4 勝負に反映する生観 No: 5771 [返信][削除]
 投稿者:マシュダ一家  04/07/06 Tue 03:18:13

ようやく4に辿り着いて初めて本題となる。
棋譜とは表現芸術の最良の部分を凝縮している。高度な抽象性-静謐なドラマ-繊細な表現力。そして最後に勝負に反映する死生観。
これほど不要なモノを一切受け付けない表現芸術はない。
NHKのオープニング音楽もアホな観戦記もマシュダ一家もいらない。棋譜だけが完全な形で残る。そしてそれが最初から全て。
棋譜と呼ぶのでは物足りない。
そこで今日は棋譜を記号劇と呼びたい。


棋譜とは最も雄弁で寡黙な記号劇3 繊細な表現力 No: 5770 [返信][削除]
 投稿者:マシュダ一家  04/07/06 Tue 03:14:55

日本ではテレビドラマのみならず、文楽、能、歌舞伎、映画、新劇、アニメなどあらゆる形態の劇がメロドラマ。落語を一人芝居から長大な創作ドラマにした桂三枝の「新撰組」など例外的な一発芸であった。最近では尾形イッセーさえメロドラマ化しないと食って行けない。
メロドラマと言う言葉はどこから日本に来たかと言うとフランスの第二帝制時代のオペレッタから来ている。日本では大正モダニズムでもてはやされたオフェンバックがその典型。オフェンバックの初版スコアでは台詞が入る場面の劇中音楽をメロドラムと銘打つ。もっと古いイタリアオペラではメロドラマという言葉が意味をなさない。劇進行を促す台詞はセッコレチタティーヴォで歌手が全部歌ってしまうため。ベルカントオペラの最大の楽しみは大アリアよりむしろこのレチタティーヴォ。あまりに繊細な表現力を要求されるためにアホな歌手には勤まらない。表の派手な世界ではなく人間の内面を最も表現し得る分野。これが楽しめるようになると神経が麻痺するほどの快楽となる。


棋譜とは最も雄弁で寡黙な記号劇2 静謐なドラマ No: 5769 [返信][削除]
 投稿者:マシュダ一家  04/07/06 Tue 02:50:41

台詞劇の権化のようなシェークスピア劇でも当時は劇中歌で彩りを添えていた。この場合エリザベス朝音楽とは額縁効果を引き出す役目。近代になってゲーテでもマルガレーテは歌う。チェーホフでもギター弾きを劇中に出す。これらはすべて額縁効果の一言で済む。写真のフレームは作品そのものと明解な境界線をもっていると言うこと。
日本に根づいたメロドラマ漬けメディアは銭湯の混浴好き日本人によく似合う。日本の演劇界しか知らない俳優が突然西洋演劇を見ればいかに彼らが台詞と演技と言う肉体のみに頼って芸道を究めようとしているかショックであろう。演劇場ではスピーカーから効果音など垂れ流さない。国立劇場の俳優ともなるとそこに立っているだけでオーラを噴き出している。これらの俳優の芸にゾッコン惚れると日本の歌舞伎や能の鳴り物さえヤカマシーと思うようになる。それでも彼らさえあまりに有名になるとメロドラマ映画に借り出されてしまう。やせた芸でも映画音楽でなんとかゴマカせる世界なので、やがてこれら神のごとき演技を誇った俳優はケツから腐って行く。


棋譜とは最も雄弁で寡黙な記号劇1 高度な抽象芸術 No: 5768 [返信][削除]
 投稿者:マシュダ一家  04/07/06 Tue 02:38:03

NHKの将棋番組はまず出だしの音楽がウルサイ。しかも亜流のタコ音楽ではなおさら興ざめ。だからできるだけコレを聞かない努力を強いられる。
対局室の静謐な時空間は心地よい。できれば対局室だけをずっと見たい。しかしそれでは棋譜が追えない。アホな大盤解説で口だけ達者な解説者のタコ台詞を聞かされてしまう。そうでないとリアルで指し手がわからないような番組構成となっている。
これは高度な抽象芸術の宿命なのであろうか?
そもそも将棋を大衆芸能扱いするのが間違っている。
将棋とは文楽や能はおろか、香道や茶道さえ問題にならないほど由緒ある高度な抽象芸術であった。それが昭和になってこのテイタラク。
棋譜は完全再生できるという特性において人類歴史上最も優れた表現芸術上の記号であることはすでに何度もふれた。音楽や演劇は完全再生できないが棋譜では新聞紙のわずかなスペースでもその抽象芸術再現を完璧に行なう。現在の棋譜法は最近のモノ。昔の棋譜は門外漢には読めないように書かれてある。それでも戦火で消滅したりはしない。