升目の考察1-4 升目自体が持つ価値

付録「横歩売り」か「横歩買い」か

MashudaBBS2003.05.10


升目の考察 番外 先見性のない名称 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 5月10日(土)03時59分35秒

34地点を説明するのに日本語の用語法まで修正しなければならないのでは先が思いやられる。このような言葉にこびりついた先入観をぬぐいながら先に進むことは不合理である。むしろ将棋用語などまったく知らない方が上達は早いかもしれない。ピアノやバイオリンで間違った基礎を学んだら初心者より始末が悪いとかつて述べた理由がおわかりであろう。「横歩取らせ戦法」などと教科書に書いたらオシマイである。それでは押し売り戦法にしか思われない。
名人戦第4局では羽生が初手26歩から相掛り十字架銀戦法を披露する予定であるが、これをUFO銀などと呼ばせる神経は一体なんであろう?蛇行形や鍵十字形に変化した場合このUFO銀は「酔っぱらいUFO」などと後世の子供たちは呼ばなくてはならないのであろうか?ガッチャン銀はよい。しかし同じノリで形式美を有した戦形に名称が付けられては理解の妨げとなる。

升目の得点がそれぞれ違うことはおよそ見当がついた。これを子供にわかりやすく説明する時、大人はパチンコを比喩として出すつもりであろうか?パチンコでホールの得点が違うように将棋の升目もそれぞれ得点が違うなどと? 将棋の升目は進行に従って得点が変わるのである。それはパチンコの比ではない。
将棋界では55地点を天王山と呼ぶ。幸い天王山以外は升目に名称がない。それは総合的に確立された音楽用語のように記号で表記される。そしていくつかの重要地点に名称が付与される。
我々が53地点と57地点を重要視しトリトヌスと名付けたのは決して気分ではなく論理的整合性の結果である。


升目の考察4 後手の開通手34歩 「横歩売り」か「横歩買い」か 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 5月10日(土)02時14分47秒

初手76歩に対して後手が34歩と対象形に開通手を指した場合この34歩が先手の飛車に取られるという「横歩取り戦法」が発生する。加藤一二三が三日前に使用していた言葉は「横歩取らせ戦法」である。これは後手が横歩を取らせる戦法であるからそのように厳密に表現するということである。しかし「取らせ」などという動名詞は慣用日本語ではない。将棋界でのみそれが通用している気持ち悪い用語である。日本語の悪しき慣例であろう。「取る」の動詞受動形が「取らせる」という語尾変化しかないので被という接頭詞が使用できないのは残念である。「取り」という動名詞となっても事情は同じである。取るという動詞を使用したのが敗因であった。「横歩買い戦法」と最初に表記すればその反語形である「横歩売り戦法」と表記できたはずである。将棋は損得勘定をするソロバンゲームなのでなぜこのように表記しなかったのか不思議である。
さて「横歩買い」なのか「横歩売り」なのかは解釈が必要である。加藤一二三は「横歩売り」と確信しているのである。だからあえて不自然な日本語でも「横歩取らせ」などと言うしかない。信念の達人である。加藤一二三以外にこのようなことは許されない。我々などは「横歩取らせ」などとは口が裂けても言えない。そこで「横歩売り」と言うしかない。しかし本当に「横歩売り」なのかを検証することが我々にも許される。
先手のマイナス地点76歩に対して後手のマイナス地点34歩の試算表は最後に王手の絶対命題で清算される。すると後手のマイナス34歩は確かに先手に捧げるしかない歩と解釈できる。無論タダではない。だから「売り」なのである。先手が買ったものは歩である。これは目に見える。駒台にも乗る。ではそこで後手に支払われた報酬はなんであろう?それは手番である。手番は駒台に乗らない。だからこの交換は物物交換ではない。二手めに後手が34歩と開通手を指すこと自体が高度な先行投資なのである。この交換は途中まで後手が損である。しかしプロ棋士はいまだに明解な成算を行なっていない。だから今でも「横歩売り戦法」にはただでオマンコさせてやるという女の凄みが後手にある。このような怨念の交換は厳密に言えば「横歩売り」ではない。そのような明解な市場取り引きでない。先行投資ならば「横歩売り戦法」ではなく「横歩先払い戦法」と呼ぶべきである。加藤一二三ならば「横歩咳払い戦法」でもよい。
34歩には後手に振り飛車という選択肢があるがここでは升目の考察を行なう。
先を読む。34歩はこの地点で先手の飛車に取らせることに価値がある。先手の飛車は34地点へ後手に誘導される。すると先手の76地点のマイナス値より34地点に居る飛車のマイナス値の方がはるかに高くなる。従って「横歩売り戦法」の導入となる34歩には手番と言う得の他に、升目の持ち点が随時加算されるべきなのである。そして最重要の手番という問題。横歩の取り引きは誰が決定するのか?それは先手である。従って横歩を買うという消費者の意思がこの戦法に反映されるべきである。将棋界は鑑賞者より関係者優先という閉鎖市場のために「横歩売り」という表現を好むが、やはり「横歩買い=横歩取り」と消費者の立場で呼んで差し支えない。


