将棋世界という将棋を読む 7月号検証6 060-76P
第6回「対局日誌」と「将棋論考」
マシュダ一家 2003.06.10


060=河口俊彦の「対局日誌」。まずここは臭くてページを開きたくない。ここだけ袋綴じにしてもらいたい。「新・」などと付けても旧態依然である。しかし谷川浩司も半日署長をやっている。検証シリーズには相応しくないが、にわか汲み取り屋と思って続行するしかない。
佐藤天彦と中田巧のネット馴れ合いのことに触れている。ハンドル名はないがすぐにバレル。よく二人とも怒らないものである。
「間違えろと念じる心理は縁台将棋からプロまで変わらない」と河口は言う=ババアのおまんこ。ここまで開き直ると立派なものである。
061=「間違えろと念じる心理」を河口は「大山流の将棋術」と言う=貧弱な大山観。「変奏主題」という言葉を突然使う河口=そんな用語は存在しない。マシュダ一家のマネをするとこういう所でボロがでる。
062=将棋の断面でおしゃべり。クローズアップしかないポルノ雑誌。
063=ここにあるのは卑しい棋士の生態。
064=「野次馬の私」と自称する河口。すでに馬糞ではないだろうか?
065=宮田君?河口は学校の先生ではない。実際は長岡を狙って用務員室のホモジジイと間違われたそうである。
066=松本相手にナベラの58角。当たり前の手。他に受けがあるなら書いて欲しい。
067=控え室で「みんながわいわい言っている」やはり園児であった。
068=中原将棋も名曲アルバムにされてしまった。
069=丸山森内戦「研究が深くなってくるとこの欄では手に追えない」ページは存分にある。河口の頭では追えないだけである。実に10ページに及ぶ糞まみれオムツの繰り言であった。河口には死ぬまでにNHK杯解説を一度やって頂きたい。囲碁将棋ジャーナルにも一度くらいは出して頂きたい。汚いモノみたさが大衆的ということである。
070-71=真部一男の将棋論考。これを読んで楽しめる者は相当な趣味人であろう。
072-76=1968年棋聖戦第5局山田VS中原の解説。これは中原の惨敗譜である。棋聖戦が始まったこの時期、そして中原が連盟新会長になったこの時期になぜ真部がこの棋譜を選んだのか?
この棋譜を村の園児がざっとみれば五段時代の中原とはここまで弱いのかと思うであろう。果ては当時の将棋はここまでレベルが低いのかと思うであろう。
しかし真部は山田に共感し将棋に勝つ以外の何かをここで見いだしたいのである。

棋戦名:棋聖戦第5局最終戦
対局日:1968.01.30
先手:山田道美棋聖
後手:中原誠五段
▲7六歩 ▽8四歩 ▲6八銀 ▽3四歩 ▲7七銀 ▽6二銀
▲2六歩 ▽4二銀 ▲4八銀 ▽3二金 ▲7八金 ▽5四歩
▲6九玉 ▽4一玉 ▲5六歩 ▽7四歩 ▲3六歩 ▽5三銀右
▲2五歩 ▽6四銀 ▲5七銀 ▽8五歩 ▲6六銀左 ▽7三桂
▲4六銀 ▽8六歩 ▲同 歩 ▽同 飛 ▲8七歩 ▽8五飛
▲2四歩 ▽同 歩 ▲同 飛 ▽2三歩 ▲2八飛 ▽4四歩
▲7五歩 ▽8四飛 ▲7四歩 ▽同 飛 ▲3五歩 ▽6五桂
▲5八金 ▽4三銀 ▲3四歩 ▽同 銀 ▲2四歩 ▽同 歩
▲同 飛 ▽2三金 ▲2八飛 ▽2四歩 ▲6五銀 ▽同 銀
▲5三桂 ▽3二玉 ▲6一桂成 ▽8六歩 ▲7七角 ▽4五歩
▲3五歩 ▽4六歩 ▲3四歩 ▽8七歩成 ▲同 金 ▽5五歩
▲5一成桂 ▽3四金 ▲4六歩 ▽3六歩 ▲7五歩 ▽8四飛
▲8五歩 ▽同 飛 ▲8六歩 ▽7五飛 ▲3五歩 ▽3三金
▲5二成桂 ▽4四銀 ▲4七金 ▽4一歩 ▲3四銀 ▽同 金
▲同 歩 ▽3五銀打 ▲4一成桂 ▽7一飛 ▲4二金 ▽2三玉
▲3二金打 ▽3七歩成 ▲同 桂 ▽3六歩 ▲2二金 ▽同 玉
▲3二角 ▽投了
97手で先手の勝ち

