世界の構図1-4  生命力と美 JPコンプレックス

MashudaBBS2003.03.14


世界の構図 番外 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月14日(金)15時25分02秒

番外しか読まない者は実利が好きな人間である。まあお金しか信用しない人生もある。「しない」という能動性があればまだマシである。実際はお金しか信用できなくなっている場合が多い。貧しさが原因で我が子を売った家族はお金しか信用できないのである。心が貧しいためにお金しか信用できない場合もある。
唐突だがなぜ日本人は中国大陸や朝鮮半島に偏見をもっているかわかるであろうか?あれは実は偏見ではない。中世までの日本はむしろ大陸や半島に絶大な敬意を払って貪欲にその文化を吸収してきた。これがJPコンプレックスの源泉である。今ではもう大陸や半島から学ぶのに飽きたために日本人の関心が薄れただけなのである。学ぶ心がなければあとは島国根性が露出するだけという図式である。
将棋にこれ以上発展はないと思えば新聞社も金を出すのに飽きるであろう。日本人は優秀な民族なので人間がわざわざやるほどのコトではないと思えば急激に熱が冷めてしまうのである。ところが外国の財界人は逆の立場である。全ての賭け事に飽きてしまった頃なので、なにかガチンコの人間勝負がないものかと世界中で博打ネタを探している。将棋などはうってつけである。新聞社がセコイことを言っている間に、棋士がそっくりそのまま外国資本に買われるということも有り得る。その場合150人という人数は必ず必要である。上位20名だけでは博打が成立しないのである。博打とはそのようなモノであると覚えておくだけでよろしいかと思う。


世界の構図4 生命力と美 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月14日(金)14時45分23秒

諸君等は旧ソ連が健在だった頃の東欧圏がどのようなモノであったか想像がつくであろうか?
若者は西側とかわりなかった。オマンコとビートルズが好きだったのである。極めてオーソドックスなのである。
日本人の若者もオマンコとビートルズが大好きであった。納豆が好きだと言っても誰も相手にしないが、オマンコとビートルズが好きだと言えば若者はすぐに仲よくなれたのである。将棋で言うならば谷川と羽生が好きだと言うようなものである。三浦が好きだなどと言うとヘンタイ扱いされてしまう。三浦ならばまだよい。神崎が好きだなどと言ったらそれこそ自作自演と思われてしまう。武者野が好きだと言えば駒音の社員と勘違いされてしまう。このような偏見は等しく強さに由来する。将棋の場合は強さが好感度のバロメーターなのである。これは国家が軍事を力とする構図と全く同じである。軍事力がないクェートなどどこもネタにしない。新聞などはひたすら軍事力のみで世界の構図が語られている。将棋村と全く同じだったのである。若者が好きなオマンコとビートルズが全世界で絶対的な力をもっていた構図と似ていると感じた諸君は賢明である。オマンコには絶対的な生命力が、ビートルズには絶対的な美があったということである。絶対的な力にはこの生命力と美が不可欠であったということになる。


世界の構図3 JPコンプレックス 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月14日(金)14時16分55秒

日本人の西洋コンプレックスは今でも救い難い。将棋という世界で唯一無二の領域にさえ西洋乞食が群がるのである。そして貧乏臭い言葉を並べては、挙げ句には比較文化論というお決まりのパターンである。比較演劇学とドッコイドッコイであろう。そんなことは研究室で一人で楽しんでいればよい。
昔第二国立劇場と呼ばれ、現在オペラシティと呼ばれるところでさえタコの実験場となってしまった。結局メトロポリタンがやったスター主義をどさ回りにしたようなモノになってしまうのである。アレはまだ音楽教育という広大な土壌があったから成立している。
小澤もそれをよく知っているから児童を無料招待してウィーン国立歌劇場でボランティアの魔笛などを振ることができるのである。本チャンならば魔笛は振らせてもらえないかもしれないと陰口叩かれても仕方ない。換骨奪胎が得意の日本人の優秀性は文化面ではことどとく乞食同然なのである。日本にしかいない将棋の棋士が河原乞食扱いされても当然の国である。日本人は将棋にはコンプレックスを抱かない為にお金も出さないというだけのことであった。
このコンプレックスは能動的である。これを評価してJPコンプレックスと呼ぼう。JPコンプレックスの典型は映画であろう。字幕でないと嫌だという日本人が多いことは世界でも驚異の的である。当の日本人にしてみればせめて原語の響きだけでも楽しみたいということである。英語の勉強にもなるなどと自分を慰めてひたすらワケわかんない言葉を理解しようとするのである。欧米ではそんなめんどうな字幕を読む大衆はいない為、すべて吹き替えである。


世界の構図2 貧乏臭い日本の財界人 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月14日(金)13時57分29秒


そう。将棋は全くお金がかからない世界最高の遊戯であるどころかその知的埋蔵量は無尽蔵である。クェートの石油などはせいぜい130年分ほどの分量である。それが無くなれば既得権はオシマイとなる。だから稼いだ金はせっせと海外投資されている。地球の資産でひたすら経済原則をゆがめていることになる。
ところが日本人は自分達の優秀性に気がついていない。むしろ謙虚に自分達の村で節約をしてしまうのである。その象徴的な集団が日本将棋連盟である。クェート人がもし将棋に興味をもったらいきなり将棋連盟の年間予算の5倍分ほど寄附してくれるであろう。それではなぜ日本国内ではそのような寄附ができる団体がないのであろうか?日本将棋連盟の収入源は新聞社という民間の貧乏組織である。しかもたいした金も払わずにその貧乏組織の末端社員が「棋士の既得権」がどうのこうのと新聞にまで掲載するテイタラクである。
日本の財界人など所詮その程度のモノであったということであろう。何も作らないクェート人がこのようなオマヌケな日本人を大笑いしたところで怒れないであろう。オマヌケな生産者より、良き消費者の方が賢く見えてしまうのである。


