王座戦第3局その後1-4 棋士の聖杯 亡霊の肉体 
2003.09.26-27 解題マシュダ一家

王座戦第3局その後4 本日の塚田解説  No: 2686 [返信][削除]
 投稿者:マシュダ一家  03/09/27 Sat 13:57:00

ミュンヘンオリンピック。月面宙返りで世界をアっと言わせたあの塚田。
今日見るこっちの塚田は大内門下の恥さらしである。1987年に一度王座を奪取している棋士としてもう少しまともなことを言えないのであろうか?
彼の意地として例の74歩には同角でどーよ、やっぱダメかという程度でありナベラ執念の73歩や羽生渾身の56歩はなにも見なかったかのごとき態度である。終盤など誰が見てもわかる。誰がみてもわかるところしか説明しないのでは元王座も現九段もない。ただのタコである。
しかも二度までも矢内に康光は旦那にいかがと勧めている。このタコは神経が麻痺してそれが公然のセクハラと思わないのである。これは康光へのセクハラである。
あの塚田が結婚でダメになった好例であろう。幼稚園の親子リレーで頑張っていただきたい。
羽生は映像で見るとビョーキである。腰痛かもしれない。痔かもしれない。幼稚園の親子リレーの予行練習で筋肉を痛めたのかもしれない。そのような類の人に言えないビョーキである。明らかなことはそれが和室対局と相性が悪いビョーキであるということ。
一日制の和室対局はシンドイ。椅子席でよろしいかと思う。あのようなインスタント和室は見ていてこちらが胸クソわるくなる。
それでも和室にこだわるなら背もたれをつけて、掘り炬燵でやればよい。足は伸ばせる、炬燵の中で尿瓶は使える、相手に足で合図を送れる等等いいことづくめである。


王座戦第3局その後3 タラコ族の唄声  No: 2683 [返信][削除]
 投稿者:マシュダ一家  03/09/27 Sat 02:30:12

75手目に羽生が▲7四歩を指せば羽生の楽勝であるなどと伝染してしまった。太鼓持ちの見本「米長掲示板」やコエダメの老舗「駒音掲示板」のヒヨコちゃんたちも電子レンジが生みの親と思い込んでいる有り様である。
電子レンジに一昨日焼き鳥を入れたのは西尾であった。ソレを最初に西尾に言わせたのは誰であろう?西尾まで信じ込んで▲7四歩△同飛▲5四歩△同歩▲3四歩で先手勝勢などと言っている。だから西尾は「将棋の怖さは最後で逆転されること」などと確信してしまったのである。これで羽生優勢から勝勢間違いなしと確信してしまえば、終盤で大逆転と思い込んでしまうからである。その恐怖感で手が伸びずにそこまでの棋士となる。西尾が恥をかくだけなら良いがこの恐怖感の出所を間違えている。畏怖はよいのである。西尾はそれさえも元もとない無垢の青年であるが、初めて解説らしい解説を任された勢いで恐怖の根拠を間違えてしまった。▲7四歩で楽勝などと確信する若者は決して大成しない。先輩たちもうまく操作するものである。こんなことを吹き込んだのは誰であろう?これが捏造である証拠に▲7四歩には同飛と取る変化しか公表されていない。羽生もやりたくない感想戦で「それであれば終わっていましたね」と言っているが、それは7四歩で同飛と取った場合の話である。そんなに後手が素直ならそれは終わっている。これは後手がどう応じるかの問題なので羽生は無論その先を後手の為に指摘する必要はない。
渡辺明は本日の日記で、▲7四歩には気がつかなかったと素直に述べている。「苦しかったようです」と控え室に遠慮して言うのみである。我々が絶賛した73歩も「泣く泣く辛抱」と素直に書いている。▲7四歩で楽勝と思っている野月や西尾には彼が言う「苦しい」というレベルが理解できないであろう。我々が当日の渡辺明ならばもし羽生が75手目▲7四歩を指せば決して同飛とは取らない。銀取りであるから銀を逃げるだけの話である。これがマシュダ一家名物銀の泡踊り。これで先手楽勝と豪語出来る棋士が居るのなら彼はタイトルホルダーになれる。しかし▲7四歩に同飛しかないと外野で思い込んでいる棋士は生涯タイトルとは無縁である。西尾はそんなことを野月や畠山あたりと一緒に歌ったのでは生涯タラコ族ということである。関西将棋会館での解説会など73歩をクソミソにけなし、神崎などは「これが渡辺明の読みか作戦変更か知りたい」などと日記にまで書きつける。バカであろうか?73歩は忍耐である。最初からそんな所に歩を打つと考えるタコがどこにいるのであろう?それを作戦か作戦変更かなどと考えること自体神崎もタラコ族であった。残念である。
渡辺明が単にずぶといと言う者は最も大切なことに集中できる彼の神経の細やかさを知らないだけである。彼の難しかったという感想のみが本局で唯一正しい。後手が指せると言っているのである。阿部以下の関西風大局観はすでに根もとから渡辺明に凌駕されているということである。