升目の考察3 先手の開通手 その他 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 5月10日(土)00時54分31秒

初手26歩の原理に従えば16歩も94歩も香車の支えがある為に攻防バランスが良い手に見える。実際初手16歩などは杉本が朝日オープンで昨年指している。ところが総合評価ではるかに76歩や26歩に及ばない。この一手で盤面全ての可能性が一挙に狭くなるからである。杉本はもともと振り飛車しか指さないという自縛が有るために16歩が有効であったということである。先々週のNHK杯で前田はそれを挑発して後手杉本に居飛車を指させるという趣向を凝らしたが、このような発想を全国放送で披露できるというのは並大抵の才能ではない。一方先崎が谷川に指した初手36歩は洗面器に垂らした墨汁のような手である。最初から腹黒い。


升目の考察2 開通手としての評価 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 5月10日(土)00時40分50秒

初手の76歩や26歩は最も強力な大駒を解放する開通手である。他の手を圧倒し最も得点が高い手となる。そしてこの得点の高さにおいて76歩は26歩にまさる。従って駒の特性だけで計算すれば初手76歩が最も価値がある手となる。しかし初手に最善手という言葉は使えない。将棋とは得点が足されたり引かれたりしながら進行するゲームだからである。わざと悪手を指して相手を落とし穴に誘導することも戦術として可能である。三日前の名人戦が典型である。こうなるとスゴロクのようなものである。そこで駒の機能だけでは将棋など到底把握できないことが諸君等にもわかるであろう。そこで升目の性能をまず把握しようというのがこの項目である。
76歩という開通手は角道を開けるだけの手ではない。必然的に76地点を歩で埋めている。77地点は先手の角に作用し76地点は逆に後手から攻められる傷を提供している。
一方初手26歩はどうであろう。77地点に対して27地点の空間作成は得点が低いが、26地点が傷にはならない。飛車で支えているためである。従って一見攻撃手に見える初手26歩はむしろ攻防手として76歩よりバランスが優る。


升目の考察1 升目は平等ではない。 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 5月10日(土)00時27分13秒

将棋盤は81個の升目があるが今までこの升目の価値を全体像から個々に述べた書物は存在しない。誰も升目自体が持つ価値を試算できかったということである。だからよく聞く言葉が将棋には81の升目がありそれぞれにドラマがあるというようなモノである。これは平等思想である。科学者まで升目の数だけの可能性を考えるシラミツブシ戦法が有力と勘違いしてしまう。先週のNHK将棋講座でも「初手は何通りあるか」などと言っている。一体何百年そんなことを言ってきたことであろう。升目を平等に思考した結果である。
将棋の升目は平等ではない。それは性能が違う駒がすでに盤上に並べられているためである。