将棋における善悪の四相1-4

MahusdaBBS2003.04.15


将棋における善悪の四相 番外 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 4月15日(火)00時31分02秒

選挙で勝った政治家が万歳三唱するイメージを貧弱と思わない人もいる。少女漫画のようなダイアリーを連日公開して恥ずかしくない人もいる。彼らは一様に前時代の興業手法で逆転することを期待するからである。大逆転した時のカタルシスとは「結婚したらこっちのモンヨ」ということである。このような大逆転を経て日常へ回帰する。
そう。相転換のあとは再び相転移の日常へ戻る。
結婚前の言い知れぬグダグダを相停滞と呼ぶ。キモイという言葉も相停滞の範疇にある。熱い将棋が楽しいのは当たり前である。キモイ将棋までも楽しめるようになるとカタルシスは倍増する。清く貧しく美しいモノは一見冷酷な言葉で語られているのである。
熱いモノは冷たくなり、冷たいモノは熱くなる。


将棋における善悪の四相4 将棋の逆転=逆行相転換 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 4月15日(火)00時30分07秒

大山の有名な言葉=「助からないと思っても助かっている」
このような言葉がもてはやされた背景は時代にある。絶体絶命のピンチで大逆転した時のカタルシスを民衆は求めていた。このような大逆転を逆行相転換と呼ぶ。将棋もプロ野球やプロレスのような興業である。逆行相転換が発生しやすい指し方が好まれるということである。おかげで丸山、森内、深浦は全く人気がない棋士となっている。有吉までもが丸山将棋をゲキカラと表現している。この形容は貧弱である。内容のことではない。貧弱とは言葉のイメージの問題である。清く貧しく冷たい将棋にも美がある。「冷たい将棋と熱い将棋」と大きく分けるならばまだよい。この分け方はおおざっぱすぎるので我々は四相に分けて考察しやすいようにする。


将棋における善悪の四相3 相停滞手及び逆行相 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 4月15日(火)00時29分12秒

悪い手が善い手になってしまう場合が将棋にはある。或いは善い手が悪い手になってしまう場合もある。これを逆行相と我々は呼ぶ。なぜそのようなことが起きるのか?将棋は二人で一手づつ呼応しながら進行するために悪手に対して相手が悪手で応じる場合があるからである。谷川の将棋は直線的で羽生の将棋は曲線的とよく言われる。我々は将棋をそのような一方的な線上では見ない。将棋の時間軸は論理上逆行するからである。この逆行相を含有する手を相停滞手と呼ぶ。相停滞手は逆行相転化もしくは次のステージ、即ち相転換を導く。


将棋における善悪の四相2 相転化手 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 4月15日(火)00時28分03秒

将棋の指し手の解説によく「善悪は別として」という表現がある。悪手という言葉も多用される。将棋には善い手と悪い手が先天的にあるということである。ではなぜプロ棋士は「善悪は別として」という表現を好むのであろう?それは善悪が入れ替わる場合があると彼らが知悉しているからである。このようなプロセスはそれぞれのカテゴリーに腑分けしないと理解不能に陥りやすい。「善悪は別として」と呼ばれる手は相転化情況から発生している。これを相転化手とまず認識する時に「善悪は別として」とプロ棋士は言う。


将棋における善悪の四相1 相転移手 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 4月15日(火)00時27分07秒

「最善手」という言葉は哲学における「最高善」という言葉同様崇高である。「最善手」という言葉があるために棋理や真理という言葉が棋士に好まれるのである。最善手は相転移の中にある。相転移とは日常の連鎖である。日常を過ごすように将棋も相転移すると「最善手」が抽出される。作戦勝ちというものは相転移のカテゴリーで抽出される。