タラコ族は相変わらず歌っている。そのノリで我々も述べるなら37桂馬はビートルズであるが、93銀は泉谷しげるである。56歩は取り敢えずハイドンの天地創造あたりでよい。
本日の囲碁将棋ジャーナルではあの世界の塚田が登場し本局を解説する。過激変化がでるはずである。56歩以降は連盟棋士の解説はもう聞きたくない。


王座戦第3局その後2 亡霊の肉体  No: 2680 [返信][削除]
 投稿者:マシュダ一家  03/09/26 Fri 19:53:44

だから「こーすれば簡単に勝ちでしょ」などとお茶の味を汚す日浦は先崎と同族。コイツラはお茶会でも真っ先にお茶菓子おかわりなどと言うであろう。そんな西尾でもわかることを羽生に言っても無意味である。逆に羽生が本当に価値を見いだして貰いたいモノが霞んでしまう。我々が「羽生は**銀で負け」と証明すれば、74歩など霧散してしまうからである。だから日浦や先崎が言いたいことは羽生がある手を指した時点ですでに無意味。このような棋士は本来聖域に近づいてはいけないのである。我々が言っている聖域とは亡霊の肉体交友録のことではなく、無論棋譜のこと。
西尾はまだ連盟棋士になったばかりの手つかずの若者であり先々タイトル戦に絡む才能も持ち合わせている。このような才能までタラコ族にコキ使われてダメにされたのでは行く先が心配である。渡辺明の73歩は羽生の天才に匹敵する葛藤地獄の権化。このような手を決して西尾に語らせてはいけない。野月あたりのスレたタラコ族ならばよい。屋敷にはよくわかっているから何も言えないであろう。引き出しのボンナイフがコメントするべきであった。しかし錆びていてはさすがに何も切れない。弟子の森内の指し手も諸手で絶賛するしかない老害と成り果てた。そこで対局中は柳瀬の目ヤニだらけの視線にすがるという構図。見たままをそのまま述べることを真実と勘違いするのが眼糞人間である。眼糞人間は実は何も見ていない。肉体など最初からお化けである。それでも羽生という亡霊に本心を聞き出そうとする。柳瀬のような腐った亡霊に語ることなど何もない。羽生は全てを棋譜で語り尽くしているからである。だから羽生自身には自分の思考回路が目糞だらけの誤訳人間に勝手に翻訳されても一向に構わない。彼の存在とは最初から棋譜しかないのだから。それを彼の意志通りに読む者が自分以外に世界中で一人だけいればそれで彼の存在が証明される。それが孤独から救われるということである。闇夜で一人乗るブランコほど寂寥感あるものはない。周囲に擦り寄るのが薮蚊では泣きっ面にハチ以下。羽生は渡辺明に初めて親近感を覚えたであろう。それも棋譜が語っていることである。棋譜で全てを語り尽くしたので彼らは無言となる。それは敵対心ではなく愛着なのである。いい相手が来たと羽生は棋譜で語っている。日経が公開した対局後の冷えた写真と棋譜が語ることは全く逆なのであった。
情報公開などとエラそうなことを言っている眼糞人間は「情報」という言葉を使うだけで詐欺師とわかる。棋士は全てを棋譜にさらけ出している。体をひっくり返して裏まで見せている。ズルい人間はそれが自分で読めないので、読める人間がどのように読んだかを公開しろと言っている。「情報」とは元もとそのようなモノである。だから棋譜を情報とは言わない。棋譜は公開後データと呼ばれる。データを公開しろと言うのならわかる。ところがカンニング好きの人間は解析した答えを見せろと必ず言う。
権力や公衆発言権を掌握した者がそれをさらに自分に都合の良いように加工して使うのが世間というものである。大学も同様。著名人とはおよそそのようにして作られる合成人間である為に、その中枢は部下に裏切られないように絶えずエサを掌握している。彼らの本業は実は飼育係なのである。


