将棋世界という将棋を読む 7月号検証2 18-23P
第2回「名人戦第3局 お通夜の名人奪取」
マシュダ一家 2003.06.05



019=名人戦第3局島解説。島はナンタラの研究などとえらそうなことを書いていた不良であった。大学ならば研究を盗んだ時点で教授資格を剥奪される。引用元を明確にさえできない者は盗人である。プロ棋士には最初から研究などという言葉はふさわしくない。言葉だけ真似るから中身がない。研究会など実態は軍事演習である。さて四間飛車の解説では島は開き直ったチンピラであった。大介にすがりつくす。ならば大介が最初から書けば良い。
森内の新手32歩に対する最善手は今でも不明と島は書く。だから羽生の44角は「ベストの選択にきわめて近い」と島は続ける。バカであろうか?バカならそのように扱うしかない。「ベストの選択にきわめて近い」ものとは次善手と将棋界では呼ぶ。最善手と次善手の区別さえも曖昧にしたいらしい。そこで標題の意味が明らかになる。「ベスト&ブライテスト」という標題は日本語で「最上と至光」ということである。ところがブライトをblightと読むとその最上級は「最悪」という意味になる。この標題が意味することは、お隣の分析はベストでマゾヒスト島の解説は「最悪」ということである。なぜならば対局者本人たちはベストの指し手など指していないと島自身がハッキリ述べているからである。そこで単なる次善手を「ベストの選択にきわめて近い」などと島は表現するのであった。誰の為にそんな表現をするのであろうか?誰のためでもない。44角は悪手を自認したグランサタンだと島にはハッキリ言えないだけである。島には我々が実況で述べた「背後には例のトリプル手暗躍」という意味さえ把握できていない証拠ともなる。島は標題で自分がマゾヒストであったことを自白している。島が「最悪」の自分をもっと叩いてくれと標題で言っているので、我々も遠慮なく続行しよう。手抜きの愛のムチは彼に失礼であろう。

020=写真が素晴らしい。仁王立ちしている加藤一二三である。これをスキャナーで取込みPCの壁紙とすれば迫力満点であろう。
いきなりクライマックスを迎える。「森内は76飛に88玉以外の応手を考えたものの、実戦で指すことはできない」と島は書く。そんなことは棋譜を見れば子供でもわかる。森内は三種類の手がある中で88玉と指しているからである。島は森内が他の手を考えていたと断言するならその中身を書くべきである。しかし島はこの最重要の地点を上記の一言でゴマかしたのであった。これはすでに名人戦第3局の解説ではない。島は我々がリアルタイムで提示した最善手68玉を書けないのである。囲碁将棋ジャーナルの大介と同じであった。しかも次善手である77香にさえ一言も触れないのでは大介&ナベラ以下であった。最善手68玉を書けなければ次善手77香も書けないということである。こんなことさえ書けないのではすでに名人戦最終解説者の資格さえない。ゴマかした挙げ句に「49香が事実上の敗着と言えるかもしれない」などと言う。後世の者は笑えない。今でも大いに笑われて、その欺瞞に飽きられているからである。不利になってからの角打ちに森内は「飛車を浮く一手だった」と感想戦で述べた言葉まで持ち出している。終局後のボロボロ頭などどうでもよい。これは大局観に係わる棋士の中枢となる。死ぬまで森内は言わないであろう。だからマゾヒスト島などが解説すること自体が異常性行為を推進しているのである。
023=写真はお通夜の終局後風景。森内-羽生-青野-大介は沈痛な表情である。島も最重要地点で何も書けないのでは丸ごと墓場の観戦記となった。
島はこの第3局を「不完全燃焼」と勘違いしている。彼が何も読み取れなかっただけである。だから文字数も少ない。ならば藤井か久保がこれを書くべきである。島よりまともな内容であろう。
我々はここから中空理論を構築していることに居飛車党棋士は気がつかないのであろうか?我々にとっては名人戦で最も大きな収穫となった非常に重要な1局であった。そしてこれが「事実上の名人奪取」の1局であった。