棋士とファン

MashduaBBS2003.05.18


Re棋士とファン 米長公約の虚偽と軽薄 投稿者:マスメシア審議会  投稿日: 5月18日(日)18時52分34秒

米長公約1 将棋を学校に導入
=選択科目でもまとまな教科書がないのでは無理。彼には教科書さえ作る意思などない。もっとも実践的な理論を構築しているマシュダ一家でさえ米長に完全に抹殺されてきた。
米長公約2 教育予算交渉
=多くとも年間1千万にも満たない予算を取るのが公約では羽生に寄附をお願いしたほうが手っ取り早い。

全ては彼のスタンドプレー。理事などただの名誉職。自分の給料をもらうだけのこと。どこの社団法人でも同じ宿命。連盟解体するなら別。羽生ならすぐにも独立可能。その場合でも米長はいらない。羽生が5億稼げるアーティストであることを最も知悉しているのはマシュダ一家。


棋士とファン5 投稿者:凡夫  投稿日: 5月18日(日)15時48分35秒

 大分以前の書き込みの中で小生は「羽生で5億、名人で2億、四段で1千万」の収入が至当と述べた。棋士はパフォーマンスに見合った収入を得ていないという感覚からそう言った。今もこの考えは変わらないが、新聞社そのものをスポンサーに仰ぎ続けるとすればこの数字には全く現実性がない。「別に羽生が2億、名人で5千万、四段で5百万でもいいじゃん」という考え方もある。確かに本人達はどう思っているか知らないが、当節充分な実入りではある。しかし、それは本筋の考え方ではない。謂わば現状での妥協である。小生の提言額が法外ではないとしたら、それは収益を上げるための構造がよろしくないということである。松井5億、中田英7億(含CM)とも言われる。規模・システムが整っていればこれだけの実入りが実現している。羽生の実績と活躍の内容は少なくとも将棋ファンにとっては遜色ないものに見えないだろうか。たまたま、世界規模の競技ではないが羽生にとどまらず将棋の超一流棋士ののアピール度は、百歩譲っても最低1億の価値はあるだろう。日本のプロ野球でもレギュラークラスなら1億行っている。小生は一将棋ファンとしてこのギャップが歯がゆい。なんとかならぬものかとあれこれ要らぬお節介を考える訳である。


棋士とファン4 投稿者:凡夫  投稿日: 5月18日(日)15時16分34秒

 で、苦しくなってきた時の新聞社の対応は「切る」のか、長年の付き合いもあり一定数の固定ファンも見込めるから「残す」のか。小生が経営者なら残す。将棋ファンは明確な意識を持って購読する読者である。特に、大タイトルである名人・竜王はタイトル戦の楽しみプラス予選の充実が見込めて、相当数のファンが棋戦を理由に購読しているのではと想像する。仮に少なくても確実な数字である。そういう読者=客をないがしろにする経営はどこかでしっぺ返しを受ける。で、残す。しかし、実際の経営者の思惑は分らない。残すが賞金・規模を縮小させるかもしれない。将棋界の現状ではそれもやむを得ないと感じる。生き残りのための企業努力という点では全く評価されないのではないかと思う。
 ここまでの結論は、新聞社という脆弱で小規模の財政の企業に依存するのであれば、棋士の収入は減ることはあっても増えはしないであろう、ということである。米長氏は理事立候補に際して、将棋を学校に導入し、棋士の収入増につなげたいと訴えている。理事選を控えた微妙な時期であり氏の選挙活動を妨害する意図は微塵もないが、その方針はさすがににわかには首肯しかねるものがある。方法は迂遠であり、発想は短絡的である。棋士の収入増を将棋を学校に導入する目的の一つとするならば、自治体は引くだろう。本音はそうであっても、明文化してはいけない事柄だと思われる。現候補者の中で小生の知る限り方針を表明しているのは米長氏のみであるから、氏が当選し、尚且つ会長に選出されるようであればその方向を棋士達が良しとしたのであるから、部外者がとやかく言っても始まらないし、頑張って下さいと言う他ない。