勝負としてみればアッサリしており攻めあいにもなっていない。中原は42手めに65桂と跳ねて一瞬で負けにした。銀で喰われ王手金取りの桂打で終わってしまう。真部はこれは八百長だろうとさりげなく示唆している。だからわざわざ当時の中原がいかにして14年連続全タイトル戦登場であった大山を打ち破って挑戦者になったかを強調し、この棋聖戦も二連勝から中原の棋聖奪取であると誰もが確信していた背景を記す。そして中原が山田研究会に出入りして史上最年少の挑戦者になったことをわざわざ書くのである。そして大介も先月の名人戦第3局衛星解説でそうであったように、突然「解説が戻って恐縮だが」と言い訳しつつ幻の中原勝ち手順を紹介するのであった。これによって中原が手を抜いたかどうかなど本当は真部にはどうでも良いのだとわかる。真部は山田自身が「相手を負かさなければ自己実現ができない棋士という仕事に矛盾を感じ悩んでいた時期がある」と冒頭に記した。これは内藤の悩みと全く同じである。だからこそ内藤の為に用意された35ページめが光っている。真部が記す中原勝ち変化は以下。

棋戦名:棋聖戦第5局最終戦 中原の▽6五桂狙い筋
対局日:1968.01.30
先手:山田道美棋聖
後手:中原誠五段(挑戦者)
▲7六歩 ▽8四歩 ▲6八銀 ▽3四歩 ▲7七銀 ▽6二銀
▲2六歩 ▽4二銀 ▲4八銀 ▽3二金 ▲7八金 ▽5四歩
▲6九玉 ▽4一玉 ▲5六歩 ▽7四歩 ▲3六歩 ▽5三銀右
▲2五歩 ▽6四銀 ▲5七銀 ▽8五歩 ▲6六銀左 ▽7三桂
▲4六銀 ▽8六歩 ▲同 歩 ▽同 飛 ▲8七歩 ▽8五飛
▲2四歩 ▽同 歩 ▲同 飛 ▽2三歩 ▲2八飛 ▽4四歩
▲7五歩 ▽8四飛 ▲7四歩 ▽同 飛 ▲3五歩 ▽6五桂
▲3四歩 ▽4五歩 ▲同 銀 ▽7七歩 ▲同 桂 ▽6六角
▲同 歩 ▽5七桂不成
もし山田が▽6五桂に対して▲3四歩と取っていれば中原棋聖誕生と言う変化である。これが史上最年少挑戦者中原が用意した華麗な決め技であった。負けるにしても新聞用にこのような裏技を必ず用意している。勝負に撤した中原ならば決して▽6五桂とはここで跳ねない。村の園児でも跳ねない。真部は「実感だったろう」「不思議ではない」などという棋士の気持ちを勝手に推測する常套句を駆使している。そんなものはどうでもよい。この棋譜を掲げた時点で八百長だろうと言っているようなものである。
以下は棋聖戦で山田が登場した前後の内訳。
1967前 山田道美 3−1 大山康晴
1967後 山田道美 3−2 中原 誠
1968前 中原 誠 3−1 山田道美
1968後 中原 誠 3−1 大山康晴
1969前 中原 誠 3−0 山田道美
1969後 内藤國雄 3−1 中原 誠
当時の棋聖戦は年に二回行なわれていた。年に二回は多い。しかも一日制。だから重みもない棋戦である。山田の研究会生だった中原は翌年棋聖位を山田から奪取。大山から山田を経て中原に禅譲されたということである。そして山田は血小板減少性紫斑症の病名で36歳で死ぬ。この病名も真部のオチもありきたりであった。病死を美化して何になるのであろう。痴呆症となるより良い。真部はこの将棋を全棋譜紹介していながらその序盤の神秘について一切述べていない。13手めにして驚く。25手めの局面は天衣無縫である。カニカニ銀の進化型を山田はタイトル戦で指している。中原さえ翻弄されたこの序盤こそ語るべきなのである。▽6五桂以後は将棋ではない。桂馬のフンドシ一発で決まるという情けない展開であった。▽6五桂以後は中原の将棋でもないということである。真部が本当に言いたいことは、山田の序盤は畏れ多くて書けないほど奥が深く、勝負など二の次であると言うことである。膣居している真部らしい湿りある棋譜の選択であった。当たり前であるが河口よりはるかに道を知っている。