王座戦第3局その後1 棋士の聖杯  No: 2679 [返信][削除]
 投稿者:マシュダ一家  03/09/26 Fri 19:23:03

本局の白眉は渡辺明の60手目73歩である。本局のアクビは野月浩貴のタラコ解説である。このバカは60手目73歩を疑問手と断定している。我々は73歩を絶賛している。これが日経タコグループとマシュダ一家の決定的な違い1である。翻訳が何かも知らない自称英文学者柳瀬尚紀によると20:05には「渡辺五段=苦しそうな表情。逆に羽生王座=余裕。By私の目」となっている。このモホはその曇った眼鏡で羽生が楽勝と断定しているのである。柳瀬は自称ハブオタ。かつてはヨネオタであった。本業の翻訳でも詐欺師であるが、詐欺師が詐欺師に擦り寄ったということである。商業世界とはそのようなモノである。詐欺師と詐欺師が手を組むうちはまだよい。互いに売り込むという唯一の目的で擦り寄るだけの話である。中身は最初からない。しかし羽生将棋ソノモノにこのような詐欺師どもは害悪なのである。

日経タコグループとマシュダ一家の決定的な違い2。それは羽生の55手め56歩に対する思い入れである。我々はこの手を指した時点で羽生の役目は終わっていると考える。この56歩は羽生にしか指せない手だからである。これがいかに危険な手であるか屋敷にはすぐにわかっている。連盟トップ棋士は怖くてこのような手を指せない。これを指したということはこの将棋をタダでは済まさないと言う羽生の意思表示である。これが一目でわかるところが我々と日経タコグループの決定的な違い2である。日経タコグループとはダミーのオマヌケ記者に象徴されるゴマカシ族のこと。朝食は大げさに書いても夕食はいっさい書かないご都合主義者の集団である。一日がアホ言語で巧みに操作されている。これが衆愚定跡である。ハエのようにたかるゴマカシ族には詐欺師仲間の米長、柳瀬、買収された野月や西尾なども居る。この55手め56歩を「厚みと実利」などとトンチンカンな事を言う米長、55手め56歩を指す前に対局室の隅で深呼吸する羽生を見て「何かやりそうな気配」を感じたと滔々と語る柳瀬。彼らは麻薬漬けのホームズも好きであろう。しかし羽生には害虫でしかない。このような視線は羽生将棋をコエダメに落としているからである。56歩などその場で深呼吸して出てくる手ではない。勝負手などではない。この一手にこそ羽生将棋の今後の行く末を賭けた大局観が集約されている。我々はこの一手を見てしばらく言葉がでなかった。これを指したかったのかと全てを理解した時には生涯何度体験できるかわからない純粋な笑いを体験することができた。それだけでよいのである。このようなことを過去に行なった棋士は一人もいない。勝敗など以上に面白いモノが将棋にはあると羽生はハッキリこの56歩で述べている。あとは我々の役目となる。羽生から頂いたアポロの微笑がそのご褒美である。これは羽生が王位戦第3局で谷川から得た棋士の聖杯。それを観るのがマシュダ一家の意志。