棋士とファン3 投稿者:凡夫  投稿日: 5月18日(日)10時27分26秒

 マシュダ一家の真似をして番号など振ってみた。その割りに進展がないし脈絡もない。話はそれっぱなしである。これはウヰスキーの所為である。以前対局中は酒を飲まないようにと厳しく注意をされたことがあるがやはり飲んでいる。サントリーの角瓶白ラベルである。1,250円也。黄ラベルは甘くて飲めた代物ではないがこれは旨い。中断したのはそのためである。つまみはなんと余って冷凍しておいた餃子の皮を素揚げしたものである。マシューの衣も揚げるというが、これはただの厚めの餃子の皮である。低温から丁寧に揚げてやる。揚げたら軽く塩をする。と、これがなんといかなるクラッカーより旨い。タコスの例のガワ、に近い。野村再生工場はポンコツ選手を復活させたが、零細凡夫リサイクルセンターでは捨てる他ない食材を美味しく食べられるように工夫することになっている。
 話はそれ過ぎている。
 将棋は新聞社の2億、3億の負担に見合うものに成り得ているか。これが核心である。そこは突き詰めずに頂けるものは有難く頂いておく、のも間違ってはいない。「笑える内に笑っておけ」である。但し覚悟が必要である。「いつまでもおひねりは飛んで来ない」からである。企業がメセナやスポーツ支援から撤退し始めて随分経つ。パブリシティしか考えてない下品な文化支援だから、所詮金の切れ目は縁の切れ目である。羽振りが悪くなったら囲い切れない。新聞というものは事業そのものを見た時、成長するのか、或いは少なくとも現状維持が見込めるのか。はたまた縮小していくのか。
 新聞社の収入の多くは当然広告によっているから、産業が振るわなければ苦しくなる。更に、主なニュースはweb上で見ることができる時代だ。それで済ます者も今後は増えるであろう。そう考えると、新聞を読むという行為にはそれなりの意味は残るから、急激に縮小することはないにしても成長していくとも思えない産業である。後は経営努力で生き残りを図る訳だ。場合によっては将棋のweb中継に500円課金する等という経営努力も登場する。


棋士とファン2 投稿者:凡夫  投稿日: 5月17日(土)22時36分47秒

 将棋は新聞社の2億、3億の負担に見合うものに成り得ているか。
 よみくま氏の言動を拝察していると、どうもそうは思えない。ペイしないのに高額の賞金を出して棋譜を載せてやってるんだ、有難く思え、という感じがしてならない。こちらの誤解ならその方がよい。深謝するのみである。但し、棋士を愛するなら氏も言動には今少し気を遣われることを望む。小生のみならず、棋士も深読みして小生と同じ感想を抱いているとしたら不幸なことである。誰しも不十分であれ職務の対価は気持ちよく払って貰いたいものであるから。
 話がそれた。世の中は「改革なくして成長なし」が合言葉である。但し、実態は成長どころか落ち込む一方である。株価の低落に歯止めが利かないのも周知である。この内閣は駄目だと皆分っている。分っている一方で、確かにあちこちで改革しないことにはどーにもならない社会であることも実感している。支持はされないが放置されているのが現内閣である。ホントに改革なくして成長なしか?庶民は痛みに耐えてよく頑張らねばならないのか。
 現内閣が「改革なくして〜」と言い始めてから役人は実は増々腐った。末端の地方自治体まで含めて、目先のサービスには敏感になったが、それは将棋に喩えれば受けである。即ち、保身である。役人は鉾先が自分の方に向かないことを念じて、目立つ対応だけ変えている。本質的な問題、役人の数を減らし、給与体系を下方にシフトする等の抜本的な部分には決して手を触れさせない方針は増々強固になりつつある。改革の正体は庶民を日干しにして今の内に税金を役人で分け合おうということである。歯ぎしりしているゴマメは煮干になるということである。  


棋士とファン 投稿者:凡夫  投稿日: 5月17日(土)18時10分25秒

 の関係を金銭面で少し考えてみる。
 
 棋士は連盟から給与が支給される。その主たる財源は棋戦のスポンサーである新聞社の契約金である。ファンはこの構図の中では新聞の購読者として間接的に新聞社の資力確保に貢献する存在である。簡略化すればこういうことになろう。仮に2億の契約金を確保するためにはおおよそ5万人が将棋欄を購読の理由の一つにしてくれればチャラということになる。新聞社は購読理由をどの程度調査・把握しているものなのか。そんな調査はせずに、与太者勧誘員の手腕頼みなのか。いずれにせよ5万人というのはそんなに非現実的数字ではなさそうだ。特に、毎日のA級順位戦などは目玉であってもおかしくはない。そんなにいるもんじゃない、ということであれば棋戦の主催は将棋界・ファンに対しての善意で行われていることになる。経営が苦しくなったら切られてもしょうがない存在である。
 いずれにせよ、将棋ファンというものはサッカーのサポーターや球場に足を運ぶ野球ファンと異なり、かなり淡い存在である。君達の棋譜が見たいと思って或る新聞を購読しても、所詮紙面の一部に過ぎず、我々の本意は反映されにくいし、又、入場料を払って観戦し、収入面でお役に立つということも殆どできない。ゴルフはいくらか似ているかもしれないが、ゴルフにはギャラリー収入の他、スポンサーもつくし視聴率という形で支持は反映される。これは考えてみると、仲々もどかしい関係である。