名人戦第4局千日手局と中原誠の大局観 勝負タイプと求道タイプ
解題マシュダ一家 2003.5.25



2003.5.5収録のNHK杯加藤一二三VS森ケイジにおける中原解説考察
まずは下記棋譜の確認。大熱戦であった。

棋戦:2003.5.5NHK杯戦/放映5.25
先手:加藤一二三九段
後手:森ケイジ九段

▲2六歩 ▽3四歩 ▲2五歩 ▽3三角 ▲7六歩 ▽2二飛
▲4八銀 ▽4二銀 ▲6八玉 ▽6二玉 ▲7八玉 ▽7二玉
▲5六歩 ▽8二玉 ▲5八金右 ▽4四歩 ▲3六歩 ▽4三銀
▲6八銀 ▽7二銀 ▲5七銀左 ▽3二金 ▲6八金直 ▽2四歩
▲同 歩 ▽同 角 ▲4六歩 ▽3三角 ▲2五歩 ▽9四歩
▲9六歩 ▽1四歩 ▲3七銀 ▽4五歩 ▲5五歩 ▽5四歩
▲4五歩 ▽5五角 ▲同 角 ▽同 歩 ▲2四歩 ▽2五歩
▲4八飛 ▽3三金 ▲3一角 ▽2四飛 ▲4二角成 ▽5二金
▲4一馬 ▽6一銀 ▲4六銀右 ▽3二銀 ▲3一馬 ▽2六歩
▲2五歩 ▽同 飛 ▲3七桂 ▽2三飛 ▲4四歩 ▽1三角
▲同 馬 ▽同 香 ▲5五銀 ▽2七歩成 ▲4五桂 ▽3七と
▲4六飛 ▽2八飛成 ▲3三桂成 ▽同 桂 ▲6五角 ▽4五歩
▲6六飛 ▽4二金 ▲9五歩 ▽同 歩 ▲5四角 ▽7一桂
▲3五歩 ▽5三歩 ▲6五角 ▽3五歩 ▲4三金 ▽同 銀
▲同歩成 ▽1九龍 ▲5九歩 ▽6四香 ▲4二と ▽6五香
▲同 飛 ▽3八角 ▲5六銀打 ▽7四角 ▲5一と ▽7二銀
▲6六銀引 ▽6五角 ▲同銀直 ▽4六歩 ▲6二角 ▽4七歩成
▲6一金 ▽同 銀 ▲同 と ▽7二金 ▲5三角成 ▽5七と
▲同金左 ▽5二歩 ▲7一馬 ▽同 金 ▲同 と ▽同 玉
▲7五桂 ▽7二銀 ▲5四銀 ▽3六角 ▲6三桂成 ▽同 銀
▲同銀成 ▽同 角 ▲6五香 ▽6二歩 ▲6三香成 ▽同 歩
▲4四角 ▽5三銀 ▲3三角成 ▽4八と ▲5五馬 ▽5八と
▲同 金 ▽1七龍 ▲8二銀 ▽同 玉 ▲7四桂 ▽7二玉
▲8二銀 ▽7四歩 ▲8一銀不成▽6一玉 ▲7三桂 ▽5一玉
▲4二歩 ▽4四銀打 ▲6五馬 ▽5四香 ▲7二銀成 ▽4二玉
▲4七歩 ▽9六歩 ▲9八歩 ▽9五桂 ▲3四歩 ▽8四飛
▲8六金 ▽2六龍 ▲9五金 ▽同 香 ▲4五桂 ▽4三金
▲5三桂成 ▽同 歩 ▲4五銀打 ▽4一桂 ▲4四銀 ▽同 金
▲6六馬 ▽3四金 ▲4五銀打 ▽3三金 ▲5四銀 ▽同 歩
▲4六香 ▽4四歩 ▲6一桂成 ▽9七歩成 ▲同 歩 ▽9八歩
▲同 香 ▽6九銀 ▲同 玉 ▽8七飛成

プロ棋士にとって大局観とは命であるらしい。ポカで負けたことはイタクはないが、大局観の見損じで負けたと言われることがもっともつらいと青野が今週の名人戦解説で述べている。では彼らの言う大局観とはなんであろう?
本日放映のNHK杯加藤一二三VS森ケイジは驚きであった。名人戦第4局と同じ大局観をもつ。羽生はこの将棋を知っていたはずである。よみくま日記によると収録は5月5日に行なわれ同日には木村-富岡戦があった。羽生は研究会仲間の木村に森の44手め筋悪33金を聞いていたであろう。この33金は終局後森が真っ先に「ひどい手」と嘆いた手であり、解説の中原にもさんざん悪態をつかれた。ところが森は口ほどにそうは考えていない。その証拠に森は羽生がやった名人戦第4局の筋悪金を飛び入り解説で「自分ならこうやる。しかし羽生さんだからどうか(筋悪ということ)」と述べた。羽生は筋悪の手で森に同期している。なぜ羽生がそのようなことをしたのか理解できないとあの千日手局はおろか今期名人戦は謎のままであろう。深浦は「自分なら絶対に千日手にはしない」と豪語し森にあしらわれた様は衛星放送で晒された。