世界の構図1 石油の既得権 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月14日(金)13時38分19秒

駒音掲示板という所は日本人の貧困な島国根性が露骨にでてくるところである。米長掲示板もそうである。彼らは棋士という職業に対して既得権などという言葉を何のためらいもなく駆使できるのである。
既得権などと言う言葉は、もっと大きな意味で把握しないと将棋などは日本で潰されてしまうであろう。
諸君らは湾岸戦争がなぜ勃発したか確認したらよい。アレはクェートの石油の既得権が法外であったからである。しかも国土がペルシャ湾に面しているために莫大な資産価値を有する領海ももっている。クェートという国はせいぜいが世田谷区ほどの人口で世界の実に1割の石油の利権を持っているのである。せっせと石油を掘るのは人口比8割の外国人労働者だけである。しかも日本人のようになにか新しいモノを作るということを一切しない。海外製品をひたすら買い求めることに彼らの幸福があり、それは国是でもある。金に糸目をつけない最良の消費者ということである。クェートは余った金はすべて海外投資をするのが国家の主義でもある。湾岸戦争はこの莫大な海外資産で賄われた。多国籍軍もその金に期待したわけである。イラクが悪役になってくれたおかげでクェートの法外な既得権は一時的に緩和されたと読むことは誰にでもできるであろう。湾岸戦争後10年間クェートは財政赤字であったが、今では石油の産出量は戦争前より多い。
日本人などこのような既得権だけでなんの創造行為も行なわない国から比べたら立派すぎる。石油から何でも作ってしまう。将棋などはもともと何もないところから何かを創ってしまう最たるモノである。なぜこのような素晴らしいモノにもっと財界人はお金を払おうとしないのであろう。日本人が世界に誇れるモノとは将棋以外になにかあるのであろうか?能や歌舞伎はすでにあるモノである。将棋の日進月歩の斬新な躍動にかなうはずがない。


奨励会のこと 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月13日(木)18時49分57秒

奨励会には175人の棋士の卵がいる。そのうち28人が三段リーグを争い、今日は西尾明と島本亮がプロ棋士となった。この就職率は世界でも特異である。奨励会を専門学校にできないのはこのような事情であった。ところが教職過程が将棋でも取れるということであれば、学校法人にできるはずである。学校で将棋が選択科目として広く取り入れられるとその道は開けるかもしれない。すると学校法人奨励会には教育コースというものができるのである。無茶苦茶な就職率に人生をオジャンにする必要もないということである。しかし教育委員の米長からそのような話をついぞ聞いたことはない。セットで考えたらいかがかと思う。


>扇げば勝ち 投稿者:三波伸介  投稿日: 3月13日(木)18時08分09秒

座布団一枚。


将棋村の虚勢猫 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月13日(木)17時07分51秒

ベッカムの女房は人気歌手グループ「スパイスガールズ」の元メンバーであった。成り上がりの芸能人は高飛車である。この奥さんは有名人グッズ専門店でベッカムのサインが偽物と大声でわめき散らしマスコミがこぞって扱った話は有名である。旦那のモノは稼ぎだけでなくサインまで自分のモノという悪女ぶりは素晴らしい。おかげで店の売り上げは激減し、激怒した店主はベッカム夫人相手に損害賠償請求を行った。裁判で店主は勝訴しベッカム夫人は今週3千万円の慰謝料を支払うことになった。このぐらいのオチがついていると見上げたものである。
中原誠という看板が林葉直子とマスコミ各社に汚されたあの報道に対してもし日本将棋連盟が損害賠償請求を行っていたら当然勝訴である。それはモラル以前に日本将棋連盟が長年かかって築いてきた商品価値の問題であるからである。大変な損害額であろう。ベッカム夫人の比ではない。しかしその訴訟相手が自分達の棋戦の契約相手と同じであった場合村の長老は遠慮してしまうのである。将棋村には虚勢猫しかいなかったということである。よく言えば謙虚極まる。このようなことが分からずに新聞社にはあいかわらずチンピラのような担当記者が居り、棋士に対してポコチンをみせて自慢する。虚勢猫にあたり散らしても妊娠しないのである。


マシュダ一家が羽生の場合 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月13日(木)16時42分40秒

我々が羽生の精神構造を引き継げばまず丸山にクレームをつけるであろう。筋肉増強剤を使っているのではないかと。そこで日本将棋連盟にステロイド検査を要求するであろう。冗談ではなく羽生のように勝負にこだわるならそれぐらいのことを言うのは当たり前である。オリンピックでは当然ドーピング検査がある。囲碁棋士とて例外ではない。大リーグでも選手のステロイド使用チェックを行なおうとしている。まあ将棋村はそれ以前に血液中のアルコール濃度のチェックが先であろう。


扇げば勝ち 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月13日(木)16時26分22秒

高校生の卒業式に参加する為に奨励会の対局を初めて欠席した高校生がいる。神崎日記にある自伝エピソードである。いい話である。羽生などは高校中退の為にそのような青春の憧憬の思い出さえもない。クドイようだが広島県尾道市立高須小学校は校長が校内で自殺した為に卒業式がお通夜である。
奨励会にも青春はある。しかし大介が昇段した熊坂におめでとうと笑顔を振りまいても彼らは明日から敵同士である。高校生の憧憬の青春とは違う。やはり高校生の卒業式に参加して「仰げば尊し」を歌った方がいい話である。プロになれば「扇げば勝ち」となる。