大名人の解説は将棋界の最高峰であろう。我々が待ちに待った日であった。彼の言葉を逐一検証するのには丸一日を費やす。それほど奥が深い。この将棋のポイントは三つ。そこでふたつの大局観が激しく激突する。ひとつは加藤一二三の33手め37銀。これを中原は「よほど(棒銀が)好きなんですね。むしろ37銀から48銀と下がりたいとこなのに」と述べる。中原はここに桂馬を跳ねたいのである。今週の名人戦第4局千日手局では後手の森内名人が右桂を跳ねた為に桂馬を巡って千日手となった。桂馬は狙われると局面が硬直する。我々は加藤一二三の選択が正しいと考える。この局面は難解すぎて現段階では結論はでないなどと言う背景は無視して別の視点をまず明解にするべきである。森相手では千日手にされる可能性が大きいからである。森という棋士は商業将棋を指さない場合がある。恰好などどうでもよいという無頼派と見られている為に棋士仲間からも人望がない。しかし我々はそのように見ない。名人戦での剃髪はいまだに尾を引く精いっぱいの納豆演出であるが棋譜は逆である。タゴサクのフリして求道者の裏街道を歩んできたのが森であったと評価し得る。形にこだわらないという点は大名人とも共通するのでこれは形の問題ではない。
大局観とは我々が何度も言うように先後の問題に尽きる。先手が無理に打開すると負ける。中原は大名人としての立場が違う。攻め倒せる自信を商品化するという義務がある。この義務を大名人の大局観と混同してはいけない。しかし演技の自信が大局観と混同してしまう場合がある。それが王者のプライドというもの。攻め倒せる集中力が低下してもこのプライドはかわらない。森は大戦略家。中原とて油断すると下記のような惨敗が有り得る。
対局日:2000/12早指し選手権戦
先手:中原
後手:森
▲2六歩 ▽3四歩 ▲7六歩 ▽5四歩 ▲2五歩 ▽5二飛
▲7八金 ▽5五歩 ▲2四歩 ▽同 歩 ▲同 飛 ▽5六歩
▲同 歩 ▽同 飛 ▲5八歩 ▽3二金 ▲2八飛 ▽2六歩
▲6六歩 ▽4四角 ▲6七金 ▽5五飛 ▲6八玉 ▽2五飛
▲3八銀 ▽6二玉 ▲7八玉 ▽7二玉 ▲6八銀 ▽8二玉
▲5六金 ▽3三桂 ▲4六歩 ▽7二銀 ▲4五歩 ▽3五角
▲5七歩 ▽4二銀 ▲6五歩 ▽1四歩 ▲3六歩 ▽1三角
▲3七桂 ▽2一飛 ▲1六歩 ▽3五歩 ▲4六金 ▽3六歩
▲同 金 ▽5六歩 ▲3五歩 ▽3四歩 ▲5六歩 ▽3五歩
▲4六金 ▽3六歩 ▲同 金 ▽6八角成 ▲同 玉 ▽2七銀
▲2二歩 ▽2八銀成 ▲2一歩成 ▽3八成銀 ▲同 金 ▽2七歩成
▲同 金 ▽2九飛 ▲2八飛 ▽同飛成 ▲同 金 ▽4八飛
▲5八飛 ▽4七飛成 ▲6七銀 ▽4九銀 ▲6九角 ▽5八銀成
▲同 角 ▽4八飛 ▲5九玉 ▽6七龍 ▲同 角 ▽2八飛成

ここには中原の裸の大局観があるのみ。裸の大局観はプロ棋士ならポコチンと言うべきである。このようなモノを我々は別の用語で分ける。パレルゴンの二面性によりプロ棋士が言う大局観とはふたつにハッキリ分かれているということ。プロ棋士は体験的にそれを知っているがそれを表現する言葉がない。現役棋士は自らを勝負タイプと求道タイプと呼べないからである。
加藤一二三に対して「よほど(棒銀が)好きなんですね」という中原の言葉は、かくして柔軟性を駆使した中原の最大級の罵声と読むべきである。大名人の言葉は恐ろしい。すべてが的確で他の追従を許さない大局観に裏打ちされる。これを一言で言えば中原は典型的な勝負師。加藤一二三は求道者となる。加藤一二三の空打ちや逆立ちした振り子運動は大衆に勝負師のイメージを与え、温厚な中原を求道者のように見せるが棋譜は逆である。鬼のごとき勝負師とは中原のことであった。これは大名人の宿命であろう。羽生は攻め倒せる集中力が落ちても強くなっている。中原もそうであった。
そこでふたつめのポイント。
中原は森の43手め筋悪33金を非難し47歩が筋だろうと述べる。同飛なら飛車桂取りの角打。ところがこれは筋が良すぎる。加速定跡となり以下のように先手の攻めが続く。後手の美濃囲いは風前の灯し火なので攻めが続いては最善でも後手は千日手しかない。しかし先手の急戦における後手の最善とは先手を切らすことなのであった。森は終始そのように指している。テレビ向きではないので大名人から罵声が飛ぶということでもあった。これが喧嘩する大局観である。


棋戦:2003.5.25NHK杯バリアンテ6
戦型:向飛車対急戦
先手:加藤一二三九段+マシュダ1
後手:森ケイジ九段+中原誠

▲2六歩 ▽3四歩 ▲2五歩 ▽3三角 ▲7六歩 ▽2二飛
▲4八銀 ▽4二銀 ▲6八玉 ▽6二玉 ▲7八玉 ▽7二玉
▲5六歩 ▽8二玉 ▲5八金右 ▽4四歩 ▲3六歩 ▽4三銀
▲6八銀 ▽7二銀 ▲5七銀左 ▽3二金 ▲6八金直 ▽2四歩
▲同 歩 ▽同 角 ▲4六歩 ▽3三角 ▲2五歩 ▽9四歩
▲9六歩 ▽1四歩 ▲3七銀 ▽4五歩 ▲5五歩 ▽5四歩
▲4五歩 ▽5五角 ▲同 角 ▽同 歩 ▲2四歩 ▽2五歩
▲4八飛
▽4七歩 ▲同 飛 ▽3八角 ▲4六飛 ▽2九角成 ▲4四歩
▽5四銀 ▲4三角 ▽6五馬


みっつめのポイント。中原解説のクライマックスを迎える。
中原は角を打って先手の馬が殺せることをほのめかす。大名人の恐ろしさとはこのようにサラリと述べた筋に突如出現する。これを検証する。森に馬殺しは可能であったか?

棋戦:2003.5.25NHK杯バリアンテ12
戦型:向飛車対急戦
先手:加藤一二三九段+マシュダ2
後手:森ケイジ九段+中原誠

▲2六歩 ▽3四歩 ▲2五歩 ▽3三角 ▲7六歩 ▽2二飛
▲4八銀 ▽4二銀 ▲6八玉 ▽6二玉 ▲7八玉 ▽7二玉
▲5六歩 ▽8二玉 ▲5八金右 ▽4四歩 ▲3六歩 ▽4三銀
▲6八銀 ▽7二銀 ▲5七銀左 ▽3二金 ▲6八金直 ▽2四歩
▲同 歩 ▽同 角 ▲4六歩 ▽3三角 ▲2五歩 ▽9四歩
▲9六歩 ▽1四歩 ▲3七銀 ▽4五歩 ▲5五歩 ▽5四歩
▲4五歩 ▽5五角 ▲同 角 ▽同 歩 ▲2四歩 ▽2五歩
▲4八飛 ▽3三金 ▲3一角 ▽2四飛 ▲4二角成 ▽5二金
▲4一馬 ▽6一銀 ▲4六銀右 ▽6四角 ▲6六銀 ▽3二銀
▲5二馬 ▽同 銀 ▲6二金 ▽4七歩 ▲同 金 ▽2六角
▲5二金 ▽4八角成 ▲同 金 ▽2八飛 ▲3八角 ▽2六歩
▲2五歩 ▽同 飛 ▲3七桂 ▽2七歩成 ▲2九歩 ▽3八と
▲2八歩 ▽同飛成 ▲6二飛

早指し選手権並のサービスでかなり進めたがこれでは先手勝ちとなる。角打ちで馬を殺しにかかると今度は加藤一二三が怒り心頭で森のように自陣に角をバシっと打つはずである。駒がはじけるであろう。▲3八角と自陣に打ち先手は勝つ。従って森は飛車を打てない。だから64角打もない。
中原はこのようなことになる場合があると直感的に知っているので64角打があるとのみ示唆し形成判断は全く別のところに置く。それが大名人が抱く恐怖の背景となる。
森の正しかったはずの後手の大局観は馬殺しは無理でも生角との交換を幻想として発生させた。本譜の13角打で形勢は先手に傾く。中原はこの13角打を「さすが」と一瞬たじろぐが、加藤一二三は喜んでバシッと交換にスンナリ応じたのであった。これで後手は手番を失い負けにする。
なぜこの幻想交換が発生するのか?
正しい森の大局観が悪手を生み、その悪手を正しい中原の大局観がベタ褒めし、それが加藤一二三に打ち砕かれ、最後は当の加藤一二三が森に切らされてしまった。商業将棋を楽しむとはこのようなことである。これを拒否するとあの37銀に至り、さらには先手後手という問題に行き着く。
名人戦第4局の千日手を語れる者はプロ棋士にはいないであろう。それを語り始めると彼らは失語症に陥るからである。